4日に秋田昌美さんのライヴがあるのですが、都合により行けなくて残念です。ラッセル・ハズヴェルとのサタンズトルネード、何とか日本でやらないものでしょうか。リュック・フェラーリは、大友さんとの共演ともう少し、テープ音楽コンサートもできれば観たいなと思います。
ハイナー・ゲッペルスとの共演アルバムで名高いアルフレッド・23・ハルトの東京での初公演。現在は韓国在住だそうです。「歴史的な演奏になるだろう」という芳垣さんのお言葉。オール・インプロヴァイズドによるトリオでの演奏で、前半が4曲、後半は3曲ぐらい?開口一番に出てくるのは「上手いなー」という言葉。あんまり上手いと思うとポイントが掴めなくなるのか、かえって感想が書けなくなるようなところがあると思いました。「楽しんでいって下さい」という芳垣さんのお言葉を受けて、私はあまり緊張感は感じることなく素直にこの時間を楽しみました。でも、ある意味では凄い演奏だったのかもしれないと思います。ひとつひとつが違った演奏で、起承転結みたいなものも感じさせなかったし、初めて共演するとは思えないくらい3人の息がぴったりと合っていたと思います。特にアルフレッドさんと勝井さんのコラボレーションあるいは対決が見事で、なってるハウスのピアノの音を確かめるようにアルフレッドさんが静かに鍵盤に指を下ろすと、それに合わせて柔らかなヴァイオリンの音が聴こえてくるところとか、芳垣さんのドラムに鼓舞されて、見つめ合ってインスパイアーし合う激しい音の応酬になって、勝井さんが立ち上がって、椅子が舞台から転がり落ちてしまうところなどが印象的でした。アルフレッドさんは、主にサックスとバスクラでしたが、見たことのない形のサックス?とかマウスピースだけのような形のもの?などの珍しい楽器も使いました。あと、先ほども書きましたが、ピアノをちょっとやったり、バッグのマジックテープを着脱してその音を聴かせたりもしました。ラストは、エレクトロニクス音を流して、さようならと言わんばかりにドアから出ていってしまう趣向。アルフレッドさんは、実験的というよりは、というか実験的と受け取れることをやっているにもかかわらず、やることなすことが非常に安定しているという感じでした。また懐が深くもあるという印象でした。
こういうことはめったに無いですが、帰りはなぜかちょうど左脇にあったCDのテーブルに磁石のように引き寄せられてしまって、自分でもわけもわからずに最新作を購入すべく指差していました。そこにはチラシも置かれてあって、フェルナンド・カブサッキというアルゼンチン音響派の人の公演があることを知りました(10/17,18@吉祥寺star pine's cafe)。芳垣さんや勝井さんも出るみたいなので行けたら行ってみようかなと思いました。
5日にアルフレッド・ハルトを観た時に感じたこと、「やることが非常に安定している」という印象は、最新作のCDを聴いた時に、非常に構築力があるという印象に変わっていきました。もちろん作り込まれたCDは、ライヴ・パフォーマンスとは違うと思いますが。私が深い共感を覚えたこのCDのことは「CDを聴く」のコーナーで詳しく書いてみたいと思います。
さて、今日は全体に短かめで、前半後半を合わせて1時間半くらい。「デュオでやると6セットできる」という内橋さんのお言葉で前半が始まりました。演奏性の高い常に前進する演奏、楽しませてくれる演奏だった芳垣さん、勝井さんとの共演に比べると、今日の演奏は、異色の組み合わせでやってみたらどうなるかといった実験性に支えられているところがあると思いました。そこでひらめきが生じたりそうでなかったりするのはやはりインプロの宿命だろうか?私は、最初の内橋さんのギターとアルフレッドさんのバスクラのデュオが演奏としては良くて、音としては、内橋さんのダクソフォンのギュギュッという音とアミさんのヴォイスとの組み合わせに相性の良さを感じて、アルフレッドさんとジョー・フォスターさんの共演に、昔観たフルクサスのヘニング・クリスチャンセンみたいなものを感じました。前衛性、ハプニングみたいなものという意味ですが。どんなものかというと、アルフレッドさんは、段ボール箱を用意して、中にはりんご箱の底なんかに敷いてある発泡スチロールのシートなどのがらくたが入っていて、その箱の周りをドラムのブラシでシャカシャカやったり、中のモノを投げ出したり・・・サックスを取り出して中に何かを入れて回してカラカラといわせたり・・・ジョー・フォスターさんは、トランペットとあと何かジャンク楽器ともいうべきものをやったのですが、そのジョーさんとちょっかいを出し合ったりしていました。
後半は、「バカなことをやりたいそうで、どうなるか・・・」という内橋さんのお言葉で、まずはアミさん抜きの3人での演奏。私はちゃんとしたのびのびとした演奏だったと思いますよ。次ぎは、アミさんが入って4人の演奏。こちらは、ちょっとした面白い発見がありました。というのは、アミさんの声は、時として脳天をぶち抜かれるような強い音そのものになるのでびっくりしたのですが、この声=音はまるで機械音=エレクトロニクス音のような役割を果たしていて、そうなると他の人たちはかなり演奏を抑制されるというか、この声=音に合わせていかなければならなくなるということでした。アルフレッドさんは、サンプリングによる?仏語のテキストを流したりなんかもしていました。
フェルナンド・カブサッキという人の来日公演。アルゼンチン音響派の最重要人物の一人だそうですが、私は名前を聞くのも見るのも初めての人。音響派というのも実はよくわかっていません。何の楽器をやっている人かなと思ったら、エレキギターとエレクトロニクスでした。確か38才?とかで、今日のメンバーの中では一番若いそうです。演奏の始まりや終わりや途中に、アルゼンチンのものなのか、英語のナレーション(what can I do for you ......とか)や女性の歌声をエレクトロニクスから少し流すのが特徴でした。ギター演奏は、何と言ったらいいのか、のどかな感じや浮遊感があるといえばあるのか、これも何とも言えないと思いました。今日もまたやはりみんな上手いなーという感じが先行してしまって、そうなるとあんまり特筆すべきものが見当たらないという感じもしてきます。
司会進行は勝井さんで、勝井さんのお話から前半が始まりました。勝井さんは、とてもしっかりときちんとお話をされる方だと思いました。前半は10分くらいの短い演奏が5セット。フェルナンドさんが出ずっぱりで、他のミュージシャンがリレーのように交代するという形式でした。私は、岡部さんが大きな壷を、茶色いくびれのある大きな壷をステージに正座してパカパカと素手で叩くのが面白かったです。結構いい音がするものですねー。後半は、全員での演奏が2セット。これは今日の演奏全体を通して感じたことでもあるのですが、同じような局面が延々と続いていくような感じがあって、それは気持がいいと感じる人には気持がいい感じだろうなと思いました。ただ私は、全員での演奏は、ドラムが2台でドカドカと叩いて、後はみなが弦楽器でギター3台とヴァイオリンというのが音的にはちょっと単調で、ハッとくるような意識が惹き付けられるような刺激が無かったかなという感じがしなくもないです。フェルナンドさんのエレクトロニクスから出る音がスパイスになっていたのか?山本さんが最後に小型ラジオからザーっと音を・・・。
新しい世代の芸術祭2003/リュック・フェラーリ再来日のプレ・イヴェント。予約順に名前を呼ばれての入場ということで、私は意外に早く、6、7番目くらいに自分の名前が呼ばれたのであわてて階段を降りていきました。リュック・フェラーリの真正面の2列目に席をキープして準備OK。スタンディングではなくて良かったなーと思いました。
最初が「トートロゴス3」。「トートロゴス1」、「トートロゴス2」はテープ作品であるそうですが、こちらは、70年にパリ現代音楽合奏団によって演奏された音源が、2003年にデヴィッド・グラップスのBlue Chopsticks からリリースされたCDヴァージョン。演奏が流れてきて最初に思ったのは、音がすごーくいいということ。演奏者の左右のスピーカーから出てくる音の良さに注意が向きました。ここは、大勢が入れるリスニング・ルームで、作曲者ご本人を前にしてその作品を鑑賞しているといった感じがしました。しかし私は、最初のこの作品はそれほど面白いとは感じられなくて、ちょっと窮屈な感じになってきました。次は「記憶の循環」(抜粋版)。この作品は本来は、フェラーリ自身の身の回りの記憶をベースに、6台のCDプレーヤーと4台のヴィデオ・プロジェクターを使った音と映像のインスタレーション・ピースとして、6年を費やして製作された作品であるそうです。今日のは、同じくBlue Chopsticks からリリースされた約70分のCD用ヴァージョンからさらに再構成された抜粋版だそうです。人の話し声や乗り物の音?などが聴こえてくるミュージック・コンクレートらしい凝った作品で、想像力をかき立てる美しい作品だと思いました。聴いていると、この中に時間的空間的な奥行きと広がりが凝縮されているような感じがして、とても気持がいいと思いました。映像的なものも十分に感じさせました。私はむしろ、観たわけでは勿論ありませんが、ヴィデオ映像などはない方が自分の好みに合うかもしれないと思いました。最後は、予定外で急きょやることになった作品「機械とのありふれた対話もしくはテープのための穏やかに哲学的な3つの寓話より、第3の寓話」。10分の短い作品でした。仏語のヴォーカルと機械音とのコラボレーションのような作品で、柔らかいものと固いものとの共存といった感じがしました。
第二部は、大友さんのターンテーブルとの共演で「水から救出されたアーカイヴ<諸概念の活用第1番>」(2台のCDプレイヤーとターンテーブルのために)。ターンテーブルが始まると身を乗り出してしまうようなところがあって、やはり目の前で実際に"出来事"が起こるのは楽しいと思いました。細かい音、色々な音が聴こえてきて、大友さんのターンテーブルは、繊細かつ精緻だと思いました。この作品は、色々な音が隅々までぎっしりと詰まっているといった感じがしました。リュック・フェラーリは、CDプレイヤーに何かオペレーションを加えていたようですが・・・。大友さんは、やっぱり瞬時に作曲を施してしまうのでしょうか?
追加訂正
「水から救出されたアーカイヴ<諸概念の活用第1番>」(2台のCDプレイヤーとターンテーブルのために)について。
解説によると、諸概念の活用という作品シリーズは、作曲家としての全人生を通じて試みてきたさまざまな概念を使いこなすことが目的であるとのこと。自分の音響アーカイヴを用いた創作という発想から生まれた作品のようです。大友さんの前には、メモ?が置かれていたので、フェラーリの作曲による指示か何かが示されていたのかもしれません。
「代表作だから観ておいた方がいいと思うよ」と翌日岡山への出張を控えた夫を誘って出かけました。リュック・フェラーリ・テープ音楽コンサート。心置きなく感想を話せる相手がいるのは楽しいものです。 ***
最初が「プレスク・リアン(ほとんど何もない)第一番"海岸の夜明け"」。解説によると、この作品は旧ユーゴスラヴィアはダルマティア諸島、アドリア海に面する漁村の夜明けの音を採取し編集したものであるとのこと。あまりレベルを上げないほどよいヴォリュームで、鶏の鳴き声やボンボンとエンジンを吹かす漁船の音に耳を傾けていると、しきりに見えない映像を観ているような気分になってきました。佐々木敦さんが『テクノイズ・マテリアリズム』の中で、この作品について「ドキュメンタリー映画のサウンドトラックだけを聴いているかのような」と書いておられますが、全くその通りだなーと思いました。
続く二作「プレスク・リアン第二番"こうして夜は、私の複雑な頭の中で続いてゆく"」と「プレスク・リアン、少女たちとともに」は、第一番とはちょっと毛色が違うと思いました。これらは、もう少し周到に複雑にコラージュされているといった感じで、「音響がもたらす視覚的なイメージを軸に製作している」(解説)とありますが、私は逆説的にむしろいかなる具体的な映像的イメージをもすり抜けているようなところがあると思いました。視覚的なイメージを示唆しながらも、実は映像に置き換えることのできない、言葉にすることも不可能なポエジーのようなものが感じられたと思います。音響を素材にした一遍の作品が、より高次のポエジーに昇華されている例を見たような感じがしました。そして、これは私の勝手で強引な解釈に過ぎないかもしれませんが、私が感じるこのポエジーは、フェラーリと同時代の20世紀のフランス詩、例えば思い浮かぶのはルネ・シャールですが、そういった詩人のある種の詩と通底する何かがあるようにも感じられました。
ところで、インタビュー記事によると、フェラーリは映画音楽はやらないんだそうです。あまり興味がないし、商業映画はあまりにも商業映画なのでやらないんだそうです。年長の人らしく気骨のある音の芸術家だと思いました。作品も実に多種多様であるようですね。
おしろいをつける───ぼくは洗われて目ざめ、起きあがりながら溶けていく。
ぼくは、うぶな大空の葡萄をつむ。
ルネ・シャール「空間の中の部屋」より 窪田般弥訳
以前ボセッティのライヴ報告の中で、宇波さんの自動音出し装置について書いたと思いますが、今日はそれが何であるかがハタと分かったので、それを確かめるべく宇波さんにお尋ねしてみました。自分としては、こういう簡単なことにどうして気付かなかったのかなという感じです。すなわち、それはパソコンに小さいスピーカーが繋いであるだけという仕掛けで、スピーカーの音が出る丸い部分だけを取り出して上向きに置いてあって、その上にモノを置くと、パソコンから出す音の振動でモノが擦られて音を発するという原理になっていました。何でもこれは、藤枝守さんなんかもやっている手法なんだそうです。で、今日はこの2つのスピーカーをたっぷりと使う演奏でしたが、スピーカーの振動が瞬発的にとてもいい音を生じさせる力をもっていること、その上に置くモノによって音の質感が随分と色々であることがとても興味深くてまた印象的でもありました。上に置くモノは、例えばコインやアルミホイルやシンバルやタンバリンやクラリネットの先端部分などで、振動で飛び跳ねる細かいモノ(何だったか?)の上に蓋をして更に音を増すとか、クラリネットの先端部分にも細かいモノを入れてカラカラさせて音を増すという手法もありました。
植村さんのMUMUは、私はどことなく知的な感じがすると思いました。メンバーのどなたかが、和風パンクとおっしゃっていましたが、私が聴いた感じではcore anodeに近い感じとでも言えばいいのか、あんなに音の密度は高くないし、曲によって多少緩急があったり、トロンボーンに音楽的なフレーズが出てきたりするところもあるのですが、三者が対等なアプローチで基本的には聴こえてくるのは音だけといった感じがしました。最後に宇波さんが加わって非常に短いセットを幾つもやったのですが、余計なものを削ぎ落として音を見せるだけといった感じがして増々知的だなと思いました。イトケンさんのHarpyのサッカー(分かるかな?)なんかにも通じるところがあると思いました。MUMUもとてもいいユニットだと思うので、植村さんもくじけることなく頑張っていただきたいと思います。ところで、トフも宇波さんもMUMUも、代官山クラシックスに来るのは初めてだったのでした。夕方、灯りを点した洋服屋さんが軒を連ねていて、テラスのあるカフェ・レストランがあって、プードルを散歩させる奥様が歩いていて、大きな立ち木のある塀に囲まれたお屋敷のある街でした。