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2001-2-13 南極観測
本日はNHKの9:00〜のプロジェクトXで南極観測の2回特集の1回目でした。国家的プロジェクトを全国民が支持するというよき時代の話でした。永田武隊長といえば伝説の人、番組では原子力界でも伝説の人;西堀英三郎(1903-1989年)(東芝技術本部長、軍用機の無線用真空管、戦後QC品質管理でデミング賞受賞、南極越冬隊長、原研理事で溶融塩炉を推進)も、いかにも一癖有りそうな感じで顔を出されていました。西堀氏は残念ながら小学館の百科事典には載っておられませんでしたが。
番組でおやと思ったのは朝日新聞が南極観測支援キャンペーンをやり、それが原動力となったとのことでした。

永田武 ながたたけし(1913―91)
地球物理学者。愛知県岡崎市に生まれる。1936年(昭和11)東京帝国大学物理学科卒業。寺田寅彦(とらひこ)に師事し、同大学地震研究所助手、陸地測量部嘱託、東京大学助教授を経て、52年(昭和27)教授。51年学士院賞を受けた「岩石の磁気的性質に関する地球磁気学的研究」は、熱残留磁気について法則を発見し、地磁気の永年変化と異常分布を明確にした業績として評価されている。54、55年国際地球観測年(IGY)会議に日本代表として出席以降、南極観測を提唱、第1〜3次南極観測隊長(1956〜59)となる。73年国立極地研究所初代所長に任命され、火山噴火予知連絡会や測地学審議会の会長も務めた。74年文化勲章受章。日本学士院会員、アメリカ科学アカデミー名誉会員。著書に『Rock-Magnetism』『火山の噴火』などがある。〈石山 洋〉

プロジェクトXは今日は、2回シリーズの後半で、内容は西堀栄三郎氏に焦点をあてたもの、前回が永田武物語であったことへの対照のようでした。
アインシュタインとの接触で大きな影響を受けたとのこと、出会いの重要性を示しています。

01-02-20火曜日 9:15-10:00
プロジェクトX、探検者たち。「極寒・南極越冬隊の軌跡」基地壊滅・食糧流出、命を救った言葉とは
第一次南極観測では53歳、西堀栄三郎の探究心が中心の南極観測11人の男たちのドラマである。s31年11月に日本を出発、ケープタウン沖まで52日、4日後、暴風圏をぬける。
松本船長のもと砕氷しながら50km/日で進む。西堀栄三郎は、氷のスケッチをしていた。
s32。1。19日には、船が止まる。ダイナマイトで航路を開こうとするがうまくいかない。
永田の計画では基地を建設して、船は戻って、また来年にきて観測する予定であったが、西堀はそのまま越冬観測を頼む。来年、南極につける保証ないし、観測成果を残すのが目的だからだ。西堀は東芝時代ののs19年、真空管ソラの製造を独自技術で行う。不足のニッケルのかわりにトタンを利用の天才技術者であった。
閉じ込められて3日後の1/22日には、氷に2mのクラックが入り、そこを進んで、2日後の1/24に接岸した。南極に上陸して基地を建設、天才技術者西堀、とノーベル賞候補クラスの永田が協議して、越冬することを永田は許可する。
2/11日に建物完成、2/15日が別れの日、11人の越冬隊員が残った。南極の夏は1-2月の夏、1ヶ月のみ。西堀は、雪山賛歌の作詞をしたり、幅広い才があった。
s32年3月には、佐伯富雄はペンギンを観察。「とにかくやってみなはれ」が西堀の言葉。黒部第四ダム建設では、南極にまけるなが合い言葉。
s32.3月には50m風速のブリザードの中で隊員は基地にこもり麻雀をするが、西堀はなにも言わない。隊員は観測はできっこないと思った。
西堀が一人で観測、19歳のときに西堀はアインシュタ インとの出会いがあった。T11年に貿易商の兄から学んだ英語能力を生かして3日間、通訳として同行した。アインシュタインは探究心のかたまりで、寺の鐘の表面の模様は何の為にあるのかと説明を求められた。アインシュタインより、新しいことをやれ、やってみる勇気が必要と言われる。
西堀が無線担当の佐久間に、CQで信号を出すと、何の研究をしているかと問われる。
10人の若者は、落ちこぼれで、西堀は落ちこぼれほど強いと言う。
s32.4月には、食糧置場が海、流されてしまう。ブリザードの音はすごい。
食糧の2/3を失ったので、西堀は銃でアザラシやカモメを打って食糧とする。
煙草の空き缶を、棒につって、雪の結晶を調査する。そんなもので観測が出来るのかという声に「やるまえからあきらめるのは一番つまらない人間だ」と言う。北村が4回/日の観測、オーロラの観測、色、方角を調べる。
観測小屋で、s32.7.24から観測開始後の 1ヶ月後、北村が居眠りをしてストーブから火事が発生で観測記録も灰、測量機も失う。西堀は北村を一言も叱らず、数日後に、西堀が鉄パイプを細工して観測機をつくり、失敗しても、やりなおせと言う。石をテーマに研究や、ペンギンの観察をする。
永田はs32。8月には、宗谷の推進力増強などの改造を行う。
s32。10月に日本を宗谷は出発、南極ではs33.1正月時点では、食糧はわずか。宗谷は200kmの地点で氷にはばまれる、40日がすぎる。パイロットが飛行機で飛び、33.2.8に基地に1時間後に到着、越冬隊の救出、s33.3.日本に飛行機でかえり大歓迎を受ける。
観測結果として、石より南極が、地球最古の土地であることが判明、オーロラの観測も進む。1987年には昭和基地でオゾンホールを世界で初めて発見するという成果をあげている。西堀は70歳でもヒマラヤ探検隊の隊長をつとめた。19歳から、探究心、失敗を恐れぬ勇気を持ち続けた。