アネッタ・クレプスさんの5年ぶりの来日公演。この日は所用があったので、たどり着けるかどうか微妙だったのですが、何とか時間に間に合うことができました。
アネッタさん、少しあか抜けた雰囲気になっていたでしょうか。基本的にスポンタネアスな人。魅力的な演奏家だと思います。2人とも音数は絞られていたと思いますが、音が限られている分、個々の音のそれぞれの存在感が強く感じられて、刺激的な体験になりました。こういう音の存在感というのは、まさに場と共に強く立ち上がると思うので、ライヴに行く喜びはこういうところにあるのではないかと思います。
アネッタさんは、ノートパソコンをテーブルの上に置いて、膝の上にエレキギター。杉本さんは、前半はギターに赤いランプがつく小道具と百円ライターを使いました。後半はギターは使わず「音」のみ。というのは、最初にレジ袋に丸めたり広げたり?新聞紙を破いてどんどん小さくしたり、座っていた椅子をゆっくり引いて、フロアとの接触面から音を立てたり・・・アネッタさんのノートパソコンからは、ラジオみたいなナレーションが出て、エレキギターはあまり使わず、少し道具を使ってギターの弦にちょっとした刺激を加えるような感じだったと思います。
今回観てやっと気づいたことですが・・・謙遜でも何でもないですが、物事に気づくのがとても遅いタイプで、だからまだこういう所でウロウロしているのかな・・・杉本さんの場合、演奏性の中で何かを追求していくというのではなく、「どうやったら効果的な音を上げることができるか・・・」というのが最初にありき・・・という感じがしてならないのですがどうでしょうか?音空間にどうやって音を配置したら、そこに出現する音を効果的に聞かせることができるのだろうか?というアティチュードとでも言いましょうか。例えば世阿弥。たくさんあった椿を摘み取ってしまって一輪にしてその美しさを際立たせたという世阿弥(私の記憶しているところでは)。こういうアティチュードに通じるものがあると思うのですが・・・こう考えると、もっと音数が少なくて、間(ま)が大きなウエイトを占めている音楽も自分なりに理解できるような気がします。
こうなってくると、コンセプトというか思想は何ぞや!?というところまで問わざるを得なくなります。同人誌はまだ続いているのかな?不勉強ですみません。
アネッタさんの久しぶりの来日で、3日連続して観たいのはやまやまでしたが、大人はいろいろあるので残念ながら果たせませんでした。
追記
で、音楽の場合、その「効果的な音」というのが、聴き手に何かを気づかせるんだと思います。
秋山さんと大上さんの共演は2回目だそうですが、私が観るのは初めて。大上さんの演奏は知っていたので、秋山さんがどう出るか、2人合わせてどういう演奏になるのかが、とても楽しみで興味深く思っていました。前半、後半と各40分以上の演奏。大上さんの作業に付き合わされる秋山さんは大変ではないかなと思っていたのですが、何のその、秋山さんのインプロヴァイザーとしての良さがますます強く認識させられたかけがえのない一時でした。傾聴に値すると思います。本当に難しいと思いますよー、技巧を凝らさず、ノイズにもせず、演奏=作業だけで長時間前に進んで行くのは・・・。
きっちり演奏しながらも、両者ともパターンとかスタイルを感じさせるものは無くて、真っ白なところにそれぞれがランダムな足跡を付けて行って、その両方の足跡を一緒に見るともっと複雑な足跡になっていておもしろいみたいな・・・しかし、演奏している間は、やっぱり互いに交感するものがあって、それが次第に深まって行っているのかなー?音の掛け合いみたいな形では現われませんが・・・。
八丁堀というお江戸の真ん中あたりにこういうライヴハウスができていたんですねー。初めて行きました。昔からあった亀島橋というのを渡って行きます。堀部安兵衛、伊能忠敬、写楽がこの付近に住んでいたそうです。今はおしゃれな飲食店がちらほらとあって、そういうところはやっぱりジャズが流れていました。