〔出典:インディペンデント紙/2000年11月18日付〕
バラクの軍隊を止めるために叫び声を上げるイスラエル左派
署名:フィル・リーヴス(ハーリス/西岸地区)
ほとんど有効な証拠がないにもかかわらずイスラエルは、小さな子供たちをも含む若いアラブの暴徒たちに対する軍の日常的な銃撃を、パレスチナ側が若者たちを人間の盾としていると非難することで正当化してきた。今やパレスチナ人たちは、少なくとも1人の人間の盾を手にすることができた。彼女はイスラエルの市民であり、ユダヤ人だ。
ネタ・ゴランさん(29歳)は、この4日間、ハーリスで寝泊まりしてきた。ここは、現在まで7週間に渡って続く暴動に対する集団懲罰としてイスラエル軍が封鎖している西岸地区の多くのパレスチナ人の村の一つだ。
テル・アヴィーヴに住むセラピストであり政治活動家のゴランさんは、ハンドマイクを唯一の武器として携えながら、イスラエル兵士たちとユダヤ人入植者たちがハーリス村に銃撃するのを止めさせようとしている。彼女がこの村で目にしているのは、その住民たちを土地から追い出そうとする一つの目論見なのだ。
ゴランさんの大きな目的は、イスラエル左翼と外の世界に電気ショックを与えて、この7週間に渡ってイスラエル軍が行使してきた過剰な軍事力を止めるための行動へと駆り立てることだ。昨日の4人も含めて200人以上が殺されたが、そのほとんどはイスラエル兵士によって撃たれたパレスチナ人たちだ。パレスチナ人指導者のヤーセル・アラファートが自らの側から暴力の抑制をと呼びかけたにもかかわらず、衝突は続いている。「世界の沈黙が、この虐殺に手を貸している。そのことを危惧しています。草の根レベルで人々が行動すれば、政府は動くはずです」と、ゴランさんは言う。
ゴランさんと村人たちは、占領地に建設された近隣の入植地群に住んでいる男たちが、暗がりのなかをハーリス村の境界に何台もの車で集まり、村のなかに銃を撃ち込むのだ、と言う。彼らが銃撃をするたびに、ゴランさんはハンドマイクで彼らに向かって止めるようにと叫んできた。
「彼らは夜の8時位にやってきて、村の入り口に立ち止まる。あちらこちらの入植地からやってくる60人ほどだ。車のクラクションを鳴らして、ののしる声を上げ、石を投げて、それから銃を撃つんだ。入植者たちだけじゃなくて、軍も来る。」
ハーリス村は平凡なアラブの村で、低く生い茂ったオリーヴ林の風景のなかに、半ば建てられ半ば倒れた家々がある。オリーヴ林を堰き止めるように立っているのは仮設モスクの尖塔だ。7週間前、今に続くゴタゴタが始まるまでハーリス村では、月に1人あたり約600ポンドの収入を得ていた。そのほとんどは、村から近いイスラエル国内や近隣のユダヤ人入植地での清掃や建設、農作業などの労働、そして工場労働などに男たちが従事して得られた収入だった。今やそうした収入は全くなくなってしまった。
しかしハーリス村は、被占領地にある他の同じような村よりも、はるかに危険な場所に位置している。西岸地区北部ナブルスの街の南側に伸び広がるイスラエル支配地域の、ちょうど縁にあるのだ。ナブルスの南側にある複数のユダヤ人入植地は、イスラエル政府からの手厚い補助金と減税措置によって支援されながら、この10年の間に着実に拡大してきた。こうした兆候が暗示しているのは、エフード・バラク首相が、アラファート氏から和平合意をもぎ取ったならば、〔イスラエルに〕併合するつもりの土地だということである。ハーリス村の人々は、入植者たちが1948年に起こったアラブたちのエクソダスのミニ版を再現することで、併合よりも先にこの土地から村人たちを追い出そうとしているのだと確信している。村長のフサーム・ダオウドは、村の水道が現在のインティファーダが始まって以降、何度も止められていると言う。水を供給しているイスラエルの水道会社が止めるのではなく、ユダヤ人入植者たちが夜のうちに止めてしまうというのだ。
今はオリーヴの収穫時期だ。多くの村人たちがオリーヴの実を集めて油を絞り、一部は自分たちが使い、一部は売る。ところがイスラエル兵士たちが村の入り口を封鎖しており、オリーヴ摘みに行く人々が外出することを許さない。するとオリーヴの実は、枝に着いたまま干からびてゆく。村人たちは昨日、ようやく初めて収穫に出かけることができた。和平プロセスに賛成する左翼のイスラエル人たち数十人が、TV報道のクルーと一緒に、村人を支援しようとやってきたからだ。
先のインティファーダのときよりも、今の方が被害が大きいと村人たちは言う。村役場によると、先のインティファーダが1993年に終わった時点までのハーリス村の負傷者は10人だったが、この7週間だけで、すでに22人が負傷したという。そして死者が1人、14歳のラーイド・ダオウドだ。
ダオウド氏はパレスチナ人の中では少数派で、和平交渉が再開され得ると考えている。ただし、アラブの村々に対する封鎖が解かれ、攻撃がなくなることが条件だ。彼は、「なかなか単純にはいかないでしょう。村から去るぐらいなら、私たちはむしろ死ぬことを選びます。屈辱に甘んじることはありません。もしもイスラエル人たちによるテロが続くならば、インティファーダもまた続くのです」と言う。