6時起床.ものすごい寒さだ.ありったけの服を着込んでも手がかじかむ.息が白い.朝靄に煙るキャンプ場では人々はごそごそと活動を開始し,火をくべるぱちぱちという音が木立の間から聞こえてくる.
ちょっとおもしろいことに,隣のテントからアジア系の家族が現れた.日本人ではなさそうだ.韓国か中国だろう.こんな所でアジア系の人と会うのは初めてだった.なんと彼らは炊飯器で調理をしていた.何を食べているのかは遠くからなのでわからなかったが,暖かそうな湯気の立つものを家族で食べていた.これには結構ショックを受け(日本人以外で炊飯器を使うなんて),その後暖かそうな食事に舌なめずりをするのだった(この寒さに私もパン以外のものが食べたい!).後に彼らはトイレの電源を使って炊飯しているのを発見.たいした根性である.
隣の食事に舌なめずりをしながら,こちらはいつも通りのパン食をするのだが,あまりの寒さに食べ終わる頃にはすっかり体が冷え込んでしまい,食事どころの気分ではなかった.朝も早いし,木立のおかげでまだ日が十分差し込んでこないためだろう.とはいえ夜9時に寝てしまうと否が応でも朝は早くに目が覚める.これから先,どうやってこの寒さを乗り越えたらいいのか・・・寒さに気も滅入る私だった.つい一週間前までは暑さにこりごりだったはずなのに,この違いはなんだろう.まったくアメリカの自然は厳しい.というより両極端だ.私にとってはまさに砂漠から南極といった気分だった.
そんな私の気持ちを知ってか知らずか.旦那も早々と出発の準備を進める.さしもの彼も寒いようだ.そりゃそうだよ!絶対零下近い気温のはずだ.早く日のあたる暖かい所へ行こうよ〜!私の願い通り,今日は温泉巡りをする.昨日ちょっと見かけた湯気の立ちこめる温泉地獄の本格的なもの,くらいにしか想像してなかったのだが,これは全く想像以上の,いや期待以上のしろものだった.
その温泉へはキャンプ場のキャニオンから西へ約19キロ行ったノリス・ベイスンという所から始まる.このキャニオンからノリスへの道はバイソンなどの動物がよく見られるというので,少々期待したがこの朝はだめだった.野生動物はその性格からしても早朝,夕方に一番活動するので,こんな早くなら遭遇するかと思ったのだが,結構難しい.夕方のキャンプ場や店のあたりでは,行き交う人々がどんな野生動物を見たか,自慢げに話をしているのをよく耳にするので,私たちも,と意気込んでいたのだが.まあ,そんながっかりはこの朝だけで,それからいやというほど動物に悩まされることになるだが・・・.
ノリスではまず博物館のあるノリス・カイザー・ベイスンに到着.ここの火山活動は公園の中でも一番活発な所で,さまざまな研究にも使われているそうだ.私たちには那須や軽井沢の温泉地獄,地獄谷なんていう言葉で見慣れたしろものだが,地震を体験したこともない連中が住む国では貴重な,珍しい所なのだろう.火山活動と間欠泉(温泉のことをここではこう言う)の説明をしっかりパネルで勉強すると,いよいよ温泉巡りだ.温泉,温泉と気安く考えていた私の考えはここで180度ひっくり返る.そこら回し中湯気だらけなのだ.規模が違う.広い.なにせかなり高温の熱水がでるそうで,トレイルからは決してはずれないよう但し書きがついている.寒かった私も湯気で汗ばんでくる.もっと掘ってほんとの温泉を作れば夜も暖かく眠れるのになあ,と考えたのは私だけではないだろう.訪れる日本人は皆そう思うはずだ.そんな事を考えながらトレイルを進む.ここは公園の中でも新しく熱水現象が始まった所で,その影響を受けた木々が枯れているのが見える.白っぽく変色した木,葉などない茶色の木,あたりは湯気が立ちこめてなんだか不思議な空間だ.一瞬,上高地の大正池の雰囲気を思い浮かべた.
もう一つ,ここの温泉の日本との違いは吹き出す間欠泉,ということだ.今まで吹き出す温泉というのは見たことがなかったので,興味津々だったが,これはなかなかおもしろいものだ.このノリスでは世界最大といわれる間欠泉がある.8年に一度しか吹き出さないので,残念ながら見ることはできなかったが20〜40分にわたって90〜120mも吹き出すというのだから想像を絶する.一度でいいから見てみたいものだ.私たちはしょぼしょぼと吹き上げる熱水を見て,その往時をふーんと想像するばかりだ.
この間欠泉を見た後は,南にあるオールドフェイスフルという間欠泉を見るために移動する事にした.早起きをしたのでまだ昼前だ.次の目的地までの間に昼食をとることにする.ここからオールドフェイスフルまではおよそ50マイルあるので普通に走っても約1時間だ.間欠泉の吹き出す時間が決まっているので,遅れないように移動しなければならない.道は両通の一本道.車の量はかなりのものだ.皆結構とばしているので安心.視界はかなり開けてきて両側に草原が広がる部分もある.草原の中程にギボン川が流れている.ここらへんでは川幅もあまり広くなく,緩やかに蛇行している.
突然車が止まった.渋滞だ.どうしたのかな,と最初は悠長に構えていたが,この渋滞待て度暮らせ度終わらない.いくら車の量が多いとはいえ,こんなに待つなんて変だね,と話し合う.それに対向車も来ない.まわりの車もしびれをきらして,クラクションを鳴らす人,歩き出して前の方を偵察に行く人,さまざまだ.どのくらい待っただろうか,はっきりとは思い出せないが,突然前から黒い動物がやってくるのが見えた.前の車の人もあわてているのがわかる.対向車線をゆっくりと歩いてくる.うわー,なんだろう!すごいよ!とびっくりする.あわててカメラを取り出すが,その動物はなんと群をなして次々と歩いてくるのだ.黒っぽい毛むくじゃらの牛みたいな大きな動物だ.助手席側の私の方だけでなく,旦那の方からも歩いてくる.バイソンだ!バイソンだ!なんだか興奮して叫びながら胸はドキドキだ.写真,写真!と二人で叫ぶが車の窓のあたりで黒いバイソンがゴーゴーと訳の分からない声を発しながら近寄ってくると,もう恐くて写真なんて撮ってる場合じゃない.窓を開けて撮ろうと思ったのだが,恐くて窓は閉めてしまった.こんな大きな牛に車をドンとやられたらひっくり返っちゃうよ!窓に顔を近寄せられるとうひゃーって感じで思わず避けてしまう.口から泡を吹いてのっしのっしと歩く姿はかなりグロテスクだ.早く行ってよー!と思うが次々と後から後から大群がやってくる.あたりの車も騒然として,車を降りて写真を撮る人はほとんどいなかった.やっぱり野生動物だ.何が起こるかわからない.結果して賢明だったのだろうがいやはやこのバイソンの群の移動には心底仰天した.かなり長い時間群の移動は続いた.途中から道路をはずれて草原に移動する群もでてきて,そのうちばらばらにマディソン川のほとりに散っていった.渋滞の原因はこれだったのだ・・・.納得.この動物の移動にはこれが始めての遭遇だったが,これからたびたび悩まされることになるとは思いもしなかった.
このバイソン騒ぎでかれこれ30分くらいストップさせられた.群がいってしまうと見事に車は走り出すのだが,これにはどうしようもない.相手が動物では怒ったって始まらないのだ.こうして車は動物に会う度ストップし,皆写真撮影に熱中するのだ.怒ったり驚いたりの渋滞騒ぎから脱出して走り出すと,対向車が同じように足止めされてるのに会う.理由がわからないからいらいらしているのでバイソンがいることを教える.皆同様に驚いて納得.それにしてもまだまだ待たされますよ.お気の毒さま.
ノリスからマディソンまでも行かないうちに遅れてしまった.遅れを取り戻すべく,車はスピードを上げる.途中あちこちに熱水現象の見られるところがあるのだが,この騒ぎでパスすることになる.残念.でも道の左側に細い川に沿って湯気がモクモクとあがってるのが見える.まだ,地表の温度が低いのだろう.辺り一面朝靄に煙ってなんともいえず幻想的な風景だ.マディソンから南に下るのだが,途中ファウンテン・フラット・ドライブというトレイルに入る.地図によるとこのトレイルは先に小さなグース池があって,ピクニックエリアになっている.そのあたりで昼にしようということになった.近くのわりに途中から未舗装の道路になる.案の定車は少なく,結構いい感じだ.これだけ公園を回っていると,だいたいどういう所へ行くのが穴場かわかってくる.有名所はいつも満員で人が多い.こういう横道へ入るのが観光客を避ける手段だ.車を止めて,少し草原の中を歩いてみると見たこともない草花や木々が広がり,とてものどかで静かな景色が眺められる.二人だけの貸し切りみたいだね,と大満足.ピクニックエリアは池の周辺で,あちこちに机が備えつけられている.出会った車は1台くらいでどこでも好きな所でランチができそうだ.湖が見えるほとりに止まり,暖かな日差しの中でパンケーキを焼いた.最近あたふたと観光していたので,こうしたのんびりランチはとても楽しかった.他愛のない昼食だったがこの公園での良い思い出である.
腹ごなしが済み,再び南下.目指すオールドフェイスフルにようやく到着.間にはまだたくさんの温泉があるのだが,いちいち見て回るには時間が足りないので,ともかくここを先に攻める.ここは熱水が吹き上げる間欠泉が集まっている.一番有名なのがその名もオールドフェイスフル.公園の案内などには必ず写真で登場するシンボル的存在だ.この間欠泉は約65分おきに噴出する.ビジターセンターにはその日の噴出予定時間が印されているのでそれを念頭に回る.私たちは3時24分予定の噴出を見ることにする.それまでさらに奥に広がる温泉郡を見て回ることにする.
オールドフェイスフルの横からスタートするトレイルは地表が熱いためか,ちゃんと木の桟橋のような道ができている.小さな火山の上を歩いているようなものなのだろう.背の低い草や花もあるけれど,だいたいはごつごつした溶岩石の集まった所だった.ただし,色は白っぽく,所々火山性の硫黄などの物質のためか黄色や茶色などに変色したところが見られる.地図によるとひとつひとつの間欠泉にはそれぞれ名前が付けられているのだが,あまりの数にいちいち見ているのが疲れるくらいだ.ぼこぼこに盛り上がった柱のような溶岩からプシューと吹き出る熱水,地下からラッパのように地表に広がる温水(俗にプールと呼ばれる)など形や種類も千差万別だ.
この中でも有名な「朝顔プール」を見ることを目標にした.そして時間があればもう一つ「デイジー・ガイザー」の噴出を見る.「デイジー・ガイザー」の予定時間は2時55分.まずはトレイルの一番奥の「朝顔プール」を目指し,帰りながら「デイジー・ガイザー」,そして最後に「オールドフェイスフル」という順だ.効率よく回っているつもりなのに,このルートは最後駆け足になってしまった.まったくこの公園の規模は想像以上だ.小さな間欠泉は飛ばして,なるべく急ぎ足で行ったはずなのに「朝顔プール」に着いた時は2時半頃だったかもしれない.ともかくこの「プール」は美しい.その名の通り,朝顔のように丸く,中心から外に向かって色が淡く変化している.エメラルド・ブルー,次第に緑ががってきて外側は黄,茶色へとグラデーションしている.中心はぽっかり大きな穴が地底に向かって空いているので,ここから温泉が湧き出しているのだ.それにしても澄んだ綺麗な水である.この色は温水の温度によって変わるそうで,緑は酸性の水に発生する藻のためだ.周辺の黄や茶色は硫黄や酸化鉄の色だろう.美しいプールに見とれる時間もなく,あわてて帰途へ着く.ここまできたらせっかくの噴出を見たい.走るようにして「デイジー・ガイザー」にたどり着く.温水の噴出って見たことがないので,いったいどんなものかと思うと,普段はまったく何も変化のない白っぽい石灰岩のような所からいきなりプシューという音と共に温水が吹き上げるのだ.それはあれよあれよと言う間に空高く吹き上がり,シャーと噴水のように上がり続ける.噴出の時間はそれぞれ違うが,何も知らずに通りかかったらびっくりするほど見る者を圧倒する.「デイジー・ガイザー」はまさにそんな感じに地上10メートルほども吹き上がった.これは少し斜めに吹き出したので,温水が風に吹かれて近くに立っている私たちの方まで飛んできた.熱い,と感じるくらいの温度だった.時間はほんの1〜2分だったと思うが,わくわくしてしまった.こんなふうにほんの束の間の温水マジックはあちこちで見られるのだ.これを見て50〜60mも吹き上げる「オールドフェイスフル」とはいったいどんなに凄いのか,早く見たくてうずうずしてきた.思ったよりも時間がかかるトレイルだったので,次の噴出時間が迫っている.これはかなりヤバイよ,と話し合い,転がるように走り出す.この温泉の暑さと照りつける日光の暑さとが混ざってなんとも言えない状況だ.走るのが苦手な私は心底疲れた.
なんとか間に合いギリギリセーフの私たち.いっつもそうなので,この有名な噴出ショーを見るための陣取りはやはり後ろの方だった.いやー,つい1時間前はこんなに多くの人が集まるとは想像もしなかったほど大勢の人が,巨大な間欠泉を取り囲んでいる.みんな今か今かと時計とにらめっこで待っている.
フェイスフルというのは「忠実な」という意味で,その名の通りなんと120年間も規則正しく吹き上げているそうだ.私たちが生まれるはるか昔からすごいもんだ.では今日も時間通りなのだろうと,思っていると少し違った.時間通りにしょぼしょぼと熱水が吹き上げ始める.来たか,と思ったがこのしょぼしょぼ少しも大きくならない.ほんの数メートルしか上がらないし,エーッ,それはないでしょ!がっくりすることにやんでしまった.まわりの観客も皆ざわざわしている.ここまで期待させてこれで終わってなるものか,と思っていると少ししてから再びプシューっと吹き上げ始めた.おお,今度こそ!皆の期待を一心に集め,今度は勢い良く吹き上がっていく.やったー,すごいもんだね!ほんとに見上げてもまだ空高く吹き上がっていく.カシャカシャとシャッターを切る音がそこかしこで聞こえる.長い噴出で,自分をバックにして写真を撮ってもまだ吹き上がっている.ほんとうにダイナミックなショーだ.自然が産み出した人間の知恵を上回るショーだ.
この天然のショーが終わったところで時間も4時でキャンプ場へと帰ることになる.その前にこれまた有名なオールドフェイスフル・インというロッジへ寄ってみる.巨大な吹き上げが見られるという素晴らしい立地にあるこのロッジはなんと総丸太造りのホテルだ.1904年に完成したというが,焦げ茶色の丸太でがっしりとした造りは100年近くたっても全くびくともしてない.300室以上もあるというから驚きだ.有名なホテルなのでもちろん予約は一杯で泊まることはできないが,ちょっとのぞいてお土産でも見よう.一歩入るとさすがにホテルだ.広いロビーがある.丸太の割には随分とシックな雰囲気で高級感が漂う.薄暗い照明で目を凝らさないとよく見えないが,かなりインテリアにも気を使っている.絨毯や椅子,家具なども立派だ.泊まっている人も品の良い老夫婦やお金持ちそうな家族連れなどでいかにもといった様子だ.よくもまあ,こんな国立公園の中にこれほどお金をかけたホテルを建てたものだ.とはいえ,階段,手すりなど使い込まれた丸太の風合いは誰でも気に入ってしまう.旦那はすっかり見入っている.圧巻はロビーの中央にある暖炉だ.ともかく巨大.昔はこれが主な暖房設備だったのだろうからこれくらいの大きさが必要だったのだろうが,ともかく大きい.人の背丈くらいもあろうかというものだ.今は夏だから火はくべられていないが,冬はさぞかし良い雰囲気だろう.まわりの椅子に腰掛けてゆっくりと火の燃えるのを見るのは楽しそうだ.ちょっと覗いたレストランもフルコースの完全予約制で,真っ白なリネンと食器が並べられていた.うーん,いいけど高そうだね,ちゃんとした服着ないと敷居が高いね,と話合う.もちろん,そんな服はないのでパス.まあ,雰囲気だけで出てくる料理はアメリカ料理なのでたかが知れてるというものだ(負け惜しみ).お土産売場を歩いてから再び帰途へと戻る.
帰りがけにまだ見ていないミッドウェイ・ガイザー・ベイズンへ寄る.直径113mもの温泉があるという.ぼこぼこと湧き出ている温泉ではなく,岩肌に温泉がじわじわっと流れているような感じだった.でもその色合いがなんとも不思議.先ほど見た七色に変化する美しい温泉というよりも,黒っぽい(藍色ともいえる)鱗が光っているのに近い感じだ.温泉自体が傾斜しているので波のようにさらさらと流れ落ちてくるのだが,太陽の光を反射してキラキラと光っているのだ.なかなか他では見られない風景だった.周囲を歩くことができるのだが,見とれつつも暑さが体に堪える.やっぱり温泉なのよね,なんだかお風呂に入りたくなってくるなあ・・・
温泉の熱気に一日中あたっていた二人はこの帰りにもバイソンの群を目撃.朝会った所よりは南だったが,やはり川沿いの草原の中をバイソンが草をゆっくりゆっくり食べていた.今度は遠くなので落ち着いて観察できる.再びカメラを手に車を降りてじっくり撮影.バイソンは実にゆっくりと移動する.走るとかなり速いそうだが,こうしてのんびり草を食んでいる姿をみるだけではとてもそんな機敏な行動ができるとは信じられない.やっぱり朝,夕の時間にこうして草を食べつつ姿を現すんだ.バイソンだけではなく,鹿もいた.おとなしい草食動物が仲良く共存する世界だ.なんだか時間が奇妙にゆっくりと過ぎていくような気がする.あわただしく車で移動してあちこち駆け回っていた自分たちはいかにも都会に住む人間なんだなあ,と感じてしまった.旦那はこのちょっとユーモラスなバイソンがすっかり気に入ってしまったらしく,シャカシャカとシャッターを切っている.早くしないと夕飯が遅くなるよ!名残惜しく出発.キャンプ場では昨日より少し暖かく感じられ,今日はとっておきカレーで疲れを癒す.暖まるね.