Abe Yoshinobu
協力牧師 阿部 好允 牧師(あべ よしのぶ)の紹介
現在、赴任している教会
教会名称
東栄福音キリスト教会 (略称:東栄教会)
ふりがな とうえいふくいんきりすときょうかい
主任牧師 遠藤 稔 牧師
所属団体 単立教会
友好団体 日本福音キリスト教会連合友好教会 (略称:JECA)
教会住所 〒007-0893 北海道札幌市東区中沼西3条2丁目6−7
電話番号 011-792-2178(ファックス兼用)
PC URL
http://homepage2.nifty.com/toeichurch/
転送URL
http://toei.church.jp
MOB URL
http://homepage2.nifty.com/toeichurch/mobile/
プロフィール
1933年 東京生まれ
1955年 日本同盟基督教団・麻布霞町教会にてイースターに受洗
1956年 東京学芸大学を卒業し、東京都立中学校に教員として勤務
1984年
北海道聖書学院入学
1987年 北海道聖書学院卒業後、東栄福音キリスト教会に牧師として赴任
2003年 東栄福音キリスト教会の協力牧師になり現在に至る
大きな転機
私は二十一歳の時に、主イエス・キリストを信じました。以来四十九年、神様の慈悲の御手に導かれて、現在は札幌市にある東栄福音キリスト教会で、協力牧師の働きに携わらせていただいております。
献身の思いが初めて与えられたのは、三十七歳の時で、母の死を通してでした。それは私の信仰にとって大きな転機の時となりました。半年にも満たない母の看病にあたって、私の中にキリストの愛が育っていないこと、また永遠の命の確信がないことをはっきり知られたのです。救われて十数年間も経つうちに、神様に対する初めの愛が失われ、信仰が形ばかりになっていることに気づかされ、真に信仰に生きていなかったことを心から悔い改めました。
そして、そのことを通して私はこれからキリストを私の生活の中心にして生きていこうという思いが与えられました。それから間もなくして、すべての時間を主のために用いるようになりたいと願うようになりました。
召命
私が救われた時に与えられた御言葉は、ヨハネの福音書十五章十六節の御言葉です。そこに、「それはあなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり・・・」とありますが、このことが私の信仰の歩みに欠落していたのでした。主が私を救いに入れてくださったのは、キリストに従う者としての実を結ばせるためでした。実というのは、私のうちに結ぶ御霊の実でしょう。ですが後に、ここで言われている実を結ぶというのは、「あなたが行ってする何かのわざである。」ということも示されました。すなわち、私たち自身が聖よめ(きよめ)られるとか、愛が増し加えられていくというような内面のことだけではなく、外に出て行って主のために実を結んでいくこと、すなわち宣教の実を得ていくことでもあるというのです。もちろん、それは一信徒として社会の家族の中にあって福音を伝え、その実を得ていくことでもいいでしょう。事実、私もそう思い、そのように生きてきたつもりでしたが、しかし、それでは、どこか自分の中にささげきれていないところが残されていると思うようになりました。そんな時に、また一つの御言葉が与えられました。それは、第二テモテ二章十五節「あなたは熟練した者。すなわち、真理の御言葉をまっすぐ解き明かす。恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」と、です。そして、私のすべての時間を主のために用いる、宣教の直接的な働きに就いてくということが具体的な問題として迫ってきました。
一人の少年の叫び
当時、私は東京都の公立中学校の教員でしたが、仕事を続けながら献身の準備を進めることは不可能な状況でした。その職場や現在の教会奉仕を離れることが本当に御心なのかという思いが心に去来し、決断が迫られました。そんなある日のことです。当時、中学校には非行化の波が押し寄せていた時で、私たちの学校もその例にもれず、毎日がそういう生徒たちと取っ組み合うような状況でした。その日の放課後も、私は一人の生徒生活指導をしていました。彼はこれまで何回も喫煙、シンナー、暴力、万引きなどを繰り返し、もうこれからはしませんと約束していました。そんな経緯がありましたから、私はその時いらいらして、その生徒を頭ごなしに怒りました。「おまえは何回言われたら分かるのか、でまかせを言うな!」と。すると、彼も負けていません。私に怒鳴り返してきました。「俺だって良くなりてぇんだ。」「悪いことをするこの手を切ってしまいたいんだ。てめえなんかに俺の気持ちが分かるか!」そう言って部屋から飛び出して行ってしまいました。私は打ちのめされたようなショックを受けました。パウロは罪によって、自己矛盾の中にある人間の姿を「私は自分のしていることがよく分かりません。したいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているのです。」と記していますが、まさにその言葉をこの一人の少年から聞かされたのでした。私はベテラン教師と言われるほど経験を積んできたのに、この少年の気持ちが何も分かっていなかったと思いました。また、キリストの救いに預かっていながら、人間を捕らえて離さない罪の深さも、少しも分かっていませんでした。非行少年と呼ばれる彼らが、人間の魂の飾らない生の声で叫んでいるのを実感しました。また、教えられました。私がやっていたことは、端的に言えば規則という律法で、この少年を縛り付けることであり、真に、立ち直らせることではなかったのです。
福音以外にはない
私はこのことを通して、人間を罪から救い、真の人間性を回復させ、神様の与えてくださる平安の中に立たせるのは、福音以外にないことをはっきり知らされました。この世での教育の働きも価値のある大切なことです。そして、そのことに携わる人たちは大勢います。しかし、神様の救いの御言葉を宣べ伝える人たちは限られています。そう考えた時に心は決まりました。「それは、あなたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり・・・」という御言葉に示された通りに、今あるところから立って行こうと決断することができました。
実を結ぶ者として
そして翌年の三月、二十八年間働いていた中学校教師の職を辞めて、札幌しの北海道聖書学院に入学しました。私がちょうど五十歳になった時でした。そこで三年間の訓練を経て、この教会(東栄福音キリスト教会)に赴任して二十年になりました。目に見えない恵み、見える恵みは数えきれません。ダビデは、「まことに、私の命の日の限り、いつくしみと、恵みとが、私を追ってくれるでしょう。私は、いつまでも主の家に住まいましょう。」と歌っていますが、私もこの歌を自分の告白にしたいと思います。
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