〔出典:LAW(人権と環境の保護のためのパレスチナ協会)/1998年9月〕

オスロ合意から5年、継続する人権侵害
「諸原則宣言」以降の人権侵害に関する概要


◆序文◆

 1993年9月13日、ワシントンDCでの「諸原則宣言」(以下、DOP)調印から5年が経過したが、西岸地区、エルサレム、そしてガザ回廊のパレスチナ人住民にとっては、日常的な人権侵害が、あいも変わらぬ特徴としてあり続けている。このレポートは、これらを簡潔に報告するものである。
 DOPは、オスロ・プロセスの開始を先導した。そしてこのオスロ・プロセスは、イスラエル国家とパレスチナ人たちの間の紛争に終結をもたらすことを目的とするものであった。DOPは本質的には、両者の利害に関係する多種多様な論争点についての討議日程と期限を設定するという、そうした枠組みのための文書であり、それらを一連の段階ごとの交渉の議題とする、とした。このプロセスには、例えば対立する水問題についての委員会のような様々な共同委員会の設置も含まれており、安全保障についての協力関係に関する特段の強調がなされていた。
 そしてDOPの調印以降、一連の暫定合意がなされてきた。これらは、1994年4月29日にパリで調印された「経済関係に関する議定書(パリ議定書)」──「ガザ回廊とジェリコ地区に関する合意」の付属文書4を構成するものとなった──、1994年5月4日にカイロで調印された「ガザ回廊とジェリコ地区に関する合意(カイロ合意)」、1994年8月29日にエレツ検問所で調印された「予備的な権限の委譲と責任の負担に関する合意(エレツ合意)」、1995年9月28日に調印された「西岸地区とガザ回廊に関する暫定合意(タバ合意)」、1996年5月9日に調印された「ヘブロン臨時国際監視団に関する合意(TIPH[The Temporary International Presence in Hebron]合意)」、1997年1月7日に調印された「ヘブロンにおける再展開に関する議定書(ヘブロン議定書)」、である。
 これら諸合意の全てが、オスロ・プロセスに基づいてパレスチナ人たちの民政問題と安全保障問題に関する統治組織として設置されたパレスチナ民族当局〔the Palestinian National Authority〕(以下、PNA)に対して、一定の権限と領土を委譲してきた。この紛争を終わらせる最終的な合意を含む交渉のプロセス全体が5年間に渡るものとするということが当初から示されていた。さらに入植地や難民問題、そしてエルサレム問題という、いわゆる本質的な緒問題は最終的な地位のための交渉に委ねられることとされた。このことが本質的に意味しているのは、1974年11月22日の国連〔総会〕決議3236号に正式に記されたパレスチナ人の自決権に関する重要な緒側面が今後の交渉に〔その去就を〕委ねられた、ということだ。自決権は国連憲章で承認されており、国際人権規約の根拠でもある。
 現在のところ、これまでに結ばれた緒合意に基づいて、西岸地区は多数のA、B、そしてC“地域〔areas〕”に分割されてきた。PNAはA地域で完全な支配権を手にしており、これは主要な〔パレスチナ人たちの〕市街地域から成っているが西岸地区のわずか3%、そしてガザ回廊の約60%の領域である。西岸地区のB地域は〔PNAとイスラエル軍の〕共同管理地域で西岸地区の27%を占めており、残りの70%はC地域となっている。イスラエルはC地域を単独で支配しつづけている。同様に、西岸地区に隣接している東エルサレムは最終的な地位の交渉に委ねられており、西岸地区の大半と同じくイスラエルの占領下にとどまっている。ガザ回廊では、その40%がイスラエルの支配下にある。
 シモン・ペレス率いる労働党政権が1996年5月に行われたイスラエル総選挙で敗北し、ベンヤミン・ネタニヤーフとリクード政権が権力を握った後、遅れていたヘブロンの80%からの〔イスラエル軍の〕再展開の他には、今日に至るまでオスロ和平プロセスには、ほとんど進展がなかった。ヘブロン市の残り20%はイスラエルの支配下に残されており、数千人にのぼるパレスチナ人住民のただ中で生活する約400人の重武装した過激派入植者たちの住処となっている。

◆入植地問題◆

 イスラエルは、占領地に対する占領国側の市民の入植を禁止するハーグ条約およびジュネーブ第4条約に違反して、現存する入植地の拡大とともに新規入植地の建設をも継続している。様々なイスラエルの政治権力者たちが、西岸地区とガザ回廊での入植活動は安全保障上の理由によるものだと主張する場合もあるが、〔入植活動の〕主要な目的はイデオロギー的なものであり、リクード政権にも、また労働党政権にも、これは当てはまるものなのだ。占領地での現状を変更するような活動の実行が、オスロ合意で明確に両者に対して禁じられているにもかかわらず、ラビンとペレスの労働党政権下においては入植者たちの人口が50%も増加した【原注1】のみならず、現存する入植地自体も拡張されてきた。この2人の労働党政権は14億シェケルを入植地に投資したが、これは強行派リクードのイツハク・シャミール前政権の投資規模を上回っている【原注2】。
 イスラエル内部の政治的右派のある部分からすれば、入植活動はシオニスト・イデオロギーの特定の目的への奉仕であると同時に、土地を手放すかわりに和平を手にしようとするイニシアチブの一切を粉砕しようと目論むものでもある。つまりそれは本質的には、1967年以降にアラブ諸国や第三者的立場から追求された和平に向けたイニシアチブの一切を破壊しようとするものであった。入植地はまた、アラブ住民たちの居住地域をバラバラに分断し、こうして分断された各地域に一層強力な支配をもたらそうとするものでもあった。さらにはパレスチナ人の人口構成をイスラエルの利益に沿うような比率に変えてゆくことをも目論んでいた。
 入植地計画とその建設は、土地の没収や家屋破壊など、パレスチナ人の人権に対する激しく全面的な侵害をもたらしている。オスロ合意がなされたにもかかわらず、入植地建設を目的として毎月平均で8,630ドゥナムの土地【原注3】が没収されている。オスロ合意以降に140,000ドゥナムの土地が没収されてきた。これらの土地の大部分は個人所有の土地であり、相当にあいまいな法的手続きの下で、また国際法に違反して没収されたのである。ハーグ条約第46条は、個人の財産の没収を明確に禁止している。
 現在、西岸地区とガザ回廊には約349,327人の入植者が存在すると推測されている。西岸地区には163,161人の入植者がおり、〔これとは別に〕東エルサレムには18万人が集中し、さらにガザ回廊には6,166人がいると見積もられているのだ【原注4】。被占領地には全部で195ヶ所の入植地があると推測されている。ネタニヤーフ政権の、より公然たる強硬な入植政策によって、さらに入植地を増やすことが計画されている。東エルサレム地域とその旧市街に焦点を当てつつ、約5億米ドルが入植活動への投資に振り向けられていると推測されている。ジャバル・アブー・グネイムとシルワーンでの入植計画は、エルサレムに対する国際的注目の焦点となってきている。ジャバル・アブー・グネイムにおける“ハール・ホマ”という名の入植地計画では、3万5千人から5万人が居住するための家屋が建設予定とされている【原注5】。エルサレム郊外にあるマアレ・アドミーム入植地を大規模に拡張しようという複数の計画も存在している。ナブルス地区のヤキールとバルカーン、そして他の各地においても入植活動が行われている。1995年の1月から5月だけでも3万ドゥナムの土地が入植地のために没収されたと見積もられている【原注6】。
 入植地には、商工業地帯やバイパス道路などの付随的な基盤整備が伴っており、これらが、さらなる土地の没収なども含めてパレスチナ人側の損失を一層大きなものとするのだ。オスロ・プロセスの間のラビン政権の期間には、バイパス道路の建設が集中的に行われた。この数年間に建設されたバイパス道路は400キロメートルに達し、このために16,000ドゥナムの土地が没収された【原注7】。これらの多くは肥沃な土地であった。このことが意味するのは、占領下の領土において現実的に成長する可能性のある数少ない経済部門だと多くの研究者が考えている、パレスチナの農業に対する打撃である。また道路交通網は固定的な要素としての特徴をもっているが、実質的にはユダヤ人の専用とされている。こうした道路網は、各地にあるパレスチナ人居住地域を分断し、孤立化させるがゆえに、極限的な軍事支配を維持するための手段ともなっている。こうした入植政策は、最終的な地位の交渉に先行して行われているがゆえに、オスロ合意を侵害している。しかし現在までの合意では、入植地問題を最後まで残す〔=最終的地位の交渉の議題として設定する〕ことによって、これら入植地に特別な地位を与え、そしてイスラエル国家に“動かぬ現実”を創造することを許し、パレスチナ人にはそれを既成事実として受け入れさせようというのだ。
 要するに入植は、オスロ・プロセスにもかかわらず継続している。それは、多くの理由からパレスチナ人の人権を侵害している。入植地は、国際法によって禁止されている恒久的な変化を創りだし、また、創りだすことを目的としているがゆえに、国際法に違反している。占領した土地に、その国家の市民たちを入植させることによってイスラエル国家は、1907年のハーグ条約と1949年のジュネーブ第4条約の両方に違反している。入植を促進するために個人の財産を没収することは、ハーグ条約第46条の違反である。パレスチナ人居住地域を孤立化・分断することで、またパレスチナ人地域に軍事命令を適用する一方で入植者にはイスラエルの市民法を適用することで、さらには占領地のユダヤ人住民と非ユダヤ人住民との間で水資源を不公平に分配することで、イスラエルは、人種差別とアパルトヘイトのような緒政策を非難する「被植民地国家と民衆に独立を与える宣言」【訳注1】の第3条に違反している。

◆家屋の破壊◆

 オスロ合意がなされて以降に、パレスチナ人の家屋に対する破壊が増加してきている。オスロ合意から1997年末までに539軒が破壊され、このうち96軒はエルサレム地域の家屋であった。労働党政権下では西岸地区で197軒、エルサレム地域では71軒が破壊された。現在の〔ネタニヤーフの〕リクード政権下では西岸地区で227軒、エルサレム地域では25軒が破壊された。全体として、オスロ合意からの5年間、1998年8月30日までで、662軒を超えるパレスチナ人の家屋がイスラエル当局によって破壊されてきた【原注8】。こうした家屋破壊の多くは、違法性という主張を口実として行われている。イスラエル当局は多くの場合に、パレスチナ人の家族が許可なしで建築を行ったことを理由に告発を行うのだ。問題となる現実は、パレスチナ人に対する当局の建築許可は、とりわけエルサレム地域の場合には、ほとんど発行されることがない、という点にある。2千米ドル以上もの申請費用がかかり、1年もの間待たされることになる。こうした制限はパレスチナ人にのみ適用されており、必要に迫られた多くの家族は当局からの許可なしで家を建築せざるを得なくなるのだ。また家屋破壊は入植地の拡大の一環としても行われるし、集団懲罰の1つの方法としてイスラエルが時に用いる政策でもある。集団懲罰は、国際法、とりわけジュネーブ第4条約第33条によって禁止されている。

◆殺人、拘留そして拷問◆

 オスロ・プロセスの5年間にイスラエル当局は致死的な武力を、そのほとんどの場合に非武装の市民たちに対して日常的に用いてきた。パレスチナ人市民たちは大衆的な抵抗行動のなかで、日常的に銃撃され、殺されてきた。例えば1994年2月にヘブロンで過激な入植者の手によって29人のパレスチナ人が殺された事件をきっかけとした混乱のなかで、さらに30人が殺された。また1996年9月にアル=アクサー・モスク近くのトンネル開設の後に63人が殺されたが、このうち11人は子供たちであった。最近の事件では、ナクバ【訳注2】を思い起こすデモンストレイションの間に8人の命が失われた。
 パレスチナ人が殺される多くのケースは路上において、とりわけ封鎖の期間においてである。いくつかの事例では、イスラエルの治安部隊によって銃撃を受けて殺されるのは、13歳以下の子供たちであった。1997年に7歳のアリー・ジャワーリシュが殺されたのは、まさにそうした事例である。アリー・ジャワーリシュは、1997年11月にベツレヘム近郊にあるラケルの墓近くでの混乱のなかでイスラエル兵士によって近距離から頭を撃たれたのだ。
 1997年には、20人のパレスチナ人たちがイスラエルの治安部隊によって殺された。合意から5年の間に、262人のパレスチナ人がイスラエルの治安部隊によって殺され、さらに56人がイスラエル市民によって殺されたと推計されている【原注10】。パレスチナ人を殺したイスラエル市民が受ける処罰は、往々にして、ごく控えめに言っても取るに足らないものである。1996年に起こったある事件では、1人のパレスチナ人を殺害した入植者が1アゴラの罰金刑を受けた。これは1米ドルの0.28に相当する【訳注3】。生存権に対する冷淡な無視が、この5年間の顕著な特徴であった。
 またイスラエル当局は、国家権力体制の上層部によって是認され、国民の大多数から黙認された拷問の実施を日常化している。「国連拷問禁止条約」への調印国であるにもかかわらず、イスラエル当局の代わりに拷問の問題を調査したランドー委員会は、国家の安全保障を脅かしたとされる容疑者の取り調べに際しては“適度な肉体的暴力”の使用を行い得ると述べて、イスラエル保安警備当局に対して、拘留者への拷問の実施を許可したのだ。国際的な人権法の下で、拷問は明確に禁止されており、イスラエルは1998年に拷問の実施によって非難を受けている。イスラエル当局の拷問の方法には、苦痛を伴う姿勢で束縛したまま眠らせないようにする、非常に小さな小部屋に留置する、激しく振動させる、などがある。この激しく振動させる方法は、脳にダメージを起こし得るものあり、イスラエルの保安警備当局によって、ごく一般的に実施される拷問の方法である。結果的にイスラエルは、世界人権宣言〔the Universal Declaration of Human Rights〕の採択から50年後に、拷問を公式に合法化する唯一の国家となった。
 この5年間に880人のパレスチナ人たちが行政拘留処分を受け、その期間は2ヶ月から4年間までさまざまであった【原注11】。現在も80人が行政拘留の下にある。このかんの行政拘留処分は、特にオスロ・プロセスに反対する立場の人々に対して適用されてきた。さらに多くの場合に、被行政拘留者たちの中には、長期の独居監禁や食料の引きあげ、および/あるいは医療措置を受けさせないといった劣悪な待遇を受ける者たちもいるのだ。その他の権利の侵害には、ジュネーブ第4条約に正式に記されている面会の権利の否定も含まれている。

◆封鎖〔closure〕と遮断〔blockade〕◆

 オスロ合意以降、西岸地区とガザ回廊は何度も封鎖を受けてきた。イスラエルによる封鎖措置は厳しい移動の制限を伴うものだ。オスロ合意の現在の段階がもたらす状況ゆえに、パレスチナ人たちの管理地域は互いに隣接して集合した存在とはなっておらず、先に言及したバイパス道路の存在もあいまって、パレスチナ人たちの都市や村を孤立化させることはたやすいのである。封鎖には様々な種類がある。イスラエル当局は、遮断と呼ばれうる措置をとることで知られている。この場合にはパレスチナ住民たちの移動は実質的に不可能とされ、人道的な救援活動もしばしば妨害される。この遮断は通常は、ユダヤ教の休日や祭日、あるいはパレスチナ人たちと〔イスラエル軍と〕の衝突の後に、あるいは抗議行動などが予想される場合に実施される。
 封鎖は、イスラエル国内で働くことで生計を立てているパレスチナ人労働者たちが、その仕事場まで行くことを不可能にしてしまうがゆえに、極度の経済的困難をもたらす。また封鎖は、しばしば野菜などのパレスチナの農産物を腐らせてだめにしてしまう。ガザ回廊の場合では漁師が漁に出ることを禁止されて収入が得られなくなり、生計が立てられなくなってしまう。封鎖措置がとられると、1日で6百万米ドル以上の経済的損失になると見積もられている。1997年の1年間にとられた封鎖措置による経済的損失の総計は、約2億3千万米ドルにのぼると見積もられている。これが地元産業に対する破壊的な影響をももたらしてきた。封鎖は、救急医療措置のための活動も常に阻害してきた。応急措置が受けられなくされてしまうのだ。
 被占領地のパレスチナ人住民に加えられる封鎖措置は、ジュネーブ第4条約33条に違反する集団懲罰の一形態であり、また「市民的及び政治的権利に関する国際規約」【訳注4】の12条に明記されている移動の自由の権利にも違反している。

◆エルサレム問題◆

 占領権力としてのイスラエルは、国際法に違反する諸政策をエルサレム市のパレスチナ住民に対して適用し続けている。こうした違反は、ベンヤミン・ネタニヤーフの政権となって以降に確実に増加してきた。イスラエルは、国際法と国連〔安保理〕決議242号、338号に全く反して、エルサレムをその国家の不可分の首都と宣言している。イスラエル国家によるエルサレムに対する支配を強固なものとするための様々な政策が、オスロ・プロセスの5年間にずっと続けられてきた。エルサレムに対するイスラエル国家の政策の重要な環の一つは、同市に住むパレスチナ人の数を減らすことであった。この政策には、IDカードの没収と居住権の剥奪が含まれている。パレスチナ住民のIDカードの更新手続きの全体は非常に官僚的な業務であり、それゆえにこそ、そのの手順は故意に複雑なものとされているのだ。1996年にはパレスチナ人住民から689件のIDカードの没収が行われ【原注12】、1997年には606件、そして1998年1月から3月には176件であった。
 エルサレム市のパレスチナ人たちは、「アルノナ〔Arnona〕税」などの不公正な税制度の対象ともされている。しばしばパレスチナ人の商店主たちは、収入レベルがはるかに高い同市の繁華街と同率の税金を支払うよう求められる。このことがパレスチナ人商店主たちを不当な圧力の下に置き、エルサレム市当局によって求められる途方もなく高額の税金を支払わなければならないという問題に直面させられるのだ。
 同市に住むパレスチナ人たちは、市の行政サーヴィス受ける場合にも差別を受ける。エルサレム市の全人口のうち、パレスチナ人の人口は約30%を占めると推測されるが【原注13】、市の予算の約10%しか配分されていない【原注14】。それゆえにパレスチナ人地域から奪われるものは、ユダヤ人地域からのものよりも、はるかに大きいのだ。
 住宅の建設許可もまた、エルサレム市の重大問題となっている。パレスチナ人たちは、常に建設許可を否定されてきた。それゆえに、パレスチナ人の家族は違法に建設せざるを得なくなり、それによって市当局に、家屋破壊のための口実を与えることとなってしまうのだ。1997年だけでも16件の家が破壊された【原注15】。
 この5年間に、パレスチナ人たちの自然増のために必要とされる個人所有そして村落所有の土地の没収が続いてきた。1997年だけでも、入植地の拡張のために、同市の郊外地域では約2万ドゥナムの土地が没収された【原注16】。ジャバル・アブー・グネイムでの入植地建設が開始されており、シルワーンでは、ユダヤ人家族のための一群の──“ダヴィデの街”とイスラエル人たちが名付けた──住宅ユニット建設計画が進行中だ。さらに旧市街は、過激なユダヤ教徒、そして現政権内に存在する彼らの同盟者たちの両方からの高まる注目の的となっている。アテレート・コハニームという組織は、旧市街で活動する許可を、計画的かつ全面的に現政権から得ている。アテレートの目的は、ユダヤ人が占領できるほどに多くの旧市街を奪い取ることなのだ。1997年8月27日に旧市街で〔パレスチナ人の〕家屋が破壊されたのは、1967年〔=イスラエル軍による東エルサレムの占領〕以来、初めての出来事だった。旧市街に隣接するバーブ・アル=フータ地区は、入植者たちにとっての最新のターゲットとなっている。さらにイスラエル側からの報道によると、旧市街でのユダヤ人人口を段階的に増やしていくという計画もあるという。
 オスロ以降は、制度や組織といった側面で東エルサレムを統制することが、エルサレム市当局の方針となってきている。1997年10月には、東エルサレムにイスラエルの様々な施設をより多く設置するための委員会がアヴィー・ブルステイン【訳注5】の下に設置された。例えば、同年11月にイスラエル公安大臣のアヴィグドール・カハラーニーは、警察本部をエルサレム市の東部分に移設するというアイデアを公表した。
 エルサレム問題は最も主張の対立する問題の一つであり、また、その宗教的な重要性ゆえの地域的な力学が働く問題でもある。イスラーム世界の全体が、この街の運命を危惧しているのだ。イスラエルの現在の政策と人権問題の関連は明白であり、それがさらに厳しいものとなるならば、それはエルサレム市におけるパレスチナ人の人権侵害にもドミノ的な効果をもたらすだろう。

◆パレスチナ民族当局(PNA)による侵害◆

 PNAは、1994年にA地域の管理権とB地域の部分的な管理権を手にして以降は、パレスチナ人市民の人権侵害に対しての責任を問われている。PNAは1998年8月30日に最初の死刑を執行し、アブー・スルターン兄弟が、パレスチナ国家が許可した殺人の最初の犠牲者となった。この2名に対する死刑は、法と正義を秩序に対する何らかの懸念から執行されたというよりも、むしろパレスチナの政治権力内部のある部分を沈静化させるためにアラファート議長が行ったものであると、何人かがコメントしている。またPNAは数百人のパレスチナ人市民を逮捕し拘留しているが、その多くは被拘留者たちの政治的な立場のゆえである。とりわけイスラーム主義者組織であるハマースとイスラーム聖戦のメンバーたちが標的とされてきた。例えば1996年2月に800名の人々が逮捕され、告発なしで拘留されたが、これはPNAによって実行された最大の大量逮捕であった。PNAの治安部隊によって拘留されている人々の多くは、告発も受けず、あるいは裁判の以前に連行されている。上訴したり弁護士を立てる権利は、しばしば拒否されてきた。現在、西岸地区とガザ回廊では325人の政治囚がPNAによって囚われている。
 またPNAは国家保安裁判所を設立したが、これは文民裁判所を脇に追いやることで司法手続きを有名無実なものとしている。さらにPNAは、司法の独立という原則を侵害し、囚人の釈放に関する裁判所の命令を恒常的に無視している。
 パレスチナの治安担当職員たちは、被拘留者たちを取り調べる際に日常的に拷問を行っており、これまでに19人が拘留中に死んだと考えられている。パレスチナの治安部隊は、大衆的な抗議行動を行う非武装の市民たちに対する致死的な武力の使用についての責任を問われている。1994年、ガザのパレスチナ・モスクの外で13名のパレスチナ人が殺された事件は、まさにこうした事例である。PNAの諸機関と職員による不当な措置や、それらの堕落を批判し続けてきた人権活動家や諸個人もまた、拘束されてきた。ファトヒ・スバハの事例は、とりわけ重要な意味を持っている。教師だったスバハ氏は、PNAの堕落を題材として取り上げて、生徒たちのために作った試験問題のために拘束されたのだ。
 PNAはまた、表現の自由の制限も行っており、多くの新聞やTV局が閉鎖を強制されている。ガザのアル=リサーラ紙とナブルスのアファーク・テレビ局の閉鎖は、この典型的な事例だ。アファーク・テレビは1997年9月23日に閉鎖された。局の所有者であるイッサ・アブル・イッズは令状なしに逮捕され、ジェリコで拘留された。その上、この認可を受けていたTV局が、通知や説明なしに封鎖された。アル=リサーラ紙は、警告も裁判所の命令もなく封鎖されたが、これは、報道出版法42条に違反している。全体としてPNAは、オスロ合意への批判のみならず、PANの不当な措置に対する批判を沈黙させるための政策を実行しつづけている。これまで述べてきたように、拘留されてきた人々は、イスラーム主義者からPFLP〔パレスチナ解放人民戦線〕のメンバーまで、またジャーナリストから学者、人権活動家まで多岐に渡っているのだ。
 しかしながら、こうした多数の虐待が、オスロ・プロセスへの反対者たちを弾圧せよという、イスラエルと合州国からの強力な圧力に由来しているということは明白である。この圧力の根拠は、イスラエルの安全保障を支援するという表現の中に示されている。そしてイスラエルの安全保障上の要求という観点からすれば、オスロ・プロセスに反対する者たちへの弾圧をPNAがどれほど残忍に行おうとも、イスラエル当局は、なおもそれ以上を要求してくるであろう。しかしながらイスラエルからの圧力が、PNAによるパレスチナ市民の諸権利の虐待に大いに関連しているとはいえ、そのことが諸権利の侵害についての責任からPNAを免れさせるというものではない。
 我々LAWは、PNAが法律と人権を尊重するという責任を、その市民たちに対して負っていると、強く主張するものである。

◆結語◆

 1993年9月以降のこの5年間に、拘留中の拷問と死、恣意的な拘束と裁判なしの拘留、死刑執行および司法と無関係な殺人、継続的な土地の没収と入植地の拡大、これら一切が継続してきた。こうした継続的な様々な侵害は、現在の和平プロセスを強烈に告発するものであり、人権の尊重が重視されていないことを明らかに示している。
 オスロ合意は国際法に基づいたものではなく、それ以上に両者〔=イスラエル国家とパレスチナ人たち〕の力のバランスによって導かれてきた。両者のうちではイスラエルがより強力であり、それゆえ交渉の進行と具体的な最終結果を指図することができる。オスロ合意は、実際には被占領地に対するイスラエルの一層強固な支配をもたらしたのみならず、パレスチナ民衆の自決権を〔決して奪われることのない権利としてではなく、話し合いの余地のある問題として〕交渉のテーブルに乗せたのだ。大統領アラファートと彼の側近たちが何度も宣言したにもかかわらず、この合意は自決権をもたらすものではなかったし、イスラエル軍とイスラエル市民〔=入植者〕たちの占領地からの撤退をもたらすものでもなかった。一例となるのは、先の〔ラビン、続いてペレスの〕労働党政権によってなされ、PNAが同意したことによって実現した、バイパス道路網を完成させるための連絡道路である【原注17】。現実問題としてPNAは、道路建設を助長するために行われた土地の没収と家屋破壊に共謀したのだ。そして、その道路建設は、入植地を強化するのみならず、イスラエルによる占領地の管理能力をも高めることになる。1948年のパレスチナ難民とその子孫たちの帰還の権利は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」12条でも明確に規定されているにもかかわらず、これもまた最終的地位交渉の議題として交渉にゆだねられてしまったのである。
 全体として見るならば、この5年間にパレスチナ民衆の人権状況が確固たるものとして改善されたということは、ほとんどなかった。場合によっては、その人権状況は悪化した。パレスチナ民衆の平等と人間としての尊厳に対する権利を考慮しない和平プロセスは、たとえそれがどのようなものであっても、永続的な和平を導くものではないということは、確かな事実である。永続的な和平という目的を達成するためには、オスロ・プロセスの再検討の必要性とともに、パレスチナ民衆の人権を尊重し、全ての条約と全ての国際法の規約を例外なく遵守することを、イスラエルの住民とその国家の権力体制の大多数が、また同様にパレスチナ指導部が明確に望む必要があるということもまた、明らかな事実なのだ。

【原注】
1:Israeli settlement and the Peace Process (The Jerusalem media and Communication Centre, January 1997) p.1
2:Palestinians in wonderland, a Report on the Human Rights violations of the Labour and Likud Governments during the Oslo process and the Tragic Violence that Ensued (LAW Publication, October 1996) p.2
3:ABC of the Oslo Accords (LAW Publication, 1997) p.48
4:Report on Israeli settlement in the Occupied Territories (Foundation for the Middle East) Vol.8, No.3, p.5
5:Palestine Report, April 1998, p.4
6:op. cit., ABC of Oslo Accords, p.48
7:Israeli settlement in the Occupied Territories as a violation of Human Rights: Legal and conceptual aspects (B'tselem, March 1997) p.39
8:op. cit., Palestinians in Wonderland, p.3, see also ABC of Oslo Accords, p.18
9:Please note that for a detailed report on life and liberty issues since Oslo see Amnesty international's report "five years after Oslo, a durable peace must be based on justice"【訳注6】
10:B'tselem casualty statistics from B'tselem web page, September 1998
11:Prisoners of peace, administrative detention during the Oslo process (B'tselem, July 1997) p.7
12:Summary of LAW's 1997 report, p.2
13:ibid.
14:ibid.
15:ibid.
16:Jerusalem Quarterly File Spring 98 issue 1 "Resume 1997: The year that was", Martina Rieker, p.10
17:By pass Road Construction in West Bank, The End of The Dream Of Palestinian Sovereignty (February 1996) p.6, see also op. cit., Israeli settlement and the peace process, p.46

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【訳注】
1:1960年12月14日に採択された国連総会決議1514 (XV)のこと。
2:アラビア語で「破滅」の意味。1948年のイスラエル建国と第一次中東戦争の結果として多くのパレスチナ難民が発生したことを指す。
3:1アゴラ=100シェケル(NIS)であり、最近のレートでは1シェケル=0.25米ドルだという。これだと本文の記述とは計算が合わないが、何にせよ、ごく小さな金額だという理解は可能だ。
4:国際人権規約の、いわゆる「B規約」である。ちなみに「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」が「A規約」。
5:Avi Blustein:インターネット上でテキトーに検索したら、「Arutz Sheva」という名前の「Israel National Radio」(なんだそうだ)のホームページのニュース・アーカイヴに、1999年4月15日付の記事で「Avi Blustein, Director-General of the Ministry of Religious Affairs」との記述があった。
6:この【原注9】は、本文中には見あたらなかった。内容からして「殺人、拘留そして拷問」の部分での、イスラエル軍によるパレスチナ人市民への武力行使に関わるものだと推測する。