「大和物語」六十九段〜八十八段

六十九段

(藤原)忠文がみちのくにの將軍になりてくだりける時、それが息子なりける人(滋望)を、監の命婦しのびてあひかたらひけり。馬のはなむけに、めとりくゝりの狩衣・袿・幣などやりたりける、かの得たる男、

よひよひにこひしさまさるかりごろも心づくしの物にぞありける

とよみたりければ、女めでて泣きけり。

七十段

同じ人に、監の命婦山もゝをやりたりければ、

みちのくのあだちの山も諸共に越えばわかれのかなしからじを

となむいひける。

さて堤なる家になむ住みける。さて鮎をなんとりてやりける。

かもがはの瀬にふす鮎の魚(いを)とりて寢でこそあかせ夢にみえつや

かくてこの男みちのくにへ下りける便につけて、あはれなる文どもを書きをこせけるを、「みちにてやまひしてなむ死にける」ときゝて、女いとあはれとなむおもひける。かくきゝて後、篠塚の驛(むまや)といふところより、たよりにつけてあはれなることどもかきたる文をなんもてきたりける。いとかなしくて、「これはいつのぞ」と問ひければ、使の久しくなりてもてきたるになむありける。女、

しのづかのむまやむまやとまちわびし君はむなしくなりぞしにける

とよみてなむ泣きける。童にて殿上して大七といひけるを、かうぶりして藏人所におりて、金の使かけて、やがて親のともにいくになむありける。

七十一段

故式部卿の宮(敦慶親王)うせたまひける時は、きさらぎのつごもり、花のさかりになんありける。堤の中納言のよみたまひける、

さきにほひかぜまつほどの山櫻人の世よりは久しかりけり

三條の右のおとゞの御かへし、

春々の花はちるともさきぬべしまたあひがたき人の世ぞうき

七十二段

同じ宮、おはしましける時、亭子院にすみたまひけり。この宮の御もとに兼盛まいりけり。めしいでて物のたまひなどしけり。うせたまひて後、かの院をみるにいとあはれなり。池のいとおもしろきに、あはれなりければよみける、

池は猶昔ながらの鏡にてかげみし君がなきぞかなしき

七十三段

人の國の守のくだりける馬のはなむけ、堤の中納言してまち給けるに、暮るゝまでこざりければ、いひやりたまひける、

わかるべきこともある物をひねもすに待つとてさへもなげきつるかな

とありければ、まどひ來にけり。

七十四段

同じ中納言、かの殿の寢殿の前にすこし遠くたてりける櫻を、ちかくほり植へたまひけるが、かれざまにみえければ、

やどちかく移してうへしかひもなくまちどほにのみ見ゆる花かな

とよみたりける。

七十五段

又おなじ中納言、藏人にてありける人の加賀の守にてくだりけるに、わかれ惜しみける夜、中納言、

きみのゆく越の白山しらずともゆきのまにまにあとはたづねん

となむよみたまひける。

七十六段

桂のみこの御もとに(源)嘉種がきたりけるを、母宮すむ所きゝつけて門をさゝせたまうければ、夜一夜たちわづらひてかへるとて、「かくきこへたまへ」とて、門のはざまよりいひいれける、

こよひこそ涙のかはにいりちどりなきてかへると君はしらずや

七十七段

これも同じみこにおなじ男、

ながきよをあかしのうらにやくしほの煙は空にたちやのぼらぬ

かくてしのびつゝあひたまひけるほどに、(宇多)院に八月十五夜せられけるに、「參りたまへ」とありければまいり給に、院にてはあふまじければ、「せめて今宵はな參り給ひそ」と留めけり。されど召なりければ、えとゞまらでいそぎまいり給ければ、嘉種、

竹取のよゝになきつゝとゞめけむ君は君にとこよひしもゆく

七十八段

監の命婦朝拝の威儀の命婦にていでたりけるを、彈正のみこ(章明親王)見たまうて、にはかにまどひ懸想したまひけり。御文ありける御かへり事に、

うちつけにまどふ心ときくからに慰めやすくおもほゆるかな

みこの御歌はいかゞありけむ、わすれにけり。

七十九段

又おなじみこに、おなじ女、

こりずまの浦にかづかむうきみるはなみさはがしくありこそはせめ

八十段

宇多院の花おもしろかりけるころ、南院のきみたち(是忠親王の御子息達)とこれかれあつまりて歌よみなどしけり。右京の大夫宗于、

きてみれど心もゆかずふるさとのむかしながらの花はちれども

異人のもありけらし。

八十一段

(藤原)季縄の少將のむすめ右近、故后の宮(穏子)にさぶらひけるころ、故權中納言の君(藤原敦忠)おはしける、たのめたまふことなどありけるを、宮にまいること絶えて、里にありけるに、さらにとひたまはざりけり。内わたりの人きたりけるに、「いかにぞ、まいり給や」と問ひければ、「つねにさぶらひ給」といひければ、御文たてまつりける。

わすれじとたのめし人はありときく言ひし言の葉いづちいにけむ

となむありける。

八十二段

おなじ女のもとに、又さらに音もせで、雉をなむをこせたまへりける。かへりごとに、

くりこまの山に朝たつきじよりもかりにはあはじとおもひし物を

となむいひやりける。

八十三段

おなじ女、内裏の曹司にすみける時、忍びてかよひ給人ありけり。頭なりければ殿上につねにありけり。雨のふる夜曹司の蔀のつらにたちよりたまへりけるもしらで、雨の漏りければ、むしろをひきかへすとて、

おもふ人雨とふりくるものならばわがもる床はかへさざらまし

となむうちいひければ、あはれときゝて、ふとはひいりたまひにけり。

八十四段

おなじ女、おとこの「わすれじ」とよろづのことをかけてちかひけれど、わすれにけるのちにいひやりける、

わすらるゝ身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな

かへしはきかず。

八十五段

おなじ右近、「桃園の宰相の君(藤原師氏)なむすみ給」などいひのゝしりけれど、そらごとなりければ、かの君によみてたてまつりける、

よしおもへあまのひろはぬうつせ貝むなしき名をば立つべしや君

となむありける。

八十六段

む月のついたちごろ、大納言(藤原顕忠)殿に兼盛參りたりけるに、物などのたまはせて、すゞろに「うたよめ」とのたまひければ、ふとよみたりける、

今日よりは荻の焼原かきわけて若菜つみにと誰をさそはむ

とよみたりければ、になくめでたまひて、御返し、

片岡にわらび萌えずはたづねつゝ心やりにやわかな摘ままし

となむよみたりける。

八十七段

但馬の國にかよひける兵庫の允なりける、女を置きて京へのぼりければ、雪の降りけるにいひおこせたりける、

やまざとに我をとゞめて別れ路のゆきのまにまに深くなるらむ

といひたりければ、返し、

やまざとにかよふ心もたえぬべしゆくもとまるも心ぼそさに

となむかへしたりける。

八十八段

おなじ男紀の國にくだるに、「寒し」とて、衣をとりにおこせたりければ、女、

紀の國のむろの郡にゆく人は風の寒さもおもひしられじ

かへし、男、

きのくにのむろの郡にゆきながら君とふすまのなきぞわびしき

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