ライヴを観る


フランスの余り毛糸で編んだケープ?がやっと完成。70年代のテイストを盛り込んだちょいとへんちくりんな代物ですが、自分ではけっこう気に入っています。次はいよいよrowanのplaidでロングジャケットに取りかかります。木枯らしが吹く頃までにできるといいなー。音楽を聴きながら編んでもいいですかー?

11/5(土) ミドリトモヒデ(sax)、加藤崇之(guitar)、菊地雅晃(bass,electronics)、木村勝利(drums)@入谷なってるハウス

11/10(木) ケリー・チュルコ(guitar)、伊藤啓太(bass)、外山明(drums)@入谷なってるハウス

11/12(土) 坪口トリオ@新宿Pit-Inn
11/15(火) 坪口トリオ@六本木alfie
坪口昌恭(piano,effect)、菊地雅晃(bass,electronics)、藤井信雄(drums)
special guest:Scott Reeves(flh)

11/13(日) gnu@秋葉原dress TOKYO
大蔵雅彦(sax)、塚本真一(key)、種石幸也(bass)、イトケン(drums)、熊田央(drums)

11/25(金) 板倉克行(piano)、加藤崇之(guitar)、松本健一(sax)@入谷なってるハウス


11月5日(土)
ミドリトモヒデ(sax)、加藤崇之(guitar)、菊地雅晃(bass,electronics)、木村勝利(drums)@入谷なってるハウス

31日に加藤さんのセッションに参加したミドリさんですが、今度はミドリさんのセッションに加藤さんが加わることになりました。フリージャズのような、フリーインプロヴィゼーションのような、テーマだけやって後はフリーのフリージャズのようなジャズのような・・・うーん、やっぱりキムカツさんのドラムよかったですねー。基礎がしっかりとしていて、深いところから音が出てくるので安定感があるというか、聴いていると何か非常に鼓舞される感じになってきます。菊地さんと作り上げるリズムも良くって、その中で加藤さんがギターを弾くところなんかはワクワクとしてきてしまいました。加藤さんと菊地さんのエレクトロニクス対決とかミドリさんのフリーのサックスとか、観どころ聴きどころがたくさんあると思いました。また私が面白かったと思うのは、いつも聴いているミドリさんの曲を演る時の加藤さんのギター。ある意味素直ではないというか、メロディーをなぞるのではなくてむしろ曲を"異化"してしまう。決して曲を綺麗に飾り立てようとはしない、そういうギターの持つ凶々しさを改めて思い起こさせてくれるようなところがあって、加藤さんならではの表現だと思って感心しました。

11月10日(木)
ケリー・チュルコ(guitar)、伊藤啓太(bass)、外山明(drums)
ゲスト:Jason Mears(sax)@入谷なってるハウス

10日は外山さんのドラムが近くで観られるのと、ケリーさんとの共演が楽しみで、なってるハウスに出かけてみました。期待に違わぬ面白さでした。ケリーさんのオリジナル曲の演奏で、これは聴いているとカッコイイと思うのですが、ミュージシャンサイドからするとなかなか難しいらしくて、ケリーさんも曲の途中で何やら指示を出したり・・・構成が凝っているのでしょうか?音楽的なことが分からない私は自分の印象しか書けませんが、曲といってもスタンダード的な感じでいい曲というのではなくて、一度聴いただけでは把握できないような感じで、外山さんも演奏の前に譜面にチェックを入れたり・・・で、外山さんのドラムもやっぱり把握できなくて・・・藤井さんやキムカツさんに比べるとドラムセットはシンプルなのでその分音量は小さく感じられます。途中スティックをキリのように垂直に立てたりする場面もあったりして、やっぱり斬新というべきなんでしょうか?
で、後半はJason Mearsさんが加わって・・・話は前後するのですが、12日の坪口トリオでのこと、ゲストのScott Reevesさんが「from New York」と紹介された時、Jason さんがケリーさんに「桶川から(from okegawa)」と紹介されたことを思い出して可笑しくなってしまいました。で、ケリーさんの曲も失われゆく日本の商店街をテーマにした曲とか・・・で、ここなってるハウスはかっぱ橋商店街の横町にあったりして・・・しかし、今日の音楽にはオーセンティックでハイセンスな非常にいいものを感じたりして・・・あなどれませんぞ!下町!外人!こういう所でこそ、自由な新しい音楽的表現や出会いが生まれているのです。そして私はというと、一度で把握できないと感じられるようなものはきっとまた観に行くと思います。

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ところで12日はピットインで坪口トリオを観たのですが、その後菊地さんが急病で入院してしまったらしくて心配です。汗をびっしょりかいて気合いの入った顔で演奏していた菊地さん。彼のあんな顔を観たのは初めてでしたが、この時すでに具合が悪くなっていたのでしょうか?

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で、翌13日gnuは20:30から出演ということで、dress TOKYOという所に出かけてみました。秋葉原の問屋街あたりのようで、日曜の夜はコンビニ以外灯りがありません。8時ちょっと過ぎくらいに着いてグルグルあたりを一周してみたりしましたが、このお店、私のような年齢の者がどうしても入っていけるような雰囲気ではなかったのでそのまま観ずに帰宅しました。

11月19日(土)
Who's Crazy:緑智英(as)、塚本真一(p)、清水良憲(b)、木村勝利(ds)@市川りぶる

先週は寒い日が続きましたですね。こういう季節になるもう少し前までにロングジャケットを編み上げるはずでしたが、やはり初めてなのですんなりとはいかず、本とにらめっこしても今ひとつ確信が持てないのでたまりかねて竹の塚商店街の毛糸屋さんにSOS。こんな風に気軽に編み物を教えてもらえるお店があるとありがたいです。
で、今日は京成電車の市川真間で降りてりぶるへ。りぶるは2度目ですが、古さが居心地の良さを感じさせるお店。ジャズを聴くにはいい所だと思います。演奏の合間にもジャズが流れていて、ギター演奏のアルバムから聴こえてきたこの曲!もう自分にとってはミドリさんのサックスが同時に聴こえてくるようで、「なんていう曲だろう?飛頭で絶対やったよね」と思ったら「darn that dream」。ホントにいい曲なので、今度は塚本さんのピアノ入りで聴いてみたいと思いました。
で、この日の演奏については、ミドリさんがブログに音楽的なことを書いていたのでとても勉強になりました。塚本さんのピアノの和音感を押さえるよう指示があったそうですが、そうですねー、聴いていると奔放さが後退した感じになるとでも言えばいいのか?演奏の最後の方になってくると、お店の暖房が効いて暖かくなってきたせいもあるのか、心までもが温かくなってホワーッとした夢見心地の気分になってくるようでした。

追記:音源発掘!10/26 飛頭@円盤で「darn that dream」を演奏しています。もちろん塚本さん参加で。私の記憶に蘇ってきたのはこちらの演奏か?T.T.T.A.T(ミドリさん、菊地さん、藤井さんのトリオ)の方ではなくて。

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翌20日の日曜日は飛頭のベーシスト菊地さんのお見舞いに田園調布まで。救急車を呼んで早急に手術だったそうで、いろいろと辛くて大変だったんだろうなーと思いました。しかし、坪口トリオで渾身の演奏をした翌日に倒れるとは、ミュージシャンとしてはアッパレというべきか?私はというと、この間dress TOKYOに一人では入れなかったように、こういうお見舞いも一人では来られなくて、携帯電話も持っていなくて、人のブログにも入っていけなくて、こんなだからこそやりたいことを追求している自由なミュージシャンに憧れがあるのかもしれないと思ったりします。
この日は朝から「like someone in love」の坪口さんと塚本さんのピアノ演奏、その違いをめぐって夫とちょっとした議論になったりして刺激の多い日でした。

11月25日(金)
板倉克行(piano)、加藤崇之(guitar)、松本健一(sax)@入谷なってるハウス

こういう音楽について、私はこのところもう慣れっこになっているという感じで、未知の何かがあるのか新しさがあるのかというのは、自分ではもうよく分からなくなっているというのが正直なところです。で、こうした音の奔流に身を任せるのに気持の良さを感じるばかりなのですが、気持良くさせてくれるというのにはやはり質が問われるわけであって、そういった意味ではやはり上質ないい音楽ではなかったかと思います。
気がついたことを幾つか書いてみますと、3人の音と演奏のバランスが非常にいいということ。松本さんは、テナーなので音の幅が上から下まで大きくあるよう感じられるので安定感があってダイナミックな感じがします。加藤さんはもう手が早くて次々にいろいろな音を繰り出していくという感じですが、ギターとエレクトロニクスの他に金属のカンカラとかをたくさん使って、その金属のお皿で脇に置いてあるアルミのトランクを擦ったりします。で、そんな風に出す音が、音、音、音として純化されて、その音、音、音が板倉さんのピアノの音、音、音に呼応するような瞬間があって「おお!」と思いました。で、その板倉さんですが、私はちょっとその現代音楽のようなものを感じたのでそう感じたと書きますが、後で見たらエリック・サティの演奏などもされている方のようです。
今日は待ち時間に普段読めない本を読もうと思って行ったのですが、お客さんが少なめなせいか随分とおしゃべりをしてしまいました。音楽の話となるとやはり興奮してしまうのか・・・最後はもう松本さんとスタッフの企画会議にも口を挟んで、「ケリー・チュルコさんの超難曲をやる外山さんはかなりおもしろいのではないか」とプッシュするとスタッフの方とも意見が一致。ナッテルは今熱いと思います。ここで行われている音楽を愛し拍手を送るスタッフがいるのですから。私は人の力というものを感じます。

11月27日(日)
dead pan smiles vol.16@中野富士見町planB
大上流一 solo guitar playing

M「身が引き締まる。眠くなるどころか目が覚めてくる。」

M「現代音楽の○○は、即興は不可能だって言っているよ。どんなコンテクストからも自由な音楽なんて。」
T「そうするとフリー・インプロヴィゼーションはデレク・ベイリーただ一人で、あとはインプロヴァイズド・ミュージック?」
M「ポスト・デレク・ベイリーってあるのかな?」

T「自分を繰り返さないって意識を持ってやっているのかな?」
M「もちろんそうでしょ。」

プラットホームで帰りの電車を待ちながら、こんなような会話を交わしました。dead pan smiles は今日で16回目。大上さんはplanBでソロ・ギター演奏を続けています。「行かなくなっちゃったね」と時々私に言う夫は気になっていたらしくて、今日は出かけるついでがあるから「行く」と。刺激を受けたらしくて、「いつかじっくりと話してみたい」とも。
私は久しぶりに観たのですが、最初は強く感じたデレク・ベイリーっぽさ、その感じは今日は後退していたと思います。アコースティック・ギター1本で、小道具は一切使わずに作業を追求していく・・・およそ1時間くらいの演奏。手慣れている、やり慣れているという感じは一切ないと思います。




追記

12月24日にデレク・ベイリーが死去。夫は病院のベッドの上で私が持っていった新聞で訃報を知り涙したそうです。私は夫から聞いて初めてそれを知るという始末。下の引用は、半月以上前に書きはじめてそのままになっていたものですが、これをもって私のデレク・ベイリーの追悼にしたいと思います。

デレク・ベイリーとギター。
「即興の素材は楽器であり、それを演奏するテクニックの総体です。それが演奏を決定するわけで、音楽と楽器を切り離すことはできません。ちょうど私達が記憶とか嗜好、偏見、習慣とかを使うのと同じ形で。ある特定のスタイルで演奏すると、演奏するだけで、既に即興をそのスタイルに閉じ込めることになってしまいます。……メロディ……和声についても同じことです。"因習的"な音楽においては実質的にフリー・インプロヴィゼーションをする余地はありません。私はもっと無名なもの、つまり……拘束の少ないものの方が好きなんです。」と語るデレクは、ギターの負性(調性楽器であること、ピアノと連なった形で西洋の和声・調性システムにくみ込まれた弦楽器であることetc…)を真にうばい返し得たただ一人のギタリストである。彼はギターを彼のいう<あるがままの形で>これまでのあらゆる音楽 ― 特に西洋音楽 ― の系から完全に引き離すことができた殆ど唯一の演奏者なのだ。その意味で彼はギターがこれまでおかれて来たあらゆる歴史的時間、あらゆる光景、あらゆるシステム、あらゆるコンテクストから驚くべき形でひきはがし全く新しい未知のコンテクスト(私はそれをかつてまばゆい廃墟と呼んだ)へと異化し得た最初のミュージシャンなのだ。しかも彼のギターの一音一音は、あらゆる連続性や自動的な時間の流れや手くせの一切を離れてそれぞれ既存のあらゆるシステムから解き放たれて固有に独立した性質を持ち、それ故にはっきりと確かに一音一音の存在を得ている。しかもそれらは彼の信じ難い集中力と覚めの中でそれぞれに固有の生きた音色とピッチを持つことによって一音と一音のサウンドの相互作用の中で明確に息づいている。さらにデレクは或るインタビューの中で「リズムに私は関心がない。リズミックに演奏したことなどない」と答えているように、これまでのあらゆるリズム=パルス体系から完全に離れている。これらの事によって判るのは音楽におけるメロディやハーモニー調性の一切から彼は自由であり得ていると同じように、リズム ー たとえそれが内在化された可変的なリズムであれ ー からも彼の演奏を引き離している。また私の或る時の質問に対して「もしも演奏の途中で演奏の終りや終り方を意識してしまうとしたらそれは厳密な意味では即興演奏とは言い難いと思う」と答えているように、あらゆる意味での音楽と音楽の成り立ち得てきたコンテクストや方向や終るようにして終る演奏という全ての伝統的な概念を完全に超出しているのだ。ギターは彼の演奏によって完全に異なるものへと異化されているのである。これらの意味で彼ほどラディカルな存在はまたとないだろう。

完全な即興演奏家と私が彼のことを呼ぶのは主に以上の事に関わりがあるが、私はこれまで彼の事を<未知のアナーキスト>と呼んできた。このアナーキーという言葉は世俗的な意味では誤解されやすいが、完全に自由で自発的で固有なそして極めて創造的な彼をとおして私が感ずるのは語の本来の意味においてのアナーキーであり、アナーキズムを越えたアナーキズムなのである。アナーキーで完全にランダムネスな彼の演奏とはまた別の意味であらゆる制度性を離れた秩序そのものとも言えるものとしてある。」(*へ続く)

そう、「アナーキーで完全にランダムネスな彼の演奏とはまた別の意味であらゆる制度性を離れた秩序そのものとも言えるものとしてある。」とは!

「歴史的といわれる時間 − 御降誕と名づけられている、神話的で論争の絶えないある出来事から出発して流れている時間のことを言っているのだが、− が、観客の意識から完全に消え去りはしないとしても、ある別の時間、観客の一人一人が十全に生きる別の時間がそこには流れていて、初めも終りもないがゆえに、社会生活に必要な歴史的習慣をそれは吹き飛ばし、ゆえに、社会的習慣もそれは吹き飛ばす。そしてそれも、どんな無秩序というわけではなく、ある解放の無秩序を益する。」ジャン・ジュネ「……という奇妙な単語」
上記 dead pan smiles / Riuichi Daijyo Live Information 裏面記載より転載。

*「このような彼の即興演奏を通して私が感じるのは、ギターを持ちそれを演奏することによって自らの肉を受肉し得たまばゆい存在としての行為者である。彼はまた或るインタビューにおいて即興演奏にとって大切なのは常に覚めていて最大限にリラックスしながら最大の集中力を維持することであり、このためには頭のみならず手や指や肉体のすみずみそして足までも醒めていなくてはならないと言いながら、演奏における足の練習について語っている。つまり指先で極めてゆっくりしたパッセージを弾きながら足を出来るだけ速く動かすことが重要だということを述べている。彼は演奏における集中(コンセントレーション)の重要性について語っているが、ここで彼の言う集中とは決して演奏に埋没したり熱中したりということを意味しない。たとえば二枚目のソロ・アルバム『LOT74』の「IN JOKE」という演奏であの彼特有のギターの演奏を行いながら同時にしゃべっているのだが、めまぐるしく変わり通時の時間を越えた演奏とゆったりした語り口が同時に行われ得るものとは信じ難かった。来日のおり、或る機会に私は「あれは本当に同時に録音したのか」とたずねたのだったが、彼は「そうだよ」と平然と答えたものだった。「『ソリスト』としては、私は音楽的事象の線状の継起よりもむしろ一種の垂直的構成に興味があります。私はあまりソリストのように ― つまり一人の人間と一本のギターのように ― 響かせようとはしません。むしろ同時にいくつかのことに意識を集中することは可能だと思うんです。矛盾しているかも知れませんが、これは非常に刺激的な問題です」。(続く)『非時と廃墟そして鏡』より


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