ウナギを七輪で焼く方法

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このページをUPしてから1年が過ぎますが、好評なので、七輪の話;Temporaryを、別のページにまとめました。
七輪メーカーの鍵主工業の知己を得たことと、インデックスページでリンクしている進藤さんの意見がきっかけです。
3.1.2 生の鰻の入手の項に、読者からの初めての具体的な反応を追加しました。(2000.09.15)
あと、タレの作り方について、誰か寄稿してくださいませんか。
文書内から
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1. 始めに
2. 要約
3. 鰻の焼き方の技術
3.1 準備
3.1.1 七輪その他器材の入手の方法
3.1.2 生の鰻の入手
3.1.3 序曲
3.2 タレの作り方
3.3 火の起こし方
3.4 鰻の焼き方
3.5 仕上げ
4. 七輪の他の用途
4.1 炭火の特徴
4.2 魚を焼く
4.3 七輪の本来の用途
5. 雑談
(6) 引用文献・注釈
付録 おいしい しょうゆ ラーメンの作り方
1.始めに
うなぎ(鰻)料理はなにか特別に高級料理のイメージが世間ではあるようだが、筆者はとくにこれを好んでいるわけではないことをまずお断りしておく。
考えてみると、外食で鰻を食べた記憶が殆どない。その理由は、自分の思う価値に対して値段が高いからである。というより、結婚するまで、市販の鰻はなんとなく好きではなかった。
したがって、世の中で正当とされる「うまい鰻の味」は知らない。現在の妻と一緒になるまで、筆者にとっての「うなぎ」とは、ゴルフをしない人々にとってのゴルフのようなものであった(付け加えれば、ゴルフは筆者にとって、終生、無縁であろう)。
結婚してみると、妻は実は病弱で、妙な加工食品や鮮度の落ちた食品は受け付けない体質であった。美食家ではないが、結果的にそれに近くなる。テンプラ油は一度使うと捨ててしまう。古い油は体にこたえるという。筆者は枯れた油がいいのであるが。
魚が大好きで、おいしいサンマは骨ごと食べるが、豚肉はいやがる人であった。
調理に砂糖(上白糖)は一切使わない。これは、「シュガーブルース」(注1)という本で砂糖の弊害を知っていた筆者の認識と一致した。
当時、喫茶店(コーヒー中心、のちに自家焙煎 )を営業していた筆者は、仕事として味覚と調理の勉強をしていた。また、都会生活から田舎に戻って数年であったから、田舎の生活を改めて考え直す機会も多かった。
そのようなわけで、妻の口に合う食生活を模索すると、いわゆる自然指向(本物指向)に否応なしになってしまう。
後で述べるように、七輪を使うことには筆者は抵抗がなかったので、自然の成り行きとして魚はこれで焼くようになった。
次に、鶏を飼い始めた。これは筆者の趣味である。津山に帰った時から飼いたかったのであるが、独身でこれを飼えば、変人である。そこまでするには、筆者はあまりに常識人であった。
当時、筆者は味覚が極めて鋭敏であったので、元来好き嫌いはないのに、市販の卵を目玉焼きにすると、そのままでは喉を通らなかった。ベーコンかハムを下敷きにして、味を付けるとなんとか食べられた。おそらく、卵に集積されている何かの物質を検知していたのであろう。現在は味覚が鈍感になっているのと、年齢による鈍化とで、そのようなことはないと思う。
さらに、魚釣りに行くようになり(妻は狩猟が大好きなので)、釣りたての魚のうまさを知り、ついでに海水を汲んで持って帰って塩を作った。
その頃は専売公社が高純度のNaClだけを食塩として販売していた。
「命は塩から」(注2)という本に、その事情が詳しく述べられている。海から作った塩は、それだけを舐めても甘い。この味を知らない人は、本当にめぐまれていないと思う。
以上のいきさつで、わが家では疲れてくると、鰻でも焼くか、となるわけである。
今年(1996年)の初夏は、筆者は慣れない肉体労働をしたためか、普段は食欲がなくても無理にでも食べるのに、バテたときの定番である、そうめんも焼肉もカレーライスも喉を通らない日が続いた。
不思議に自分で焼いた鰻は食べられたのが、本編をまとめた契機である。
以下、論文調で続く。
2.要約
鰻を家で焼くのは一般的ではないが、それは七輪という調理手段がないことと、あったとしてもその調理時間がかなりかかり、日常の食事としては煩わしいことである。
鰻は他の食材と異なり、強火の遠火といわれる赤外線で加熱しなければ、全く食味が劣るという、調理技術の難しい材料である。
とはいえ、七輪さえあれば、強火の遠火は容易に実現できて、自分で賞味するのであれば、加工したての鮮度のいい料理ということもあって、じゅうぶんに満足できる結果が得られる。また、骨から炊き出して添加物を加えていないタレも、この満足度に寄与する。
生の鰻は津山ではスーパーマーケットに少量ではあるが、季節にかかわらず置いてあって、入手に困ることはない。
**と書いたのであるが、売っていない(1996.Nov.,ver1.35)**
鰻を焼くには、まず七輪その他の道具を揃える必要がある。これは特別なルートでなくとも地方都市であれば市販品を容易に入手出来る。
七輪で火を起こして煙を出すのは、現代では奇異な光景であるので、それが実現できる住宅環境に恵まれている人は少ないと思われるが、実際に必要な床面積は畳半分である。普段から近所に悪意を持たれていないのであれば、たまに七輪をパタパタするのは、社会通念上、許容範囲内であろう。それが出来ないとしても、野外に出かける方法もある。
火を起こし始めてから料理が完成するまでに要する時間は長くみて約45分で、上達すると一度に4切れが焼ける。4切れの鰻だけでは家族のおかずとしては少ないので、主婦以外の人が料理をするか、通常の食事以外として食べるのが適当である。
人間には太古の狩猟生活の本能が残っていて、食物にありつくために何かの手続きを踏むことに、文字どおり心の底から素朴な喜びを感じる。鰻ではタレを作ったり七輪をパタパタしたり、待ち遠しさに酒を飲む過程がこれに相当する。
今では一般的でなくなってしまった、熾き火での調理を試みることで、人間の歴史に想いを寄せるのもいいではないかというのが、筆者の主張である。
3. 鰻の焼き方の技術
3.1 準備
3.1.1 七輪その他器材の入手の方法
必要な器材と注意点は次の通り
- (1) 七輪
- ホームセンターか、炭・燃料を取り扱っている店で求める。
通常の七輪は珪藻土の粉末で成形したもので、メーカーによって、品質に若干の差がある。。
しかし、安いものだと思わざるを得ない。
イソライト工業(大阪2部上場)が有名であるが、実際には石川県珠洲市のメーカーのOEMで生産されている。
昔はどこのご家庭の七輪も、くり抜き製法のものであった。しかし、量産の要求で、プレス成形になり、今ではその手法でほとんどが生産されている。
本物の珪藻土の塊をくり抜いて作ったものは、今では普通には入手できない(筆者の友人が通販で買っている)。
七輪はヒビが入りやすい。使い初めのときに、ちょうど陶器の養生のように、弱い火で徐熱してやればいいかと思ってしてみたが、ヒビは入るときには入ってしまう。
- (2) サナ
- サナ(方言)と言っている、炭が落ちないように受ける火格子(ひごうし;ストーカと言っても冶金のテクニカルタームなので世間には通用しません)は、七輪に付属のものは素焼きで空気の流通が悪いので、上級者は鋳鉄製のものを揃えるとよい。価格は大したものではない。
- (3) 五徳(ゴトク)
- 熱源と被加熱物の空間距離を設ける、断面が台形のリングである。五徳というのは3脚か4脚と広辞苑に載っているので、正式には別の名称があるのかも知れないが、七輪を買うときに「五徳」と言えば、「温良恭倹譲」を間違って売りつけられることはない。
このゴトクには、被調理物の汁が落ちるので、よく使うのであれば、肉用と魚用を使い分けるとよい。
ゴトクを2つを重ねて火を熾すと、煙突(チムニー)効果で、扇がなくても熾りが早い。
ゴトクをなぜ使うかというと、七輪は本来は鍋や釜を使う道具であるから、火と被調理対象物との距離が近すぎるからである。
- (4) 魚焼き器
- 魚をはさんで、柄がついていて、ひっくり返して両面が焼ける形の器具を買う。ホームセンターか金物屋にあるはずである。たいていはガスコンロ用に鉄板がついているので、これは外して用いる。
セラミックがコーティングされているのは、その部分から輻射される赤外線を期待する、ガスコンロ用である。
いつだったか、TVの七輪を使った料理の場面で、この魚焼き器をおおまじめに使っていた。たぶん、よかれと思って選択したのであろう。日本の文化の伝承もここにまで至ったか、との感があった。本質が伝わっていないのである。
ついでながら、平網の、いわゆるテッキ(テッキュウ)は、ひっくり返す時に焦げ付いた身が離れるので、初心者には、魚を焼くには不適当である。
- (5) 炭
- 炭は、消し炭がもっとも適当で、筆者は材木の端材で風呂を焚いている身内から入手している。残念ながら消し炭は市販していない。
初心者にはキャンプ用の着火のいい炭が適当であろう。
固炭(かたずみ)は生木を乾留したもので、普通に炭と言えばこれを指す。
魚を焼くには大きな丸太になっていない、安いものでひとまずは充分である。
炭を切るのに鋸を用いると形が揃って、見栄え(と空気の流通)がとてもいいが、筆者は今では叩いて割っている。
固炭は火持ちがいいだけ着火が悪いので、その点が難しい。それだけに焼き肉には適している。
炭は安価ではあるが、はじめから大量に買うと、興味を失ったときに捨てるに捨てられない始末に悪いものとなり、家人からおりに触れて非難のもととなるであろう。この点は充分に留意すべきである。
- (6) 火熾し(ひおこし)器
- 底が格子になった手鍋のような形をしていて、ガスコンロにかけて炭に着火する。初心者にはよいかも知れない。着火はそれほどよくないので、筆者は持っているが使っていない。3.3項を参照のこと。
- (7) 火消し壷と火箸
- 必需品ではないが、固炭を火消し壷で消した炭(消し炭)は着火がいいので楽である。
ホームセンターに安物が置いてあることもあるが、昔ながらの釉薬のかかった立派な火消し壷は古い構えの陶器店の奥にあり、数千円である。炭の用途は七輪以外にもあるので、探せば入手は困難ではないと思う。興味が続くとこれを揃えるのも本格的でよいであろう。
火のついた炭を火消し壷に移動する際には、火箸を用いなければ熱いので、これも揃える。
- (8) うちわ
- 春から初夏にかけて、日本をにこにこしながら歩いていると入手出来る。
この夏、なんとMicrosoftのロゴのうちわを日本橋のSTAND-BYでもらった。
筆者はお金を出して何処で買えばいいのか知らない。
なければ、腰の強い厚紙でも間に合う。
- (9) 菜箸(さいばし)
- 長い竹の箸である。普通の家庭にはあると思われる。
3.1.2 生の鰻の入手
筆者は近所のスーパーマーケット(マ?イ,またはニシ?)で買い求めている。夕方には在庫が切れることがあるが、商品があることは生の鰻を家庭もしくは業務用で調理する需要がある程度あることを意味する。
津山の卸市場では常時流通しているので、魚屋に頼めば入手できる筈である。岡山の卸売市場での取引単位は数匹が一箱であるという(注3)。これを津山の卸商が仕入れ、小売りの魚屋に卸すというルートである。
津山でそうであるから、他の都市でも状況は似たものと推測される。
わが家は以前は鳥取県境港からの行商の人に頼んでいたが、商いの規模が小さいので、特別に頼むとなると高価になる。ただし品質は良い。
素材による味の違いは、各自で考察されたい。筆者が理解しているのは、大体次のようなものである。既に述べたように、鰻について美味の追求をしているわけではないので、的を得ていないかも知れない。
- (1)
- 天然、半養殖、養殖とあって、殆どが養殖である。いい天然ものの入手はかなり困難である。産地による違いは知らない。半養殖と称するものは、大型で処理もよく、違いが判る。養殖も悪いことはまったくなくて、養殖の味が天然を凌ぐ珍しい食材であるとの意見がある。
- (2)
- 個体差による違いは、皮の色で見分けるらしい。スーパーのパックは腹側をみせているので、見分けにくい。
また、大型のもののほうが概してうまいようである。
- (3)
- 外観上で、赤く血の色が付いているほど、生きているうちに処理された証拠で、白いのは死んでから処理されたものである。今では、鰻をさばく機械があるという。横に入れると横に裂かれるというから面白い(注3)。
スーパーのものは、真っ赤になっているのはあまりない。全体にうっすら血が滲むように色がついているものに出会えば幸運である。これは、筆者の目撃したところによれば、瀕死の状態で捌かれているのである。
鰻を処理するプロセスでどういう意志が働くのか知らないが、良質の素材を適切に処理して供給するのは、係わっている人の良心であるようで、真っ赤な色をした鰻は脂がのっていて美味である
さて、今年(西暦2000年)夏、専門家からe-mailを戴いた。
「ウナギの話」の評判はいいのだけれでも、具体的な反応はこれが初めてである。
以下に全文を紹介する。この人の意見には私も賛成である。西洋人のように、動物の姿形がそのまま残っている料理にはさすがに慣れないが、せめてオトトくらいは原形にたじろぎたくない。
-
はじめまして、私「*」といいます
鰻の仕事に携わってかれこれ、*年になります
この度インターネットで貴記事を読み「業界外の人でもここまで知っているんだなぁ」と感銘を受けました
ただ、一つ誤認されているような個所があり指摘させて頂きます
3.1.2.(3)に
「外観上で、赤く血の色が付いているほど、生きているうちに処理された証拠で、白いのは死んでから処理されたものである。今では、鰻をさばく機械があるという。横に入れると横に裂かれるというから面白い(注3)。」
という文章がありますが、確かにそうではありますが、最近の事情としては、血付きの鰻(業界ではそう呼んでいます)は風味が落ちるのが早く(酸化しやすい)、また一般の人にとってこの臭いは受け入れられないため、わざわざ血を洗い落として使っているところが多いです(量販店向けの加工場ですが.....)
最近はこの量販店向けの鰻がはびこってホントの鰻の味を知っている人がめっきり減ってきています。
この人たちにとって、この血の臭いというのが異臭となりクレームの対象になるのです。
とても悲しい事です。
これからもおいしい鰻を食べ続けて下さいね
失礼致します
でもね、アウ、アウッと食べちゃうと、一匹ではもの足りませんよ。
3.1.3 序曲
七輪をパタパタやるのは、まず、優雅な気分で始めなければならない。そして、空腹と、空腹時の少量のアルコールは、最良のスパイスである。
適度のビールは、本物指向の料理を実践している気分を舞いたてるに違いない。七輪の火は熱いから、ビールとよく合う。
これはもう至福と言ってもよく、ジョン・コルトレーンが聞こえてくる。
もっとも、筆者は今では、ただ飲みたいから飲みながら焼くだけである。
3.2 タレの作り方
自家製のタレは不可欠である。
生の鰻(1尾売り)には、必ず骨と肝が添えてあるはずであるので、肝は切り取り、骨を幾つかに切り分ける。( 1尾を売りながら、骨と肝を添えていない都会の百貨店もあり、目の前で裂いていながら「タレがついていますよ」と言うが、その場合は抗議すればたいていは入手できる。入手できなかったら、買わない )。
鍋に約コップ半分の水を入れ、火を付けて骨と醤油、酒、みりんを適当に入れる。スープ( だし )をとるわけである。この時、水を入れないのが正しいらしいが、酒だけですれば味が濃厚になるので、筆者はこれを好いていない。多分、純米醸造の酒を使えば、いい結果が得られる筈である( もったいなくて、未だに試していない )。
もうひとつ、骨は焼いてからだしを取るやり方もあるらしい。手順が面倒なので、筆者はしたことがない。しかし、骨付きカルビを焼いて食べた後の骨で取ったスープは、カレーライスにしても違いが判るほど美味である。
筆者は血の付いた骨を洗ったことがない。厳密にはなにか違う手順があるのかも知れない( ただし、他のスープをとるときには、血と脂とアクにはずいぶん神経をつかう )。
なお、鰻の生の血は毒であるという。
酒の量は多めで、5勺くらい、調理用の一升千円の酒であればもったいないと思うこともなく、どぼどぼと入れる。
みりんは入れすぎると当然甘くなりすぎ、元に戻しようがないので、慎重に入れる。足りなければ後で入れればよい。素人の最大の特権は、やる度に味が違ったり失敗しても許されることである。
みりんでなく砂糖でも構わないと思うが、試したことがない。一般的に、砂糖で調味すると輪郭のはっきりした味になる。逆に言うと、奥行きのない味となりやすい。充分に炊き込むのであれば、砂糖で充分と思われる。始めからたくさん入れないのは、みりん以上に気をつけなければならないとだろう。
10分以上、トロ火でじっくりと骨のエキスを煮出す。30分くらいが適当かも知れない(鶏のスープで4時間、テールスープで10時間というのが筆者の経験である)。
煮詰まり過ぎたら水を足す。途中で水を足してはいけないと言う料理人もいると思うが、その違いが判らないのであれば構うことはない。だいいち、世間では焼酎を湯で割って飲んでいるではないか。あれは本当は水で割ってから温めるのが正しいのである。
最後に適当な量まで煮詰める。ドンブリを目的とするのであれば、やや薄味でサラリとした感じが好いであろう。仕上げる寸前に甘味を少し追加するテクニックもある。この辺は、やはり試行錯誤が必要であろう。
鰻1尾の骨から採れるタレの量は、多くともコーヒーカップ半分である。それ以上採ると旨みに乏しいような気がする。
市販のカバ焼きのタレは、量の少なさを補うために色々工夫している。工夫というか、筆者に言わせれば「細工」である。あれほど、どろっとして甘いのはどういう感覚かと思う。
また、山椒が薬味になるというのがどうしても分からない。
さて、わが家の流儀であるが、このタレには、後で焼き上がった鰻を漬け込んで炊く。
鍋を焦げ付けてしまうおそれがなければ、七輪の準備をしている間にタレをつくるのがよい段取りである。
鍋は「雪平(ゆきひら)鍋」という平たいものが使いやすい。業務用でよく使われる鍋である。丼物の具を作ったりするもので、夜食のインスタント焼きそばの場合はそのまま食器になるので具合がよい。食器に移さないで食べると妻にたしなめられるが、学生時代からの習慣なので仕方がない。
業務用の食器店は、筆者は津山の某店と日本橋の道具屋筋しか知らないが、どこでも素人に快く業務用の道具を売ってくれて、知らないことは親切に教えてくれる。例外は無いはずである。
この他に寸胴(ずんどう)鍋とキッチンポットと中華鍋と大型のガスコンロと、それに切れ味のよい包丁が揃えば、気分は「美味しんぼ」である。
わが家では焼きめしは筆者の係りで、ほとんど洗剤で洗ったことのない中華鍋と大型のガスコンロで、空中に放り上げながら作る。妻の使うもうひとつの小さい中華鍋は洗剤を使うので焦げ付きやすくて、焼きめしはだめである。
3.3 火の熾し方
3.1.1 (6)の火熾し器を使う場合は、少量の炭をガスコンロに掛けて着火する。良質の固炭は猛烈に火の粉が散って、そばにいる人は誰でも(特に女人は)かなりびっくりするので、火事とカミナリに備えてから取り掛かること。親父は自分自身ですがね。
火がついたと思っても、さらに充分に加熱すること。表面だけ火がついていても、七輪の中でバラバラになれば消えてしまう。ガスの火を止めて、そのまましばらく熾り方の様子を見てみるとよい。
この火は火種の役割をする。七輪一杯の炭のあちこちに少しずつ火が分散しているよりも、底の一部に固まって火種があるほうが、火の熾りは早い。
つぎに、七輪の底に火種を起き、新たな炭を追加する。
そして、パタパタと扇ぐ。うちわの動かし方は、手首をきかして小さいストロークで速く小刻みに動かすのが正しい。もしこれで疲れるようであれば、やり方が間違っている。
筆者は古い電子機器の冷却用DCファンを、うちわというか「ふいご」の代わりに使うことがある。七輪でコークスを熾す時に、ちょうど頃合である。
もうひとつ、火熾し器を使わないやり方もある。こちらの方法がトラディショナル(伝統技法!)であるが、未経験の人には案外難しいらしい。
まず、新聞紙半枚を短柵にちぎり、七輪の中で火を付ける。燃え上がり始めたら、割り箸ほどの小枝か薄いベニヤ板の切れ端など(要するに火のつき易い木材)を、割り箸にして20本程度放り込み、これを火種にする。割り箸そのものが便利である。炭のかけらでもよいが、小さい火種は空気の流通を妨げるので、なるべく少ないのがよく、この辺がテクニックである。
少し火種が出来たら、次に小さめの炭を入れ、これをまた次の火種にして大きな炭に火をまわす。慣れないうちは、一度にたくさんの火を熾そうとすると失敗するだろう。
慣れてきたらワンステップで七輪一杯の炭に着火出来る。
煙はけむたいものである。涙が出る。
過ぎた日々に泣けるものがなにも無いとしたら、無いこと自体を泣けばよい。それほどまでに、煙はけむたいのである。
炭の量は、ひとまず適当に多めでよい。この後、10分くらい、時々様子を見ながら放置して、七輪を充分焼いておく。
熾った炭の部分の輻射熱が最も強いわけであるが、加熱された七輪からの輻射も有効で、冷えた七輪ではうまく焼けない。
時間が経つと炭は燃え尽きて量が少なくなっているかも知れないが、既に七輪が熱いので、新たな炭を足せば容易に火が熾る。
さて、いよいよ火が起きたとすれば、鰻を焼くとしなければならないでしょう。(注4)。
3.4 鰻の焼き方
鰻は適当に切り分ける。6切れまでの等分は問題ないが、それ以上小さい切れは、焼き始めに滑って火の中に落ちる可能性がある。皮側を下にするとすべりやすい。後述するテストピースでは特に留意されたい。
1尾の鰻は、魚焼き器からはみ出すはずである。はみ出た部分は、魚焼き器をずらせて焼くしかしようがない。
慎重に焼き方を研究するには、鰻を4等分するとして、1度にその半分の2切れを焼くのが七輪の大きさに合っていて、変移の観察の自由があってよい。ただし、次に2回目を焼く時には、火の中に灰が詰まって(加熱の状況が変わって)、パラメータが変わることに留意しなければならない。
焼き始めが背側からか腹側からのどちらがよいのか筆者は知らない。たぶん、どちらからでもいいと思うが、こだわる人もいるであろう。こだわりだしたら本物である。
初心者のポイントは、焼き始めは強い火力にしないことである。強い輻射熱であってもその加減を修得した後はうまくいくが、なれていないと状況判断をしているうちに事態が進行してしまう。
強火の遠火は、考えすぎると難しい。
うちわで七輪の下から扇いで熱風を送るのはよくない。表面だけ焦げてしまって、中はまだということになる。表面が炭化してしまえば、その時点で加工プロセスはストップである。炭はまずい。
固炭を使う場合は、上から扇いでも輻射熱の増大にはすぐにはならないので、熾り火の量で、うちわに頼らないままに焼くようになる。
大体が、充分に熾った火でうちわに頼らず、火が強すぎたら外すくらいのつもりで、じっくり焼くのが最初はいいであろう。何事についても、上達の早道は始めの時期に失敗体験をしないのがいいと思う。
さて、七輪の火の置き方について「冬上夏下」ということばを小学生の頃、先生に教えてもらったのですが、広辞苑Ver.4机上版に載っていません。俗語でしょうか。
「ポイント」
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鰻は、よく焼くのが基本である。火が通っただけではだめである。このため、テストピースを作成し、これに官能検査(つまり、食べてみること)を随時加えるとよい。
焼いていくうちに、まだ焼き色がついていないうちに表面に脂がジクジクと滲み出して、おもわず「これは何だ!」となるが、さらにしつこく、きつね色になるまで5分から10分以上は焼く。焼き色が付くのと同時に脂が滲み出すのは、火が強すぎる。
良質の鰻であれば、したたり落ちる脂に火がついて、立ち上る煙のススで身が煤けることもある。そうなったら火から外せばいいわけで、なにも名人のように上から扇ぎながら一気にみごとに焼き上げる必要はない。
皮は焦げやすい。これをうまく焼くのが名人であろう。筆者は、皮が旨くないときには、食べない。ニワトリが喜んで食べるのでもったいなくない。
筆者の場合では、他の魚の焼き方の経験というか先入観があったので、充分に焼くというのがなかなか思い切って出来なかった。また、テストピースを作る(つまみ喰いで味を見る)というのは性格的に出来ないのも不利に働いた。
しかし、テストピースは工学的なアプローチに必須である。
鰻の「焼成」(この辺が工学ライクですな)に関するパラメータを考えてみると、まず、輻射熱(xr)と熱風(xc)の合計の有効熱量を、鰻が受け取る平面で、xcal/sqcm/secとして表して考えてみると、xの値は炭火という熱源では試行のたびにかなりばらつく。これが鰻を焼く難しさのひとつである。
次に、鰻に与えられた熱は、蛋白質やら何やらの旨味成分を生成すると同時に、水分を蒸発させ、高分子の連結状態を変えて(この辺が素人ですな)、いわゆる歯ごたえというか、食感が出来上がる。
ところが、同じように熱を加えても、鰻の個体によって、これが異なるようなのである。筆者の場合、同じ食感に仕上がったことがない。焼く度に微妙に違うのである。サンマも焼き方で味が違うが、それより大いに異なる。
しかし、工程の結果が異なることを問題にしないのが素人の特権であることは既に述べた。
殆どの魚の焼き方は、片身と片身を一回ずつ焼いて、焦げない範囲内で短時間に焼き上げるのが正しい。鰻については、まったくそうではない。
うちわは原則として、上から扇ぐこと。炭火の表面が煽られて、赤外線をどんどん輻射する。大抵の炭は、消し炭を別として、表面を灰が覆ってしまう。
しかし、炭の表面を灰が覆っていることは輻射エネルギーが衰えることを意味するわけではない。
空気は熱を伝えにくい物質であって、これを実感するいい例は、1KWのヘアードライヤーと、同じ容量の電熱器(電気ヒーター)を較べると解る。ヒーターのほうがずっと熱く感じられるはずである。
要は熱エネルギーの伝達の仕組みについて考えることである。
余談であるが、筆者は若い頃に、EPゴムの塗装で、塗料の乾燥(架橋反応)に、当時商品化されたばかりのジャードの遠赤外線のヒーターを用いて、好結果を得た。金属工学科の講義で、電磁波の吸収スペクトルの知識が役立ったものである。
3.5 仕上げ
上記までのプロセスは、「白焼き」と言われるようである。
「カバ焼き」(照り焼き)はタレをつけて焼くことであるが、実際のところ、なかなかうまくいかないので筆者は今ではこのやり方をとっていない。江戸流に、蒸して焼くのがいいのであろう。
要はタレをなんども塗って重ね焼きすればいいのであろうから、慣れたら挑戦してみて戴きたい。糖分はとても焦げやすいので注意すること。火力はうんとトロ火で、焼くというより、乾かすつもりがいいと思う。
もうひとつのやり方は、タレの中で一分ほど炊く方法である。水気が身にしみこんでしまうような気がするが、そうでもない。
タレに味が移るので、筆者はこちらを好んでいる。第一、面倒でない。
これは、皮を柔らかくする大阪の「まむし」の技法に通じていると思う。
皮にしても身にしても、やや焦げた程度が旨いように思うが、その辺は好きずきであろう。
仕上げの仕上げは食べることである。わが家の場合、家族が少ないので(毒の他にはネコだけ)、満足する分量が行き渡る。普通の家庭では問題となりそうである。
ご飯は、なんといっても、これはもう、絶対に、何があっても、炊きたてに限る。
立ちのぼる湯気は、鰻の香りを倍増させる。
さあ、鰻の話はここまでです。あとは七輪と炭の話と、雑談が続きます。
CRTで読むのは疲れますね。ひとまず中止したい人のために、ホームポジションを用意しました。
4.七輪の他の用途
4.1 炭火の特徴
炭火の第一の特徴は、輻射である。赤外から遠赤外領域の波長を含んでいると思われる。
火が通りにくい、断熱材の見本のようなナスを七輪で焼くと、ガスコンロとの違いは歴然としている。
焼き肉の場合、表面だけでなく奥深くまで加熱されるために、いい具合のレアが実現できる。比較的安い肉でもうまく感じられる。同じ肉をホットプレートで比較してみると、味の差には驚くばかりである。
第二の特徴は、炭の燃焼成分の何かが脂(不飽和脂肪酸だったか)を変化させるということで旨みを増すらしい。残念ながらそれ以上の内容は忘れた。
第三の特徴は、燃焼ガスが乾いていて、変な成分をあまり含まないことである。
ガス火の燃焼ガスの中には、水分の他に様々な成分が含まれていると思う。肉のように味の濃いものでははっきりとはわからないが、燃焼成分を吸着しやすいコーヒーを焙煎すると、その違いは驚くばかりである。
ガス火では、コーヒーの味でない雑味がつきまとう。炭火では実にすっきりした味に仕上がる。炭火以上にコークスは具合がいい。
なお、炭焼きコーヒーなるもので炭の臭いがするものがあるが、あれは嘘というか誇張しているのであって、それはそれで営業方針であるから構わないのであるが、よく熾った炭火で焙煎すると炭の味はつかないのが本当である。
コーヒーを深煎りするほどガスと炭火の違いがはっきりと出てきて、炭火焙煎のアイスコーヒーやコーヒーゼリーはとてもおいしいものができる。
4.2 魚を焼く
サンマを七輪で焼くのも楽しい。煙はかなり、というか、猛烈に出る。サンマ自身が燃える脂に包まれて一気に焼けるのが、おいしさの理由だと思う。
筆者はこの魚が大好きで、昔、「今でこそサンマ は1尾 100円で買えるが、その内、採れなくなったら高価 になるであろうから、今の内に思いきり食べておこう」と心の底から思った。もちろん、マツタケの連想である。あるいは、マグロのトロは、江戸時代では捨てていたという話の続きである。
詳しい人に言わせれば、サンマはこののちも豊漁がずっと続くらしい。別の人に言わせると、漁船の上でのサンマは、それはとても旨いらしい。が、それはそれとして、若くて脂肪を食べることに体力がある時期に、サンマを思いっきり食べた記憶は、筆者の老後に(もし、それがあるとすれば)、彩りを添えるに違いない。
鯖(サバ)もいい。うまい鯖は商業ベースでは手に入らない。「鯖の生き腐れ」という。
筆者がかつて魚釣りにのめり込んだのも、狩猟の魅力というより、初めてのときに鯖を釣ったからである。
鰯(イワシ)はもっと旨い。この旨さについては、自分で釣った体験を共有する人としか話をする気になれない。
さて、ここでは七輪について述べたが、鰻を焼く場合は一気に焼き上げるほどの強い火力は必要としないので、類似の熱源として電気オーブン(グリル)レンジが、七輪の調理過程をかなりスマートにこなしてくれるのではないかと想像する。筆者の家には普通のガスオーブンしかないのでなんとも言えないが、介在する空気量(酸化)が少ないことで、あるいは七輪より優れた場面があるのではなかろうか。
お持ちの方は試して戴きたい。
4.3 七輪の本来の用途
七輪は、鍋のような調理器具を加熱するのが本来の用途であろう。
燃料と着火器具を保有していれば、外部に供給を依存することのない自分だけの熱源である。
現代の家庭では熱エネルギーを電気とガスという形で外部に供給を依存している。ボンベ式のプロパンガスは、その在庫の範囲で外部に依存しない。
あなたの地域が、何かの天変地異、例えば異常寒波に襲われたとしたらどう
だろう。十数年前のニューヨークの異常寒波は、北アメリカ大陸固有の現象
ではないらしい。日本がそれに遭遇する可能性はあるという話があった。
例えば西日本全体がニューヨーク級の寒波に襲われて、交通が途絶してしま
ったら、どうして生きていくか。
電気エネルギーはとりあえず心配ないであろう。電力会社のセキュリティは
かなり高い。発電さえ続けられれば、特別高圧送電線や高圧線の雪害はいく
らかあるにしても(地方ではループ給電になっていないので、このあたりは
問題であるが)、ひとまず電気は供給されるだろう。
水道はでなくなるが、周りに氷雪があればそれでよいだろう。
交通は完全に途絶するはずである。まずディーゼルエンジンの燃料が凍る。
ニューヨーク級の寒波では、路面融雪材も凍る。それより先に、それに携わ
る人たちの多くが職場に行けないであろう。
例えば津山市程度の地方都市で、住民の食料は流通過程でどれくらいストッ
クされているのか。家庭にはどれくらいの食料のストックがあるのか。
「人は一定の食物を絶えず注入していなければ正気ではいられない」という(注5)。
その際、わずか1立米の炭のストックは、確実に数ヶ月の熱エネルギーの確保を保証する。「恒産無くして恒心無し」との中国の古人の言葉は、貨幣や資産の保有のことだけではないであろう。
5.雑談
(1) 火の記憶
筆者は子供の頃、明治生まれの祖父と祖母に育てられた経歴を持つが、祖母は私の料理への興味を見抜いたのかどうか、クド(カマド)を扱わせる前段階として七輪を使わせた。その時の言葉が、「鯛は殿様に焼かせえ、餅は貧乏人に焼かせえ」であった。
鯛は一度だけひっくり返すのがよい。餅は均一に火を通すため、頻繁に返す必要があるという意味である。
秋になると塩サンマを箱で買っていた。当時の小学校の給食は、今では語る人も少ないが、規格品のまずいパンに、アルミ製の器に入れられた脱脂牛乳と一椀のおかずであった。パンはいつも全部は喉を通らなかった。食べたくないものは空腹でも食べないという信念は、のちに筆者の家の猫に引き継がれることになる。
そういうわけで、学校から帰ると空腹なので、自分で七輪に火を熾し、サンマを焼いておやつとしていた。今から考えると信じられないほどマメであるが、冷蔵庫や戸棚を開ければ何かしらの食べ物がある時代ではなかった。
都市ガスまたはプロパンガスが普及するまで、近代の都市生活者は七輪が調理の際の熱源であったはずである。
農村は土間のスペースが大抵はあって、火力の強いカマドを使っていたので七輪はそれほど日常的に使ってはいなかったと思われる。
筆者の幼い頃、農村の子供は労働力であったから、風呂焚きは毎日の仕事であった。
風呂は夕方早い時間に焚いて、その熾火を使ってカマドで夕食を調理するのである。
祖母が病弱になって、入院するようになると、毎日の飯炊きと料理が筆者の仕事になった。飯は前夜に仕掛けておいた羽釜で炊くのである。早起きは大儀であったが、なぜか、これを苦痛とは思わなかった。たぶん、火を使うのが楽しかったのであろう。
のちに「邯鄲の夢(黄粱一炊夢):人生は黄粱が炊きあがる間にみる夢のようだ」という中国の諺を知るに及び、なるほどと感じ入ったものである。
(2) 自立性ということ
ところで、筆者は若い頃、業務で公害防止管理者(水質一種)をやっていたので、公害やエネルギー問題について考える機会は多かった。
当時、住んでいた尼崎市・兵庫県の環境汚染対策の長期計画(10年)を知る機会があって暗い気持ちになったのが、勤めていた会社が希望退職を募った際に田舎に帰る決心をした理由のひとつになった。
田舎に帰って一番感動したのは、自分の家の前で「立ち笑勉」が出来たことであった。世の中に、これほど人格の独立を象徴する行為が他にあるだろうか。
先に七輪を使うのには畳半畳があればよいと書いたが、実際には近所の眼を気にせずにパタパタするのは、立ち笑勉以上に、少しばかりの勇気がいる(近所の人は実は何とも思わないのであるが)。
自分で出来ることは実践してみる、というのが自分のポリシーであると宣言するほどの度胸はないが、まあ、そんなところで、つまりは百姓の育ちである。
自分で自分の楽しみのために何かすることに、さして精神的・社会的・経済的な障壁がないのは、まったく、いい時代のいい国に生まれてきたと思う(注6)。
料理は楽しい。これほど創造的で、かつ、人のために役に立つ行為は他には少ない。自分の感覚と他人の感覚(Common Sence)を考える訓練になる、と言ったらおおげさか。
料理をしていて気がついたのは、人に喜んでもらおうとする時にいい料理が出来ることであった。他のことでも事情は同じであろうが、筆者の場合は、これに顕著であった。
(3) ものを作る
ニワトリを飼い始めて、仲のよいOさん(医者の奥さん)が自分もやってみると言い出した。始めは鶏小屋を大工に頼むつもりであったが、いくらなんでも、ということで、大工に材料を揃えてもらい、O先生が小屋を作る運びとなった。日曜大工の経験が無かったのに、何とか形にしたのはさすがであった。
O先生はとても楽しそうに鶏小屋を作っていたので、何気なく「私は形の無い状態から物を作るという仕事をずっとしてきたが、医者は元に戻して当たり前の仕事だから面白くないでしょうね」と言ったら、先生、真面目な顔をして、うーんと考え込んでしまった。(もちろん、これは皮相的な捉え方で、医者が創造的でないというつもりはない)。
(4) もういちど、自立性ということ
ニワトリを飼い始めたと言ったら、親戚友人で、白色レグホンを飼った経験のある人のほとんどが「何を物好きな」と呆れた顔をした。現代の兼業農家の多くは、野菜や卵は売っているのを買い求めるのが豊かな生活と思っているらしい。
今では夫婦共稼ぎであるのが普通であるから、野菜つくりをしようとすればかなりの努力はいるが、しかし、そのことと豊かな生活が何であるかとの認識とは、直接には関係がない。あるとすれば、自分のしている生活が最もすぐれていると思いこもうとしている心理である。
世の通念の束縛から離れて、自分で考えるのは難しい。ある意味では、通念に束縛されている方が楽である。
(5) 味覚−1
「食」は誰もが専門家(プロ:それでメシを食っている)であるから、誰でも「自分は味が判っている」と思っていたり、そのような話をすると「味はわからん」と敢えて言ったりして、味の論議は様々である。が、旨いものは食べたくない、まずいものを好んで食べたいと言う人はいない。
乱暴な分類であるが、いわゆる「味がわかる」....味覚を峻別し、それを自分の中に体系付けることが出来る人....は、大抵の人が思うより少ないであろう。筆者の想像するには、おそらく人口の1割以下である。
3割の人は、味について無頓着ではないだろうか。残りの6割の人は、改めて聞かれれば味の違いは判るが、特にこだわらずにいて、他人がおいしいという評判の飲食店に自分が行けば、やはりおいしいとなんとなく思ってしまうレベルであろう。
もちろん、これは多次元の要素をまったく無視した分類である。
いま少しこれを補強するために、食塩の話を取り上げてみよう。
ほとんどの家庭では、「伯方の塩」「赤穂の天塩」などの、味はよいが湿って固まりになる塩を日常では使っていないはずである。スーパーマーケットの売場を見ればそれが分かる。
普通の食塩は、それだけを味わうと顔をしかめるほど塩からい。
食塩は体に毒ではないかと思うばかりである。これをサラサラとしていて使い便利がいいという理由で使い続けるのは、調理に手間がかからないからとインスタントラーメンばかりを食べ続けることと同じ次元の発想である。
普通の食塩は高純度の塩化ナトリウムの結晶である。
海の水のミネラルの成分比は血液のそれと極めて似ているが、人は塩化ナトリウムだけを集中的に摂取すればよいという考えはどこから出てきたのか(専売公社の時代は、日本近海の海水は重金属で汚染されているというのが理由であった(注2)。そこまで国民の健康に留意するのであれば、安全な食塩か岩塩を輸入するべきであっただろう(なお、現在では、85%くらいが輸入されているという)。
実際のところは、何を食べていても人は成長する。ジャンクフードとて例外ではないだろう。それはそれで人生のバリエーションであるから、構わないと思う。
アフリカの飢饉の写真で、犬が木に登って葉を食べている光景があった。また、私を育ててくれた祖父は、中国大陸で飲み水が無くて、馬の小便を飲んだと語った。その時「人間だから、そのまま飲めなくて、手拭いを置いて飲むのだ」と言ったのが印象に残っている。それでも動物は死ぬもの以外は生きていけるのである。
過去の時代において、世界のほとんどの地域の食生活は、同時代の日本のそれとは段違いに質素であったと思う。時代のスケールにおいて、現代の日本のマクドナルドハンバーガーは、完璧な食事と言うことができるはずである。
しかしながら、本当の味覚は、それが人類の進化の歴史(動物の生理)と密接に関連しているゆえに、そんなに多様な回答は無い。塩はうまいのが本当でなければならない。
したがって、この論法において、高純度の塩化ナトリウムを塩と思って食べている人は、味覚の次元が低い(味が分かっていない)と言えるのである。
ここで、どうしても付け加えなければならないのは、グルタミン酸ナトリウムを添加した食卓塩である。わが家にはないが、この味覚は必ずしも責められるものではないと思う。過剰でない限り、砂糖よりは人の生理に不適合ではないのではないだろうか。
上述の「何とかの塩」は、実は本当の自然塩ではない。筆者が島根半島の海岸から汲んできて作った塩は、なぜか、この、グルタミン酸ナトリウムを添加した食卓塩と、味はまったく違うが同じ雰囲気があるのである。
さて、上記の「味のわかる」分類において、筆者はどうであるか。
答;「本当の専門家は、自己の専門領域についてこだわらない」というのが持論であるから、その意味において、こだわっていませんのです。
(6) 味覚−2
体が要求する栄養素を理屈抜きに旨いと感じるのが、正しい味覚だと思う。
ここで「理屈抜きに」というのは理由があって、ある夜、ヨーグルトドリンクを飲もうと思って暗闇で冷蔵庫を開けて、間違って牛乳をコップに注いでしまって、飲んでから、そのまずさに驚いて吐き出してしまった。
口にする前の思いこみということと、もうひとつ、今の普通の牛乳は、先入観なしには味わえない代物だとその時感じた。
初めて自分でテールスープ(弟にもらった乳牛のテールであったが)を作ったとき、高級韓国料理店の高いだけでなにやら「味覇」(注7)の味のするそれと違って、味のないような淡白な味が体中に染み込むような気がして、世の中にこんなうまいものがあったのかと、とても感動した。同様の感動は今に至るも他にない。
それ以来10数年、テールスープは、初夏に一回は作るが、年とともに感動が薄れている。それは味に馴れるのではなくて、味の感覚が鈍感というか円熟化しているのだと思う。
余談であるが、津山という田舎町には需要と供給と競争の原理から、いい食材とおいしい飲食店が都会に較べて少ないが、牛のテールは別である。とても安い。一本そのままが 1,500円である。都会では、骨の重量を込めて350円/100gである。テールの脂肪はまずくて、このため調理にたいへん手間がかかるので、ラーメンのスープにもならないのであろう。肉屋も在庫を持て余している感がある。
(6) 料理と砂糖
料理の本でレシピを読んでいると、大抵は「砂糖少々」と書いてあるのに気づいた経験はないだろうか。
砂糖はおいしい料理を作る特効薬である。味噌汁にさえ隠し味と称して砂糖を入れる知り合いがいる。
逆に、砂糖と化学調味料を使わずに同じレベルのおいしい料理を作ろうとすれば、素材から調理方法まで、結構熟練と費用を要するであろう。みりん、酒も糖分を含んでいるのである。
砂糖を求めるのは、その昔、食物として果物を求めた名残であるという。
ただし、果物の糖が果糖であるのに対し、砂糖(蔗糖)は体内での代謝がまるっきり異なる。砂糖は血糖値を急激に変えるが、体は果糖による血糖値の変化に対処する機構しか持ち合わせていない(注1)。
筆者の小学生の頃の教科書には、砂糖の消費量はその国の先進の度合いを表すとあった。
筆者が幼い頃、麻雀に明け暮れていた父は、遅い帰宅への妻の怒りを鎮めるために、私にチョコレートをみやげに持って帰るのが常であったという。子育てに不器用であったらしい母は、父の持って帰るチョコレートに喜ぶ私を仲立ちとして、夫婦関係を維持していたようである。
可哀想なのは私であって、父の死後、田舎に帰ってきて、当時の子供としては珍しく乳歯は全部、虫歯であった。そののちも、異常な砂糖への嗜好は、随分と長く後を引いた。
ここまで読んだ人の中には、筆者が健全な食生活と健康な生い立ちで、この文を書いていると思った人がいるかも知れない。
そうではなくて、そのような歴史を持っている人は改めて意識することがないので、このようなことをわざわざ書こうとはしないものであろう。
(7) 最後に
この論文(?)を書くために、津山で2回、大阪の母を訪ねた際に1回、スーパーで鰻の蒲焼きを買ってみた。
津山のものは、上述の牛乳と同じである。これは牛乳の悪口ではなくて、筆者の弟は岡山県北部酪農協同組合(ホクラク)に勤めているので、多少とも実情に明るいつもりで言っている。
大阪のものは特売で(2匹で880円!)津山の半値であったが、かなりおいしく食べられた。津山の飲食店が金を取って客に供しても、まず疑いを入れる人はいないレベルであった。この辺に、大阪と津山の絶望的な開きを感じる(もっとも、大阪にもまずい飲食店は幾らでもあり、割合としてはその方が多い。普通に売られている食材の水準の話である)。
23歳の時、初めて自作のDCアンプから音が出たときの感動は未だに忘れていない。(電気工学概論で赤点を取ったことは、やがて記憶の奥に押しやられた)。
そのアンプの音は、今のラジカセ(マルチチャンネルアンプ!)より悪い音質であったかもしれない。しかし、自分で作ったシステムから誕生して、自分の官能を震わせるものは、他に代えようがない。
料理もまったく同じである。
自己満足と、客観評価、この間を揺れ動くのが、ものを作るということであろう。
1996・08・15 高山 雄介

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引用文献・注釈
注1 「砂糖病(シュガーブルース)」日貿出版社:ウィリアム・ダフティ;1979初版
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注2 「塩 命は塩から」マルジュ社:谷克彦;1981年初版
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注3 田口和義;金属工学科2期、協同物産社長の話
3.1.2項の元のところに戻る
注4 参考;「美味しんぼ」小学館:vol.18(丼の小宇宙)
3.3項の元のところに戻る
注5 「ある異常体験者の偏見」p.141,文芸春秋:山本七平;1974初版
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- 注6
- 日本では自分の用途のためにでも自由に酒を造ることは法律で禁じられて
いる。先進国では珍しいこの法律は1889年に制定されている。
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- 注7 味覇(ウェイパー):
- 業界では有名な高級中華スープの素。以前はごく限られた所でしか入手できなかったが、今では津山でも扱う店がある。近頃は味が薄く柔らかくなっている。
その辺の中華料理店やラーメン屋はこれより低い水準であって、教えてあげたい衝動にかられる。
それほど、簡単に旨い中華料理の味が実現できる。スープとして使う際にはアクを取るとよい。
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長いファイルにお付き合い戴いてありがとうございました。ほかにも食い物の周辺の話を企画していますので、ご意見をお待ちしております。