タキユリ

山地で普通に見られる。
高知はぜいたくな環境といえる。

 梅雨明けが見えて来た七月半ばから八月にかけて、山あいの街道沿いはタキユリの花盛り。

 道ばたの崖、擁壁、石垣からタキユリが突き出てきて甘い芳香が漂います。

 絶滅危惧種に指定されているなんて嘘だろうという感じで、惜しげもなく。


 春先から水平に伸び始めていた茎に花序が付き、7月中旬から8月初め頃まで開花。


花被片は いっぱいに反り返って甘い匂いが広がる。

他県ではなかなか見られない花なのだ。


 このユリはカノコユリとも呼ばれていて、牧野富太郎さんによれば高知では崖のことを滝ということがあり、崖から突き出すように咲くのでタキユリとよんでいる。

 またユリという一般的な呼び方は風に揺れる風情から、ということです
(「植物知識」講談社  より)。


 花被片が思いっきりそりかえり、白地に赤い鹿の子模様がなんとも可愛いくて、すてき。

 だけれど下を向いて咲いてしまうのがまた愛らしい。


 江戸時代末期に長崎出島の医師シーボルトの「日本植物誌」の図版です(描いたのは絵師の川原慶賀)。

 シーボルトは帰国するとき、日本の植物を大量にもちかえり、移植に成功した種が約200あった。これらのうち129種が売りさばかれ反響を呼ぶ。

 このなかにカノコユリがあり、短い白いユリを見なれたヨーロッパ人の目には鮮やかな花色と反り返った花弁が驚きだったらしく、カノコユリの球根は高価に取引されたそうです。球根と同じ重さの銀と取り換えたとか。



 YOUTUBEから WILD PLANTS OF JAPAN Lilium specio・カノコユリ開花 高知県の野生植物 動く植物図鑑 高知県レッドダータブック(植物編) 高知県立牧野植物園
  


 ケンペルはシーボルトより百数十年前1690年に来日し長崎出島の医師になった。徳川綱吉の謁見をも受けた。日本の風土や人のファンになったケンペルは膨大な資料や標本を持ち帰った。
 帰国してからのケンペルは多忙だったらしく、日本の資料を出版できずに死去。
 彼の遺稿を買い取った医師が資料をもとに出版したのが「日本誌」でヨーロッパでベストセラーになった。愛読者にはゲーテ・カント・モンテスキュー等もいる。
 もちろんツェンベリーやシーボルトも影響を受けた。

 ケンペルの時代ののち、リンネによって植物分類が再編成されたため、日本の植物界でのケンペルの名は地味になってしまったが公平で冷静な観察眼で日本の情報を吸収し、ヨーロッパの眼を日本に向けさせた最大の功績者です。
 

 ツェンベリー(ツンベルィ)は1775年から一年間の滞在だったが、リンネに師事して近代の植物学に通じていた。日本の植物分類の基礎をつくり大量の植物標本をヨーロッパに紹介した。

*****写真*****

左 ケンペル  右 ツェンベリー


 シーボルトは1823年から七年間日本で過ごすあいだ、西洋医学の知識や技術の伝授をする一方で、日本の情報や資料を集めた。
 帰国してからも植物標本などを助手のビュルガーに送らせていた。

 ビュルガーは地質・鉱物関係に限らず博学有能なひとだった。


 写真のお滝さんはシーボルトの世話をしていた女性。イネは彼女とシーボルトとのあいだに生れた女性で日本初の女医になった。

 アジサイの学名にお滝さんの名前を付けた、と”批判”するのは牧野富太郎博士。
 シーボルトはHydrangea otaksaと名づけたのだが、シノニム(同物異名)で無効になっているようだ。現在のアジサイの学名はHydrangea macrophylla (Thunb. ex Murray) Ser. f. macrophylla。"Thunb"は上に出てきたツェンベリー。

またエンゲラーの分類ではアジサイはユキノシタ科だったが、クロンキストでは木本類をアジサイ科として分離している。