3/3(木) 坪口昌恭トリオ@六本木alfie
坪口昌恭(piano,effect)、菊地雅晃(bass,electronics)、藤井信雄(drums)
3/19(土) 卵 第三夜@高円寺円盤
出演:イトケン、伊東篤宏、tagomago、tamaru
3/21(月) 同時代誌「黒の会」つどい@舷燈社4階(新東京木材会館)
ミドリさんのサックスと雅文の詩のコラボレーション
3/24(木) trip on jazz vol.3@高円寺円盤
飛頭/ミドリトモヒデ(sax)、塚本真一(piano)、菊地雅晃(bass,electronics)、イトケン(drums)
ゲスト:ユタカワサキ
吉田アミさん、永田一直さんをお迎えしてかなり変だったvol.1。miroqueさんをお迎えして意外に綺麗に音が入っていたvol.2。vol.3はいよいよユタカワサキさんをゲストにお迎えします。
3/27(日) Izumi Misawa Presents "chairs" vol.2 @千駄ヶ谷loop-line
出演:イトケン、栗原正己、三沢泉
3/27(日) solo guitar playing [dead pan smiles] vol.8@中野富士見町planB
演奏 大上流一
27日は、すみません、どちらかに行けなくなります。両方行けないってことはないと思いますが。
3/31(木) 東京、浅草「Gallery ef」
オープニング・パーティー (詳細未定)
FUGU and the Cosmic Mumu (FCM)
ゲスト:Haco(エレクトロニクス、ヴォイス) with アニメーション by ハイモ・ヴァルナー
*オーストリアから招かれたアーティスト達による展覧会 "reciprocity"(4月1〜17日)に関連するイヴェント
後援:オーストリア大使館 / 文化フォーラム、SKE austro mechana, M.E.L. Kunsthandel
今日は今まで観た中で一番完成度が高かったんじゃないかなー、という意見がわれわれの間で巻き起こった坪口トリオ。とにかくやる曲は全部いいと夫は言いますが、多彩で聴き応えがある曲の連続。全部は書きませんが、ピアノにエフェクトをふんだんに使った「time rememberd」 は、飛頭との表現の違いがおもしろいと思いますし、ビル・エヴァンスの演奏で有名な「you must believe in spring」は、さらりとした情感が。今日初めてやったのは、バド・パウエルの「parisian thoroughfare」。あと、ジョー・ザヴィヌルのモダンな曲や坪口さんのオリジナル曲にもおもしろいものがあって楽しめました。
坪口さんはピアノを演奏しながら藤井さんの音を器械で加工したり、自分のピアノの音をエフェクトにかけたりするので、その分演奏の方は抑制された感じになっていると言っていいのか・・・しかし、今日のように上手い具合に曲にエフェクトが入ると、曲に華やぎや位相の変化のような様々な表情が生まれてすばらしいと思いますし、聴いているととてもラグジュアリーな気分になってきたりもします。こんな風にピアノにエフェクトを使う人が他にいるのかどうか私は知りませんが、坪口さんのような表現ができる人は現在(いま)のところいないのではないかと思います。また、曲によっては藤井さんのドラムのすばらしい見せ場もありますし、菊地さんのベースもこのところすっかり上手くなって、いつもながら3人のバランスがとてもいいトリオだと思います。しかし坪口さん、今日はひな祭りでお客さんも女性が多かったので浮かれていたのでしょうか?「今夜は帰さない」とか何かトークが大胆で変でしたねー。
さて来週は、菊地成孔さん関連でみなさまはシンガポールへ。お気をつけて行ってらっしゃいませ。また次回の演奏を楽しみにしております。
片山敏彦を精神的支柱とし、矢内原伊作と宇佐美英治によって戦後刊行された同人誌「同時代」、その第3次ー第17号から雅文が同人として迎えられることになった。当初からこの雑誌は、特定の主義主張を掲げるのではなくて、共通のムードのようなものを基調として始められたそうで、そんなところが途中の中断を挟みながらも、今日まで存続してこられた所以かもしれないと思ったりする。現在の編集人は、片山敏彦に兄事した詩人の清水茂氏で、早稲田大学仏文科の教授でもあった人。同誌はここしばらくは新人を迎えることはなかったそうだが、片山敏彦や鷲巣繁男研究の神谷光信氏と詩人としての安田雅文が新たに参加することによって、多少若手が加わったというところか。しかし、若手と言っても40代と50代。
で、今日は昨年からここで始められた同人と読者の年に一度の交流会。実はこういう催しは、矢内原伊作氏が得意とすることであったとか。
雅文は今日初めて詩の朗読をするということで、選んだ詩は第3次ー第17号掲載の「蝶の暦」。ミドリさんにサックスをお願いしたのは、いつか菊地さんとも話したことがあるが、金属的なキンキンした音ではないミドリさんの音は、とちらかというとクラシック、古典的な音楽に親しんでいるであろう皆の耳にもきっと優しいであろうと思ったからだそうである。もちろんミドリさんのニュアンスたっぷりのサックス表現の魅力もきっとまた。
講議風の詩の紹介あり自作の朗読ありの順番を廻って、雅文は最後。ちょっと読むスピードが速かったかなという感じも。ミドリさんの音を聴く時間をもっとたっぷり取る予定が、何分にも初めての経験なので自分の詩を読むのが精一杯で、ミドリさんの音を聴く余裕はなかったようだった。うーん、コラボレーションにはなっていなかったなー、やっぱり。でもその壇上で、「ミドリさんは飛頭というシュールなバンドをやっている」とか、塚本さんも応援に来ていたのだが「塚本さんのピアノの官能性は仏文出身に由来する」とか言い出したので、これにはミドリさんも私もびっくり。
後で聞いた何人かの感想がこれまた面白かった。「ブラボー、素晴らしかった」と影山氏。「モダンな感じだった」とか「いいお声ですね」とか「パッと会場が明るくなった。パフォーマンスだからね」とか。「どうやるか決めておけばよかったね。言葉が音楽に負けてしまう。サックスでああいうヒョロヒョロとした音が出せるんだね。あれはまるで女性を誘っているような・・・」と言ったのは慶応大学英文科学部長であった和田先生。カルチャー・ショックを受けられたそうで、「彼らによろしく」と言ったのはもうひとりの若い同人でミドリさんと同世代の富田氏。彼はヤコブ・ベーメなどのドイツ神秘主義の研究が専門で、聴く音楽はというとバロック音楽とショパン。ジャズもロックもついぞ親しんだことがないんだそうである。しかし、私が感心したのは、今日ここにおられるような日頃から詩や音楽に親しんでいるような教養人というものは、自分が知らないものを頭から否定したり拒否したりするところがないということだ。というか、むしろ「詩」(=言葉)という観点からこういうパフォーマンスを受け入れることができるのかもしれないが。で、もう少し考えてみたのだが、別の方向からこういう人たちにトフが日頃聴いているようなインプロやノイズを聴かせたらどんな反応を示すのかなーと。やはり、どれもこれもみな同じような"ノイズ"に聴こえてしまうのかしら。
もしこういう場所でデレク・ベイリーが演奏をしたとする。で、それが分かる人がいたら、私はその人は凄いと思う。なぜなら、自分が分かる好きなジャンルであれがいいこれがいいと言うのは簡単なことだが、色々なものの中から光り輝くものを見い出すことは困難なことだと思うからだ。で、ここでまた間章。まさしく間章こそそういう存在として私の前に現われた最初の人でもあったと思う。何と言っても彼は、ジャズやロックのみならず、シャンソンやシュトックハウゼンやピアソラにも言及できた人なのだから。それにしても、自分も含めて私たちはどれだけ狭い世界にいながらモノを言っていることか!朗読した雅文の詩も少しはそんなことを言っているようにも見える。「硬質な詩」そう言ってくれる人がいる詩。
蝶の暦 安田雅文
ストラスブール・サンドニで乗り換えロベスピエールへ
向かう。多少混雑し始めた車内では、いつものようにみ
な辺りを見ながらも決して視線を合わせることのないよ
うに気を配っている。我々はこの地下鉄に行きずりに乗
っているのであり地球の上にだってこのように存在して
いるに過ぎないのだ。誰もがそんな表情を浮かべながら
降りていく。あるいはそのように地球からいつの間にか
立ち去っていくのだろう。乗り続けていられる人間など
誰もいないのだ。ドア近くの席に座ってこれから行くラ
イブハウスの場所を確認しようと私はポケットから地図
を取り出した。すると、少し離れた反対側のドアの斜め
向かいに座った男性が私の方に軽やかに片手を挙げ合図
を送っている。その視線は、私に向けられているようで
もあり思わず後ろを振り返ってみるが誰も彼の合図を受
け止める人はいない。と思うと彼は挙げた手と反対の手
を今度は下に向けて何かを伝えようとしている。そう、
私はメトロの切符をポケットに入れていたのだ。それが
床に落ちたに違いないと気付き下を見ると、果たしてそ
の通りであった。私はもはや要らなくなったその切符を
拾って無言の挨拶を返すと、彼は両手を広げてにっこり
と微笑んだ。しかし間もなく目的の駅に着く、私はそこ
で降りてアフリカやギリシャのレストランが並ぶ通りを
抜けさらなる目的地へと行かなくてはならない。言葉の
ない未知なる表現に出会うために。
*
遠くブーローニュの森の方から、青空を囲った中庭に臨
む私の部屋のバルコニーに蝶が飛んで来たなら、私はい
つでもそれを喜んで受入れ、鉢植えの花々の間を軽々と
移り行くさまを黙って見つめていよう。何をするでもな
く、ただ部屋の内側で言葉もなくその飛翔の瞬間を共に
過ごそう。忽ち消え去ってしまうまでのほんの一瞬に賭
けられた世界の中に新しい響きを聞くために、その未知
の音をさらに世界に返すために、私は有り得べき幸運の
訪れを絶えず準備していよう。
*
言葉に肉体が内側から啄まれ、私の身体は軽石のように
虚ろで、今にも崩れそうな姿を辛うじて保ち続けている。
言葉を吐き出すことの労苦。それほど言葉は私の肉体に
張り付いていた。そんな身体を抱えながら、私はR駅か
ら演奏会場に急いだ。D・Pの即興から繰り出されるヴ
ァイオリンの自在な音は、私の肉体の虚ろに満たされる
ことはなく、むしろ私の肉体を貫いてそこに何も残さず
あるときは奔流となって、ただひたすら外へと流れてい
くばかりだった。私の中に残されたものがあるとしたら、
それは目には見えないその流れの心に刻まれた痕跡だけ
だ。しかし、その離れ行く瞬間こそ音は私から自由であ
ったのであり、時間ならざる時間を生きた私の肉体が変
容する瞬間だったのだ。そこには肉体の変容を通じて交
わる友情が確かに存在した。
*
一語一語をどのように書き継いでいったらよいのだろう
か。蝶のように気ままに? 自由に? しかし本当の自
由は何も語らないことなのだろうか。今朝も、外の喧噪
から隔てられた中庭に女性の歌声がかすかに聞こえる。
そして、今日もこれから一つ一つ積み木を積むように生
きる行為を重ねていくのだ。それにしても、書くことは
何と気の遠くなるような意志を必要とする行為なのだろ
う。ともかく、初めの一つを積む労苦、それが出来れば
少しは身も軽くなるのだが ......。 歩き続けていたにもか
かわらず、まるで瞑想に耽っていたかのような一日が終
わり、私は疲労に身を任せて真夜中の人気のないルクレ
ール通りを歩いていた。その時、私は突然歌声を聞いた。
それは、夜の底から降り注ぐような声ならざる声、辺り
のしじまとは対照的な私の耳の奥だけに響く歌だった。
私の傍らを、何かが過ぎ去っていく時に、かすかに感じ
られる振動のような。沈黙がその存在を示すべく自らを
反響させたような声。
*
ディジョンからパリへ戻るTGVの車内に座ってぼんや
り暮れ行く風景を眺めている私の脳髄から出た蝶は物語
の縁に沿って飛翔し、青空に輝く片翅を空虚にさらしな
がら固有のリズムで列車の内と外を往復する。そしてい
つの間にか青空からIKBへ世界のすべてが青になると
その変容に輝く鱗粉も滲んで溶け、蝶は青になり、さら
に青は蝶そのものとなって再び振動に揺れる私の脳髄に
帰ってくるのだった。
IKB=インターナショナル・クライン・ブルー
*
世界は音で満たされている。しかし、我々は聞くものを
しか聞かない。見るものをしか見ない。そのように、世
界は余分なものに満ち溢れている。すべてのものを見よ
うとすること、見たいと望むこと。それは例えば私がこ
こサン・ランベール公園で、南米の密林のどこか奥深い
ところに存在する蝶、人知れず滾々と湧き続けている泉
の周りに繁茂している花々の間を、今この同じ時刻に飛
び回っているはずの蝶、その蝶の七色に輝く大きな目玉
のような柄を見たいと望むことだ。しかし、私は蝶を探
さないだろう。それでも、公園のベンチに座って行き交
う人々を眺めている時、ふと背後の木立から青い蝶が私
の視界を横切り、いつの間にか葉陰に隠れてそのまま見
えなくなることがあるのだ。私の網膜にはその一瞬確か
に大きな目玉模様の影が映る。
(連作詩編『蝶/プロセス/ヴァリエーション』(仮題)より)
ミドリさんの企画によるtrip on jazz vol.3。このバンドはやっぱりシュールなバンドになりつつあるんでしょうか?今までのおさらいをしてみますと、 vol.1は吉田アミさんがゲスト。「all the things you are」を歌う?アミさんには、今までに観たことのない可愛らしさがありましたし、みんなでやったインプロには、ムジカ・エレットロニカ・ヴィーヴァのような?原初のインプロのエネルギーを感じました。vol.2はmiroqueさんがゲストで、清楚な感じのキーボードで曲に華を添えてくれました。で、今日はユタカワサキさんがゲスト。このシリーズから飛頭に興味を持って下さる方も出てきたようで、彼女曰く「いろいろなものが入っている」と。いいですねー、若い人は。これがジャズであるかないかなどといった議論は、感性で一気に飛び越えてしまうんですから。
で、1部は飛頭だけで演奏。「clumbling steeple」の菊地さんのベースソロはもうぶっ飛んでしまって、ジャーマン・ロックのようなトリップ感がありました。2部はユタさんのソロから。私は2枚目のMDで録音して家で聴いたら接触不良のようなノイズが出てきたので、録音に失敗したかと思ったのですが、そう言えばユタさんのソロだったなと思いだす始末。うーん、こういう音といわゆる音楽との間の境界を何と言えばいいのか、あるいは音と音楽の間に境界があると決めつけてしまっていいものかどうか・・・確か間章が音楽には2つの面があるということを書いていて、それがどのページにあったのか見つけられなくて、内容の記憶も定かではなくて間違っているかもしれませんが、音楽には「物質的な(物理的な)面と霊的な(魂的な)面とがある」というようなことを書いていたと思います。
それから、今日は現代音楽に造詣が深い菊地さんの趣味でオリヴィエ・メシアンの「キリストの昇天」を初めて演奏しました。これは後で聴いてみたらなかなか面白くて、ユタさんが入っていたのがむしろよかったと思いました。ユタさんはキーボードなしのアナログシンセでアルミホイルを使ったりするのですが、それを観ているとその"アナログシンセ"と"アルミホイル"という現代のオブジェ感は、教会の"石"にとって代わるようにも見えてきたりして、ちょっとダリの世界を彷彿させるような感じもしたりして楽しかったです。
27日は千駄ヶ谷loop-lineに出かけてみました。初めての場所でしたが、千駄ヶ谷の駅からの道が分かりやすくて、お店も灯りが優しくて居心地がよかったです。さほど広くはないですが。で、今日は三沢さんという方の企画で、ピアニカやトイピアノなどの小物を演奏するトリオの出演。三沢さんは初めての方で、最初パンチングした紙を手動で回すオルゴールをやったのですが、とても綺麗な音だと思いました。この手のもう少し小さいのを、坂本弘道さんがチェロのインプロの中で、一枚ザーっとやったのを観たことがありますが、三沢さんはご自分で作曲して紙にパンチングするそうで、何枚も紙を使っているので「ヘー!」といった感じ。今日はインプロではなくて曲ものばかりでしたが、曲といってもそんなに曲っぽくなくて、むしろ音が整理されているといった感じで、その分一つ一つの響きがとても綺麗だと思いました。イトケンさんの曲はやっぱり変ですねー。それとイトケンさんのソロ(これはインプロと言っていいのかな?)。これがやっぱりとてもいい感じで、ガラガラなどのおもちゃ音をエレクトロニクスに入れて音的に敷衍していく・・・いきなりですが、マニエールの違いはあれど、こういうアイデアの元祖はクセナキスなんでしょうか?「ペルセポリス」の中では、お湯の沸騰する音や石が転げる音を採取しているということを読んだことがあるので・・・。
私は今日は、イトケンさんと三沢さんのデュオがとても素敵だと思いました。イトケンさんがしっかりと土台を作っていて、三沢さんがフワーっとそれに乗るような感じで、三沢さんのフワーっとしたヴォーカルもいい感じでした。二人でおもちゃの演奏、お猿さんではありませんがシンバルを叩く小さな人形を操ったりもしました。三沢さんの人形は倒れてしまいましたが、倒れながらも頑張ってシンバルを叩いたッ!