平和新聞 第27回 吉田嘉七 ガダルカナル戦詩集 次へ トップ ホーム
一線は補給とだえて既にひと月、
密林は焼き払われて、
わずかに残りし青き葉はなべて喰えど、
未だ来ず、米だに、塩だに、
ガダルカナルで戦った一兵士の詩集「ガダルカナル戦詩集」におさめられた詩の一節である。
ガダルカナル島は日本本土から五千キロ離れた南西太平洋ソロモン諸島の南端にある。一九四二年八月七日から翌年二月七日まで激しい攻防がおこなわれた。日本軍は制空権を奪われ、補給が途絶して、上陸総兵力約3万1400人に対して,餓死者を含む戦死傷者を約二万千人出し、ついに撤退を余儀なくされた。
兵士たちは敵の砲爆撃や銃撃で死んだばかりでなく、飢えて死に、熱病で死んだ。「ガダルカナル戦詩集」には、苦しみも喜びも共にして、その顔も姿もまざまざと目に浮かぶ戦友の死が<破れたる鉄兜、今手にとりて/呼ばえども君は帰らず、>と歌われている。
また、ようやく届いたわずかな米を喜び、生前ひたすら渇望しながら、ついに口にすることのできなかった戦友の墓前に供える「米」や「粥」など、過酷な戦場で戦う兵士の激情とともに、飢えと炎熱に苦しむ戦場の日々の喜びと悲しみが数多く歌われている。
「ガダルカナル戦詩集」が刊行されたのは一九四五年二月、本土に対する空襲もはじまり、敗戦前夜の切迫した感情が国民を支配し始めた時期である。
井上光晴は、灯火管制の暗い灯の下でこの詩集を読む十八、九歳の青年たちを「ガダルカナル戦詩集」という題で書いている。
久保宏に令状が来て急に入隊することになり、読書会の仲間たちがささやかな壮行会をおこなった。野沢英一は万葉研究会にも属して、もっとも過激な皇国少年だった。しかし、彼はひそかに胸部を金槌で強打しつづけ、自ら肉体を破壊して兵役を免れようとしていた。久保は母の出身にまつわる秘密を、すべてを打ち明けあうと誓いあった友人に打ち明けずに入隊することに心を痛めている。
それぞれが内心に暗い秘密をいだいていた。野沢英一の場合、それが暗い情熱となって、平和主義や自由主義的言動をはげしく攻撃させ、皇国主義的な誇大な言辞に陶酔させた。
長崎医大の看護婦浦川節子は、村瀬医師のことで取り調べを受けた。村瀬医師と連絡があった沖富枝と友人だったためである。
警察では読書会のことを聞かれた。村瀬医師は俳句会を通じて反戦運動を指導していたいうことだった。笈田講師は読書会は解散したほうがいいと言う。いまはもう、集まること自体が危険なのであった。
「ちよろずのかなしみの雪ふる島あり」「苦力(クーリー)昇天くらい鉛の街である」「海の河もしんしんと凍りわが喪章」というような句が、村瀬医師が取り上げた反戦句として問題にされていたが、浦川節子はそこには「ガダルカナル戦詩集」と通じるものがあると思う。
暗い時代だった。死に追いつめられた若者たちの暗い情熱が、「ガダルカナル戦詩集」に感動し、それぞれの運命を生きようとしていたのである。
2002年9月