ウィーンから二人のミュージシャンがやって来た。フリー第二世代のミュージシャンと言っていいと思います。新しい人たちの音楽が聴けると思うと、うれしくてライヴに出かける元気が出てきます。
ウィーンはベルリンと並んで独自の即興シーンがあるとのこと。杉本くんとの相性もぴったりで、なかなか新鮮なサウンドスケープでした。空間に音を挿入していくような感じがありました。クリストフ のコンピュータは、ファジーなノイズを断続的に出していましたが、途中で急にサックスを取り出して吹いてみたり、ブルクハルト は普通の弾き方でギターを操っていたかと思うと、急に変なやり方でノイズを出してみたり、音数は少なめながら一本調子ではなくて、持続があるかと思うと沈黙があって、不意に予測のつかない音が飛び出してくるのがとても面白かったです。音と音の間(ま)と変化という観点から見ると、かなり自由度が高い演奏ではなかったかと思います。しばらく前に同じようにコンピュータやギターやサックスを使いながらも、空間を音で完全に埋め尽くしていくエリオット・シャープを観ていたので、対照が際立つように思いました。
ポータブル・オーケストラ「家電編」。究極のミュージック・コンクレートか?これはラジオ、ヒゲそり、カメラ、時計などの家電によるオーケストラ。チラシを見ただけで面白そうで楽しくなってしまう自分の感覚って何だろうと思います。大勢人が集まりそうな予感も当たりました。12人くらいのミュージシャンが出演して、一応大友さん作曲ということで、音と音の組み合わせや時間を指示していたようでした。音が小さくて何をやっているのかも全然見えませんでしたが、やりたいことをやっている、自由なことをやっている、で、それを真剣に聴いている人がいるというだけで面白くておかしくて楽しくなります。
I.S.O. は大友さんの音響ユニット。本当にたくさんの人が集まりました。I.S.O. を聴くのは実は初めて。まっさらな自分の感性で聴いてみたいと思っていたのですが、今日は気が散ってしまって集中できなくなりました。周りの話し声が聞こえてきたり、出口付近だったのでざわざわしたり。演奏中に姜さんが循環呼吸法に失敗して咳き込んでしまって、しばらく裏に引っ込んでしまう場面もあってこれもまた気が散る原因になりました。
90年代の初め頃だったか、新宿のお寺の地下にP3というスペースがあって、そこでスティーヴ・ベレスフォード公演があって観に行ったのだけれど、その時にベレスフォードとのデュオでがんがんターンテーブル
を回していた大友さんと、その時初めて聴いたサンプリングというものをやっていた松原幸子さんを思い出すと今日の演奏の変貌ぶりには隔世の感があると思いました。
3人が作り出すゆるやかな良い音のスペースに姜さんははまり過ぎている感じ。姜さん+内橋和久さん+一楽儀光さんのトリオの方が意外性はあるかなと思いました。
一楽さんは、シンバルを二つ重ねて縁を弓で上下に弾いているのが印象的でした。彼は確かエレクトロニクスを止める宣言をしたのではなかったかな。以前何かの本で読んだ「演奏から音響へ」の明確なシフトチェンジ、I.S.O. は電子音響ユニットというのは必ずしも当たらないのではと思いました。
初来日のシュテファン・コイネとジョン・ラッセル。ジョンは、アコースティック・ギター一本でエフェクト類はもちろんのこと、小道具も一切使わないしプリペイドもしない演奏。シュテファンもソプラニーノだけでしたが素晴らしかったです。ジョンのギターは、隙のないアブストラクトでランダムな演奏で、親指に爪をつけて鋭い澄んだ音を出していました。音色・奏法ともにデレク・ベイリーに似てるなと思いましたが、デレクの方がもう少ししなやかで可変的に感じられるかもしれません。全体を緊張感のある演奏で通すのではなくて、途中ノイズやパフォーマンスを入れて外すところに自分らしさを表現しているように見えました。シュテファンは全部の指を一度に動かすマルチフォニック奏法とも言うべきもので、エヴァン・パーカーに近いものを感じました。さしずめ小デレクに小エヴァンといった感じで、ヨーロピアン・フリーインプロヴィゼーションの質の高さを感じさせました。
後半は近藤さんがソロをやった後、ゲストで加わりました。近藤さんのエレキ・トランペットはどういう仕掛けになっているのか、ラッパの先端にマイクを付けて、拾った音をディレイにかけているのかな?結構派手で大げさな感じ。プログレのトリップミュージックみたいになって何か変でした。このエレキでアコースティックにどう入るのかなと思いました。実際三人の演奏になると、近藤さんが加わることによって演奏に厚みが増したような感じになって、さすがにベテランだなあと思いました。近藤さんとジョンは20年くらい前に一緒に演奏していたそうで、「こうしてまた共演できるのは奇跡だ」などと笑いながら冗談めかして話していました。
この日はジョンのメッセージが配られました。
「シュテファンと私自身の気持ちを代弁させていただきますと、日本の観客の皆さまに私たちの音楽をお聞かせする機会をいただいたことを、二人ともどれほど嬉しく思っているでしょうか。自由即興を行うミュージシャンとして私たちの音楽は、過去の体験から生まれ、ある特定の空間と時間に特有のものになります。ですから、私たちがこちらで演奏する音楽が、個々の現場の空気を反映するとともに、私たちが故郷に帰って時間を経たのちに、二人の音楽的な発展に重要な部分を占めるようになることも願う次第です。
21世紀の初めの混乱の時代に、比較的シンプルな装備しか持たない2名のミュージシャンが、驚くべきテクノロジーの遺業で知られる国に行くことを、奇異に感じる人々もいるかもしれません。しかし、まさにこのシンプルな装置の本質によってこそ、フリーな表現が発見できるわけです。創造性とは、多くの顔を持つ生き物であり、こうした逆説とは無縁です。私たちはそれに近づこうと望むことしかできませんが、少なくともその試みを楽しむことはできるのです」。
ジョンは、70年代半ば頃からロンドンのアンダーグラウンドな即興シーンを支えてきた一人だそうですが、私はこのメッセージを読んでとても感動しました。
シュテファンとジョンの最終日。即興演奏の場合、共演者や場所によって演奏が違ったものになるので、インプロヴァイザーが来日した時には、最低でも二カ所ぐらいでライヴを観たいと思います。今日は前・後半ともに4〜50分の比較的長い演奏。これだけの時間アコーステック・ギターだけで演奏を持続していくのはなかなか難しいのではないかと思いました。世田谷美術館でもやりましたが、ジョンは途中ズボンのポケットから弦を一本取り出してぶんぶん振り回してからギターに装着するパフォーマンスをやりました。それから、これは初めてですが、水を入れたコップに指を突っ込んで濡らしてからギターの縁を静かになぞりました。これらは緊張感のある演奏に一息をつかせるようで、またオリジナルな表現として感覚に焼き付くような印象的な場面になりました。
今日は最初から最後まで、大蔵さんとブレットさんが加わった4人の演奏でしたが、途中シュテファンとジョンのあまりにも緊密で隙のない演奏に、大蔵さんとブレットさんが、音的に全く入る余地がなくなる時間がしばしありました。
今日はリチャード・タイテルバウムを中心にした構成。全員が譜面を見ながらの演奏で、作曲による「決め」
があったようです。エレクトロニクスは、やっていることがはっきりとわからないのですが、コンピュータと
サンプリングとキーボードを押す音も聴こえました。最初は、タイテルバウム、石川さんから始まって、本橋さんが加わりました。笙の音色は、コンピュータが出す音に近い感じがすると思いました。ミニマルでラモンテ・ヤングか何かを聴いているようでした。余談ですが、石川さんと本橋さんは、私の目から見るととてもかわいらしいおしょうゆ顔で、こういう清潔な感じの顔が日本にもまだあるんだなあと、ほっとするような雰囲気がありました。
休憩の後は、タイテルバウムとジーン・コールマン。ジーンはとても知的な雰囲気のする人で、ブカブカと吹いていたバスクラも知的な感じがしました。最後は全員での演奏。サンプリングがあって異種の楽器が入っていて、雑多ではないけれど様々な要素、色彩や造形が加わっているような感じがありました。作曲によってそれらが上手に構成されて、効果音というと語弊がありますが、映画音楽を聴いているような、映像に付けられた音楽を聴いているような、何かとても映像的なものを感じさせる、そんな印象を受けました。
エッグファームの斉藤和子さんもご夫妻でお見えになっていて、タイテルバウムと旧交を温めておられるようでした。