2006年10月08日(日) 主日礼拝メッセージ 「みこころの通りに」
聖書箇所 マタイの福音書6章10節
東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
聖書(新改訳2版)マタイの福音書6章10節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )
9 だから、こう祈りなさい。
10 『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
11 私たちの日ごとの糧(かて)をきょうもお与えください。
12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕
14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
メッセージ「みこころの通りに」 東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
イエス様は「だから、こう祈りなさい」(9)と祈りを教えられた。
「だから」とは、人に見せるため、賞賛されるための祈り、そして、人間の熱心さに
よって神様を思い通りに動かそうとする祈りが横行しているからである。(5-8)
だから、「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれま
すように。」(10)と祈るように教えられた。
「御国」とは直訳で「あなたの王国」のことである。王国とは、王様の支配が完全に
なる世界である。王は、国民を守り、養い、生活を保証する。国民は、王の所有とな
る。それは抑圧や搾取ではなく、完全な愛によって支配される王国である。
天の御国とは、創造の目的にかなった、ちょうどエデンの園のような世界の回復であ
る。究極的には御国は再臨によって完成する。(黙示録11:15参照)
しかし同時に、この世界において、すでに、私たちは御国の民とされている。悔い改
めて、天の王様の支配に入れられた私たちは天の王国のメンバーである。イエス様は
「天の御国はあなたがたの間にある」(ルカ17:21)と言われた。また、天の御国はか
らし種のように、パン種のように大きくなり、成長する。(マタイ13:31-33)
神様の支配、イエス様の支配は、私たちの中で成長する。
「御国が来ますように」とは、私たちの意見、願い、計画、経験ではなくて、神様の
主権、ご計画、ご意志に服従していくことである。
私たちの人生の王はイエス様である。私の人生は、私のものではない。そのような、
神様の御国、支配、王国がすでに始まっている。さらに、私たちは自分を王にゆだね、
お任せし、ささげていく。この祈りは、主に私をささげる決心の告白でもある。
イエス様は「みこころがなるように」(直訳あなたの意志がなるように)祈りなさいと
言われた。御国は神様のみこころがなる。罪と悲惨と混乱に満ちているこの世界にみ
こころが実現するようにと祈る。
それは私たち一人一人が、神様の前に個人的に、服従することにはじまる。
まず私がみこころの通りにします、神様が自由に私の人生を変えてくださいますよう
に。神様のものです。私のものではありません。ご自由になさってください。そのよ
うな告白である。
私は従いませんが、でもみこころがなりますように、というのは矛盾している。
繰り替えしになるが、私たちの身を神様に捧げることは、決して抑圧でも搾取でもな
い。神様の王国、神様のみこころは、私たちを愛してくださる父、愛する夫との完全
な交わりでもある。神様は愛である。神様は、御国が回復し、みこころのために、御
自分の一人子さえ十字架に捧げられた愛の神様である。
その神様が、すべてをささげ、ゆだね、従う私たちに悪いことをされるはずがない。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうし
て、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょ
う。」(ローマ8:32)
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