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第六回 変化する東京の光と影          

  三四郎が東京で驚いたものは沢山ある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。 
   それからそのちんちん鳴る間に、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするの
   で驚いた。 
                              (『三四郎』)

 三四郎は熊本から出て来た青年である。野々宮さんも熊本から出て来た。『虞美人
草』の小野さんと井上先生父娘は京都から出て来た。東京・下関間の鉄道の全線開通
は一九〇一(明治三四)年、中央本線は一九一一年である。鉄道の発達とともに、東京
は人口が急激にふえ、猛烈ないきおいでかわっていった。
 東京の電車は、一九〇三(明治三六)年八月に品川、新橋間が開通し、その後、次第
に路線網を拡大していった。甲武鉄道(今のJR中央線)は、一九〇四年に飯田町、中
野間で電車運転がはじまった。野々宮さんが郊外の大久保に住むようになったのは、
このような電車の発達があったからである。電車は都市を変え、人々の生活を変え
た。漱石は電車を、はげしく動き、変化する東京の代表として描いている。
 この時代はまた、石油ランプから電燈へと変っていく時代だった。まだ一般の家は
ランプだったが、野々宮さんが大久保から移り住んだ本郷の下宿は、わらぶきの家で
ありながら、電燈がひかれていた。急激な発展で、新旧がまざりあい、市民の生活は
統一と安定をうしなっていた。漱石が描いたのはこのような過渡期の日本の混乱であ
る。
『虞美人草』には上野で開かれた博覧会の盛況が描かれ、『三四郎』では文芸協会の
新しい演劇を上演する演芸会場のはなやかな雰囲気が伝えられる。しかし、広田先生
はいくらすすめても演芸会場にはいろうとせず、古びた黒い外套を着て、闇の中に消
えて行く。「本来は暗い夜」で、「人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ち」
いたのである。
『三四郎』冒頭の汽車でいっしょになった女は、旅順に出かせぎにいった夫が音信不
通になり、子供をかかえて、前途の不安に迷っている。この女に、戦争で子供をなく
した田舎者の爺さんは、「一体戦争は何の為にするものだか解らない。後で景気でも
好くなればだが、大事な子は殺される、物価(しょしき)は高くなる。こんな馬鹿気
たものはない」という。三四郎は鉄道線路のすぐそばの野々宮さんの家で、自殺する
女の「ああああ、もう少しの間だ」という声を聞いた。
 漱石は、日露戦争に勝って一等国になったと喜ぶ日本の暗部を見つめ、この東京を、
生きる目的を見うしなってさまよう青年たち、「迷羊(ストレイシープ)」の苦悩を描
いたのである。

( )内はルビ。

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