ライヴを観る


2002年8月のLive Information

暑中お見舞い申し上げます。

8/3 「誰でも参加できるポータブルオーケストラの試み」第2回@planB
今回トフは、炊飯器の内釜としゃもじと鉛筆削りを持って参加しようと思っています。いい年してちょっと恥ずかしい気もしますが。一人でやっても面白くない。ここでは大方のコンセンサスがあるからやっていられるようなもんです。でも最終的には、ポータブルオーケストラ・オリジナルメンバーの皆さまと共演できるみたいなので嬉しくて楽しみです。

8/10 Meeting at Off Site vol.25
Oren Ambarchi(electric guitar)、中村としまる(no-input mixing board)、秋山徹次(acoustic guitar)
夏休みに引っかかっているので行けません(-_-)。

8/11 deluxe concert series 26
Oren Ambarchi(electric guitar)/広瀬淳二(self made instrument)+中村としまる(no-input mixing board)

8/23,24 All About Sachiko M@Off Site
23日Bar サチコ/24日Sachiko M,let'talk

8/23  鈴木昭男トーク&ミニライヴ@nadif
8/24  鈴木昭男ライヴ@コア石響
鈴木昭男さんのライヴがあります。ゴロ太さんに教えねばッ。

8/30 anode@ことにPatos(札幌市)
大友さんのアノードの札幌公演。観に行きたいなあと思います。帯広の親戚もついでに訪ねられるし。もう少し早く情報が掴めたらダムタイプの方を調整したのですが。30日の夜これを観て、31日3時のダムタイプに来れるだろうか。

8/31 dump type / Voyage@彩の国さいたま芸術劇場
池田亮司さんのダムタイプの最新作を観に行きます。




8月3日(土)
「誰でも参加できるポータブルオーケストラの試み」第2回@planB
講師:大友良英

最初にワークショップで行われたことを箇条書きにしてみたいと思います。

ここからは、参加した私の体験談になります。今回トフは、炊飯器の内釜とそれを叩くしゃもじと鉛筆削りを持って参加しました。正直言って、これだけの道具でどれだけのことができるのかという疑念も少しはありました。しかし、実際にやってみると、とても面白くて有意義でした。大友さんの方法論の一端も窺えた思います。
最初の「余韻の出るモノ」を使った5分間の演奏が良かったと思います。今までに聴かれることの無かった音が、一斉に声を上げて立ち上がるような感動がありました。大友さんや他の人たちの反応も最初が一番良かったようです。しかし、自分も修行が足りないのか、一番最初は無心に音を出すことができたのですが、2回目3回目となると、もっと上手くやろう、タイミングを考えてやろう(考えてはいけないのですが)という気持が先立ってしまって、変に力の入り過ぎたものになったと思います。
具体的な実践から書いてみますと、炊飯器の内釜をしゃもじで叩くと余韻が生じます。叩いてすぐに内釜の縁を押さえると短い音になります。長い音は鉛筆削りで鉛筆を削って出します。この3通りのシステムを使って演奏したのですが、まず、余韻の出る音は音量を変えることはできましたが、音色が変えられなかったので、何回も叩くと変化が乏しい感じがしました。鉛筆削りは、持ってきた鉛筆が短くて、長時間音が出せなくて失敗でした。で、こういう演奏に不馴れなこともあるのか、終わった後は結構へとへとになってしまいました。システムの中での演奏はしんどいと思いました。15秒間だけ即興演奏が許されたのですが、即興演奏が自由に気ままに演奏を楽しむことだけであるなら、その方がどんなに楽かと思いました。私の体験では、システムは即興演奏にコントロールを与える、それもかなり厳しいコントロールを与える一方で、その制約の中で演奏者がどう音を組み立てるかの自由は演奏者に委ねられている…そんな感じがしました。CD Anode を聴いた時に感じた制約と自由の問題が、ここでもまた頭をもたげてきたような気がしました。それから今回の体験を通じて思ったもう1つのこと、それは大友作品に参加するミュージシャンは、要求されるものがとても大きいということです。

8月20日(火)
南博(p)+大友良英ニュー・ジャズ・クインテット@新宿Pit-Inn
大友良英(guitar)、菊地成孔(t.sax)、津上研太(a.sax)、水谷浩章(bass)、芳垣安洋(drums)

ONJQ を観るのは1年ぶりくらいになるでしょうか。エネルギッシュでサックスにはジャズ独特の色気があって…久しぶりに聴くとああこれがジャズなのかという感覚がよみがえってくるような気がします。今日は南博3days へのゲスト出演。会場には入りきれないほどの人たちが集まりました。7月に発売された"ONJQ LIVE"(DIW-942)に収録された4曲に、ピアノが入るのを考慮してか、デューク・エリントンの「ブルー・インディゴ」と「ソフィスティケイティッド・レイディ」を加えるという構成でした。
最初がドルフィーの「ハット&ベアード」。前回聴いた時は、サックスがあの独特のテーマを吹くところばかりが目立って印象深かったのですが、今回は曲全体にシッポや羽根が生えて別の怪物のように変容していたので驚きました。こういう変化を体験ができるところにライヴの醍醐味があると思います。強烈だったのは、ベースとドラムをバックにした大友さんのギターで、曲の前半がすべてここに至るための前哨戦ではなかったかと思えるほどでした。すべてを観てきたわけではない私がこんなことを言うのはおこがましいのですが、ここ数年で大友さんのギターは進境著しいのではないでしょうか。それからウェイン・ショーターの曲「スウィート・ピー〜ゼア」(という曲名でよかったのかな?)。続いて大友さんの曲「フラッター」。これは「ええっ、これが大友さん?!」と思うくらい繊細で、ちょっとエキゾチックでノイジーで 複雑な感じの曲でした。サックスに持続音を吹かせる音響的なところもありました。ジム・オルークの「ユリイカ」は、オリジナルを聴いたことがありませんが、全然ジャズっぽくない曲でかなり変則的なリズムになっていました。

8月23日(金)
Bar さちこ@代々木Off Site
Sachiko M(sine wave,electronics)

さちこさんのソロを観るのは初めて。今日は3種類のエレクトロニクスを使った20分程度の3曲の演奏で、変化を楽しませてくれました。この人は、もともと器用で几帳面な人なのか…無駄の無いミニマルな表現で、しかもがさつなところが少しも無い神経の行き届いたパフォーマンスに感心しました。
最初に聴こえてきたのはサイン・ウェーヴの音。出音と間(ま)でメリハリを付けたものでした。次ぎは視覚的にも魅力的なアート感覚があってとても面白かったです。手元が完全に見えないように木の机の引き出しを利用して、その中でパフォーマンスが行われました。サイコロや耳かきや歯ブラシや定期入れがチラチラと見え隠れしました。先端が洗濯バサミ状になっている黒いコードを機器から引き抜いてケースに収めるところでパフォーマンスは終了しました。最後はつまみをひねったエレクトロニクスの持続音に少し変化を加えて位相を変えるというものでした。

8月24日(土)
鈴木昭男ライブ/もがりの音。@コア石響

鈴木さんのパフォーマンスは、全編アコースティック。すべてのサウンドアートの共通することかもしれませんが、音と響きに焦点を当てたものでした。

  • "ANALAPOS(むろびこ)" 1970年創作のエコー・インスツルメント
    アナラポスは、片方を観客に持ってもらって演奏。最初にヴォイスで響き具合を確認?で、専用スティックで叩く、指でコイルスプリングを擦る、など…インプロヴァイザーとしての鈴木さんが現われ出るよう。大きめのアナラポスを2本上下に並べた設置型アナラポス兄弟も登場。
  • "De Koolmess(スズキ・タイプ・グラスハーモニカ)"1975年創作
    ドラムのバチのようなもので軽く叩いて音を出します。指を水で濡らして擦ったりもします。
  • "stone-flute"
    自然石からできていて、鳴らすのが難しいらしい。「今を探らせてくれる"器"」だそうです。
  • "竹"/"新聞紙"/"石"
    ここらへんは、子供の遊びのような感じ。竹片を蹴るとカランと良い音がします。ここは床が大理石ですから。新聞紙を何枚か円形に並べて破いていきます。円は段々小さくなって、新聞紙も小さくなって中心に向かいます。新聞紙を破く音を聴き続けるのは刺激が足りないのか、眠気に誘われました。石は丹後の海から持ってきたお土産の音。カチカチ鳴らすと丹後の海の音がする?
8月24日(土)
黒田京子(piano,etc)+千野秀一(piano,etc)@in"F"

昼間、鈴木さんのパフォーマンスを観た後、夜は佐藤さんのお店in"F"に出向きました。昼から襲われていた眠気が頂点に達してきて、かなりぼんやりとした意識の中での音の聴取でしたが心地よい体験でした。自分にはちょっと懐かしいような、ラジオドラマを聴いているような感じがしました。耳を澄ましていると想像力を刺激されるような奥深さがありました。覚えていることを書いてみますと、黒田さん、千野さんのそれぞれがソロで詩を朗読しながらピアノを弾いたり、一方がピアノを弾いて、もう一方がドラムやアコーディオンや大正琴?を弾くというものでした。ピアノの連弾もありました。
演奏者自身が楽器を演奏しながら朗読をするという試みは、とても興味深いと思いました。ラジオドラマのようだと書きましたが、今日読んだ詩の場合は、言葉と音が常に重なって進行するといった感じではなかったと思います。むしろ、音の中に言葉が挿入されているといった感じでしょうか…。それに詩には意味を越えたというか意味に還元できない要素があると思うので、効果音を聴きながらストーリーを追っていくという感じにもなりません。もっと抽象的で凝縮された言葉と音の関係を即興の中で演奏者自身が探っていくといった感じになると思います。そして、千野さんの場合、私はそれに成功していると思いました。

8月30日(金)
Anode@札幌ことにPatos

大友良英(composition,electric guitar)、杉本拓(electric guitar)、秋山徹次(turntable without records and contact microphone)、西陽子(prepared17-string koto)、Sachiko M(sine waves and contact microphone)、芳垣安洋(percussion,drums)、一楽儀光(percussion,drums)、植村昌弘(percussion,drums)、イトケン(percussion,drums)、高良久美子(percussion,vibraphone)

札幌から帰ってからしばらくの間虚脱感に取りつかれていました。何かを書く気になれず、パソコンに向かっても少しも書けない自分の力不足を感じています。CD "Anode" の全曲ライヴ、これを世界に持って行ったら世界はアッと驚くだろうと思います。自分がここで空しい言葉を並べるよりも、ぜひぜひ実際のライヴを体験していただきたかったと思います。今書けるのは私が体験したほんの少しの言葉にできる部分でしかありません。
Patos は、札幌市琴似駅の地下鉄の構内に入り口があってそこから更に地下に降りるスタジオのような場所。会場では中央の観客を取り囲むように演奏者10人が客席に配置され、さらに演奏者の前後左右にもスペースが許す限り客席が用意されました。 観客の数は私が思ったよりも多かったと思います。最初がAnode 2と3 を続けた45分程度の演奏。音の響きを楽しむ体験でした。私の隣からは大友さんの音が大きく、少し離れた所からは別の音が距離感を持って聴こえてきます。自分のポータブルオーケストラでの演奏などはお恥ずかしい限りで、プロの人が出す音はとてもきれいです。暗めのライトがまた微妙な響きを聴くにはちょうど良い按配でした。遠近感のある音が空中を浮遊していくさまは、初演の時よりも遥かに美しく感じられました。私は去年の夏の夕べに中禅寺湖畔の笹林で見た蛍の小群を思い出しました。あの蛍も笹の葉の上でじっとしていたかと思うとフワーっと飛び立って行って実にランダムな動きをする…。目を閉じて聴いているとちょうどあの群れの中にいて、目の前や耳元を蛍が近づいて来たり遠ざかって行ったりするようです。あちこちからまるで自然のように生成してきてはスーっと虚空に消えて行く音は「音って何なんだろう?」という根源的な問いかけを呼び覚まします。
後半のAnode 1はがらりと変わってかなりノイジーな感じ。このパートでは、観客は会場を自由に動き回ることができました。私は他の人たちと同様に、それぞれの演奏者を近くで覗き込みながら会場をゆっくりと一巡した後、杉本さんの後ろの椅子に座って全体を眺めていました。すると、この立体的な音響空間の骨組みが自分なりに見えてきたような気がしました。ドラムセットを叩く4人のドラマーが4隅で屋台骨を支えていて、大友さんのフィードバックギターが大黒柱になっている、で、あとのミュージシャンは、それぞれが演奏者としての優れた固有性と自発性に基づいて演奏することによって、ランダムネスでカオスティックな深みのある音響空間の創出に一役を担っている…そんな感じがしました。そしてまたこのユニークなセッティングには、「音を聴く」という視点、音をどう聴き取るかという試みが大胆に取り込まれているところに私はかつてない斬新さを感じました。

追記
今日主催の NMA の沼山さんから、写真付きのAnode 公演のお礼のメールをいただきました(^_^)。

8月31日(土)
dump type : Voyage@彩の国さいたま芸術劇場

Anode の翌日はdump type : Voyage という日程。豊平川を渡ってお名残惜しい札幌を後にしました。羽田に着いたらその足で与野本町へ。彩の国さいたま芸術劇場で夫と友人2人と合流しました。
dump type を観るのは初めて。Voyage は1時間30分に満たないくらいの短かめなものでした。簡単に印象を述べると、マルチメディアを駆使したコラージュのような感じで統一的な印象はつかみ難くかったと思います。高度なテクノロジーの音楽や映像表現と普通っぽい身体表現が同居しているような感じでそのギャップも感じました。埋めつくされた数字がものすごいスピードで動いたり、レーダーから覗いているようなモノクロの無機質な映像に池田亮司さんのエレクトロニック・ミュージック。水辺の緑の木々がサワサワと動いたり、一輪の花が巨大に拡大化された鮮明なカラー映像に甘いメロディアスな音楽。動きを押さえたダンスに稚拙で未熟とも受け取れる学生演劇的な表現。終了後は、しばしあっけにとられたようなまばらに始まる静かめの拍手で「あの反応は何なのかな」と後で皆で話しました。自分にとってはどうしても観る必要があっただろうかという疑問符が湧いてくるようでした。

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