平和新聞 第20回 2002年2月
野上弥生子 「迷路」
しかし痛快にやったもんじゃありませんか。一遍思いきって――」
(中略)
右でも左でも構わない。現在の社会の蟻地獄から自分たちを救いだしてくれるものなら、どちらでも賛成だ。
一九三六年二月の二・二六事件直後のある中学教師の言葉である。ながく不況がつづき、出口のない閉塞感に苦しむ国民のあいだに、<昭和維新>を呼号し、<国家改造>を主張する青年将校の決起を歓迎する感情も強まっていた。
三一年の満州事変以後、「非常時」が強調され、文化・文学運動に対する弾圧は苛酷をきわめた。三三年二月には小林多喜二が警察の手で殺され、同年の滝川事件では、ファッショ化反対を叫ぶ全国の学生、文化人のたたかいが根こそぎ壊滅させられた。
左翼の壊滅は、変革を求める国民のあいだに、右翼の革命的言辞と過激な行動に期待する感情を生んだ。そして、日本は急速に戦争体制をつよめ、ついに三七年、盧溝橋事件をきっかけに、中国全土に対する侵略戦争にのめりこんで行った。
野上弥生子はこの激動する時代の衝撃のなかで、「黒い行列」「迷路」を書き、三六年十一月と三七年十一月の『中央公論』に発表した。戦後になって、これをもとに全面的に書き改めたのが大作『迷路』である。
『迷路』は三五年の東大の五月祭からはじまっている。菅野省三は自分が在学していた二年前とあまりに変った大学の様子に驚く。当時は滝川事件で大学は沸騰していた。学内には背広姿の刑事が多数潜入して、運動破壊のために動きまわっていた。
いまの大学にはそのような気配はない。ごったがえす群衆は、ただ高橋おでんの入れ墨とか、夏目漱石のアルコール漬けの脳髄とか、赤ん坊のミイラとか、なにか珍しいものにびっくりしたがっているばかりである。
しかし、「その驚きが、なにかの契機で、一つの傾倒と崇拝に転じて行く心理こそ、流行のファッショ化の、いわば一般の過程なのだ」と省三は考える。
省三は転向者である。ヒューマニズムの理想に燃えて運動に参加した青年たちは、時代に翻弄されて、さまざまな生きかたを強いられた。野上弥生子はこの若い世代の苦悩を、深い同情をもって、さまざまに描きだした。省三にひかれながらも反撥し、財閥の息子と結婚する多津枝にも、自分の生き方を見失ったこの時代の女性の苦悩を見たのである。
戦争にむかって突き進む日本の姿を多面的に描き出した『迷路』は、日本ではめずらしい大作である。政治家や実業家を描き、中央の政治家と地方の結びつき、地方の資産家の対立と抗争など、現代そのままの政治構造を描き出している。
<今にどーんと来れば>と、田舎町の材木屋の親父までが戦争によって事業を拡大しようと期待し、それにもまして大きな資本家、世界の武器製造業者たちは戦争の拡大を求めていた。そして、国民の多くは政治に無関心で、刹那の享楽ばかりを追い求めているうちに、戦争とファシズムにまきこまれて行く。
不況がながくつづき、テロリズムの衝撃をきっかけに戦争が世界に拡大し、日本でも戦争の準備が急速に進められているいま、この作品は新しい意味をもってよみがえってくる。
次へ トップ ホーム