2007年01月21日(日) 主日礼拝メッセージ 「この恵は私に十分です」
聖書箇所 ヨハネの福音書3章16節
東栄福音キリスト教会 佐藤恵理華 神学生
聖書(新改訳2版)ヨハネの福音書3章16節
( 日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用 )
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
メッセージ「この恵は私に十分です」 東栄福音キリスト教会 佐藤恵理華 神学生
私達はたくさんのことを願ったり求めたりしています。それらの望みは生活していれば自然と沸いてくる望みで、自分にとって必要と思えることでしょ う。そう、
生きてさえいれば―
本論1「本当に心を十分に満たすことができるのは「神様が御子を与えてくださった愛」!
誰もが死にそうな状況になれば、「生きているだけで十分だ」と思うもの。それまではあれがほしい、こうなりたい〜...とたくさんのことを願っていても、何より大事な命を落としそうになれば、他のものなんてどうでもよくなる。 「命だけは助かりたい!」と願う。命が無くては、他の願いごとなんて意味が無い。
実は私たちが神様から頂いているいのちもおなじ。神様から離れて、信仰が途絶
えたように光のともらない、瀕死の状態になっているとき、まず、自分があれこれ願っている願いを捨てて、まず、神様のもとに帰ることが先決。神様と一緒に生きるいのちがなくては祝福も喜びもないだけではなく、あれこれ求めてさまよい歩くだけで満たされない時間を過ごしてしまう。しかし、神様のもとに言って神様の与えてくださるいのちを実感するとき、心から、「神様と共に生きているだけで、十分だ!」と思う。神様だけが、私達を満たすことのできる方。 神様抜きの願い事が本当の虚しさや寂しさを満足することは無い。 私たちの心を満たす、神様が与えてくださったもの、それは(ヨハネ3:16)「神様が御子を与えてくださった愛」
本論2.イエス様だけで満足することは、罪の自覚によって初めて起こる
でも、救われた後でも満足できない生活はあるもの。本当に「神様だけで十分です」と言うことができるのは、自分自身が罪の苦しみから引き上げられた時こそ実感する。罪に悩むことなく、神様が必要だと気付くことはない。なぜなら神様はそのためにイエス様を贈られたのだから。
先に罪に悩んだのは、私自身ではなく、神様。罪は私を蝕み、滅ぼすだけでなく、神様を悲しませるもの。誰よりも罪の苦さを味わっておられるのは、他ではない、神様。なぜなら、神様は私達を愛しておられるから私たちが背を向けることをことさらに悲しむ。街ですれ違う他人に挨拶しないことは失礼なことじゃない。でも、友達を無視して通り越すことは失礼だし、相手をがっかりさせてしまう。友達関係が深ければ深いほど無視されることは悲しい。私達はこれまでずっと、神様を無視し続けてきた。一度神様と和解をして赦しを受けて立ち直ったけど、又、時々神様の方を見ない。私達は罪人。そんな時は、体は元気でも、神様と一緒に生きるいのちのほうは死にそうな状態。神様はこの状態を放っておかず、イエス様を贈ってくださった。私達が、死にそうな自分に気付いて「罪から救ってください」と神様にいのちを求めて叫ぶのを、誰よりも深く罪を悲しみながら、手を差し伸べて待っておられる。全然満たされない私の心に、本当の平安を与える、生きた心地を取り戻す「救い」を与えて、待っておられる。
本論3.神様の救いとはイエス様の十字架の贖い
その差し伸べらた救いとは、イエス様。クリスマスに人となってこの世に来られた神の御子イエス様。私の罪の罰として十字架に架かって死んでくださったイエス様。
十字架刑は神の力を一切使わず、完全に私とおなじ、朽ちる肉体をとって生きられたイエス様にとって、過酷で残酷な刑だった。罪の無いイエス様が私たちの罪を負うことで初めて父なる神様と断絶される最も苦しい事だった。なのにイエス様はどうしてその刑に耐えることができたのか。
それは、イエス様も父なる神様と同じように「世を愛された」から。私達一人一人を愛しておられたから。自分が苦しんででも、神の愛を伝え たくて、救いたくて、もう一度私たちと愛の通じあう関係を取り戻したかったから。 無視せず、喜んで挨拶を交わせるような、失った関係を取り戻そうと。
結論.永遠のいのちを生きている限り、神様から私たちは十分に満たされている
私たちは、イエス様にとって、そんな価値のある一人!自分ではあれこれ自分の足りなさを感じて多くのことを願うが、神様に引き戻された、神様にとって、尊い一人。その私の本当の価値を知って、愛して満たして下さる神様と一緒にいる限り、
私たちの心は枯れる事はない。いのちをも与えて取り戻してくださった神様は、こ
れからも永遠に私たちと共にいてくださる。イエス様を与えられたその愛が、イエス様を信じる心によって絶えず注がれている。変わらずそれに加えて、全てのこと
をも満たしてくださる。(神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。マタイ 6:33)神様の恵みは十分!自分の罪を知って、その罪から解放して下さった神様から離れずに生きている限り、私たちは絶えず神様から受けるもので満ちたりる。
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