2006年08月27日(日) 主日礼拝メッセージ 「キリストがなさったように」
聖書箇所 マタイの福音書5章38節から48節
東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
聖書(新改訳2版)マタイの福音書5章38節から48節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )
38 「目には目で、歯には歯で。」と言われたのを、あなたがたは聞いています。
39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向ってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
40 あなたを告訴して下着を取ろうとするものには、上着もやりなさい。
41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
42 求めるものには与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
43 「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。」と言われたのを、あなたがたは聞いています。
44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を登らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするのではありませんか。
48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
メッセージ「キリストがなさったように」 東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
その御子キリストは「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向け」、「下着
を取ろうとする者には、上着もやり」、「一ミリオン行けと強いるような者とは、いっ
しょに二ミリオン行」き、「求める者には与え、借りようとする者は断わらないよう
に」教えられた。ここに天の父の完全さがある。(48)
さらに、イエス様は「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と教えら
れた。それは、完全な天の父の性質である。(45) 天の父は「悪い人にも良い人にも
太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」からである。
キリストは私たちに「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」
(48)と言われた。だれも天の父を見たものはいないが、御子キリストこそ、父なる
神様の現れである。(コロ1:15,ヘブ1:3)
キリストはこの教えの通りに歩まれた。
キリストは十字架の上で処刑を受けられたのは、正しい人のためではない。キリスト
の受難と赦しは「不敬虔な者のために」(ローマ5:6)であった。「私たちがまだ罪
人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」のである。このキリ
ストの姿によって、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられる。(ロー
マ5:8)
天の父の完全さはキリストの生涯に現れている。
神様は私たちを、このキリストの姿に倣う者として召された。「あなたがたが召され
たのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足
跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(1ペテロ2:21)
私たちは不完全である。それどころか、私たちの肉の性質は復讐心に支配されている。
キリストはそのような私のためにご自身を死にゆだねられた。私たちは自分で自分の
復讐心を消すことはできないし、敵を愛する神様の愛はない。(ヨハネ5:42)
ただ、私たちの内に住まわれるキリストが私たちの罪を赦し、聖め、聖霊によって、
神様の愛を与えてくださる。私たちの意志とか愛ではない。神様の愛である。(ロー
マ5:5)
私たちに敵を愛する愛はない。敵を赦す力もない。ないことを認めることが「心の貧
しい者」の幸いであり、「悲しむ者」の幸いである。ないことを認め、告白し、飢え
渇くものが、キリストに与えられ、満たされる。(マタイ5:6)
神様から与えられる義が、「律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら」私
たちは天の御国にはいることはできない。その義を満たすことができるのは、ただ、
キリストのみである。キリストは私たちと共にいてくださる。私たちには不可能な新
しい歩みへと導かれる。それは迫害する者を赦し、愛する歩みである。
キリストのものとされた私たちは、キリストの苦しみにも会う。(ピリピ3:10)
神様のかたちとして造られた私たちは、神様のかたちへと回復途上にある。神の完全
さはキリストの歩みに現されている。キリストの十字架刑に現された私たちへの愛と
憐れみを知れば知る程、私たちは感謝と主への恐れをもって、人を赦し、愛するよう
に変えられる。相手が善人か悪人かは関係ない。
パウロは「すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ
捕えようとして、追求しているのです。」と言う。(ピリピ3:12) 私たちはキリ
ストの愛を知るように召されている。私たちは、自分の中にある憎しみと復讐の罪を
認め、告白し聖めて頂くように召されている。被害を受けた悲しみは隠すべきではな
い。(詩篇13篇、30篇、31篇9ー19、32篇、38篇など) 私が加害者であっ
ても被害者であっても、罪はキリストに告白すべきである。
その罪のために死んでくださったキリストを見上げ、その愛に触れ続け、私たちは変
えられつづける。
[メッセージリストへ戻る][ホームへ戻る]