とかちゃんの「ほけほけ日記」

「ほけほけ」と、その日に想う言の葉の断片を、ただ並べ綴るのみの日記です。

5月11日

「先週のステータス」

読書

「黒伊佐錦・春薩摩旬(とき)あがり」は、先月に鹿児島へドライブに出かけた時の購入品。極めて軽やかで華やかな味わい。福岡ではこういうのは全く見かけないので、非常に運が良かった。

5月6日

「先週のステータス」

読書

「最近の私」

帰還。信州まで車中2泊。開運堂の菓子が食べたくなったのが理由。

「お買い物」

例のフタバ図書テラ。

5月3日

「最近の私」

旅に出る。

4月29日

「ほけほけ日記について」

書く気力が起らない。記述する自己を肯定する力が涌いてこない。かなりまずい。

4月27日

「先週のステータス」

読書

4月21日

「お買い物」

小倉の喜久屋書店にて。

4月20日

「先週のステータス」

読書

4月19日

「お買い物」

天神のタワレコにて。

4月13日

「先週のステータス」

読書

九州国立博物館「国宝 大絵巻展

取り敢えず行ってきた。「源氏物語絵巻」や「鳥獣戯画」が展示された、京都国立博物館に比べ、見劣りがするのが残念。まぁ、これが地方の限界である。

4月12日

「最近の私」

もうだめぽ。

薬師の森遺跡:中世の遺跡、木棺墓から青磁7点−−大野城 /福岡」(毎日新聞 4月11日)

 大野城市教育委員会は10日、薬師の森遺跡(同市乙金3)の調査で平安時代末から鎌倉時代初頭につくられた木棺墓の中に、青磁7点(碗(わん)2点と皿5点)が副葬されていたと発表した。【川上敏文】

 遺跡は、大城山(四王寺山)西側の丘陵地にある。今回は区画整理事業に伴う第3次調査で、約400平方メートルを発掘した。見つかった木棺墓は縦1・8メートル、横0・8メートルの長方形で南北方向にあった。被葬者は北まくらの位置で埋葬されたとみられる。

 副葬品の青磁器は頭の付近に置かれていた。青磁碗(直径16・5センチ)は12世紀後半に中国・浙江省(せっこうしょう)の龍泉窯系と呼ばれる青みがかった緑色をしていた。皿(同9・5〜11・0センチ)は福建省で生産された同安(どうあん)窯系で黄や、茶色味を帯びている。乙金地域では、中世時代の墓は今回を含めて10基が見つかっており、うち7基に青磁や白磁が副葬されていた。

 市教委は「乙金地区は地域に貢献した小規模単位で有力者が存在していた。貿易地だった博多に近く、青磁や白磁はそこで買い求めたのではないか」と見ている。12日午後2時から現地説明会(乙金浄水場東側)をする。問い合わせは同市ふるさと文化財課092・501・2211。

行ってきた現地説明会を貼る。

4月6日

「先週のステータス」

読書

「最近の私」

休日出勤のつもりだったのだが、予定が無くなってしまった。悪い意味で。

急の休みほど、何かしようという気が起きない。それ以前に、昨日の件で腹が立って仕方が無い。取り敢えず、キーマカレーにコルマカレー、そしてタンドリーチキンを作る。キーマカレーは、ターメリックを多めに。精神安定に役立つらしい。

4月5日

「最近の私」

予定外の休日出勤。私が開発しているシステムにデータを伝送する、私の担当外である相手側システムで、データの不備が発覚。明日の移行作業目前にして、中止を決定。此方に落ち度が無いにもかかわらず、移行作業は延期となった。

このような状況に陥っても、相手側システムの開発担当者は、瑣末な問題ばかり固執する。あたかも、その瑣末な箇所だけが問題で、この事態でなぜ移行中止となるのか、理解し難いとでも言わんばかりに。こちらが相手側の問題点を列挙しても、まるで他人事のように、耳を貸そうとしない。そのふてぶてしい態度に、怒りを通り越して呆れ果てる。

来週からは、担当外のシステムであるにも関わらず、問題システムの現状分析と問題点調査に取り掛かる予定。人のシステムに手を付けるということは、その担当者のプライドを傷付けるということでもある。なれば、さらに話がこじれる可能性もあるわけで、何とも頭の痛い話である。

4月3日

「最近の私」

帰宅が遅い。そして、帰宅しても直ぐに寝付けるほど私は器用ではないので、1時間ほどリラックスする時間が必要となる。ということで、睡眠時間はさらに削られている。

そのリラックスタイムで紐解くのは、最近はロードマップが多い。それも東北や北陸のような遠い場所ばかり。すでにGWは休日出勤が決定しているのに。

4月1日

出土木簡に年号 国東市の飯塚遺跡 律令制普及裏付け?」(西日本新聞 4月1日)

 国東市教委は31日、同市国東町鶴川の飯塚遺跡から出土した多数の木簡に「承和2年」(835年)の年号や稲の収納状況を示す文字があったと発表した。木簡の年号判明は県内で初めて。市教委は「律令(りつりょう)制度が国東半島に行き届いていたことを裏付けるものではないか」とみている。

 飯塚遺跡は8世紀末‐10世紀初めの倉庫や住居群跡。1999年1‐11月に発掘調査が行われ、木簡のほか、墨書土器や須恵器、土師(はじ)器が出土した。市教委は木簡の保存処理を奈良文化財研究所に依頼、研究所が赤外線で調べていた。

 木簡や木片には、田の耕作者数や信仰などに関する文字があった。年号が判明した木簡は「倉札(くらふだ)」といわれ、米の管理に使われた。長さ84、4センチ、幅6、7センチ、厚さ1センチ。835年10月‐12月に収納した米の量が表裏両面に記されていた。収納責任者名も確認できた。

 飯塚遺跡からは倉札を含め52点の木簡が出土。1つの遺跡から大量の木簡が見つかるのは珍しく、市教委は「荷が多く集まり、近辺に郡衙(ぐんが)(役所)があったのではないか」と話している。

 木簡は同町の市歴史体験学習館で4月12日‐5月6日に展示される。

仕事が切羽詰ってくると、どこか遠くの場所の事ばかり気になる。

国東町鶴川は、宇佐宮やその神宮寺である弥勒寺の荘園が殆どを占めている国東半島で、数少ない公領である「国東郷」のあったとされる場所。郡衙の存在が、後の国東郷の在り様を示したといえるかも知れない。

3月31日

「最近の私」

納期直前。追い込み。だが体調が未だ万全でない。

3月30日

「先週のステータス」

読書

「明日の地方都市」は、著者本人からの頂き物。というか、ありがとうございます。

長崎歴史文化博物館・特別展「屏風 −将軍からの贈り物−」

オランダ・ライデン国立民族学博物館が所蔵する、屏風10双の特別展示。これを機会に、久しぶりに長崎を訪れてみる。但し、運転するのがめどいのと読書もしたいので、今回は珍しくJR特急を利用する。ガソリン代が高騰する現在、費用はあまり変わらないのだ。

この屏風、江戸幕府がオランダから軍艦を献上されたその返礼として、幕府御用絵師を中心に製作されたものである。主に狩野派の絵が多いのだが、近世初期に確立された画法を幕末まで墨守した、或る意味マンネリズムに陥ったような作品である。しかしながら、この屏風の用途とは「交換」のためである、そのための記号として描かれた作品として観ると、その意図が却って面白い。例えば、「四季耕作図屏風」で描かれる農村とは、本来題材にされる中国風のものではなく、全て日本の農村として書き換えられている。鷹狩や賀茂競馬、そして武者絵は、幕府という存在意義を外部へ表出する過剰な意思が垣間見える。これらを「作品」として評価するだけでは、この屏風の意義は語りきれぬ。

歴博を出た後は、「吉宗」で食事。アレルギーが怖くて、「吉宗」の茶碗蒸しが食えるか。

甦る出島

午後は出島跡を訪れる。昔は、「日本三大がっかり名所」のひとつだった出島だが、今では「出島和蘭商館跡復元整備事業」により、復元された建物が並ぶ、観光スポットとして蘇っている。お勧めは、カピタン部屋や一番船船頭部屋で、復元された室内は非常に魅力的。ただし、一軒ずつ見て廻る展示施設なので、結構足腰を使うので注意。

帰りは「白いかもめ」で帰宅。往路は殆ど混雑しなかったのだが、復路は諫早ですでに満席。その混雑の中で、惰眠を貪る俺。本当に久しぶりの、至福の休日であった。

3月29日

「最近の私」

体調が戻った時には休日。若い時はラッキーだと思ったものだが。

とりあえず自宅の掃除、散髪、そしてお買い物。

「お買い物」

春日の西友にて、吉川国工業所製のCD用コンテナが売られていたので、2個購入。もう入手できないと思っていただけに、安堵。棚を使わうことなくCDを押入れに保存できる優れもので、なぜこんな良い製品が普及していないのか、不思議である。

「お買い物」

例のフタバ図書テラにて。

ジェラテリー「ヒトラーを支持したドイツ国民」は、先週の日経新聞の書評で取り上げられた本。その書評なのだが、「下からのファシズムを描く」などという、或る意味オマヌケな同語反復が掲載。「『上からのファシズム』が普通と思う日本人の方が異常」というツッコミの意味を込めて、購入。高かったょぅ。

「身分的周縁を考える」は、「身分的周縁と近世社会」シリーズの完結巻。発売遅すぎ。

3月28日

「最近の私」

体調が戻らぬのに、出勤。悲しい。

3月27日

「最近の私」

ついにダウン。だが半休。全休は不可。

3月25日

「最近の私」

年度末で忙しいのに、体調が悪い。耳の奥と喉が痛い。半年振りの症状である。

3月23日

「先週のステータス」

読書

サイードの本の感想は、「またつまらぬものを読んでしまった」。というか、本当に疲れているのだ。

「最近の私」

自宅で仕事。

3月22日

宝満山遺跡から礎石や瓦が出土、宝塔院の可能性も…太宰府市」(読売新聞 3月21日)

 太宰府市教委が発掘調査を行っている同市内山の「宝満山遺跡」で、平安時代のものとみられる建物の礎石や瓦などが見つかった。宝満山には10世紀前半に天台宗の開祖最澄の発願による「筑前宝塔院」が建立されたとの記録があり、市教委では「証拠はないが、(遺構が)宝塔院の可能性も否定できない」としている。

 広さ約25メートル四方の土を盛った基壇(高さ約2メートル)の中央部で、約8メートル四方の正方形の建物跡の礎石と、礎石が置かれていたと見られる穴計16か所を確認した。基壇の周囲には土留めの石列があり、南側と東側には階段があった。

 遺構からは8〜11世紀の土器や瓦、金銅製の仏像(高さ12センチ)が出土。同市教委では瓦の様式から「9〜10世紀に仏教関係の施設があった」と推測している。塔だったかは不明。

 市教委によると、筑前宝塔院は最澄が国家鎮護のために比叡山など全国6か所に建立しようとした塔の一つ。それぞれに法華経千部を納めていたとされ、宝満山には937年(承平7年)に建立されたとの記録が残る。また、宝満山遺跡の上には約30年前までお社があり、ご神体には「宝塔」の文字が刻まれていたという。

 市教委は22日に現地説明会を開催。午後1時に同市内山の竈門(かまど)神社駐車場(利用料400円)に集合すれば、職員が山道を約20分登って現地に案内する。雨天決行。問い合わせは同市文化財課(092・921・2121)へ。

行ってきました。寺院関係らしき遺構ということで、お坊さんが何人か見受けられた。

場所は、竈門神社から宝満山山頂に抜ける尾根筋の途中。妙見祠の跡が草叢の中に埋もれていた場所である。それにしても、妙見菩薩といえば北辰つまり北斗七星を神格化したものである。その北斗七星そして天台宗寺院といえば、摩多羅神や新羅明神といった、海外から来たおぞましき異神が連想可能である。

「山岳と異神」

なぜ山岳宗教と異神を連想したがるのかというと、福岡県には香春山という事例もあるからだ。「昔者、新羅の國の~、自ら渡り到來」したという、なにやら疫病神の如き由来の存在は、山岳宗教における異神の包摂という現象そのものである。

3月21日

「最近の私」

仕事がきついです。精神的に。

「お買い物」

というより自棄買い。小倉の喜久屋書店にて。

3月20日

8世紀後半の円面硯出土 中津・諸田南遺跡」(大分合同新聞 3月15日)

 中津市教委は二十日午前十時から、同市諸田の諸田南遺跡(古池地区)で現地説明会を開く。本年度発掘調査で、同遺跡から弥生時代から平安時代の建物の柱跡、円面硯(けん)、製塩土器、土(は)師(じ)器など多数の土器片が出土した。

 同遺跡は、二〇〇二年度の中津日田道路建設に伴う調査で見つかった。古墳時代から中世に至る集落跡が発掘されている。

 〇六年度調査では、古代のたこつぼなどが出土した。現在は圃場(ほじょう)整備に伴う調査で、〇九年度まで続く。

 本年度の調査は、JR日豊線南側の約六千平方メートルで実施した。弥生時代の土坑、古墳時代の竪穴住居の柱跡、耳(じ)環(かん)が出土した土坑、奈良・平安時代の掘っ立て柱建物三十四棟、たこつぼを焼いた土坑二基などを検出した。

 ほぼ同じ層にすべての時代の遺構が見つかったのが特徴という。

 主な出土物は、八世紀後半の「円面硯」の一部で、役人や僧侶などが文字を書くために使ったと考えられる。製塩土器は鉢のような形で、粗塩を作るために使った土器。直径二十センチの大型食器も見つかった。

 当日は同市教委文化振興課文化財係の調査員が説明。出土物も展示する。雨天中止。問い合わせは市歴史民族資料館内の同係(TEL0979・23・8615)へ。

太宰府から片道三時間近くかけて、中津市まで足を伸ばす。

3月18日

「お買い物」

小倉駅前のクエストにて、昨日に購入した本。忙しいと、楽に読める本ばかり手が伸びる。

E.W.サイードの言明は、イスラエルがパレスチナ人にした事と同等の野望をPLOが抱いた過去に言及しないあたり、悪い意味で「戦術的」に見える。また、例の「オリエンタリズム」批判も、相変わらず西洋中心主義に対する「決まり文句」に堕しているような気が。彼の言説に垣間見える、月下の人間が地政学の外部で人権を望み得るかのような夢想には、正直嫌気しか感じない。

清原なつのの単行本購入は、おそらくは十数年ぶり。描かれた登場人物の瞳から湧出するファンタズマゴリーによって、筋立てを超えたところにあるものを語らせる、彼女独特の詩学は昔と変わらない。

3月16日

「先週のステータス」

読書

黒糖焼酎「まんこい」は、樽で熟成したもの。度数が低いラム酒のような味わいが良い。惜しむらくは、この銘柄名ぐらい。

「最近の私」

午前は自宅で仕事。午後は会社の行事に強制参加。休む暇無し。

「宮の前遺跡:墨書土器、大型建物跡を発掘 古代「郷庁」か−−添田 /福岡」(毎日新聞 3月14日)

 添田町教委は13日、同町中元寺の「宮の前遺跡」の発掘調査結果を発表した。文字を記した墨書土器や珍しい緑釉(りょくゆう)陶器などが出土し、大型建物群の遺構が確認され、奈良末期〜平安期前半で最小の支配単位だった「郷」の役所「郷庁」跡とほぼ断定した。町教委は「国府級遺構でしかみられない遺物が多数出土し、古代律令制下の地方公領の様子を知る上で極めて貴重な成果を得た」としている。

 調査は昨年10月から水田の基盤整備事業に伴い、約7000平方メートルで実施。出土物は墨書土器、祭祀用の製塩土器、カマド型土器や、中国(唐)が初めて貿易用に輸出した「越州窯」系青磁片など計約1000点。遺構では大型建物(幅5メートル、長さ10メートル、推定高さ7〜8メートル)8棟を含む2群19棟の柱跡や、役所間道路の可能性がある水路遺構が確認された。

 墨書土器は須恵器で、裏面に「来」と書かれた土器片(復元直径約12・5センチ)と「寺」と書かれた土器片(同約14センチ)。わずかな痕跡を赤外線解析した。「寺」は役所を指すが、「来」は当時、「麦」を指す場合もあり、明確な意味は不明という。

 田川地区には全国を国・郡・里(郷)に分けた律令制で4郷がおかれ、中元寺地域は「位登郷」14ケ村の一つ。大分・宇佐神宮に伝わる平安末期の記録「宇佐大鏡」によると、周辺には当時、虫生(むしお)氏という豪族がいた。

 町教委の岩本教之学芸員は「平安貴族が好んだ緑釉陶器も、鴻臚館―大宰府―朝廷ルートでしか見られない越州青磁も、政府が地方勢力に授けた権力の象徴。虫生氏が『郷長』だったのかもしれない」と推測する。

 その上で「全国的に例がない遺跡になる可能性がある」と指摘。未調査部分(約6000平方メートル)があり、木簡など虫生氏を示す遺物が見つかれば「なぞの多い古代地方組織に関し、文献を考古学的に裏付ける極めて貴重な例となる」からだ。

 調査終了部分は今月中にも埋め戻され、遺跡は失われる。町教委は16日午後1時半、出土遺物公開を含めた現地説明会を開く。町教委は0947・82・5964。【林田雅浩】

行けなかった現地説明会の記事を貼る。

3月15日

「最近の私」

休日出勤。

大刀洗・下高橋官衙遺跡:南門の機能消滅? 正倉院区画調査、あす現地説明会 /福岡」(毎日新聞 3月14日)

 大刀洗町教委は13日、奈良時代の郡役所跡の国指定史跡「下高橋官衙(が)遺跡」の正倉院と呼ばれる区画の調査が終わり、全容が明らかになったと発表した。15日午前10時半から、現地で説明会を開く。

 同種の郡役所跡は全国に約600、県内には12カ所ある。下高橋官衙遺跡は92年から断続的に調査を実施してきた。政務や儀式を行う郡庁・曹司院があった区画と、当時の税であった米を保管する倉庫群があった正倉院区画が隣接している。

 今回の調査は2月初旬から約1カ月行い、正倉院区画の南門から伸びる道路側溝を壊し、大きな掘立柱建物(長さ約18メートル、幅約7・5メートル)が建てられていたことが分かった。町教委は「通常、正面とされる南門の機能が失われていたことを意味し、隣接する郡庁・曹司院との往来に便利な東門を利用していたことが分かる」と説明している。

 同町委によると、両施設の規模、構造、建物配置がこれほど明らかになった例は少ないという。現地説明会は約30分間で小雨決行。問い合わせは同町委0942・77・2670。【平野美紀】

行けなかった現地説明会の記事を貼る。

3月13日

「銀河」14日ラストラン チケットは30秒で完売 ホームにはファン大挙」(産経新聞 3月13日)

15日のJRのダイヤ改正のあおりで、東京−大阪間を走る寝台急行「銀河」などブルートレインと呼ばれた寝台列車3本が引退する。なかでも「銀河」が発着する東京駅ホームは14日のラストランを前に、連日、鉄道ファンや家族連れが詰めかける熱狂ぶりだ。ブルトレは昭和50年代に一大ブームとなったが、新幹線延伸や深夜バスの台頭などで廃止が相次ぎ、ダイヤ改正後は残り6列車となる。一方、13日に開業20年を迎える青函トンネルにも平成27年度までには新幹線が走ることが決まっており、豪華列車として人気のブルトレ「北斗星」の“将来”もまだ見えないという。

そういえば「なは・あかつき」も廃止となる。博多の到着時刻が、ちょうど博多発の在来線が少ない時間帯なので、自宅に帰ろうとも接続が悪く、非常に不便な列車であった。十数年前に2・3回ほど利用してみたのだが、そのたびに早朝に博多駅で待たされて、いい加減嫌になったのを覚えている。私は毎年奈良京都を訪れているのだが、それにも関わらず、最近十年間は寝台車を利用する事はなかった。恐らくは、客車ゆえにダイヤの障害となったために、同時刻の普通列車の設定が困難だったのだろうが、あの不便さは結局解消されなかった模様。

3月9日

「先週のステータス」

読書

本郷野開遺跡:県内最古の馬の土壙墓2基 5世紀後半から末ごろ−−大刀洗町 /福岡」(毎日新聞 3月6日)

 大刀洗町教委は5日、同町本郷の本郷野開(のびらき)遺跡で、5世紀後半から末ごろの馬の土壙墓(どこうぼ)2基が見つかり、馬具や馬の歯が出土した、と発表した。【平野美紀】

 県内の馬の土壙墓31例中27例が小郡市の三国丘陵に集中し、いずれも6世紀中ごろ以降のもの。今回はこれより約100年古い県内最古で、福岡大学人文学部の桃崎祐輔・准教授(考古学)は「渡来文化や馬に関する技術伝来を知る上で貴重な資料」と話している。

 土壙墓は土葬の墓で、馬の土壙墓は全国に約100例ある。今回の調査は、町有地の活用を前提に昨年10月〜今年1月、縄文時代から奈良時代にかけての本郷野開遺跡のうち、約2200平方メートルで発掘調査した。

 一方の土壙墓(長さ約1・7メートル、幅約1・2メートル、深さ約0・6メートル)からは、鉄製だ円形の轡(くつわ)など馬具一式が、残りの土壙墓(長さ約2・3メートル、幅約1・3メートル、深さ約0・76メートル)からは、鉄製F字型轡などの馬具と馬の歯(長さ約7センチ)などが見つかった。馬具は形式から、百済など朝鮮文化の影響を強く受けたものだった。

 馬具などは8、9の両日午前8時〜午後5時、同町冨多の大刀洗ドリームセンター郷土資料室で公開される。入場無料。

早起きして、行って来た。会場は、町役場に併設された文化会館の如き施設で、町内の遺跡やその出土品を展示している一室。

この遺跡は、弥生時代の環濠集落や奈良時代の建物跡などが既に出土している場所である。現地は行った事は無いが、パネルの地図を見る限り、微高地上にある遺跡である。古墳時代の遺構としては、竪穴式石室を伴った古墳が6基ほど既に確認されている。その古墳に近い場所で確認できた土壙墓から、馬具や馬の歯などが発見された。因みに、この地より少し離れた場所では、百済系の須恵器が発見された遺跡もある。

福岡県内では馬の土壙墓が31例発見されているが、その殆どが6世紀中頃のものであるとの事。この土壙墓は、出土した遺品から5世紀後半頃と考えられており、福岡県内では非常に珍しい時期の遺跡だそうだ。馬は5世紀頃に朝鮮半島から日本にやって来たとされ、国内では地域の権力者にとっての威信材として大切に扱われていたと考えられる。埴輪や装飾古墳で馬の意匠が用いられるのは、その現れである。福岡県は朝鮮半島に近い場所にあるとはいえ、馬の普及はさほどでもなかった模様である。係員によれば、むしろ宮崎県の方に、古い時代の馬を葬った遺跡が多いらしい。それは、5世紀における地域間の権力差を物語っているのかも知れない。

「最近の私」

また自宅で仕事。

「出雲大社、「平成の大遷宮」で本殿公開へ」(産経新聞 3月8日)

 約60年ぶりに「平成の大遷宮」を迎える出雲大社(島根県出雲市、千家尊祐宮司)で、今春にご神体が遷(うつ)されたあと、国宝の本殿が一般に特別公開されることが8日、分かった。天井に描かれた秘図「八雲の絵」も鑑賞でき、美術や宗教研究者らの注目を集めそうだ。

 同大社によると、現在の八雲の絵は、延享元(1744)年の造営遷宮に際して描かれたもの。それ以前にも本殿の天井に描かれていたが、最初に描かれた時期などは分からないという。

 天井(約11メートル四方)に、紫や赤、青などの彩色を施した7つの雲(長さ約4〜約6メートル)を配置。「八雲」とされながら、7つしか雲が描かれていないことや、雲の配置、配色、逆行の一雲など秘められた謎が多い。

 また、下段中央の最も大きい雲は「心の雲」と呼ばれ、唯一の黒雲の部分に「心入れ」という秘儀で「天下泰平・国土安穏・朝廷宝位・仁民護幸給」などが祈られたと伝えられている。

 前回公開されたのは、昭和24年ごろとみられ、古代出雲歴史博物館の岡宏三専門学芸員は「一生に一度の機会。直接、目にすることで、新たな発見を期待している」と話す。

 本殿の特別公開は、ご神体を仮殿となる拝殿に遷す「仮殿遷座祭」の奉祝行事が行われる4月21日から3日間と、ゴールデンウイーク期間(4月26日〜5月6日)、5月13〜18日の大祭礼期間、夏休み中(8月1〜17日)の計37日間を予定。本殿の15段の階(きざはし)を上がり、本殿周りの大床(おおゆか)から内部を拝観できるよう配慮するという。

 千家国麿禰宜は「神様のお住まいにお上がりいただきますので、服装などマナーを守れないと、お断りすることもあります」と話している。

 拝観は午前9時半から午後4時半まで、本殿前の八足門前で受け付け。無料。問い合わせは社務所((電)0853・53・3100)。

行きたくても行けそうにないイベントの情報を貼る。既に自嘲気味。

秘教とは、言語の外部におけるアポリアである、などと言い切ってみる。それよりも、行ければの話だが、本殿に近づくためにどのようなお清めをするのかが気になる。

3月8日

「最近の私」

休日出勤。予定外の作業で、一日を潰す。

3月6日

「最近の私」

会議疲れ。まぁ、昔のように半日以上も会議室に缶詰になるような会議はないので助かるが、数が多すぎ。

3月3日

「ラーメン店」

とあるラーメン店でのこと。俺は固麺で注文したのだが、店が非常に混雑していたのだろう、普通の茹で時間のラーメンが出てきた。すかさず「俺は固麺だったはずだが」とクレーム、ラーメンも作り直し。まぁ、最優先で対応したおかげなのか、少し待つだけで代わりのラーメンが出てきた。その際、お詫びのしるしということで、店員さんが味付けゆで卵を無料で追加してくれた。

しかし、此処最近は花粉の影響なのか、俺はアレルギー物質に敏感な状態。困った事に、通常ならば一日卵1個程度ならば大丈夫なのだが、今の俺は卵1個でもかゆみが走る。そして、俺は人の好意を無視するのが非常に苦手なのである。もし卵に手を付けなければ、店の人は俺がまだ怒っていると思うに違いない、注文ミスをした店員さんの評価も下がるだろう。そう思うと、味玉にも手を付けざるを得ない。

結局、その日は湿疹の箇所が悪化。結局は気弱なのだ、俺は。

3月2日

「先週のステータス」

読書

「かんろ」は、都会では高いことで有名な「貴匠蔵」と同じくらい、舌触りが滑らかな酒。これが甕仕込みの味わいである。

<平城遷都1300年祭>マスコットキャラに市民から批判」(毎日新聞 3月2日)

 奈良県で2010年に開かれる平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターに対し、「かわいくない」など批判的な声が相次ぎ、1日には市民が白紙撤回を求める活動を始めた。国宝・彦根城築城400年祭の「ひこにゃん」(滋賀県彦根市)、のじぎく兵庫国体の「はばタン」(兵庫県)の例など、キャラクターの人気が事業の盛り上がりを大きく左右しており、主催者も対応に苦慮しそうだ。

 1300年祭は世界遺産の平城宮跡(奈良市)を主会場に季節ごとのイベントを開く計画で、総事業費約100億円。キャラクターは、県などで作る平城遷都1300年記念事業協会(http://www.1300.jp/)の選定委員が、デザインの専門家12人の計21案から選んだ。シカの角を生やした童子のイメージで、東京芸術大大学院教授の彫刻家、籔内佐斗司(さとし)さんの作品。著作権は500万円で買い取った。

 先月12日に公表し、愛称を募集中。約2週間で2000件を超える応募があった半面、ホームページなどを通じて約200件の批判意見が寄せられた。「仏に角を生やすなんて侮辱だ」「一般公募で再検討を」などが多いという。

 奈良市のマジシャン、陽群(ひむら)誠さん(26)がインターネットで反対運動を呼び掛けると120人以上が賛同。1日には「1300年祭を救う会」を結成し、署名集めなどで撤回を求めていくことにした。

 協会の杉田憲英総務部長は「大切なのは事業で何をするか。現時点では変えるつもりはない」と話している。【花澤茂人】

あまりにネタとして笑えるキャラクターだったので、虹裏にネタとして投下してみた。そしたら、アスキーアートのレスがあったので、これを貼ってみる。

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マジレスするならば、このキャラクターには主催者側の安直な思考だけが目に付く。これを見る限りでは、奈良といえば鹿と大仏という、地域の観光資源を単に結び付けただけという印象しか残らない。そこには、キャラクターを構築する側のひねりというか、サービス精神というか、そういう何か新しいものを発信しようとする意思が見えない。世界に表出する意思が欠如した催し物は、単なる政治的な浪費である。このような体たらくは、主催者側の組織内における政治力学によるものなのだろうか、そんなネガティブな想像ばかりが働く。

籔内佐斗司といえば、去年の11月に私が興福寺を訪れたとき、本坊大圓堂の特別公開でその作品が展示されていたのを覚えている。上記キャラクターの如き童子が、七福神に扮したような彫刻で、単なる可愛らしさを表現したものではなく、ある種の禍々しさを内に秘めたような作品に見えた。作者の来歴を読むと、仏像修復を手掛けるだけでなく、このような新しい仏像彫刻を創出している方らしい。少なくとも、使い捨てのキャラクターが持っている、軽さというか息抜きの如きものは、氏の作品には無縁のように見える。

私が内部政治の想像を禁じえないのは、籔内佐斗司と奈良との浅からぬ関係以上に、作品におけるミスマッチを払拭できないからだ。それは、籔内佐斗司にとっても不幸だし、この催し物を企画した組織にとっても不幸である。

「というか」

芸術作品の製作における政治は、これを忌避することは不可能だ。しかし、ひとたび完成された芸術作品は、製作における政治を表出させてはならない。というより、政治を印象付けるような作品は、芸術では呼べなくなってしまう。それは、芸術と政治の関係における難しい問題でもある。

中世黒川院関連遺跡群:素焼きの手びねり、犬形土製品が出土−−朝倉 /福岡」(毎日新聞 2月26日)

 朝倉市教育委員会は25日、同市黒川の「中世黒川院関連遺跡群」で、素焼きの犬形土製品が出土したと発表した。昨年11月には猿形土製品、約4年前にも同じ犬形土製品が出土している。

 この地域は中世の彦山の座主の居館があったと伝わっている。犬形は高さ3・7センチ、幅2・6センチ、重さ約25グラム。直径60センチ、深さ15センチの穴に埋まっていた。手びねりで作られている。周辺からは13〜15世紀の中国製青磁や白磁なども見つかっている。

 また15〜16世紀の同居館の屋敷を区画する塀の基礎石列(長さ約20メートル)が初めて確認された。石列は2列に石を並べてあり、犬形土製品は列の内側の穴から見つかった。市教委は「彦山の座主の安産祈願か厄よけの意味で埋められた可能性が高い」と話している。

 3月2日午後1時半から約1時間、現地説明会を開く。JA筑前あさくら農協高木支店駐車場集合。問い合わせは市文化課0946・22・0001。【川上敏文】

仕事が残っているのに、ノコノコと現地説明会に赴く。最早逃避に近い。

現地は朝倉市の山深い小盆地の如き場所で、中世の荘園世界が今に残るような村である。道路で辿れば平地から閉ざされた場所にも見えるが、山を辿れば彦山も決して遠くはない。実際、さながら結界の如く彦山の周囲に存在する高木神社が、この黒川の地には二箇所も存在する。

鎌倉幕府が崩壊する頃の1333年、後伏見天皇第六皇子である助有法親王が九州に下向し、中世彦山の座主となった。その居館となったのがこの黒川院で、豊臣秀吉による九州征伐で降伏するまで250年続いたという。その後、筑前国に入部した黒田氏によって、黒川院は破壊された。しかし、この地には「御下屋敷」「御館」という地名が残り、近世の「筑前国続風土記拾遺」にも座主の宅跡と記されている。今回の第11次発掘は、「御下屋敷」と伝承された場所の東端部である。

今回の発掘の前に、他の中世黒川院関連遺跡での発掘では、犬と猿の土製品がそれぞれ一体ずつ発見されている。実は、犬の土製品はそれほど珍しいものではないそうで、安産祈願でよく使われるものだとのこと。犬が多産であることに懸けたまじないで、現代でも安産祈願は戌の日によく行われている。一方、猿の方は中世遺跡からの発見は全国でも珍しいとのこと。因みに、彦山が布教した「山王信仰」では、猿は神の使いとされる。地域性が濃い遺物としては、やはり猿の方に軍配が上がる。

3月1日

「最近の私」

炊事洗濯掃除の日。お昼だけ、「観光」の名の付くお店で一服。その後は自宅でまた仕事。

2月29日

「閏日」

スケジュールを組む側からすれば、恩恵の1日。

「オーディオ趣味復活」

フルハイビジョンテレビの購入を検討しつつも、相変わらずスピーカーのカタログばかり眺めている。B&Wか、KEFか、それともMonitor Audioか、選択に悩むそんな俺に、DENONから新しいサラウンドスピーカーシステム55SG/33SG Seriesが目に入る。

DENON 55SG/33SG Seriesのスペックと価格を見る限り、明らかにONKYOの508/308シリーズを意識している。ウーファーの口径が、前者が13cmで後者が10cmというのも、あまりに似すぎている。但し、DENONのフロア型スピーカーが、二台のウーファーを搭載しているところが少々異なる。また、DENONのセンタースピーカーは、同社製AVラックへの据付が可能な高さ100mmを意識しているのか、これだけ8cmウーファーが使われている。フロア型はDENONの方がよさげだが、センタースピーカーは何だか不安で、でかいがONKYO製の方が良いように見える。

かくして、国産品も視野に入れたスピーカーの選択は、混迷の度を深めている。マンション住まいなので、大きな音を再生できるはずもないにも関わらず。

2月27日

アウグスティヌス「告白」

私たちは、人間社会におけるその職業柄、どうしても人から愛され畏敬されねばならない地位にありますから、真実の幸福に敵対する悪魔は間近に迫り、いたるところに罠をもうけて「えらい、えらい」というほめことばをまきちらします。もし、そのほめことばをがつがつとひろい集めているならば、いつのまにやら悪魔のとりことなり、よろこびをあなたの真理のうちにおかず人間どもの欺瞞のうちにおけ、「あなたのために」ではなくむしろ「あなたのかわりに」人から愛され畏敬されるのを好むようになり、このようにして悪魔に似た者になり、愛における一致のためではなく刑罰のまきぞえをくらうためにその仲間となることでしょう。悪魔はその座を北のはてにおこうと決心しましたが、それはあなたを転倒しゆがんだしかたでまねている悪魔に、暗闇の中で冷たくなった人々が仕えるためだったのです。(10.36.59)

今読んでいる、中央公論新社・哲学の歴史3からの引用。このくだりを読んで、うちの会社には悪魔に似た上司が居ると感じた、最近の俺。

2月25日

橋下ショック 大阪府立施設の特別展や講座、相次ぎ中止」(産経新聞 2月23日)

 大阪府の4〜7月の間の暫定予算を受け、府立の施設で4月以降に開催される特別展や講座などの事業が中止になる可能性が出てきた。橋下徹知事は補助金・委託料を大幅に削減する方針で、暫定予算では事業費を原則認めないためだ。府は6月までに事業や施設について存廃を含めて見直しを進め、8月以降の本予算をつける方針だが、施設側は自前の工夫で当面をしのぐことになる。

 弥生時代の資料の研究・展示を行う府立弥生文化博物館(和泉市)には今月上旬、府教委から「暫定予算になる。人件費と維持管理費以外は認められない」と緊急連絡が入った。

 このため、4〜6月に開催する予定だった春季特別展「倭人がみた竜−竜の絵とかたち」は中止。担当者が昨年4月から九州や東海地方の教育委員会を回り、展示物の土器などを借りる段取りを進めてきたが、キャンセルの連絡に追われた。

 同館を管理する財団法人・大阪府文化財センターによると、昨年度は約1億6400万円(平成19年度)が府から委託料として支払われた。8月以降の本予算で事業費が認められても事前の資料調査ができないため、夏季の企画展、秋季の特別展とも中止せざるを得ない状況だ。

 同館は「財政の問題なので仕方ない。1年間は館蔵資料を用いて常設展示とは別の工夫をしていくしかない」という。

 女性の社会進出を目的に、府から年間約2億3000万円余りが支出されている府立女性総合センター(ドーンセンター、大阪市中央区)は、年約8000件に及ぶ相談事業などを「女性のセーフティーネット」と訴え、暫定予算の中で確保できる見通しになった。

 しかし、市町村職員向けの啓発講座や利用者向けの一時保育などはカット。NPO(非営利組織)活動を支援する共催事業も選考段階でストップを余儀なくされ、「20年度中は事実上中止になる」という。

 一方、ワッハ上方の愛称で知られる府立上方演芸資料館(大阪市中央区)は8月下旬に恒例で行われる「上方芸能まつり」と夏休みの子供向け特別展を予定通り実施する考え。伊東雄三館長は「地域に親しまれている事業であり、予算がついた場合に備え、一定の準備をしておきたい」と府の判断を見守っている。

以前に何度も行こうと思っていた府立弥生文化博物館だが、春季特別展が中止。こういうときに観覧しに行くのが、博物館マニアの本懐なのではないかと思ってみたり。

或いは、予算と云うカンフル済無しに存続し得ない学芸は、単なる「パンとサーカス」であると云ってみたり。

2月24日

「先週のステータス」

読書

「最近の私」

だが自宅で仕事。

2月23日

「井手ケ浦窯跡:遠賀川流域最古の窯跡か 県教委、須恵器を多数発見−−飯塚 /福岡」(毎日新聞 2月22日)

 県教委は21日、飯塚市鯰田の「井手ケ浦窯跡」で、6世紀中ごろ(古墳時代後期)に須恵器を焼いた窯跡4基と多数の須恵器を発見したと発表した。遠賀川流域では最古の窯跡とみられる。23日午後1時から、現地説明会を開く。

 発見された窯跡は、九電鯰田変電所近くの国道200号バイパスそばの県道工事現場。付近では72年と84年に計6基の窯跡が見つかっている。

 須恵器は5世紀に朝鮮半島から伝えられた土器。今回の4基は幅1〜2メートル、長さ10〜14メートルの地下式登り窯。窯底は須恵器と同じ青灰色や灰色に変色し、窯の外に熱が逃げないように築かれた石組みの跡もある。窯たきに使われたまきの灰などが大量にたまった「灰原」の跡もくっきり残っている。

 いずれも丘陵の斜面約3000平方メートルの範囲にあり、これだけ大型のものが密集して見つかったのは県内では大野城市などしかないという。遠賀川流域では鞍手町の古門窯跡など6世紀後半以降のものとみられる窯跡は見つかっているが、6世紀中ごろのものは初めて。

 また、発見された須恵器は馬型のものなど1万点近く。近くの川島古墳の埋葬品と似たものも見つかっているという。

 県教委は「527年に筑紫の豪族、磐井が起こした反乱後、この地域には大和朝廷の直轄領『屯倉(みやけ)』が置かれた。窯跡の集積も付近に力のある豪族などがいたことを示している可能性がある」と話している。

 現地説明会の問い合わせは県文化財保護課(092・643・3876)。【井上元宏】

行って来た。他の現地説明会と異なり、県教委はいつも午後である。

上記報道に訂正しておくが、馬型須恵器や紡錘車、円面硯の発見は、84年までに発見された7〜8世紀頃の1〜6号窯跡からの出土品である。今回発見された6世紀中頃の7〜10号窯跡とは、大きく時代が異なる。

2月21日

大塚遺跡:防衛の主郭など発掘 「陣城」の全容を解明−−那珂川 /福岡」(毎日新聞 2月20日)

 ◇戦国時代、本城の前線基地 侵入防ぐ堀や土塁も

 那珂川町安徳の大塚遺跡群で山城の陣城(じんじろ)跡が見つかった。陣城は本城(本丸)の前線となる場所に築かれた城。陣城には物見やぐらを持つ城の中心となる主郭、敵の侵入を防ぎ防衛する堀や土塁、母屋など城の全容が解明された。戦国時代の陣城の全容解明は九州では初めてという。【川上敏文】

 遺跡群は、標高42〜56メートルの丘陵地にある。発掘面積は約1万5000平方メートル。民間の住宅開発に伴い那珂川町が一昨年度から発掘を進めていた。

 北と西側が斜面となる丘陵地の先端部に陣城があった。最上部、斜面、平坦地の三層の構造になっている。最上部は主郭(本丸)で、物見やぐらを築き、東側からは侵入を防ぐ二重の土塁と堀が造られ、橋と細い道を経由して門に通じる構造になっている。

 また斜面を造成して平らにし、兵士の陣地・郭(くるわ)があり、南側の平たん地には母屋など掘立柱建物跡が5棟確認された。遺跡周辺には、鷲ヶ岳城(わしがたけじょう)など戦国時代の主な本城跡が5カ所あり、陣城との関係は分かっていない。町文化財係の茂和敏主任主査技師は「中世をひもとくうえで貴重な発見と思う」と話している。

 今月末まで、事前連絡すれば見学できる。町社会教育課文化財担当092・952・2092。〔福岡都市圏版〕

現地説明会後の、報道。

2月19日

「最近の私」

リリース延期。障害となった人物の呪詛をしてみたくもあり。

2月17日

「先週のステータス」

読書

読書量の低下は、俺の余裕の無さの現れ。

“東芝、HD DVD撤退で調整へ”報道を読み解く」(ITmedia 2月16日)

2月16日夜、NHKが「東芝HD DVD撤退で調整」というニュースを報じた。1月のワーナー離脱やBDの寡占進んだ後も、HD DVD撤退の動きはなく、あまりに唐突な情報という印象がぬぐえない。しかし、根も葉もないニュースかと言えば、それも違うようだ。

とかく我が国の大企業というものは、トップダウンによる意思の伝達がしにくいものである。今回の東芝の報道は、HD DVD撤退という判断の意思を表出するために、他者への情報リークがなされたということらしい。逆に言えば、こういう奇策を用いなければ、社内における意思というか判断を示すことができない、ということのようだ。

指揮系統の欠如とは、「他者への開かれ」の欠如という、我々の病理である。この病理のために、世界は次世代DVDの規格争いで混乱したということになる。

「次世代DVD」

私は、其の何れも未だ手にしていない。というか、次世代DVDによるコンテンツが無ければ、手を出す必要も無い。などと言いつつ、AVアンプは購入したけれど。

それよりも、CDの次世代規格の方が、俺には問題だ。SACDは全面的な支持を得られているわけではないし、かといって現在のCDでは音質に限界がある。

「というか」

「他者への開かれ」云々を口にする人は、次世代DVDの規格争いを厳しく非難すべきだ。「おかはいさう」フェチを満足させるために、「他者への開かれ」論が存在している訳ではない。

2月16日

戦国武将の山城を発掘 福岡県那珂川町の大塚遺跡群」(産経新聞 2月8日)

福岡県那珂川町で見つかった戦国時代の山城跡(那珂川町教育委員会提供) 福岡県那珂川町安徳の大塚遺跡群で、15世紀から16世紀後半まで使われた山城の跡が確認された。標高約50メートルの丘陵にあり、総面積約1万5000平方メートル。この辺りで勢力を競った大内氏や大友氏に属した武将の拠点とみられる。

 町教育委員会によると、戦国時代の山城の全容が発掘調査で分かったのは九州では初めて。一番高い場所には、二重の柵が巡らされていたとみられ、中心に物見やぐら(約8メートル四方)の柱穴が残存。その外周に幅約4メートル、深さ約2メートルの空堀が掘られ、陸橋が1カ所と土塁が築かれていた。

 空堀の外の丘陵面には有事に数百人が詰められる曲輪(くるわ)の跡が残り、その下に造成された約3000平方メートルの平地には5棟の屋敷跡もあった。

 一般向けの遺跡見学会が16日午前10時から現地で開かれる。

寒風吹き荒ぶ中、訪れてみた。那珂川町は弥生時代の遺跡が豊富な場所で知られているが、岩門城など中世の史跡も多い。日本史における二度の自力救済型社会である時代の遺跡に恵まれているというのも、那珂川町域内における防御性を物語るといえるだろうか。

現地は、那珂川支流の梶原川に囲まれた、丘陵地の突端にある。直ぐ傍には「安徳大塚古墳」という、福岡県でも最古級の古墳がある、非常に見晴らしの良さそうな場所である。残念ながら、周辺は樹木や竹林で囲まれており、決して視界は良好ではないが、説明では大友氏の立花山城(福岡県新宮町)まで見えるとのこと。防御性もさることながら、他城との連携がしやすいことも、この山城の特徴であるように見える。

不思議なのは、空堀に囲まれた主郭部の内部に、コンパスで描いたように設置された塀の跡があったことだ。空堀が自然の地形に沿って作られているのとは、非常に対照的である。この円形の塀の跡を見て、私は中国における客家の円形の住居を思い出した。外敵から身を守るため、死角が全く無い究極の建物を建てるとすれば、円形にならざるを得ないのだろう。その円形の痕跡とは、現代人には想像もつかない自力救済型社会の厳しさ、恐ろしさの帰結なのかもしれない。

この山城からは、生活道具となるような遺物が殆ど見つかっていない。それに、掘立柱建物の柱穴は、柱を倒したために穴が広がったのだろう、楕円状で見つかっている。説明によれば、この山城は外敵の攻撃による落城で役目を終えたのではなく、住民がこの城を不要としたため破却したようだとのこと。それは、豊臣秀吉による惣無事令という、自力救済型社会の強制的な停止によるものなのかも知れない。

「最近の私」

午後は出社して仕事。

2月14日

「最近の私」

仕事は追い込みの時期。

2月13日

「早春」

春は名のみの、雪の冷たさや。小倉にて数センチもの降雪、高速道路が通行禁止になるくらい。

2月12日

「早春」

昨日に炊いた豆ご飯を、朝食と夕食に。通常のご飯であれば、余ったご飯は冷凍にするのだが、豆ご飯は冷凍しないため、早めに食べなければならぬ。折角の早春モノを凍らせるというのは、少々無粋のような気がしてならぬためである。

私の行動が非合理的であることぐらい、判ってはいるが。

2月11日

「最近の私」

自宅で仕事。但し、午前中だけ。午後は、音楽を聴いたりDVDを観たり。

「早春」

外は梅の花が満開になりつつある昨今。えんどう豆が売られていたので、早速豆ご飯に。

「お買い物」

またフタバ図書TERRAにて。

「最近の私」

湯豆腐用に真鱈を買い、折角豆腐も用意したのに、どうにも湯豆腐を作る気がしない。

ということで、茹でたジャガイモと鱈をグラタン皿に押し込め、トマトソースとチーズを振り掛け、グラタンにして食する事に。

2月10日

「先週のステータス」

読書

やれ階級史観だの唯物史観だのと、山川出版社の本にイチャモンをつけてばかりの私だが、新版県史シリーズは何だかんだ云いながら重宝している。その新版県史シリーズだが、最初の巻から約10年以上経て漸く完結。何だか、読み手として感慨深いものがある。

因みに、「全国・国郡沿革表」の元ネタは新版県史シリーズで、古事類苑から転記されたものなのである。

「<中国製ギョーザ>生協連、回収商品を中国側に提供」(毎日新聞 2月10日)

 日本生活協同組合連合会(東京都渋谷区)が、先週来日した中国側訪日調査団(団長、李春風・輸出入食品安全局副局長)に対し、千葉県で有機リン系殺虫剤「メタミドホス」中毒を出した「CO・OP手作り餃子」と同じ昨年10月20日製造の同商品2袋を未検査のまま提供していたことが分かった。同商品は、千葉県警が「新たな証拠が出る恐れがある」として厳重に保管するよう求めていた。

 同連合会渉外広報本部によると、提供したのは今回の中毒事件を受けて自主回収した未開封の「CO・OP手作り餃子」8袋。その中に、千葉と同じ製造日の2袋もあった。いずれも成分検査はしていなかった。

 同連合会は「事件と同じ製造日の商品は二、三百袋回収されており、2袋なら捜査に支障はないと思い、中国側の事件解明につながればとの判断で提供した」と話している。

 中国側調査団は日本側関係省庁担当者と原因究明に向け協議するため今月3〜6日、日本に滞在。5日同連合会を訪れた際に要請があり、翌6日に提供したという。

所詮は夢想的パシフィストの集団なのである、非仮想敵国に対する警戒心の無さが、食の安全に対する防衛意識の欠如をもたらしているに過ぎない。それは、党派的な政治に由来するものでは決してない。

「山川出版社・世界各国史」

非仮想敵国に対する警戒心の無さが表出している歴史書。巻末の各国地図は、中共の政治主張への最大限の配慮がなされている。アクサイチン然り、アルナーチャル・プラデーシュ州然り。

だが全巻集めている俺。重宝しているんだよねぇ。

2月9日

「最近の私」

午前中だけ休出。

「お買い物」

第3回九州焼酎フェア in ヤフードーム」で、焼酎を買い込み。というより、買いすぎ。

駐車場の出口で、アルコール検査があるのは閉口。そういえば、去年は試飲したあとで駐車場を出庫後、どこかで酔いが覚めるまで寝ていたような気が。

2月7日

<真弓鑵子塚古墳>全国最大級の石室確認 奈良・明日香村」(毎日新聞 2月7日)

 奈良県明日香村の真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳(直径約40メートル、円墳)について、同村教委は7日、横穴式石室としては全国最大級と発表した。6世紀中ごろの築造で全長は19メートル以上。ひつぎを納める玄室の床面積は約29平方メートルで、蘇我馬子の墓とされ飛鳥地域最大級の石室で知られる石舞台古墳(明日香村、7世紀初め)の約27平方メートルを上回った。

 渡来系の技術者集団・東漢氏(やまとのあやうじ)の首長墓とみられる。石室は石をドーム状に積み上げる持ち送り技法で造られ、2〜30トンの巨石を使用している。玄室は長さ約6.5メートル、幅約4.4メートル、高さ約4.7メートル。【林由紀子】

玄室の高さが4.7mということは、立って手を伸ばしても天井に手がつかない、それくらい高い天井だということ。この玄室がいかに巨大か、わかるというもの。ここまで巨大な玄室だと、中に入ってみたくもなる。因みに、私は未だ明日香石舞台古墳の玄室に入ったことが無い。

2月6日

「中国産ギョーザ報道」

私が幼少の頃、ギョーザといえば自宅で作るものだという記憶がある。白菜、韮、白葱、そして挽肉を擂粉木で練り、皮の周縁に水をつけて具を包む。それが当たり前の世界だったような気が。そんな事を思う私は、「年配」と呼ばれるに相応しいのかも知れぬ。

流石に一人暮らしでは、自宅でギョーザを作る手間も、時間も無い。とは云え、あの頃のギョーザに匹敵するような味のギョーザなんぞ、外食では見当たらない。かくして、私はギョーザを大量に食べる方ではない。

2月5日

「中国産ギョーザ報道」

人の噂も75日。喉もと過ぎれば熱さ忘れる。米国産牛肉の狂牛病騒動然り。

2月3日

「先週のステータス」

読書

「デカルト革命」だが、未だ読み終えることができない。流石に仕事が忙しいと、事前知識の無い分野の本を読み進めるのは、結構きつい。

「最近の私」

外は氷雨。本日は自宅警備員の気分。

2月2日

「最近の私」

今日は寒い。

九州国立博物館「京都五山 禅の文化展

なかなか時間が取れなかったので、観覧は開催1ヵ月後。いや、特別展開始は丁度年始のシーズンで、殺人的な混雑で有名な年始の九博には近づきたくなかった。それが、ずるずると行く機会を逸してしまい、今日に至った次第。

但し、本特別展は昨年8月の東京国立博物館で観覧済み。取り敢えず、修学旅行の時代に還った気分で、再度観覧。因みに、東博では図録は購入しなかったので、今回漸く購入。なんだか、図録だけを購入しに来た気分である。

九州国立博物館「国宝 大絵巻展

次の特別展。3ヶ月以上ものロングラン。

前期・後期でほとんどの作品が入れ替わる大規模な展示替えを予定しています。また、一部の作品については週単位で巻き替えを行ないます。どうぞ、ご了承ください。

要は、最低2回は観覧しなさい、ということらしい。

2月1日

吉野ケ里、遺構を初の常設展示」(産経新聞 2月1日)

 国営吉野ケ里歴史公園(佐賀県吉野ケ里町)は1日、環濠(かんごう)集落の王の墓とみられている「北墳丘墓」を、出土した甕棺(かめかん)とともに発掘当時の姿で公開した。同公園のほかの展示は、遺構に盛り土した上に集落を復元したもので、遺構そのものの常設展示は初めて。吉野ケ里遺跡保存のきっかけとなった遺構でもあり、人気を呼びそうだ。

行く予定の立たぬイベントを貼る。

1月30日

京都 北山 マールブランシュ

中央公論新社「哲学の歴史5」によると、標題の洋菓子店は、哲学者マルブランシュの日本における数少ない受容例なのだtoka。

1月29日

ハンドボール・アジア連盟会長はオイルマネーを盾に恫喝」(サンケイスポーツ 1月29日)

 日本ハンドボール協会の渡辺佳英会長は28日、都内で会見を開き、北京五輪アジア予選のやり直しが予定通り実施された場合、日本と韓国に何らかの処分を科すことを決めたアジア・ハンドボール連盟(AHF)に対して、「処分には従わない」と不快感を示した。

 同会長は前日、クウェート市で行われたAHF緊急理事会に出席して帰国。席上、国際ハンドボール連盟(IHF)がアジア予選のやり直しを決めたことを不当として、スポーツ仲裁所(CAS)に提訴したAHFのアハマド会長から、スイスと英国の弁護士を雇い、「ポケットマネーを出してでも(裁判に)勝ってみせる」と強大な“オイルマネー”を後ろ盾に、恫喝(どうかつ)を受けたという。

 これに対し、渡辺会長はAHFの東西分割案を訴えた。東アジアはオセアニア地域を加え、西アジアにはアフリカ諸国を加入させ、それぞれの上位国が中立地帯の第3国で五輪切符を争う形式を提案。4月には熊本で東アジアクラブ選手権が開催され、アジア諸国が来日するため、中国、韓国を含めた数カ国で協議を進めていく。

そういえば昔、アラブと対立したら石油が来なくなるなどと、他国による恫喝の尻馬に乗った評論家は、一体どこへ往ったのでしょうか。というか、ついこの間までは、北朝鮮を刺激したら云々と述べた評論家も、どこかに居たような気がしたのですが。

「国際競技とは何だったのか」

2002年のワールドカップにおける韓国といい、今回のクウェートといい、国際競技における「開かれ」の存在に無頓着な国々が多すぎる。決して他者に開かれない、自国の政治主義に耽溺した国際競技は無価値で有ると、なぜ判らぬのか。

或いは、「開かれ」への無理解は、西洋による「オリエンタリズム」への批判を無効化する。なぜならば、ひとたび「オリエンタリズム」批判を行っても、その行為における「政治」の存在を否定することは、至極困難だからだ。

オリンピックとは、その起源が古代ギリシア由来であるかぎり、根底には西洋中心主義が横たわる。その西洋中心主義と「開かれ」とは、既に一体のものである。

1月27日

「先週のステータス」

読書

簡単に訪れることができない遺跡の本を読むのは、有る意味逃避である。

「最近の私」

結局昨日は、自分の仕事ができず。ということで、自宅で仕事。

1月26日

「最近の私」

自分でやった方が早いオペレータ作業に限って、スケジュール上の遅延となる。ということで、今日も休日出勤。

1月25日

「中東問題における相互理解の困難さについて」

イスラエル国「良いアラブ人は、死んだアラブ人である。」

アラブ各国「死んだアラブ人は、良いアラブ人である。」

1月23日

「鮫ケ尾城跡:御館の乱で焼けた? 炭化おにぎり出土−−妙高 /新潟」(毎日新聞 1月22日)

 戦国時代の武将、上杉謙信の後継者争い「御館(おたて)の乱」(1578〜79)の舞台となった妙高市宮内の県指定文化財「鮫ケ尾(さめがお)城跡」で、炭化した米のかたまりが出土し、国立歴史民俗博物館の分析で「おにぎり」であることがわかった。

 上杉家に伝わる古文書などでは、鮫ケ尾城は火で焼け落ちたとされているが、同市教委によると戦火に遭ったことを裏付ける史料が出土したのは発掘調査で初めて。26日から長岡市の県立博物館で展示される。

 出土したおにぎりは4点で、直径5〜9センチ、重さ30〜68グラム。06年6月に同市北部の鮫ケ尾城跡の通称「三の丸」(標高167メートル)から、焼けた陶磁器などと一緒に出土した。表面のどろを洗い流したところ、炭化した米のかたまりと判明。07年3月に国立歴史民俗博物館に分析を依頼した。

 その結果、断面の様子や表面の様子から、白米だけでできており、米のねばりによって粒同士が密着▽表面には手でにぎったような曲面がある▽布やササのような植物の葉の上に置かれた跡も見つかった――として、おにぎりと特定した。

 同市教委の年代測定によると、おにぎりは1420〜1620年との結果だった。乱の際、同城に火が放たれたとする文書が残っており、乱の後は廃城になっていることから、戦火によって兵糧のおにぎりが炭化し、そのまま土の中に埋まったとみられる。

 御館の乱は、1578年に謙信が死去すると、2人の養子のうち姉の子景勝と北条氏から迎えた景虎のどちらを後継とするかで、家臣団が分裂。一時は上杉氏と北条氏との対決にまで拡大したが、翌79年に敗走した景虎が鮫ケ尾城にこもって自害し終結した。

 分析を行った同博物館の住田雅和研究員は「炭化した米のかたまりが出土する例はあるが、おにぎりと特定できるほど保存状態が良いのは珍しい」と語った。【萩原滋樹】

発掘された炭化おにぎりで有名な遺跡と云えば、石川県鹿西町(現中能登町)の杉谷チャノバタケ遺蹟が有名だったような。以前、中能登町を訪れた時、おにぎりをデザインしたゆるキャラのイラストが、町内のあちこちで氾濫していたような気が。ちなみに、その弥生時代後期の遺跡だが、「倭国大乱」の影響なのか、かなり高い山の中にある。というより、中能登の目ぼしい遺跡は高地にしか無いため、体力の無い私は遺跡訪問を断念した次第で。

同様のゆるキャラが、今度は妙高にも出没するような気がして、あまり気持ちが良いものでは無い。

1月21日

<広辞苑>「在原行平」伝説の記述に誤り 業平と混同か」(毎日新聞 1月20日)

 広辞苑の「芦屋」の項に「在原行平(ありわらのゆきひら)の伝説の舞台」などと誤った記述のあることが分かった。岩波書店(東京都)は「外部から指摘を受けて発覚した」と説明しており、修正を検討する。

 広辞苑は今月、10年ぶりに改訂され、第6版が出版された。この中で「芦屋」を「兵庫県南東部の市」としたうえで、「在原行平と松風・村雨の伝説などの舞台」とした。

 ところが、行平に愛された姉妹を描いた能「松風」の舞台は、芦屋ではなく須磨(神戸市須磨区)。芦屋にゆかりがあるとされる行平の弟・業平(なりひら)と混同したとみられる。誤表記は1955年の初版から続いていたという。

別に、広辞苑は利用しているわけではありませんので、『伊勢物語』サイトの私がアレコレ云う気はありません。というより、裏を取る労を惜しんで、辞書の内容を鵜呑みにするのは良く無いわけで。

1月20日

「先週のステータス」

読書

「最近の私」

休日出勤。

龍大所蔵古地図が「世界史」問題に 「ぜひ、実物見て」」(京都新聞 1月20日)

 19日に実施された大学入試センター試験で、龍谷大大宮図書館(京都市下京区)が所蔵する15世紀の朝鮮製の世界地図「混一彊理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」が、「世界史B」の問題冊子に掲載された。

 問題文中で、世界地図は「元代の地図をもとに15世紀の朝鮮で制作されたもので、そこには、中国・モンゴル・インドからヨーロッパ・アフリカまでの広大な世界が描かれている」と紹介されている。縦1.5メートル、横1.6メートルもの大きな地図に、日本列島が九州を北にして時計回りに90度傾いて描かれているのが特徴で、「邪馬台国畿内説」の論拠ともされている。関連の設問では、地図に描かれたモンゴル地域の遊牧民族や、ユーラシア世界と周辺の情勢について問うている。

 龍大は、下京区に建設予定の「龍谷ミュージアム」で同地図を展示する機会を設ける予定で、「問題冊子で地図を見た受験生の皆さんは、今後、ぜひ実物も見てほしい」としている。

先週まで読んでいた宮紀子「モンゴル帝国が生んだ世界図」は、まさに「混一彊理歴代国都之図」をネタにした本。

1月19日

「最近の私」

休日出勤。

整備費13億3500万円 都城島津邸の保存計画最終案 史料展示館を建設へ 本宅は「男爵」の生活再現」(西日本新聞 1月19日)

 都城市は18日、都城島津邸と同家から寄贈された古文書、文具など約1万点の史料群の保存・活用を行う事業計画の最終案をまとめ、市議会全員協議会で公表した。整備事業費は史料展示館建設費や土地購入費を含め総額約13億3500万円。国のまちづくり交付金や合併特例債を活用し、市の実質負担額は約2割の2億6800万円に抑えるとしている。

■10年3月公開目指す

 市中心部にある都城島津邸の敷地面積は1万5100平方メートルで、土地購入費は約3億8200万円。史料群の収蔵庫も兼ねた2階建ての史料展示館を約4億3000万円で建設し、本宅と並ぶ施設の柱とする。

 本宅は1935年の建築当時を再現し、同家の明治期以降の男爵としての生活の雰囲気を体感できるようにする。73年に昭和天皇が宿泊した部屋は、その当時の様子を再現する。石蔵は男爵家をイメージしたレストランを造り、土蔵はミュージアムショップに改装する。予想年間入場者数は3万人、入場料は大人300円を見込んでいる。

 管理運営は、市直営より最大で年900万円のコストダウンが見込める民間による指定管理制度を、全部または一部で導入する方針だ。

 都城市は、まちづくり交付金の事業期間が終了する2010年3月の公開を目指し、今年3月末までに用地取得を済ませ、実施設計費を新年度予算に盛り込む方針で、25日にも臨時議会を開き、早急に了承を得たい考えだ。

 一方、議会の一部には経費や採算などの面から、購入に慎重な意見もある。長峯誠市長は「新都城市の歴史資源ネットワーク化の拠点としての側面もある。必要性と投資額に十分な妥当性があると考えている」としている。

都城は、正直云って目ぼしい観光施設が無い。精々、霧島酒造の霧島ファクトリーガーデンぐらい。都城島津邸が、良い観光名所になればとは思う。

1月18日

神功皇后陵 宮内庁が立ち入り調査許可 考古学協会に通達」(毎日新聞 1月18日)

 宮内庁は17日、古墳時代のものとされる奈良市の神功(じんぐう)皇后陵(五社神(ごさし)古墳)の立ち入り調査を許可することを決め、日本考古学協会に通達した。陵墓への立ち入り調査は、宮内庁が補修工事を行う際の見学は認めてきたが、学会側要望を受けた許可は初めて。今後、他の陵墓の立ち入り調査についても申請があれば検討し認めていく方針だ。

 神功皇后陵は第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の妻が葬られたとされ、全長約275メートルの前方後円墳。4世紀後半から5世紀初めに造られたと考えられている。宮内庁によると、立ち入りを認めるのは1段目の平らな部分までで、撮影は可能だが、発掘はできない。調査は2月中旬ごろになる見通し。

 歴代天皇や皇族を埋葬した陵墓について、宮内庁は「御霊(みたま)の安寧と静謐(せいひつ)を守るため」などとして学術調査を認めてこなかった。

 しかし、79年から年1回ペースで、宮内庁が補修時に行う発掘調査を学会などに見学させてきたことや、過去のこうした調査で安全性から立ち入りを認めたことがある−−などから、昨年1月に陵墓管理に関する内規を変え、研究テーマを問わず申請があれば審査の上、調査を受け入れるよう方針転換した。

 同協会理事の高橋浩二・富山大准教授は「調査範囲が限定されているとはいえ、大きな一歩と考えている。今後も他の陵墓の公開を申請していきたい」と話している。【真鍋光之】

科学と啓蒙の勝利などと浮かれるなかれ。学芸なるものに理解を示し、時にはそれを率先するのが、平安以来の王権なのだから。

1月16日

「最近の私」

連日残業。そろそろ、睡眠時間を削らねばならぬかも。

1月14日

「最近の私」

自宅で仕事。最近の土日は、「自宅警備員」に限りなく近い状態。

1月13日

「先週のステータス」

読書

羽田正「東インド会社とアジアの海」は、4日で読み切ってしまったほど、楽しい内容である。「狼と香辛料」の読者であれば、是非読んで欲しい本である。但し、交換行為の根源に対する異人への言及が無いのが難点である。それ無しに「昔は国民国家は無かった」論をぶち上げているところが、非常に痛々しい。

「最近の私」

散髪しに車を回したら、渋滞に巻き込まれて酷い目に。太宰府天満宮の影響による渋滞は、交通規制の厳しい正月よりも、こういう連休の方が酷い訳。

1月12日

「最近の私」

休日出勤。

1月10日

「邪馬台国」畿内説の最有力地、纒向遺跡中枢地区を発掘へ」(読売新聞 1月9日)

 邪馬台国畿内説での最有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(3〜4世紀)について、市教委は新年度から、初めて中枢地区の本格的な発掘調査を進める。

 「日本最初の都市」と称される遺跡の実態解明につながる成果が得られると期待されている。

 纒向遺跡は、東西約2キロ、南北約1・5キロ。邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓説がある箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半)もある。

 県や市による調査は1971年に始まり、現在まで153回行われたが、住宅開発などに伴う緊急調査が85%の130回を占め、調査が終わったのは全体の5%程度。

 遺跡の中枢は時期によって異なり、3世紀前半は、祭殿とみられる建物跡などが近くで見つかった太田地区、同後半には、朝鮮半島の影響を受けた土器や絹製の袋などが出土した巻野内地区に移ったとみられている。市教委は両地区の発掘を長期的な計画で順次、進めていく。

遂に「邪馬台国」の本丸発掘である。非常に楽しみではある。

1月8日

桜馬場遺跡に別の甕棺 佐賀・唐津市 末盧国、2代の王を埋葬か」(西日本新聞 1月8日)

 昨年、63年ぶりに甕棺(かめかん)墓の遺構が再発見され、佐賀県唐津市教委が弥生時代のクニ・末盧(まつろ)国の王墓と断定した同市の桜馬場遺跡で、中国製の銅鏡などが副葬されていた可能性がある別の甕棺1基が見つかっていたことが7日、分かった。市教委は、甕棺墓とは別の王か、近親者を埋葬していたとみている。

 同遺跡は戦時中の1944年、防空壕(ごう)を掘る際に見つかったが、埋め戻されて所在不明になっていた。発見時、郷土史家が甕棺の実測図と、方格規矩(ほうかくきく)鏡などの発掘記録を残していた。再発見につながった昨年の調査では、実測図と形状や特徴が一致する甕棺の破片が出土。方格規矩鏡のかけらも見つかった。

 市教委によると、別の甕棺1基は昨年の調査で見つかった。口縁部の形状などから、市教委は「実測図の甕棺と前後する時代のものではないか」と推定。また、44年の発見時に郷土史家の記録になかった内行花文(ないこうかもん)鏡の破片、ひすいの勾玉(まがたま)、ガラスの管玉などもほぼ同じ場所で見つかった。

 方格規矩鏡と内行花文鏡は、いずれも弥生時代後期(1世紀後半‐2世紀前半)のものだが、時代差があるとみられ、同市教委は「末盧国の2代の王が埋葬された可能性もある」とみている。

「末盧国」王墓の遺跡として有力視されている、桜馬場遺跡の続報。

1月6日

「先週のステータス」

読書

漸く山積みされている本を幾ばくか消化。デリダの本は、相変わらず無駄な詩学の地雷原だと思いながら。

酒の種類がバリエーション豊富なのは、正月で来客を迎えたが為。恐らくは、一年間で飲むビールの半分を正月に飲みきったと思う。

「最近の私」

仕事始め前に、自宅で仕事だ。

1月5日

「お買い物」

親戚が帰った時を以って、初の買い物。フタバ書店テラにて。

1月1日

古今和歌集 巻第六 冬歌

342 歌奉れ、と仰せられし時に、よみて、奉れる 紀貫之

ゆく年のおしくもある哉ますかゞみ見る影さへにくれぬとおもへば

こんなのを貼ってみる。


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