ライヴを観る


5/27(金) 〜  山内桂 ヨーロッパ&東京ツアー 詳細はこちら

6/24(金)・25(土)・26(日) シュトックハウゼン《リヒト=ビルダー(光=イメージ)》@アートスフィア天王州アイル



6月21日(火)
山内桂+大島輝之@入谷なってるハウス
山内桂(sax)+大島輝之(guitar)

今日は自分にとっては久しぶりのライヴで、しかも山内さんと大島さんの初共演だったのでとても楽しみにしていました。夕方家を出ると心地よい風が吹いてきて、蒸し暑い日の夕方の風ほどありがたいものはないと思うこの頃です。でもせっかくいい風が吹いているというのに、電車に乗るとやっぱり冷房がきき過ぎている・・・不粋だなーと思います。
こんな日はきっと何を聴いても面白いんだろうなーと思いつつなってるハウスのドアを開けると、店のレイアウトが変わっていてびっくり。何か素敵なカフェのような感じになっていましたよー。いつものステージを使わないで、演奏者は絵画が飾られている壁面をバックに、客席もそちらを向いて同じフロアで互いに交感するような感じになっていたのです。
で、最初がそれぞれのソロで、大島さんから始まりました。モノクロのちょっと見たことのないエレキギターでエレクトロニクスも使って・・・私は現場でこうして音を聴くだけでもう新鮮で楽しいという感じでした。やっぱりライヴはいいなー。で、山内さんもソロをやって、第2部はデュオ。大島さんはギターを膝の上に乗せて道具でちょんちょんつっ突いて弦を刺激するような感じで、山内さんのサックス音の邪魔をし過ぎないような感じだったと思います。この共演は過度に自己熱中しないようなあっさりとした感じがあってとても良かったと思います。山内さん、とてもいい音で演奏も研ぎ澄まされていたと思います。
終了後、山内さんに「今日は良かったんじゃないですか」と私。ヨーロッパ公演を終えて、何でも今朝8時に成田に到着したそうで、「こういう時の方が案外いい演奏ができるのかしら」なんて、一緒になって笑ってしまいました。素敵ではありませんか?大分からヨーロッパへ演奏旅行に行って、最後はここなってるハウス。で、少ないながらも本当に好きな聴衆に囲まれて会心の演奏ができるなんて。

6月25日(土)
シュトックハウゼン「リヒト=ビルダー(光=イメージ)」&「コンタクテ」@アートスフィア天王州アイル

25日シュトックハウゼンを観てきました。演目は連作オペラ「リヒト(光)」の最終場面、第3場「光の日曜日」の「リヒト=ビルダー(光=イメージ)」と電子音楽の古典的作品「コンタクテ」。「リヒト(光)」は、なんと上演に7日間29時間を要する大作なんだそうです。私にとっては、時間の隔たりはありますが、これでデイヴィッド・テュードア、ヤニス・クセナキス、そしてシュトックハウゼンと作曲家ご本人によるサウンド・オペレーションで演奏を聴く機会が持てたことになります。
で、最初が「リヒト=ビルダー(光=イメージ)」。これは自分としてはどう捉えたらいいのか、ちょっと困ったなーという感じでした。何も置かれていないステージに4人の奏者(バセット・ホルン、フルート、テノール、トランペット)が登場してきて、軽く動き回りながら演奏するという形式だったのですが、これを何と表現したらいいのか・・・奏者がまとっていた衣装とか雰囲気がシュタイナーの人智学的なイメージを彷彿させたのですが、音楽にはどことなくある種の"軽さ"のようなものが感じられて、これはひとつには、テノールの歌詞が単語(宗教的な)を並べているだけという、そういうところからも来ているのだろうかと思ったりもしました。23日にシュトックハウゼンによるこの「リヒト=ビルダー」をめぐるレクチャーとデモンストレーションがあったそうで、そういうものを作品を解釈する手がかりにするのもひとつの手だと思いますが、自分としてはあくまでも音楽を自立したものとして、自分の知性や感性や音楽的体験に照らし合わせて聴きたいという気持があります。そういった意味では、作曲家が語る言葉よりもむしろできることなら7日間29時間かけてこの作品の全体に向き合ってみたなら、自分なりに何かが掴めるかもしれないと思ったりします。
次ぎの「コンタクテ」になると、会場は真っ暗になりました。ステージにちょうど満月くらいのスポットライトが当てられて、その光の中だけで音を体験するという趣向だったのです。スピーカーの配置の関係とかもあったのでしょうか、音が非常に立体的に聴こえてくるような感じがしました。
演奏が終ると、会場からは拍手と歓声が湧き上がって、シュトックハウゼンは何度も何度もステージに上がってそれに応えるといった感じでした。自分が電子音楽に親しみ始めたのは遅い年代だったので、現代(いま)の若者には、シュトックハウゼンはこんなにも認知されているのかと驚いてしまいました。

8月2日(火)
<ナルチスの鏡>の超克と破壊 − 西洋音楽の最後の冬

8月に入ったので宿題をということで、間章がシュトックハウゼンについて語っている文章「<ナルチスの鏡>の超克と破壊 − 西洋音楽の最後の冬」を少しづつ紹介していきたいと思います。この文章は「時代の未明から来るべきものへ ー ニヒリズムとアナーキズムをめぐるヨーロッパ・フリー・ジャズ・シーンの根底問題について」という間章の思想の核心部分に関わる論考の最初の項目です。今この論考全体にざっと目を通してみますと、これを書くにあたってはかなりの逡巡と迷いがあったのではないかと推測される節も見られますし、私自身も共感する部分とそうでない部分とに分かれるところがあると思います。しかし、共感しない部分というのは、反対し反発を覚えるという意味ではなくて、私には読み解くことができないという意味です。それから、例えばここで名前が挙げられる個々のミュージシャンについて、その音楽の評価ということについては、これは良くてこれはダメというような断定的な評価を下すことができるものなのかどうか・・・そうですねー、間章的思考の中では、ものすごーく限定された個人の思想と視点の中でしたらそれもあり得ると思います。しかし、その時には先鋭的・先端的かつ絶対的だと思われていたものを、時代が相対的なものや個人の趣味に変えていってしまうということも往々にしてあり得るわけで、そうなると問題は、音楽をそもそもどういうものとして捉えるのかと、あるいは捉えるべきなのかと。これは間章がこの論考の中で触れていることでもありますが。
さて、先に申しましたように、この論考全体に触れ読み解くことはできないかも知れませんが、差し当たっては間章がシュトックハウゼンについて何を言っているかということに的を絞って紹介してみたいと思います。間章の言葉の羅列に終ってしまうかもしれませんが。

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