8月は夏休みモードに入るのか、観たいイベントを探すのに苦慮するのが常なのですが、今年は色々とあるようで、みんな頑張っているなーという感じです。ここに挙げたものでも行けない場合もあるし、ここに挙げないものでもふらーっと行く場合もあると思います。
うーむ、ヤバイぜ、ヤバイぜ、これはまた凄いジャズ・ユニットになる!ゲストの藤井さんはいみじくも言いました。「このユニットが持つ静けさは、武田和命カルテットを思わせる」と。
で、録音してきたものを聴きながら私は夫と「ふーむ、ここはこう来るのか、こういうのもありなのか」とニヤニヤ。というのは、私たちはずっとイトケンさんのドラムによる飛頭を聴いてきたので、藤井さんのドラムとの歴然とした違いを把握することができたからです。そして、例えば同じジャズ・ドラマーでしたら、どちらがいいとか中途半端な比較ができるのかも知れませんが、このユニットの中では2人は優劣つけがたく、むしろ表現の違いといった相貌を見せている。
藤井さんはやっぱりジャズのドラムなので、ジャズのフォーマットを創る。それは、わたし的にはいかなる局面でも必ず何らかのリズムを刻むという意味。そして、それについて来いというドラム。そして、イトケンさんの場合は、そういう中心をずらす場合があるとでも言えばいいのかどうか・・・特に初期の飛頭では、確かベースやピアノが前面に出てきているというようなことをレポートした覚えがあるのですが、4人がイメージを投げかけ合って創るアンサンブル。そして、私が飛頭を聴いてきたのは、とりもなおさずそこら辺に今までにない魅力を感じたからであって、それがもし、藤井さんのことではありませんが、いわゆるジャズ・ドラマーの方であったら果たして今まで聴き続けてきたのだろうかと。イトケンさんがドラムであることで醸し出されるある種の"軽さ"、そしてジャズからの逸脱と飛翔、それは何回聴いても飽きない飛頭の不思議な魅力でもあるのだと私は思います。
一方、藤井さんとは今回初顔合わせであるにもかかわらず、これはもう凄いジャズ・ユニットになるという印象。藤井さんのドラムは、ジャズというフィールドの中でみんなを凄いところに連れ出す力がある・・・もう鳥肌が立つったら立つぜ!
演奏曲目
1部 「ステラ・バイ・スターライト」「夏の医者」「クランブリング・スティープル」「オール・ザ・シングス・ユー・アー」「夜の東京放射16号」
2部 「テーマ・フォー・アーニー」「アブストラクト・フラワーズ」「ソウル・カウボーイ(パット・メセニー)」「ボディ・アンド・ソウル」「マチャーキーズ・ジレンマ」
15日はミドリさんが珍しくインプロをやるというのでナッテルへ出かけてみました。メンバーはベテランの猛者ばかりで、この中ではミドリさんは最年少とか。加藤さんを始めとして、上質なフリー・ミュージックを演る人は今結構いるのだなと思いました。山崎さんは、阿部薫との「jazz bed」の山崎弘さんかしらと思ったらやっぱりそうでした。弘改め
比呂志だそうです。高柳昌行さんとの共演も多いですねー。金属のモノをじゃらじゃら言わせて、ちょっと冨樫さん的な要素を取り入れていると思いました。ミドリさんはもう何でもできるし何をやってもいいと思いますが、やっぱりあのサックスの音、菊地雅晃さんとも「いい音だよね」と話したことがあるのですが、加藤さんもやはりいい音だと言って下さいました。
お盆休みで電車は空いていました。私は前日夫が田舎からもらってきたミニカボチャを手みやげに。
17日は電車に乗って深谷まで。egg farm に出向くのは久しぶりですが、やはり東京からはちょっと遠いと思いました。会場に着くと聴こえてくるのがスティーヴ・レイシーとジョエルさんのデュオCD。ここに来るとやはりレイシーのことを思い出します。笑顔が美しい人でしたね、レイシーは。ジョエルさんを観る(聴く)のも、前回はいつだったか忘れたくらい前のことになってしまいましたが、失礼ながら見た目はやはり年をとられたという感じも否めなくて(自分もそーだ)、また左手を傷めているそうであまり長時間の演奏はできないとかで、休憩時間のないワンセットの中での幾つかのセッションになりました。私は演奏中その太い左手を見つめてしまいました。ジョエルさん、レイシーのこととか色々な思いが詰まっている渾身の演奏といった感じがしました。佐藤充彦さんのピアノは、ひねくれ者の私からすると、昔から<上手すぎる=流れるよう>といった印象があったのですが、上手い人は上手いなりのアプローチがあるのだなと思いました。
ジョエルさん、前日のスーパー・デラックスでは、斉藤徹さん、沢井一恵さん、ブレット・ラーナーさんとの共演だったので、何か全員が打楽器的になりはしないかと想像してしまった私でした。また、行った人に思わず「ブレットさんは琴の上で駒を回しませんでしたか」と尋ねてしまいましたが、こういう言葉が発せられるのには、とにかくあらゆる技法/手法を使って珍しい音、変わった音、あるいは具体音やありふれた音を音として見つけてくるというインプロの在り方に袋小路を感じてきてしまった私は、"演奏性"ということへの捉え返しがやはり必要だと日頃思っていたので、そういう思いから来ているところがあるのかもしれないと思ったりします。もっとも、私が袋小路と感じていることを可能性と受け取る人がいても、それはそれでどちらが正しいということはないのかもしれませんが。
あと今日面白かったのは、演奏の終わり方が以心伝心、予定調和のようにきっちりとしていたということです。
homeogryllus japonicus orchestra vol.2 - Garden of Resonance(共鳴の庭) - という企画で原美術館に行ってきました。homeogryllus japonicus orchestra は、スズムシの鳴き声をアンプリファイ、ミキシングし、異化するGreat YEar soundings のパフォーマンス/インスタレーションだとか。美術館の中庭に入ると、スズムシがドデカイ声で鳴いておると思ったら正体は"コレ"なのでした。ホント、ドデカイというか、アンプを通すと鋭い音に変化しますねー。あと、今日はお鈴を擦る人の姿も見えたりしていたので、この響きも加えて音の強化を計っていたようです。
私たちはガーデン・パーティーか何かのように椅子に腰掛けて鑑賞。夜風が心地よかったです。夕方の風は、日が落ちて夜になっていくにつれて冷たく変化していくことに気づかされます。
で、最初が山川冬樹さんとhomeogryllus japonicus orchestra の共演。山川さんはアヴァンギャルド・ホーメイと称される倍音のヴォイス・パフォーマンスの方だそうで、長い髪に上半身裸でギターも少しやって、裸の胸に何やらコードを張り付けると思ったら、チラシにはこうありました。「本日は、近年より導入している電子聴診器や電気式人工喉頭といった医療器機を用い、自らの心臓の鼓動の速度を制御しながらそのリズムを光の明滅に還元する身体とテクノロジーをテーマにしたパフォーマンスを披露」とあります。見た目と音、共に怪しい雰囲気がいっぱいといった感じがしました。次ぎは、鈴木昭男さんとhomeogryllus japonicus orchestra の共演。鈴木さんは最初、確か磐石?だったと思いますが石を叩きながら登場。それからアナラポス、グラスハーモニカと演奏しました。鈴木さんのパフォーマンスを野外で観るのは実は初めてでしたが、ほんと素晴らしいですねー。見事なまでに自然と調和していると思います。アナラポスとグラスハーモニカは、サウンドアートの傑作中の傑作だと思います。そしてまた、これらを演奏する演奏性も素晴らしい。演奏が終って若い人たちが音具の周りに集まると、「マイクを通さなかったから皆さんのお耳に届いたかどうか、でも今日はスズムシが主人公だから」と鈴木さん。
私は今日はのばしかけの髪をアップにして、グレーのTシャツの上にやっと編み上がったマーガレットを羽織って演奏会場へ。すると、室野井さんもやっぱり髪をアップして同じようなグレーのコスチュームだったので驚いた!そう、今日はダンスと音楽の共演なのです。で、最初がノムラさんと西村さん。西村さんはベースギター1本で、演奏の方はよくわかりませんが、こんな風にベースだけを聴くのは初めてで、ギターと違ってこもった響きの地味な音だなーと思いました。除夜の鐘が108つ以上かな?で、終るきっかけがなかなか掴めなかったのでしょうか、延々と1時間30分くらい。ちょっと退屈してしまいました。千野さんが見かねて?ピアノで侵入。やっと終りになるという感じでした。
次は、室野井さんと千野さんでしたが、色々と変化をつけていたので面白かったです。途中で室野井さんさんが灯りを落とすよう指示して
カーテンを開ける。すると幾つかの窓から夜景が見えて、ここは7階なのでとても綺麗なのです。でもその後にもっと凄いことが。何と千野さんがピアノの中に入ってしまったのです。千野さん今日はサティっぽいところがあったかどうか?ピアノの弦の演奏もなかなかだと思っていたら、そのまんまピアノの奥へ奥へとすっぽり入ってしまった。で、仰向けになってピアノの蓋の裏を叩いたり、蓋を支えるつっかえ棒をいじったり、足でキーの上の蓋を開けたり閉めたりしてキーを叩いたり、で、そのまんま足の方から降りてきてピアノから抜け出る、それもまた演奏行為になっていて、何度か身体全体をキーに当てて転げ落ちる。うーむ、ピアノ史上こういうパフォーマンスを敢行した人はかつていたのでしょうか?夫に話したら「ピアノの所有者からクレームがつかないか」と。しかし、こういう行為自体は思いつけば誰でもできることかもしれませんが、それが必然的な一連の演奏行為になっているところには、千野秀一という探求者による有形あるいは無形の周到な準備があってこそだと私は思います。