2007年01月14日(日) 主日礼拝メッセージ 「両方は無理」
聖書箇所 マタイの福音書6章24節
東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
聖書(新改訳2版)マタイの福音書6章24節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )
24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神に仕え、また富にも仕えるということはできません。
メッセージ「両方は無理」 東栄福音キリスト教会 遠藤稔牧師
イエス様は、「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。」と言われた。
「仕える」とは、「奴隷」という言葉の動詞形で表現されている。つまり、完全に時
間も体もささげることである。2人の主人に、そのように完全に時間も体もささげて
仕えることは誰もできない。
イエス様は続けて、「一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじた
りするからです。」と言われた。
複数の主人に仕えるのは無理なので、選択するしかない。その選択は、どちらかを憎
むか愛するか、というハッキリした選択になる。中立はない。あるいは、どちらかの側に付くか、無視するか、というハッキリした選択である。両方は無理である。
そのように神様が自分の主であり、同時に富みが自分の主であるのは無理である。私たちはどちらかをハッキリ選ぶようになる。
私たちの主はただ一人である。他の神々があってはならない。(出エジプト20:3)
お金が悪いと言っているのではない。仕事が悪いと言っているのでもない。神様は、
創造の初めから、人間が仕事をするよう定められ、今も命じられている。(創世
記2:15,2テサ3:10-12参照) 神様にのみ仕えるとは、神様を愛し、隣人を愛することである。神様の国は、必要は神様から与えられる。(6:25以降このテーマに続く。)
それは怠けることではないし、受け身になることでもない。神様が主人であることは、
働くことと対立するのではない。、あらゆる仕事を通して、私たちは主に仕え、神様を愛し、人を愛し、神様に仕え、人に仕えて、キリストのご栄光を現す。(ピリ
ピ1:20-21参照) 神様が主人であること、周りの人を愛し仕えることは一つのことで
ある。神様が主人であるゆえに、私たちは愛する者と変えられる。
しかし、ここでイエス様が言われた富とは、神様から引き離す力を持つ偶像のような
富みである。富みが私たちを支配することは有害である。「金銭を愛することが、あ
らゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(テモテ6:10)
富みは神様が与えてくださる。「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくだ
さる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施
し、喜んで分け与えるように。」(1テモテ6:17-18)この神だけが、私たちの主人である。
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