2006年10月22日(日) 主日礼拝メッセージ 「罪をお赦し下さい」
聖書箇所 マタイの福音書6章9節から13節
東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
聖書(新改訳2版)マタイの福音書6章9節から13節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )
9 だから、こう祈りなさい。
10 『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
11 私たちの日ごとの糧(かて)をきょうもお与えください。
12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕
メッセージ「罪をお赦しください」 東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
私たちは、いつも、自分は正しいと思う。そして相手が間違っていると思う。しかし、
それは、神様からずれている。
他の人の目のちりに気付くとき、自分の目の梁を忘れている。(マタイ7:1-3)イエス
様は「だから、こう祈りなさい」と教えられた。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」
古い訳では「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」であ
り、原文も、「私たちも、自分に負い目のある人を赦しましたように」となっている。
さらに、14節-15節で、イエス様はこの祈りの解説をされた。「もし人の罪を赦すな
ら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さない
なら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」
本当に自分の罪を悔いて、神様に赦しを求める祈りは、他人を赦す態度にあらわれる。
これは、赦されるための条件ではない。「私たちの負い目(罪)をお赦しください」(12)という祈りが、口先だけのものなら、本当に自分の罪を知らないし、血に染まっ
た十字架の赦しを見上げてはいない。
神様の怒りとのろいと刑罰を受けて当然の自分の罪を知るとき、いや、神に知らされ
るとき、私たちは主の前にひれ伏すしかない。赦してくださいとしか祈れない。自分
が砕かれることと、他人を赦すことは同じである。
イエス様はこの祈りの前に、「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」(5:22)と言われた。私たちは救われてなお、人を憎み、見下し、自分を正しいと高ぶる罪の原理の中にいる。すでに救われ、今だ、罪に苦しむ、その両方の間で生きている。
だから、私たちにはこの祈りが必要である。「私たちの負い目をお赦しください」
イエス様は十字架の上で苦しみながら、「父よ彼らをお赦しください」と祈られ、その祈りは聞かれた。私たちは赦された。あなたの罪は赦された。そして、あなたに罪を犯す、その相手もまた、イエス様が「父よ彼らをお赦しください、彼らは何をしているか分からないのです」って祈られた大切な人である。
これは、私たちが本当に神様の前に砕かれる祈りである。十字架の血潮の前に何も誇
ることはできないのである。
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