何よりもまず音楽を、そのために
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12/12 12+12=24 / 間章(Aquirax Aida) 詳細はこちら
行きたい気持はあるのですが…。
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なかなかシックなチラシができました。
「飛頭」は紹介文によると「印象派のジャズ」だとか。なーるーほーどー。私は初めて観た時、ポール・ヴェルレーヌの「詩法」という詩が思い浮かびました。
よりおぼろげに虚空にとけて、
その内に、何ものも重くのしかからず、
何ものも跡をとどめぬ「奇数脚」を好め。
また、言葉をえらぶにも
何らかの思い違いを恐れるなかれ。
「漠」と「明確」が一つに結ばれる
灰色の歌より尊いものは何もない。
それは、ヴェールに隠れた美しい眼、
それは、真昼にゆらめく日の光、
それは、暑さのさめた秋空に
青く散らばる澄んだ星々!
われらがなおも求めるのは「陰影(ニュアンス)」、
「色彩」ではなく、ひたすら「陰影」をのみ!
おお!陰影だけが、夢を夢に
フリュートを角笛にめあわせる。
ー後略ー
ヴェルレーヌの詩は、レオ・フェレの歌で聴きます。メロメロになってしまうのでやたらに聴かない秘蔵のCD。
"les poetes vol.3 : Verlaine/Rimbaud"(BARCLAY)
Leo Ferre(voval)
新潟の冬の天気というのはこういうものなのだろうか…。先ほどまで雲の切れ間から青空がのぞいて、日の光が燦々と降り注いでいたかと思うと、たちまち雲が垂れこめてきて粉雪が舞い降りてくる。…この重苦しい気分、あの雪雲にずっと頭上を被われているような重苦しい気分は何なのだろうと思う。
最初にイベントの進行状況を記しておくと、ソロ演奏、映画上映、デュオ演奏、映画上映、トリオでの演奏という具合で時間は3時間程度であっただろうか。EEUのメンバーであった3人の演奏は、ハイテンションで自己のパワーを限りなく開いていくようなものであった。それなりの水準の高い演奏ではあったと思うが、現在進行しているフリー・インプロヴィゼーションとはやや違ったもの、やはりそれは今日のこの場のための演奏ではなかったかと私は思う。同時にそれは、3人がそれぞれ別の道を歩んでいることも感じとらせるものであったと思う。
豊住氏のドラム。「フリーとは聴く人の自由だ」と冨樫雅彦はいみじくも言ったがその対極にあるようなドラム。豊住氏のフリーは、やる側の演奏する側の自由だと思う。どれだけ楽しく自由にやりたいように演奏できるか…それがこの人の今のドラムだと思う。土取氏はトーキングドラム?のソロ演奏が素晴らしかった。足の間に挟んで手で叩いて変拍子でリズムを次々に変えていくのだが、鼓動から音霊がほとばしり出て、喫茶店の狭い壁と天井を突き抜けていくかのようであった。ドラムセットでも見事な演奏を聴かせたが、今この人にドラムセットを敢えて叩く必然性はあるのだろうか?近藤氏、この人も狭い場所での演奏がそぐわないものになっていると思う。フリー・インプロヴィゼーションの枠を超えて他と共生する道を探す近藤トランペットの世界になっていると思う。
映画は、予想以上に興味深い内容になっていたが、正直言って心身に応えた。というのは、大里氏のインタビューは、人と人との関係、個と個の血みどろの関係性のようなものを際立たせたからだ。登場するのは、清水俊彦、高橋巌、副島輝人、近藤等則、平井玄、竹田賢一、佐々木敦、大友良英の各氏とベガーズバンケットのお二人。間章の活動にセクト主義とエゴを見る副島氏。他と摩擦を起こしながら切り開く尖鋭的な間の在り方を肯定する清水氏と近藤氏。高柳昌行氏との血みどろの関係を告白する大友氏。高柳氏とは最後は一心同体だったと告白する清水氏…。
演奏が始まっても、そしてイベントのすべてが終了しても、高木氏がなぜこの場にいないのか誰も口にする者はいなかった。私の中では相変わらず雪雲が重く垂れ込めている。晴れ間は何時になったら望めるのだろうか。
初日、最初は土岐さん&直嶋さんの2人組。エレクトロニクス少年たちの実験といった感じでした。ミチのグループ名は、どこまでも続く「道」のことかなと思っていたのですが、イントネーションからすると「未知」あるいは「みち(女性の名?)」らしいです。スコアをめくって休み休みしながら黙々と作業を続けていくのですが、時間軸にそって演奏方法が指定されたスコアを使っているそうです。角田さんがギターの合間に帽子を何回か裏返して被り直すシーンがありました。スコアによってかなり違った演奏になると思うので、こういうユニットは、継続して見続けて行くことによって何かが発見できるのではないかと思います。
河合さんのピアノは、確か'99年頃にサニー・マレイを含む豊住さんのグループで聴いていますが、その時のアプローチからすると、その間にかなり研鑽を積まれたんだろうなあといった感じの演奏でした。それに対して敬意を表したいと思います。しかし、やる側にとっての意義は認めるものの、フリー・ジャズもしくはインプロヴィゼーションによるピアノへのアプローチは、自分としてはある程度見尽くしてしまったという感がやはり強いです。例えば、ハンネス・レッシェルの室内楽的アプローチのように、ある種の制約を設けたアプローチの仕方にむしろ自由と新鮮さを感じたりします。昔そして最近までは、フリーの持つ精神性や何でもありの演奏行為そのものに魅力を感じていたはずなのに、自分の中では今はサウンドに対するこだわりが強くなってきている…、どんな音でどんな演奏をするのかということに対する自分の目が厳しくなってきているような気がします。
松本さんのグループは、オーネット・コールマンの曲のような出だしから始まりました。で、そのままフリーになだれ込んで行くのかと思ったら意外とそうでもなくて、ちょっと尻すぼまりのような感じもしました。途中、小さい笛などのおもちゃの楽器を何気なく使ったりして、それを女性がやるものですからかわいらしさがありました。皆で「ヤッホー」と声を掛け合う曲もかわいらしかったです。
EXIAS-Jは、上記のメンバー以外にいずれもリード楽器を使う3人の方が参加されて、協会に属するすべてのメンバーがそろったようです。演奏の後、松本さんがグループに加わってセッションをやりました。
トフは残念ながらこの日はお休みです。
進揚一郎さんのソロは、ドラムの脇にコンピュータを置くという珍しいセッティングの演奏でした。ドラムの音をコンピュータで変調、再構築するパフォーマンスなんだそうです。
ギター・カルテットは、この秋結成されたばかり。4人が丸い小さいテーブルに機材を置いてそれを囲んで演奏しました。若い人たちがやる新しい音楽というのは、自分の今までの体験やボキャブラリーでは上手く説明できないことがあるのですが、そんな時私は、例えば音響とかテクノといった既成の言葉ではできるだけ音楽を決めつけてしまわないようにしています。これらのエレキ・ギターの音は、とても心地よかったのですが、何が面白かったかというと、出だしは完全にギターとしての音だったのが、次第に完全なと言っていいくらいのエレクトロニクス音に変わって行ったことです。
Off Site の伊東さんを始めとするグループは、メンバーのそれぞれの演奏をソロもしくはそれに近い形で体験しています。その4人が集まってそれぞれの演奏をするだけでこんなに面白いのかと思いました。もってこいの相乗効果がありました。伊東さんのオプトロンが、また一段とパワーアップしていました。
西陽子さんのような琴のアプローチを見るのは初めてでした。爪で弾く場面はほんのわずかで、色々な小道具を使いました。私が面白いと思ったのは指で弦を下から弾くやり方で、そこから出てくる音はロードリー・デイヴィースのハープのようでした。
installing は、どことなく緊張感が漂うユニットでした。恣意的なものを排しながら非常に慎重にサウンドをクリエイトして行くといった感じがしました。
飛頭は、一見すると普通にジャズをやっているようですが、曲の良さ(今日は菊地さんの曲のみでしたが)、音の良さ、演奏のセンスには容易に真似のできないものがあると思います。ドラムとベースが、普通のリズムセクションとして以上の独立した存在感を放っているのも魅力のひとつだと思います。イトケンさんのドラムは、今日はとてもキラキラしていましたが、紋切り型のリズムは刻まないし、菊地さんの今日のパフォーマンス、アナログシンセからノイズを生じさせてその間外に出て行ってしまうパフォーマンスもそのひとつだと思います。しかし今日はそれ以上に、それぞれの楽器から出るすべての音が渾然一体となるシーンがあって、感覚的には「ああ、これぞ印象派のジャズ」と思いました。思考的には、私はそこにはスラッシュ・トリオに通じるようなジャズの定型を内側から崩して行くような作業があるように感じられました。
追記
イトケンさんのドラムについて補足しておきたいと思います。10月のライヴで"blue in green"を演奏していただいた時のこと。自分の今までのジャズ体験からすると、ジャズのスローな曲だったら当然ブラシでシャカシャカと静かにバックでリズムをとるものだとばかり思っていたのですが、ブラシは使わないでドカドカと前面に飛び出してくる太鼓だったので意表を突かれました。こういうやり方が成功しているのかどうかといった判断とは別に、私の中では新旧価値がせめぎあって戸惑いを感じたことを告白しておきます。
追記
インプロと言われる音楽の中で、楽器をどのように使おうと、どのような道具を持ち出してこようと、そのこと自体に対する驚きや意外性は今はほとんど感じられなくなってきているような気がします。そこで問題になるのはどのようなサウンドがクリエイトされるかということかと思われますが…それはちょっと脇に置いておくことにして、"blue in green"におけるイトケンさんのドラム、当たり前だと思っていたことが覆されることの方にむしろ驚きを感じるということは、自分にとっては非常に興味深い体験でした。
心に残る私の一年を書き留めておきたいと思います。まずは、特に印象に残ったライヴを5つに絞り込んでみました。自分でも意外だと思うものが浮上してきました。ベスト5とは多少違ったニュアンスで受け取っていただければと思います。
新しいと感じる音楽は、Off Site で行われた幾つかの演奏から聴き取ることができました。
最後に、これから書くことはライヴ体験と限られたCDだけが頼りなので、不十分な点や誤りが生じるかもしれませんが、楽器の可能性の拡張と追求という観点から'60年代生まれの3人のミュージシャンについて言及してみたいと思います。
青の断片を集めよ
とりとめのない広がりの
中から
輝くもの
死に導くもの
あらゆるところにあって
捕らえられないもの
青の深みは
人を溺れさせることはない
青はポエジーの泉
あらゆる意味を担い
あらゆる意味から
逃れる言葉
人は青の中にあり
青は人の中にもある
(雅文)