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パレスチナ・オリーブ
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〔出典:CHALLENGE 1997年1・2月号〕
「ガリラヤのシンディアナ」
−−オリーヴ油生産の復活
署名:アサーフ・アディーヴ、アブドゥ・ル=マージド・フサイン
オリーヴは中東地域原産の基本的な農作物のひとつであり、何世紀にも渡って、この地のアラブ農民たちを支える大黒柱でした。ところがイスラエルのオリーヴ産業は、この国の発展とともに拡大してゆくということがありませんでした。〔イスラエル国内の〕アラブの人々が生産したオリーヴ油の流通や販売は、ずっとイスラエル当局によって妨害されつづけてきました。それゆえ、これらアラブ系の農民たちは、生産のために投資をしようという気持ちさえおきない状態に置かれていたのです。
オリーヴ油には害のないコレステロールが含まれているという最近の発見から、現在拡大しつつある健康食品市場でオリーヴ油がヒット商品になっています。多くのアラブ農民たちは、今でも自分たち自身で使うためにオリーヴ油を生産しているのですが、この新しい市場にたいして付加的な利点も保持していました。つまり、こうしたアラブ農民たちは何百年も前からずっと、化学肥料も農薬も使わない有機農法を行ってきたのです。けれどもアラブのオリーヴ農家たちは、この市場的な価値に気が付かないでいました。
オリーヴ産品の市場を再活性化することは、アル=バーカ・センターの農業部門にとって常に夢でした。この夢に触発されて同センターは、「『ガリラヤのシンディアナ』オリーヴ油プロジェクト」を開始しました。〔1996年〕11月7〜9日、アラブとユダヤの約50人のヴォランティアたちがディール・ハンナ村で3日間を過ごし、エクストラ・ヴァージン・オリーヴ油の生産のためのオリーヴを収穫したのです。このプロジェクトは、アラブの農家に地元と海外での新しい市場への途を提供し、正当かつ十分な利益を目標に販売してゆこうとするものなのです。
この11月の試験的な収穫と搾油で600キロの最高品質の無農薬オリーヴ油が生産でき、ハイファにある「オリヴァル(オリーヴ油分析研究所)」の認定も受けました。そして、このプロジェクトの利益は全て、イスラエル国内のアラブたちの農業部門の活動、そしてマジド・アル=クルムとジャッファ〔アラビア語では「ヤーファー」〕にあるアル=バーカ・センターの社会活動計画のために活用されることになっています。
●オリーヴの森−−故意の無視
オリーヴ油はアラブの食卓では全く日常的な食品です。イスラエル国内のアラブの場合の平均消費量は、1人年間4リットルと見積もられています(イスラエル国内のユダヤ人の場合、1人年間平均で400ミリ・リットルと大きな差があります)。アラブの家庭で毎年保存されるオリーヴ油は、毎年1人当たり15から20リットルです。家族の成員が〔イスラエルの〕都市での肉体労働に従事している場合には、余剰のオリーヴ油を売ることで、その家族は追加的な収入を得ることができるのです。
オリーヴは、イスラエル国内でアラブの農民たちが今も生産者の多数を占めている唯一の作物です。柑橘類やタバコのような伝統的に良い利益をもたらしてきた作物は、1948年〔=イスラエルの建国宣言と第一次中東戦争の開始〕の後は、栽培が止まってしまいました。それでオリーヴが、アラブの農業における唯一の産品として残ったのです。イスラエル国内でアラブたちが所有している土地70万ドゥナム【訳注1】のうち、14万ドゥナムにはオリーヴの木が植えられています。これらの木々−−その中には樹齢数百年というものさえ存在します−−によって、この地での土壌品質の緩慢な悪化も防がれてきました。オリーヴの栽培が一番集中しているのは、三角地帯とガリラヤ地域の丘陵地です。
48年以上【訳注2】に渡って、イスラエル国内のアラブの土地所有者たちはオリーヴの木の大規模栽培というアイデアを断念させられてきましたが、それは主要にはイスラエル国家から十分な水の割り当てを手にすることができないからです。この地域においてのオリーヴは、柑橘類に次ぐ2番目に主要な作物であるにもかかわらず、イスラエル農業省は、オリーヴの栽培を奨励したり援助したりすることは、一切しませんでした。世界的にみてもイスラエルの農業というのは非常に先進的なのですが、これらの技術がオリーヴの栽培技術の改善やオリーヴ油生産のための技術革新のために応用されるということは一切なかったのです。オリーヴ農家は、閉鎖的で統制の厳しい市場システムに不満を持ってきました。こうしたシステムゆえに農民たちは、利益も上げられず、また支援も得られない、そうした歳月を過ごしてきたのです。
●オリーヴへの関心の再来
パレスチナ人たちにとってのオリーヴの木は常に、永続性や土地とのつながりを象徴するものでした。例えば、政治的な混迷状況の際に、人々が新たなオリーヴを植樹するという行動で応えるということは、これまでに何度も見られたことです【訳注3】。
1970年代になって、オリーヴの木にたいする新たな関心がアラブの村々に巻き起こりました。これは、一連の(非商業的な)現象から生まれたものです。この一連の現象とは、1)人口の増加に伴うオリーヴ油の需要の高まり、2)家の建設のためにつぶされたオリーヴの森を代替する必要性、3)アラブが所有しているの没収を防ぐ【訳注4】ことが必要だとの認識が広がってきたこと、などです。1980年代の初頭以降、新たに3万5千ドゥナムの土地でオリーヴが植林されました。サクニーン村【訳注5】だけでも、没収のおそれがあった3千ドゥナムの土地に新しくオリーヴの木が植えられてきました。
同時に、ナチュラルな健康食品としてのオリーヴにたいする関心も高まってきました。エルサレムにあるハダサ病院のエリオット・バーリー博士の指導によって行われた最近の研究で、「オリーヴ油はコレステロール値を下げるだけでなく、心臓病の根本的な原因である酸化をも防ぐことができる」(『ハ=アレツ紙』1994年10月10日付)【訳注6】と明らかにされたのです。さらに『ハ=アレツ』紙は、オリーヴ油が持っている抗酸化特性がコレステロールの化学構造に生じる有害な変化を防ぐという点について、『栄養・心臓血管疾患』誌【訳注7】からの引用を掲載しました。
こうしてイスラエルでのオリーヴ油製造業は、経済的な成功の可能性を確実に持つこととなりました。順調に行けば、オリーヴ油の販売拡大という新しい可能性を地元と海外の両方の市場で開くことも可能となるでしょう。この1996年にはガリラヤ地方でのオリーヴ油生産は7千トンに達すると見込まれており、このうち5千トンは地元と地域市場で消費されるはずです。つまり2千トンのオリーヴ油には市場がないことになります。過去にはヨルダン川西岸地区の商人たちが余剰オリーヴ油の全て買い上げて、ヨルダン経由で近隣のアラブ諸国に輸出していました。ところが封鎖措置とサウジ・アラビア(主要な得意先)との関係の悪化ゆえに、こうした道は閉ざされています。
1993年にイスラエルの農業大臣は、オリーヴ産業の発展のために150万米ドルを投資するとの計画を発表しました。けれども、この小さなプロジェクトは1996年に新しい政府〔ネタニヤーフ政権〕によって中止されてしまいました。アル=バーカ農業委員会は、(A)アラブの農地を没収しやすい状態に置く、(B)オリーヴ生産の分野でアラブが優位となることを妨げる、といった目的のために国家権力がオリーヴ産業の発展を阻害していると考えています。
アラブの農民たち自身の取り組みだけが、唯一こうした状況を変え得るのです。農民たちは、自らオリーヴ生産を近代化し、また利潤を上げられるように組織してゆかなければなりません。それによってのみ、イスラエル政府をしてオリーヴ産業への支援をせまることができるでしょう。
「ガリラヤのシンディアナ」は、ひとつの試みです。私たちは、農民たちに公正な価格を保証し得るような進歩的取り扱い業者たちとのコンタクトを求めています。
私たちの高品質なオリーヴ油を海外に販売してゆくための仲介者について、読者の方々からの情報を待っています。
「ガリラヤのシンディアナ」協会
Sindyanna of Galilee Association
P.O.Box 41199, Jaffa 61411, Israel
Tel: +972-3-6839145
Fax: +972-3-6839148
E-mail: asafadiv@netvision.net.il
In the U.S.A.: Mirta Moskovitz
E-mail: 72122.1211@compuserve.com
【訳注1】ドゥナム:面積の単位で、パレスチナ地方では1ドゥナム=約900平方メートルといわれる。
【訳注2】要は、「1948年のイスラエル建国宣言、そして翌49年まで続いた第一次中東戦争以降」という意味合い。
【訳注3】ここを訳していて思い出したのが、昨年(1996年)の被占領パレスチナ/イスラエル訪問の間に偶然参加した4月6日のベツレヘムでの集会だ。イスラエルによる土地の没収に抗議するデモと集会であり、今年3月に入植地(ハール・ホマ)の新規建設が強行されたアブー・グネイム山のすぐ近くでの取り組みであったということは、『Chun-Pon!』第3号の表紙に付けた写真に示した通りだ。パレスチナ人だけでなく、イスラエル人たちの諸団体も参加していた。1千〜2千人規模だったと思う。そして、この時の集会プログラムには植樹セレモニーもあったのだった。この時もらった資料の中に「没収された土地での平和を求める植樹について」というビラがああった。ここで植樹された12本の木について、「1:人権のための木、2:正義のための木、3:自決権のための木、4:自由のための木、5:独立のための木、6:主権のための木、7:難民たちの帰還のための木、8:人間的な尊厳のための木、9:平等のための木、10:統一のための木、11:礼拝の自由のための木、12:全ての人々の安全保障〔Security〕のための木」と位置付け、さらに「今日、ベツレヘムの私たちはイスラエルによって没収された土地に12本の木を植えますが、イスラエルの関係当局者たちが自らの心の中にも、これらの木の意義を植え付けるようにと呼びかけます。木々が没収された土地で育ってゆくのと同時に、彼らの心の中でも、これらの木々の意義が育ってゆくことを望んでいます」というメッセージが付いていた。かなり広い「野原」での集会で、この12本の全てを確認した訳ではないのだが、その何本かを見た時に「ああ、やっぱりオリーヴの苗木だな」と思ったという記憶がある。集会場=野原のあちこちに小さな穴を掘って、そこに1本1本の木を植え、小さなノートの切れ端のような紙に英語とアラビア語、そしてヘブライ語で「人権」とか「正義」などと書いて根本に置いておく、という形だった。その後に実際に苗木が育っているのかどうかは確認できないが、象徴的なセレモニーだった。
【訳注4】イスラエル当局から「未耕作地」とみなされると没収の対象となってしまうため、植樹が没収に抵抗するための取り組みのひとつでもあるのだ。
【訳注5】サクニーン村:イスラエル北部でナザレの真北、直線距離で20キロ程の場所にある。
【訳注6】『ハ=アレツ』紙:イスラエルのヘブライ語有力日刊紙。「アレツ」はヘブライ語で「土地」の意味。
【訳注7】『栄養・心臓血管疾患』誌:元の英語テキストでは「Nutrition and Cardiovascular Disease」。多分、世界のどこかにこういう医学系の学術雑誌があるのだろう。