2001-2-19
土曜日の深夜ですがNHK衛星TVで「世界わがこころの街、ハノイ」で山本寛斎が登場、やたらに元気が良い人で、エネルギッシュにハノイ設けたデザイン学院で生徒を教えるという話でした。日本的な色彩やデザインとは言えないし、並外れた行動力も日本人ばなれです。
番組の中で、ハノイの夕暮れで、屋台の裸電球を見ると、昔の日本の裸電球のあかりを思い出し物思いにふけるとのこと、7歳の時に、両親が離婚して、父親に引き取られる、横浜から高知に弟2人を連れて夜行列車で不安な旅をしたことを思い出すとのことでした。ベトナム社会の暖かみにもひかれるとか。洋服の仕立て屋であった父親につれられて全国を移動、21歳で独学で自分自身がモデルとなり、ファッション界に身を投じ、1974年のパリコレクションでは失敗し、世界を放浪とのこと。感性としては、日本的なものを土台にしているのだと見直しました。
ハノイをなぜ学院の場所に選んだかは、客が洋服を生地を選んで、それを仕立てるという文化があり、デザインの発展に向いてるとの説明にはなるほどでした。
<山本寛斎プロフィール>
1944年生まれ。71年、日本人として初めて、ロンドンでファッションショーを開催。74年、パリコレクション、79年ニューヨークコレクションに参加。鮮やかな色彩、大胆な柄などラジカルな感性は世界中で高い評価を得ている。また、異色のキャストの起用や大がかりなステージなど、「人間讃歌」をテーマにファッションの枠を越えたイベントを次々と展開。93年、モスクワ・赤の広場で12万人を動員したスーパーイベント「ハロー!ロシア」に続き、95年、ベトナム社会主義共和国、ハノイ市レーニン公園バイマウ湖上にて20万人の観客を集めた「ハロー!!ベトナム」を開催。97年11月には、インド・ニューデリーのネールスタジアムにて「ハロー、インディア!」を開催。インド最大のショーとして話題を集めた。
91年、第7回日本イベント大賞審査員特別賞受賞。93年ロシア国際人道援助協力基金・海外顧問就任。第七回東京クリエイション大賞国際賞受賞。