来日した AMM / Keith Rowe のソロ。チラシに名前はなかったですが、杉本くんが共演するようなので、楽しみで大分早い時間に会場に着きました。ここは Locus Solus の小さなショップの地下のギャラリー。狭くも広くもなくて、ヨーロッパの民家の地下室のような所です。ショップのCDを見たり赤ワインを飲んだりしていると、ちらほらだった観客も演奏間際には一杯になりました。
それぞれのソロが終わった後、近くに行ってキース のテーブルを観察しました。table top guitar というのか、テーブル の上にギターを置いて演奏するスタイル。最近はこうした形態の演奏をする人は結構いるようです。ギターと一緒に演奏に使う幾つかの小道具が無造作に置いてあって、半分に切られたアメリカンエキスプレスカードがとてもカッコよくて(弦を押さえるのに使っていたようです)、テーブルの上全体がアートのオブジェみたいに美しく見えました。前の方で熱心に録音していた若い人たちが「アメックスに意味があるのかな」「そこまで深読みしなくてもいいだろう」何て会話をしていて微笑ましくなってしまいました。
演奏の方はというと、キース もさることながら、後半一緒にやった杉本くんがとても良かったです。海外
のインプロヴァイザーが来日して日本のミュージシャンと共演する場合、違和感を感じることの方が多いのですが、そういった感じが全くなかったです。いつまでも演奏の余韻が残っていて、その余韻は、別の今まで見えなかった世界が開かれたような感覚で、会場を後にして薄暗い夜の住宅街を歩きながら、いつまでもこの感覚が続けばいいなあと思いました。
Electro-Acoustic Quartet 来日公演の 初日。神奈川県民小ホールは3分の一くらいの客の入りだろうか。少し広めのホールだと空席が目立ちます。ステージがかなり高くて前の方からは見上げるような感じ。私もそうですが、後ろの席に移動する人が結構いました。テーブルの上にはエレクトロニクス関連の機材があれこれと並べてあって、これから始まる何かにワクワクしました。
フィラメント (大友良英+Sachiko M) によるオープニング・アクトからスタート。Sachikoさんによるサンプラーのサイン波と、大友さんのMDプレーヤーの接触不良音(間違っていたらすみません)?これは今までにない刺激的な音の体験でした。わずかに変化するミニマルでシンプルな電子音が、耳に張り付いてきてしまうような驚きの体験でした。「あれは何だったんだろう」と考えるのを余儀なくされるような強烈な体験でした。フィラメント はこのステージに立つ以前に、2年間で100回くらいライヴを行っているそうです。私は過去に一度もそれらに立ち会ったことがありませんでしたが、今日聴いた一連の音は、完成された美しいもののように思われました。
フィラメントが何であるのか、即興であるのか作曲であるのか、演奏であるのか音響の発信・出音であるのか、あるいはその両方であるのか、自分にはよくわかりません。ただ、フィラメントを実行する上での、コンセプチュアルなと言うかもう少し踏み込んだ思想的なものから出発して、それを実現する「うまくできた」と言うような技術的な達成・成果がなされた後には、次ぎの演奏はあるのだろうか、演奏をやる意味はあるのだろうかと言う思いが残ったのは確かなことでした。これは多分、自分だったら録音を残して完結するだろうなと思う主観的な感想から来ているのだと思います。
後半はエレ/アコ・カルテットの演奏。初日ということで、テンションが上がらなかったのか、あまりうまくいかなかったようです。フィラメントの集中力が物凄くてインパクトが強かっただけに、こちらの初ライヴ体験が気の抜けたものになってしまったのは残念でした。前半終了後に ローレンス・キャサレイ が Power Book を再起動していたので、トラブルがあったのかも知れません。
ノルウェーのビデオ作家の映像作品と エヴァンとの共演。ジョエル・レアンドル、マーク・リーボもこの作家のビデオ作品に音を付けているようです。映像はモノクロで、砂に描いた模様や顕微鏡の中を覗いているような抽象的で即物的な画像が超高速で少しずつ変化していく感じ。映像が変化するスピードがサックスのスピードによく合っていると思いました。エヴァンのノンブレス・マルチフォニックは、共演するどんなものをも面白くする力を持っていると思う。 原美術館は、元華族か何かの屋敷跡だったと思いますが中庭のある瀟洒な館といった所。エヴァンさんも「Nice place 」とお気に入りの様子でした。「(エヴァンさんは)凄く良い人だから、みなさん後でCDにサインしてもらって下さい」というアナウンスもあって、エヴァンさん本当に笑顔が素敵な素晴らしい方でした。
神奈川県民ホールとはうって変わって、今日はとても熱くてフリーな演奏。ECM の CD とはメンバーが違うけれど、どちらかと言うと静かで完成度が高いものが求められている?スタジオ録音とは趣きが違う感じ。完成度よりも熱さをフリーを全面に出していたように思われました。エヴァン・パーカーはやっぱり素晴らしかったです。ジョエル・ライアンのシグナル・プロセッシングは、エヴァンの音に電気的加工を施して会場に流しているとのこと。ローレンス・キャサレイは、キーボードを打ったりマウスをぐるぐる回す手つきにパフォーマンス性があって、見ていると面白くて自分もやってみたいような気になりました。超満員の客席からは「 great! 」という掛け声も飛んで、来日を待ち望んでいた人たちの熱い歓声が上がりました。
Egg Farm でのレイシー来日公演。4日連続の公演ですが、今日はソロがあるのでぜひ観たいと思いました。
マチネーがソロ演奏。ソロの時、レイシーはシリアスな表情になります。一人のアーティストとして、自己と他者に向き合う姿勢が私はとても好きです。レイシーの「終わりのない旅」はずっと続いているのだと思います。この日は『白鯨』の作者ハーマン・メルヴィルの他に良寛の名前が挙げられて、レイシーの日本文化に対する見識の深さを思い知らされるようでした。
夜の部までの合間に、演奏を聴きに来た人たちと外でバーベキューを食べることになりました。鶏舎の跡地に屋根だけを残したかなり縦長のオープンスペースで、電球が所々にぶら下がっていて面白い雰囲気があります。畑に囲まれたこの場所で夕方までの時間を安らいだ気分で過ごしました。だんだん空が薄紫になって行く良い時間です。
夜のトリオ演奏では、出だしが合わないところもありましたが、レイシーはただレイシーの音を聴くというだけで充足感があり幸せを感じます。
レイシー来日公演も今日で終わり。泯さんとのデュオは22年ぶりだそうですが、緊張感で張り詰めるというよりは、再会を楽しむようなリラックスした雰囲気が最初から伝わってきました。泯さんのダンスの後レイシーのソロ。「ブルース・フォー・アイダ」は自分の中ではあまりにも馴染みになっている曲。懐かしい感じさえします。
後半は二人の共演。レイシーが音楽以外のメディアの人と共演するのを観るのは初めてでした。完全即興によるものでしたが、ソロとはやはり違う感じ。レイシーは泯さんの動きをよく観ながら音を出している様子で、音楽で共演する時以上に、相手に対して献身的であるのが手に取れるような気がしました。「自分のカラーを出しすぎずに80%は共演者を優先させて、残りの20%くらいで自分の音楽を表現していく」と言う冨樫さんのレイシーについての言葉はこういうことなのかと思いました。
私は遅めに会場に着いたので、すでにほぼ満員。空いている席を探すのがやっとでした。地下にあるこのジャズクラブは「東京ユニフォーム」という会社が経営している所で、ファーストフードの店員のようなストライプのユニフォームを着た若い人たちが「いらっしゃいませ、今晩は」と出迎えるような所。アルコールの種類も多いようです。フリー・インプロを聴くには今ひとつの雰囲気で(他に場所がなかったそうです)、掛け声が良くて店員も大勢いる割にはサービスも今ひとつ。注文した飲み物が、前半が終了してもまだ来なくて、となりの人がいきなり文句を言ってくれてちょっとびっくり。
演奏は、とにかく3人でやるのが楽しくて仕方ないといった感じ。一人一人のベースの音がバラバラに聴こえてくるようなフリー・インプロをを期待したのですが、合奏のように音が揃ってしまったところが多かったように思いました。バールさんが、繊細で良い音を出しているなあと思いました。
「間ー20年後の帰還」展というのは、'78-'81年に欧米6カ所で開催された日本文化の重要な概念
である「間(ま)」について考察した展覧会のこと。スティーヴ・レイシーもパリで毎日通ったそうです。この展覧会は日本では開催されることなく解散したそうですが、今回は20年ぶりの里帰り。能舞台を模した「もどきの間」では関連公演として、期間中の週末に様々なパフォーマンスが行われました。雅楽や能などの伝統音楽の他に、千野秀一さん、今井和雄さんらのフリー・インプロ、武満徹さんの作品の演奏、田中泯さん大野一雄さんらの舞踏などです。
鈴木昭男さんのパフォーマンスは、古代の神事に使われたという磐笛(いわふえ)の演奏と自作のエコー楽器アナラポスの演奏でした。鈴木さんは磐笛を吹きながら舞台に登場。「ようこそおいで下さいました」という丁寧な挨拶をなさってから演奏を続けました。とても穏やかで物腰の柔らかい感じの方だと思いました。アナラポスというのは、コイルスプリングの両端に空き缶のような筒状の金属(ティンカンと言うらしい)を糸電話状につないだシンプルなオブジェ。片方を床に置いてもう片方を手に持って音を出すと、振動がこだまのようにもう一方に伝わる仕掛けになっています。で、コイルの線をこすったり、筒を鼓のように軽く叩いて音を出したり、口に当てて声を出したりします。私はこのパフォーマンスにとても感動しましたが、この一見単純な音具には、音響の要素とインプロヴィゼーションの多様な要素が盛り込まれているから面白いのではないかと思いました。アナラポスは'70年に発表された作品ですが、今観ても素晴らしいです。
追記
その後、ある人から特殊ブックレット付きのCD"Soundsphere"を譲り受けました。鈴木さんの創作インスツルメントー鈴木タイプ・グラスハーモニカと3タイプのアナラポスの演奏が収録されています。これらは、見た目はすっきりとしたシンプルなオブジェ/楽器ですが、インプロの演奏という観点からしても柔軟でテクニカルで素晴らしいと思いました。
「コンセプチュアルなアイディアとは言葉にすれば事足りるように思えるのだが、実際に演じてみると即興の中から道が立ち現われてくる」。「伝統という根のないインスツルメントその他を使って「今、何をしようとするのか・・」と、よく自身に問いかける。そうした世界にも直ぐに個人的ながら伝統が生じてしまう。開拓を欠く慣れを恐れ、インスツルメントの生まれた時点や素材そのものと我が耳の新たな出合いをこそ常に求めたいと思う」(鈴木昭男)。ブックレットを読んで、裸の耳で聴かれるべき時代を越えた音楽だと思いました。
トーマス・アンカーシュミット は、杉本くんが「ヨーロッパ即興音楽紀行2」で触れていたミュージシャンなので、聴いてみたいと思いました。まだ20代くらいに見える若手で、映像や造形もやっているようです。最近はアート
的表現の一手段として、フリー・インプロの世界に関わってくる人が結構いるのか?そのようなアート感覚=創造性に対する志向は、音楽や楽器をより解体する原動力になりうると思う。そう言えば、ご夫妻で Off Site を運営している伊東くんもアート系の方でした。
トーマスもそんな一人か。演奏は音のインスタレーションのような感じで、サックスの先に空き缶を当てて少ない音数をさらにコントロールしたりしていました。新しいことを試みてはいるものの、私はちょっと物足りない感じがしました。自分の感覚が新しい世代の感覚について行けなくなったのかとも思います。自分と同世代か上の世代の人の仕事というものは、自分の目ではっきりと見えるものですが、自分の後から来る世代の創造的な仕事についてはなかなか見え難いところがあると思います。「あらゆる音にヒエラルキーはない」と言ったジョン・ケージの言葉を頭では納得し理解しているつもりでも、実際の自分の感覚とはズレがあるのを実感させられます。
ジョエルさんは、来日して既に15回のコンサートをこなしているとのこと。クリスマスが近い今日は全身黒づくめで、ベルベットのプルオーヴァーがチャーミングでした。弓を鼻に挟んだり、いきなりクリスマスソングを歌い出したりして、いつもの自由闊達さを発揮していました。コンサートの始めに、内橋さんがオール弦楽器のメンバーを紹介して、「全部で十何弦」と言いましたが、全員で集中的に楽器に向かって互いの音を打ち消してしまうような大きな音になった時、ジョエルさんがいきなり弾くのを止めてしまったのが印象的でした。
その後、ミュゼ誌にジョエルさんのインタビューがありました。彼女は初期の company にも参加しているので、デレク・ベイリーなどイギリスの即興の影響下にあると私は思っていましたが、そうではなくて、ジョン・ケージとジャチント・シェルシという二人の現代音楽家の名前が挙げられていました。ケージからは精神性 - 「自由」を、シェルシからは演奏家としての心構えを学んだようです -「個の内面性、演奏者は各々が自分の極限的な音を探しださなければいけない」。ケージについての発言は自分もわかる所があります。「ケージは、けっして音をヒエラルキー化しようとはしなかった。どんな音も。全ての音は等価で、そこには特権もない、制度もない。だから、彼は音楽的であるとともに、政治的でもある。彼は徹底したニヒリストだった。もちろん、全てのヒエラルキーを無に化したという、肯定的意味において。ケージの世界は自由だ。でも、各々が、その自由の中で自分自身であらねばならない、その責任を持つ」。とても政治的でフランス人的な発言だと思いました。彼女の演奏においてフリーは、自由を志向する強い精神性に支えられていると思いました。これは自分も強く感じる感覚です。
「日本が大好きです。ありがとうございました。あと二つ遠くでコンサートがあります」。が、ジョエルさんのこの日最後のあいさつでした。
杉本くんは、初めて演奏を聴いた時とてもユニークだと思いました。音に優しさや暖かみがあって、どことなく彼岸的ではかない感じがすると思いました。その後何度か聴いたライヴでは、必ずしも完成度が高いとは思えないところもありましたが、フリー・インプロを深く聴くようになって、この音楽が持つ未完成さやとりとめのなさも愛せるようになりました。超絶技巧と言われるようなテクニカルなものよりも、その人らしい個性や表現に引かれます。杉本くんを聴くと「インプロの真髄は、それが存在する瞬間と同じくはかないものかもしれない。インプロは瞬間の祝福と考えることができる」と言ったデレク・ベイリーの言葉が思い起こされます。
今日はクリスマスイヴのコンサート。Brett さんは素敵な企画をするなあと思いました。Delux は、麻布十番にあるロフト風の建物で、内部は狭からず広からずといったところ。電話も水道も見当たらず、暖房も石油ストーブが一つ置いてあるだけです。地下鉄大江戸線の出口からしてパリの地下鉄みたいで、ここは外国のような雰囲気があります。通りに面している壁やドアがガラス張りになっていて、今夜は灯りが漏れていて何やら素敵な雰囲気です。中に入るとステージにクリスマスツリーが飾ってあって、水に浮かべたローソクが幾つか床に置いてありました。幻想的な感じがしました。私は、用意されていたミルクとクッキーをいただきながら、良いコンサートになるような予感がしました。ローソクとツリーの灯りの中だけで演奏が始まりました。とても静かなインプロ。何色かの電球が刻々と付いたり消えたりするツリーの灯りと、揺らめくローソクの炎とが、まるで音楽とシンクロしているような感じです。最高の舞台が用意されたと思います。最後の何音かを聴いた時、何とも言えないゾクゾクするような感覚が走りました。冬の夜の夢のような一夜でした。
風巻さんのホンキートンクアンサンブルは、ユニークなフリー・インプロを展開するグループ。しばてつさんがメンバーだった時は特に好きでした。しばてつは、鍵盤ハーモニカを中心にトイピアノやバードホイッスルなどの小物楽器からコルネットやヴァイオリンまで演奏する兼業即興演奏家。現在は本業のお仕事が忙しいのか、あまり活動をされていないようです。変則的な力強いリズムで風巻さんがアンサンブルをリードして行くと、メンバーが出す色々な音が、おもちゃ箱のように次々に飛び出して来て、時として未知のとてつもないサウンドスケープが一杯に広がってくる面白さがありました。アンサンブルは、かつてレコーディングを試みたものの、細かい音がとれなかったそうで、私はもっと前からライヴを観て会場で録音しておけば良かったと思います。しばてつさんが抜けて大蔵雅彦さんに交代してからは、ちょっと大人しい感じになって、ユニークさもいささか後退したかなという感じもします。
今日は、何年か前からコラボレーションをしているダンスの神蔵香芳さんとの共演。私が観た前回までの完全即興による音作りではなくて、場面転換などを考慮に入れて構成して「決め」を作っているようでした。それから今回はヴォーカルが加わって、それはもう少し前衛的な感じかなと思ったのですが、ギターを手にして「二人の〜カーニバル〜」と歌うような結構情緒的なものだったので、甘いメロディー的な要素が入ってきてしまったようでした。全体としては、分かりやすくて聴き易い整理されたものに仕上がっていたのではないかと思います。大蔵さんが普通にサックスを吹くのを聴くのは初めてでしたが、素の音は癖がなくてきれいだと思いました。