平和新聞 第24回 2002年6月 永井荷風 『断腸亭日乗』 次へ トップ ホーム 

        時節はかわる。世はかわる。
        燕の群よまた来る春にお前たちのまた来る時。
        お前たちの古巣はもうあるまい。
        老舗(しにせ)はつぶれ庫(くら)は倒れているだろう。

     一九四〇年(昭和一五)十月二十一日の『断腸亭日乗』に記された詩の一節である。

      この年は神武天皇の建国から二千六百年ということで、神話的歴史観にもとづく国家的奉祝行事が国内いたる所で展開されていた。しかし、盧溝橋事件から三年、中国に対する戦争は泥沼の長期戦になって、国民経済は窮乏し、国民総動員法による経済統制がはじまった。食糧その他生活費需品が配給制となり、企業の統廃合が強行されたのである。

     書籍雑誌店も店数を減らし、閉店を命じられた家の主人は雑誌配給所に勤務することになると聞き、荷風は「昨日の雨けさの風。/河岸(かし)の柳は散っている。」に始まるこの詩をつくった。誰も想像しなかった悲惨なことが次々におこる時代であった。

     ヨーロッパでは、前年九月にドイツがポーランドに侵入して、第二次世界大戦が始まり、この年の六月十四日にはパリが陥落して、ドイツはヨーロッパ全域を支配する勢いであった。日本でもヒトラーを讃美する声が爆発的に高まった。近衛内閣は<国防国家体制>の樹立、<大東亜新秩序>の建設、<新体制>確立を基本方針としてかかげ、この年九月
    、日独伊三国同盟を締結した。対中戦争の行きづまりから、日本はさらに大きな対米英戦争への道を進み、国民に耐え難い犠牲を強いることになったのである。

     ナチスの組織と神話的歴史観を混ぜ合わせ、<一億一心><大政翼賛の臣道実践>をスローガンに,全政党を解散して大政翼賛会が結成されたのは十月十二日のことである。当時は「バスに乗りおくれるな」という言葉が合言葉になり、政治、経済、文化の各界にわたり、<新体制>に迎合し、便乗する言動が氾濫した。

     十月十五日の『断腸亭日乗』には「この頃は夕餉(ゆうげ)の折にも夕刊新聞を手にする心なくなりたり。時局迎合の記事論説読むに堪えず。文壇劇界の傾向に至ってはむしろ憐憫に堪えざるものあればなり。」という言葉がある。深夜目ざめて眠ることが出来ず、夜もすがら鳴くコオロギに聞き入り、「こうろぎは死し/木がらしは絶え/ともし火は消えたり。/冬の夜すがら/われは唯泣く一人泣く。」とうたった。

    『断腸亭日乗』は一九一七年九月十六日から、死の前日五九年四月二十九日におよぶ四十二年間の記録である。きびしい言論弾圧の時代に公表することのできない鬱屈した思いがひそかに書きつづられている。一時は官憲をおそれて抹殺した部分も少なくないが、やがて、後世のためにと復原につとめた貴重な資料である。

     特にこの時期は、戦争によって日に日に追いつめられて行く庶民生活の実態を克明に記し、ドイツの暴虐と軍人専制の世を憤って、その醜悪な実態を暴露し、痛烈な批判と慷慨の言葉を書きつづった。

     一九四一年の一月に食糧をもとめて奔走する庶民の日常を記して「政府はこの窮状にもかかはらず独逸の手先となり米国と砲火を交へむとす。笑ふべくまた憂ふべきなり。」と書いた荷風は、一九四五年の八月十五日には「休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ。」と記している。 

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