2006年07月02日(日) 主日礼拝メッセージ 「イエス様による律法の成就」
聖書箇所 マタイの福音書 5章17節から20節
東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師

聖書(新改訳2版)マタイの福音書5章17節から20節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )

17 わたしが来たのは律法や預言書を廃棄するためだけと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するためにに来たのです。 18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 19 だから、戒めのうちもっとも小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 20 まことに、あなたがたにつげます。もしあなたがたの義が、律法学者パリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
メッセージ「イエス様による律法の成就」 東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師

 イエス様は「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」(17)と言われた。今までイエス様のメッセージを聞いてきた人は、このようなことを聞いた。天の御国に入る祝福されている人は心の貧しい人である。罪に悲しむものである。力のない、柔和な者である。義を行うことができず、飢え渇くものである。それまで、人びとが聞いてきたメッセージとは違った。旧約聖書にあるように、「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、 もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。」(申命 11:27-28)というメッセージとは違って見えた。だから、イエス様のメッセージは旧約聖書の律法や預言者を廃棄する新しい、革命的な教えだ、と思った人もいるかもしれない。しかし、イエス様は「廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」(17)と言われた。さらにイエス様は「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」(18)といわれ、旧約聖書は書かれている通りに実現することを強調された。それは、イエス様によって実現する。(17)

 たとえば前述のように、神様に背き、罪を犯したものに対するのろいの言葉は決して廃棄されていない。今も有効である。レビ記には、罪を犯した者が神様の前に礼拝するための生け贄の捧げ方が書かれている。背いたものが神様との和解する為には生け贄が必要である。レビ 3:8には 「ささげ物の頭の上に手を置き、会見の天幕の前でこれをほふりなさい。」とある。律法によると罪人は生け贄の小羊の上に手をおき、罪を告白して、身代わりにそれを殺す。そして、イエス様はその律法の通りに「神の小羊」(ヨハネ3:29、36)「ほふられた小羊」(黙示録5:12)と呼ばれている。

 また、神様は救われた民に10のことば(出エジプト20:2-17)に要約されるような律法を与えられた。私たちは律法を守れない弱さを持っている。特にこの説教を聞いている人は、病人、あらゆる絶望にあっている人。苦しみにあっている人、イエス様しか頼るものがなくなってしまった人である。自分は律法を良く行っているから天の御国にはいれる、という思いが全く通用しなくなった人たちである。自分の弱さ、醜さをしったひとたちである。イエス様はその彼らに、なんて祝福なんだ、なんて幸いなんだ、天の御国は彼らのものだ、とくり返してきた。

 彼らに律法が要求する死とのろいは下されなかった。むしろイエス様によって癒された。身代わりにイエス様が小羊となって十字架の呪いを受けられた。

 旧約聖書の律法は全て有効である。義に飢え渇く、正しいことができなかった人間が、神様に変えられ、神様によって正しいことをするように変えられる。義で満たされる。ただ、イエス様によって変えられる、この体に住んでくださる聖霊によって満たされる。それは旧約聖書を満たすものである。

 律法学者やパリサイ人にまさる義でなければ天の御国にはることはできない。(20)律法学者パリサイ人は自分の努力と行いによって、天の御国に入ろうとした。しかし、それはできない。それよりも大きな、豊かな正さというのはイエス様によって赦され、満たされ、なぐさめられ、神様の子とされる、そういう義である。

 律法と預言者によって示された神様のみことばは一つも失われていない。今も有効である。「主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。」(イザヤ 34:16 )

 私たちは「イエス様によって赦された」「だれも律法を守れない、だからこのままでいいんだ」と言って神様のことばを軽んじる危険がある。しかし「戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」神様を愛するものは、神様の戒めを守ることを喜びとする。「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(1ヨハネ5:3)「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ 14:15 )
[メッセージリストへ戻る][ホームへ戻る]

東栄福音キリスト教会は聖書を誤りなき神の御言葉と信じるキリスト(プロテスタント)教会です。

Copyright (C) 2006 Toei Evangelival Christ Church. All rights reserved.