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2002-12-31 「幾く山河は越えたれど、昭和のこころ古賀政男」
12/29日曜の深夜のNHKアーカイブ、古賀政男の、「幾く山河は越えたれど」
死後1年後の特別番組(1979年)の再放送でした。
渥美清が、本当にそっくりさんの演技で古賀の足跡を尋ねるという秀作でした。
s2年には、芥川が自殺した年に自分も東北地方で自殺を図かり、そのすぐ後に、s3年に作曲作詞の「影を慕いて」を発表。s4年に佐藤千代子が歌うことで、世に出た。
日本コロンビアに入社s6年に入社。120円/ 月の給料を貰う。
藤山一郎、「酒は涙かため息か」でヒット。
s7年に古賀が結婚,5/15事件,s8年に夫婦なかがわるく過労で入院。

ここまでが第一回で、明日が第二回。古賀政男は、晩年に自分の作ったきた歌は全て悲観的なもので間違いであったという総括をしたと記憶していますが、二回目でどう扱われているか。古賀は昔は結構、歌番組の審査員に出てきたりで親切な指導やコメント、親しみやすい存在だったのですが晩年は気難しくなったようです。山本丈晴、アントニオ古賀は多分、二回目にも登場しないでしょう。

12/30月曜日の古賀政男の2回目は、ちなみの歌手の実演中心で人間像に迫っていないのが残念なところです。

02-12-30 11:25 pm→1:10
古賀正男の、NHKアーカイブ、「幾く山河は越えたれど、昭和のこころ古賀政男」
79.4.14放送分 加賀美アナ、ゲスト;なかにし礼
明治37年生まれ、s8年に夫婦なかがわるく過労で入院、肺結核、離婚。伊豆伊東で療養 中にテイチク社長南口がくる。その年、母63才で死亡。デックミネ、「人生の並木道」をs13年に作曲。

身空ひばり、村田英雄、近江俊郎、島倉千代子、森進一、デックミネらの面々の23年前の映像でした。まあ、渥美清が実によく似ている名演で持っている番組でした。
最後は、代々木上原の自宅で沢山置いてある仏像を拝んで廻っている最中に心臓麻痺で死去(73才)とのことですが、最後には自分の非歌を否定したというのが知りたいところですが、まあ、それではNHK番組は成り立たないでしょうから(最後にどんでんがえしあり)。

さて、山本丈晴が、戦中・戦後を語るのが爽やかであったし、インターネットで見るとアントニオ古賀はギタリストとして着実に活躍しているようで、政男は人を見る目があるというか立派な弟子を育てたようです。

さて、この番組の後での、なかにし礼の話が面白いもので、古賀メロディーは三拍子で、ワルツの名曲、大正時代の、自由・平等・博愛の精神を表したものとの説。やや奇説ですがバックグランドとして
それから、古賀は作詞が姉で作曲は妹と常々いっていたが、作曲には自負心を持っていた。
ピアノの引き方で、一個、一個の音に精根を込めていたとのこと、詩がなくても成り立つもので、かつ楽器がなくてもメロディーだけで聞ける天才的な音楽家としていました。

最後に、政男が死の2日前に書いた文書の紹介が加賀美アナからあり、
「私の歌はいつまでくりかえされるか、はやく歌われなくなる楽しい世の中がきて欲しい。悲しみはたくさんだ、この世から消えたい。」と書いていたとの紹介がどんでん返し的にありました。大変に繊細な神経の持ち主でもあったのでしょう。

<影を慕いて>
古賀政男作詞・作曲
まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦(こが)れつつ 忍び泣く

わびしさよ
せめて痛みの なぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) 行(ゆ)く秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し

君故(ゆえ)に
永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ

<酒は涙かため息か>
高橋掬太郎作詞
古賀政男作曲
1 酒は涙かため息か 心のうさの捨てどころ
2 とおいえにしの かの人に 夜毎の夢の切なさよ
3 酒は涙かため息か 悲しい恋の捨てどころ
4 忘れたはずのかの人に のこる心をなんとしょう

http://www.koga.or.jp/
人生の並木道
作詞  佐藤惣之助
作曲  古賀 政男
唄 ディック・ミネ
1. 泣くな妹よ 妹よ泣くな 泣けば幼い 二人して 故郷を捨てた 甲斐がない
2. 遠い淋みしい 日暮の道で 泣いて叱った 兄さんの 涙の声を 忘れたか
3. 雪も降れ降れ 夜路の果ても やがて輝く あけぼのに 我が世の春は きっと来る 4. 生きて行こうよ 希望に燃えて 愛の口笛 高らかに 我が人生の 並木道

日活多摩川の「検事とその妹」の主題歌で、この歌は古賀政男がディック・ミネに歌わせることを前提に作曲したともいわれ、この時代の名曲の一つに挙げている人もいる。
映画の原作は竹田敏彦、監督 渡辺邦男による原 節子デビュー3年目の作品で、共演は岡 譲二、星 玲子、伊沢一郎など。 1937年(昭和12年)

<小学館、百科事典、古賀政男 こがまさお (1904―78)>
作曲家。福岡県生まれ。1929年(昭和4)明治大学商学部卒業。在学中マンドリン・クラブを組織し、28年には処女作『影を慕いて』を発表。31年よりコロムビアなどのレコード会社の専属作曲家となり、多くのヒット曲を生む。それまで中山晋平(しんぺい)の独壇場であった流行歌の世界に古賀メロディーの新風を吹き込んだ。主要作品は『丘を越えて』『二人は若い』『湯の町エレジー』『柔(やわら)』『悲しい酒』など多数。死後、国民栄誉賞が贈られ、「古賀政男記念音楽大賞」が設けられた。古賀政男記念博物館(東京都渋谷区上原3-6-12)がある。〈船山 隆〉
【本】古賀政男著『自伝・わが心の歌』(1982・展望社)