罔両、景に問いて曰く、曩には子行き、今は子止まる。曩には子坐し、今は子起つ。何ぞ其れ特操なきやと。
景曰く、吾れは待つ有りて然る者か。吾が待つ所は又た待つ有りて然る者か。
吾れは蛇付、蜩翼を待つか。悪くんぞ然る所以を識らん、悪くんぞ然らざる所以を識らんと。
『荘子』斉物論篇 第二
※吾は〜を待つか 『読諸子札記』に拠れば「待」は「特」の誤りであるらしい。よって『吾は特(た)だ蛇付蜩翼か』となる。
『荘子』はかなり古い書物です。いつ頃かは忘れましたが。
しかしその言い回し、比喩表現は現代の文章に引けをとらぬユーモアさに満ちており
訳された文章があれば十分楽しめます。
〈自分が蝶になった夢を見た。そのとき自分は蝶のように伸びやかでいたが
目覚めてみればきちんと自分である。
これでは自分が蝶になる夢を見たのか、蝶が自分になる夢を見たのか釈然としない〉
全部こんな感じで。
なんじゃそりゃって感じでしょ?
訳されてなかったらレ点すらない白文ですからわけ判らないんですが。
上は『魍魎』に関連する箇所を引っ張ってきたものです。
罔両は『もうりょう』と読みます。ちなみに罔両とは影の周りに出来る薄い影のことです。
書物を読んでいるとたまにこういう符号に出会うことがあるんです。
「ああ、これはあの時読んだあれと繋がってるんだな」というふうに。
読書はとても愉しいのです。
教養にもなる。娯楽にもなる。語彙も増える。
文章の巧拙など僕には判らないが。