ベルリン・オリンピック記録映画について
昨日(2000年9月12日)、夜11時過ぎのNHK衛星放送でのシドニー・オリンピック記念番組について一言。今週は、「炎のランナー」とかスポーツ映画の特集をしています。当方はさほど興味がなくちらりと見る程度なのですが、昨日はあの1936年のベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」でした。レニ・リーフェンシュタール監督のナチスの礼さん映画として悪名の高いものです。
途中から見出したのですが、これがすばらしもので、別のことをしていたのですが、それをほっぽといて引き込まれました。いつもは、そのさわりだけの細切れした見ることがないのですが、続けてみると、これはスポーツ記録映画として最高のまさに完璧というもので、これ以降のスポーツ映画はその亜流ではないかと思われるものでした。
村社、棒高飛びの大江・西田、それからマラソン・金メダルのソンなどがでてきて、全く風化していませんでした。ソン氏は韓国の出身であることはあまりにも有名ですが、そのマラソンの3着にナン、ヤパーナとナレーションがあり、初めて3着もヤパーナと知りました。
さて、ヒットラーの扱いなのですが、随所に出てくるのですが、これが素顔とも言えるもので意外でした。礼賛映画となると、神格化されたものかと思ったところ、そうではなく、神経質に貧乏揺すりをしたり、身を乗り出したり、400mリレーで独逸が先頭であったのが、バトンを落としてしまい、落胆する表情、その傍でゲッペルスがまたちょこまかと動く様子とかが写っていました。
芸術の域に達した映画は、宣伝映画とはいうものの、すごいものと感心しました。
<参考>
Leni Riefenstahl (1902― )
ドイツの映画監督、俳優。ベルリンに生まれ、絵画と舞踏を学ぶ。舞踏家として名声を確立するが、1926年『聖山』で女優としてデビュー。一連の山岳映画に主演し、『青の光』(1931)を監督・主演する。ナチス政権時代に、ナチ党大会記録映画『意志の勝利』(1934)、ベルリン・オリンピックの記録映画二部作『民族の祭典』『美の祭典』(1938)を監督、傑出した撮影技術とリズミカルな編集により、世界の注目を浴びる。第二次世界大戦後ナチ宣伝の容疑で投獄されるが無罪となる。戦後は『低地』(1954)のみを完成、映画製作は停滞化するが、その後第一級の写真家として活躍。〈奥村 賢〉【本】G・B・インフィールド著、喜多迅鷹・元子訳『レニ・リーフェンシュタール』
(1981・リブロポート)
オリンピック{第11回大会(1936・ベルリン)}
〔第11回大会(1936・ベルリン)〕開会式8月1日〜閉会式16日。参加国49、選手数4069。独裁者ナチス総統が国威宣揚を念頭に準備したこの大会は、オリンピック史上初めてすべての面に強い軍の協力があり、10回大会をしのぐ豪壮な設備を整えた大祭典となった。反面、ナチ党旗のハーケンクロイツを初めてドイツ国旗として使用し、会場の内外に氾濫(はんらん)させるなど政治色の強い大会であった。古代ギリシアをしのぶように優勝者には金メダルのほかオリーブとカシの苗木を与えた。初めてトーチリレーが行われた。ギリシアの神殿跡で太陽の光線からとった火が、青年たちによって会場のベルリンまで運ばれた。本大会では、ドイツ軍参謀本部の兵要地誌調査に悪用されたとはいえ、のちにこのトーチリレーはオリンピックには欠くことのできない象徴的な儀式となった。競技内容も充実し、世界・オリンピック新記録が150以上も生まれ、世界記録の大会とよばれた。多くの英雄が生まれたが、短距離、ハードル、走幅跳びに三つの世界記録を出し四つの金メダルを獲得したアメリカのオーエンスを忘れることはできない。経費も惜しまずにリーフェンシュタール女史が制作した『民族の祭典』と『美の祭典』は史上最高のオリンピック記録映画といわれている。日本も東京大会招致を目ざして179人(うち女子17)の選手が参加し、水陸とも大活躍をしたが、棒高跳びでは西田修平と大江季雄(すえお)がアメリカのメドウスと延々5時間の熱闘を演じ、夕闇(ゆうやみ)のフィールドで2、3位を分けあう劇的シーンを展開した。のち両選手は銀と銅のメダルを半分に切って継ぎ合わせ、各自が所持するという「友情のメダル」美談が生まれた。また、長距離2種目で小柄な村社(むらこそ)講平はいずれも4位とはいえ、強豪の北欧選手に伍(ご)しての奮闘は国際的な反響をよんだ。さらに女子水泳の前畑(兵藤(ひょうどう))秀子が200メートル平泳ぎで、ドイツのゲネンゲルと大接戦を展開、日本の女子選手として初の金メダルをかちえたが、この日本時間で深夜の実況放送を担当したNHKアナウンサー河西三省の「前畑がんばれ」の絶叫は、日本全国民を興奮のなかにたたき込んだ。優勝数〔1〕ドイツ38、〔2〕アメリカ24、〔3〕ハンガリー10。