2006年11月05日(日) 主日礼拝メッセージ 「悪からの救い」
聖書箇所 マタイの福音書6章9節から13節
東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
聖書(新改訳2版)マタイの福音書6章9節から13節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )
09 だから、こう祈りなさい。
10 『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
11 私たちの日ごとの糧(かて)をきょうもお与えください。
12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕
メッセージ「悪からの救い」 東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
イエス様が教えられた祈りの最後は、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い
ください。」である。「試み」とは、「誘惑」や「試練」と同じ言葉であるが、ここ
では「試みに会わせないでください」という祈りが、「悪からお救いください」とい
う祈りにつながる。だからここでは、単に嫌なこと、苦しいことを遠ざけてください、
という祈りではなく、悪に誘う力に会わせないないでください、という祈りである。
神様が私たちを悪へと誘惑することは絶対にない。聖書は「だれでも誘惑に会ったと
き、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない
方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」と言う。(ヤコブ1:13)
神様は罪が大嫌いである。それどころか、「肉によって汚されたその下着さえも忌み
きらいなさい。」(ユダ1:23)と聖書は言う。神様にとって罪と罪の影響にあるものは
忌むべき存在である。神様から罪が来ることはない。罪は私たちの心から出る。だか
ら、イエス様は「こう祈りなさい」と言われる。「私たちを悪からお救いください」
と。
また、私たちを悪へ誘う力の背後には悪魔の存在がある。「悪からお救いください」
は「悪い者(悪魔)からお救いください」の意味でもある。悪魔は私たちをいつも狙っ
ている。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべき
ものを捜し求めながら、歩き回っています。」(1ペテ5:8) だから、私たちを悪魔の
誘惑からお救いください、という祈りは必要である。
悪魔は、私たちを神様から引き離そうとする。悪魔はイエス様の十字架の処刑と復活
によって、私たちが罪赦されることから引き離そうとする。ペテロでさえ、イエス様
が十字架で苦しみを受ける話を聞いたとき、「主よ。神の御恵みがありますように。
そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(マタイ16:22)と言った。それ
は悪魔の働きであったし、イエス様は即座に「下がれ、サタン」と一喝された。私た
ちの唯一の救いは十字架の死と復活による救いである。私たちがこの世で上手く言っ
たとしても、全世界を手に入れたとしても、十字架の前に罪を告白せず、まことの命
を損じたら、無意味である。(マタイ16:24-26)
一方、イエス様は圧倒的に悪魔に勝利している。イエス様の前に悪魔の力は敵ではな
い。すでに敗北が決まっていつつ、終わりの日まで抵抗し続けるのが悪魔である。私
たちはイエス様の権威の下にある限り、悪魔を恐れる必要はない。悪の力はイエス様
のことばには従う。イエス様が「下がれ、サタン」「黙れ、この人から出ていけ」と
言われると、その言葉の力に従ってしまう。(マタイ4:10,8:16,16:23、マルコ1:25な
ど多数) イエス様は悪の力に対しても、圧倒的な権威をお持ちである。だから、私
たちは、神様に祈る。「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」
私たちが罪を告白し、人を赦し、(6:12)そして、悪の力から救われるようにと祈る。
これはみこころにかなった祈りである。
どんな悪からでも救われる。キリストの十字架の前に、救われない悪はない。神様の
権威は圧倒的である。どんなに敵が強く見えても、本当に国と力と栄えは、神様のも
のだからである。だから、私たちはこの権威をお持ちの方に祈る必要がある。「私た
ちを試み会わせないで、悪からお救いください」
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