原人グレートジャーニー


グレートジャーニーとは

 TVで放映された関野吉晴氏のグレートジャーニーが有名だが、ホモ・サピエンスが約20万年前にアフリカで生まれ、1万年前には南アメリカ先端にまで到達している。この旅を「グレートジャーニー」というのだが、原人段階でも長旅を経験している。
 原人は、200万年前頃にアフリカで生まれ、170万年前にはグルジア共和国、150万年前に東南アジア、50万年前には北アジアに到達している。海を渡れなかったのと、寒冷気候に対応できなかったため、旅はそこで終わっている。
 私も、祖先に習ってこの旅を再現するつもりである。私の場合の制約要因は、金と自由であり、いつ実現するか分からない。

カナダ(1992年7〜8月、14日間)

 初めて海外に足を踏み出したのはカナダで、理由は、倉本聰のドラマ「ライスカレー」に影響されたのと、私の人生で唯一金と暇と自由があった数ヶ月だったからである。
 米サンノゼ経由でバンクーバーから入り、経費節約のためバスでカナディアンロッキーのジャスパー、バンフ、そしてカルガリー、エドモントンと回ってバンクーバーに戻った。
 忘れられない宿は、バンクーバー空港の宿紹介所でCheapを繰り返して紹介された町はずれのHarbour Front Inn。古い建物の2階をバックパッカー用の安宿に改造したもののようで、窓を開けると窓枠と同じ高さに宿の食堂の床があり、やろうとすればそこから出入りできた。海外初めてで1人で心細い上に、話し声はするはで全然落ち着けない。
 押入を開けると、下着や水着が入っていて???。やがて宿の若い女オーナーが部屋に入ってきて持って行こうとするので、「Your Room?」と聞くと平然とYesと答える。満員のため、オーナーの部屋をあてがったということらしかった。こんなのありかよと思いつつも、約3500円の夜は更けていった。
 その後は、海外といっても大して危険はない、宿や食事が安い、外人(本当は自分か)は皆親切ということが分かり、これで海外旅行に目覚めた。
 一方、自分の英語力が極めて退化して猿人段階であることを反省し、英語を勉強し直すこととを決意した。

ニュージーランド(1993年3月、9日間)

 次の海外旅行は、新婚旅行となった。今回は、短い日程であちこち回るコースを計画したので、最初の宿と空路はすべて予約して行った。
 成田エキスプレスが全席指定というのを知らず、予定の電車に乗れずに、グリーン車となったため、欧米人ビジネスマンでいっぱいの車両にバックパック姿の貧乏人2人という、はなから怪しい出発となった。
 クライストチャーチから入って、マウントクック、クイーンズタウン、オークランドと回ったが、マウントクック以外はすべて2泊し、着替えを最小限しか持って行かなかったので、毎晩妻が風呂場で洗濯していた。
 クック山は標高3764mだったが、我々が行く直前に頂上部が崩壊して、10m低くなってしまった。残念なことである。これが日本で、富士山が10mも低くなってしまったら一大事で、右翼議員が中心となって、100億円くらいかけて元に戻してしまうところだろう。現に私も、北アルプスの穂高岳は、標高第2位の南アルプス北岳に2m及ばず第3位となっているが、2mくらいなら石を積んで2位にしてやりたいと思うのが人情であり、登山の際は石を数個持参するつもりである。
 クイーンズタウンでは、元々ニューギニア原住民の成人式の儀式から始まったバンジージャンプに挑戦しようかと思ったが、妻に止められて、ラフティングに変更した。死ぬなら思う存分してからにしようと思ったためである。

インド(1995年11月、10日間)

 ようやくアジア大陸に乗り出した。インドに行ったのは、断じて猿岩石の影響ではない。沢木耕太郎の「深夜特急」である。
 ニューデリーから入ってヴァーラーナシを経てカルカッタという黄金ルートだ。妻子をおいての一人旅。予想どおりたかられ、ボラれまくった10日間だった。
 入国したとたんにしつこくつきまとわれる、タクシーに乗ればボラれそうになると、どうしていか分からなくなる。最初の宿は窓の網戸が破れていて一晩中蚊の攻撃に悩まされた。体質的に蚊には強いのだが、このせいか、翌日一日だるくて気力が無くなった。
 公園を歩いていれば Hello Japani! と声をかけられ、スニーカーなのに靴を磨けと言われ、足元を見るといつの間にか泥を付けられている。何とか列車の切符を確保してガンジス河畔のヴァーラーナシへ向かう。
 リクシャーに乗れば、別の宿に連れて行かれ、ボートに乗ればふっかけられる。無理矢理土産物屋に連れて行かれ、布を買わされそうになる。
 カルカッタでは、乾期のはずが、何故かサイクロン(このサイクロンはこの後ネパールへ向かいエヴェレストで遭難事故が多発した)が来て、ダウンタウンは水没してしまう。雨が降らないというので、雨具を持っていかなかったので惨め。道路が水没すると人力のリクシャーしか走れず、値段交渉にも応じてくれず、言い値で乗るしかなかった。
 これまで生水を飲まないよう気を付け、下痢もなかったが、最後にカルカッタの空港のレストランで出された水を飲んでしまい軽い下痢になる。油断した。
 精神的に疲れ果てたが、次に行くときは絶対にぼられないぞ!
 家に帰ると、1歳9か月の娘がヒゲが伸びた変な顔の父親を見て不思議そうな顔をしていた。娘をだっこすると何故か涙があふれた。

オーストラリア(1999年7月、8日間)

 永年まじめに勤めた結果、10日以上の休暇をとるよう奨励されたため、家族で海外旅行に行くことにする。行き先は、子どもが小さいため、時差が少なく安全なオーストラリアにする。
 今回も、都内へ向かう電車が動かないトラブルがあり、急遽、義父に途中の駅まで送ってもらい、なんとか空港に着くことが出来た。と思ったら、空港にカメラを置き忘れて、現地で夫婦げんかになるという更なるトラブルが発生し、先が思いやられる。
 下の娘がおむつがはずれていないため、1週間ケアンズのコンドミニアムを借りて、そこからあちこち行く負担の少ない方式を選択した。今回は個人旅行はやめてJTBに依存した。
 JTBは現地事務所があり、すべて日本語で通じるため、子どもの面倒で他に気が回らない我々には楽だった。
 子どもが一番楽しみにしていたコアラだっこでは、順番の最後の方にいたためイライラしていたのか上の娘にコアラが噛みつき、「コアラちゃん大嫌い!」と大泣き。
 家に帰ると、水が腐って金魚がすべて死んでいた。




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