署名:タフスィーン・ヤキーン
パレスチナの子供たちはパレスチナで起きている現象を最もよく表す存在であり続けてきた。子供たちはその率直さや無垢ゆえに、状況を虚飾なく映し出す澄んだ鏡となるからだ。それゆえ学校の生徒たちの生み出す芸術作品には、政治状況の影響が特に明らかとなる。彼らの多くはその絵画や文章を通じて標準的な世論と共振しており、その作品には出来事によって喚起される思考の動きを示す関数のようなことばや感情が充満している。
ラーマッラーのクッリーヤ・アハリーヤ学校で行われている、インティファーダ・ハラム(訳注:アル=アクサーのインティファーダ)に想を求める芸術教育活動において、生徒たちは彼らを取り巻く状況を表現するにあたってさほどの困難を感じなかった。なぜなら彼らにとってインティファーダの出来事の詳細を写し取ることは、彼ら自身がその出来事を生き、あるいはごく間近から見つめているという事実そのものから生じているからだ。
彼らの用いることばのレベルでいえば、実に多くの政治的な語彙が彼らの口をついて出てくる。その多くは十年前から続く和平交渉が生んだ語彙であり、またこの度のインティファーダが呼び覚ました(1987年12月からの)第一次インティファーダ時の語彙であったりする。
生徒たちの芸術作品が中心的な出来事と直接の関係を持つとするならば、子供たちの受ける文化的・心理的影響に関心を持っているものたちにとってその重要性はより大きいといえる。エルサレムのサーブリーン・インスティテュートが経験と意識に基づいて提案したプログラムの計画と実践の方法は、子供たちの文化教育と芸術向上の領域に重要な地平を獲得するであろう。
中心部のさまざまな地区で子供たちのために提供されているプログラムとサーブリーンのそれとの違いは、我々の見たところ、それがこの手のものでは唯一、総合的な芸術観に基づいている点にある。地元出身のインストラクターたちは第6学年から第10学年までのうちの一クラスと集まりをもち、生徒たちと共にプランを描いていく。そこでは事態をどう把握し、それをいかに表現し、文章、絵画、音楽、演劇という複数の手段によって芸術に転化していくかについて自由なディスカッションが行われる。
生徒たちはインティファーダを見聞きした自分自身の経験に基づき、中心的な語彙、あるいは「鍵」を選び出す。そしてそれらことばの鍵からの連想によってそれぞれに関連する単語を加えてゆく。その後は各グループに分かれ、あるグループはそうして出来たことばの骨格を単語や文で肉付けしてゆくことで表現しようとする。こうした方法は子供にとっても大人にとっても効果的な文学教育の方法である。
第2のグループはディスカッションの輪から抜け出すと、それら大小の「鍵」を絵画によって表現しようとする。そこにおいて生徒たちは外部の世界を彼ら独自の方法と自由な意識によって真似るのである。我々が実際に目にした彼らの作品は、共同製作による複数の壁絵であったが、そこにはインティファーダとこの地域の環境を示す象徴や記号が表されていた。絵画を指導するのは画家ターレブ・ドゥウェイクである。彼は絵画教育の数少ない専門家の一人であり、24年にわたってエルサレムのいくつもの学校で教師や美術指導員として活動し、またワースィティー・センターの絵画部門においてもエルサレムの子供たちを対象に絵画に必要な技術の習得を指導したり、彼らのアイデアを芸術作品にすることを奨励したりしてきた。
また演劇を選んだグループは演劇という手段に適した「鍵」を通じて中心的な出来事を作品化する。生徒たちは劇場の舞台の上で彼らが思い描いたことや見たことをなぞっていく。それを指導するのは演出家のサーミフ・ヒジャージーであり、彼は演劇が必要とするいくつかの技術を生徒たちが習得するよう訓練を施す。それは舞台上での動きに関するものだったり、場面に相応しい感情を表現することだったりする。こうして全員参加でシナリオが形作られたが、そうすることによって生徒たちは作品を自分のものとし、ディスカッションを劇に転化するという芸術的創造を自ら行ったことに喜びをおぼえたのであった。
また演劇は音楽と密接に結びつき、音楽はシナリオや演技に感情や強調を添えることができる。そこで最後のグループは音楽的リズムを加えることで作業を完成させる。短い時間の訓練の成果は豊かで、驚くべきものであった。この社会全般にいえることだが生徒たちは非音楽的な環境で生きており、彼らの音楽的才能は限られている。それにもかかわらず彼らは、若き音楽家ウィサーム・ムラードの指導によってすばらしい進歩を示し、複数の楽器と親しみ、ディスカッションの段階で合意してあった劇の筋に沿って演奏することができた。そして上演に際しては、音楽隊は舞台の脇に座り、劇の伴奏を行った。その音の高低や速さは演技のリズムと調和していた。この時、舞台の奥には子供たちが描いた壁絵が置かれていたが、それはまるで通常の劇の舞台美術のようであり、場面と連関した美的な視覚効果とテーマ上の効果とを添えていた。
4時間のワークショップの後、こうした成果が発表されるにあたって、最初にまず生徒の一人がこれから示される幾つかの「鍵」に着想を得たテクストを朗読する。それに続けて絵が飾られた舞台で音楽を伴った劇が上演される。それはほんの数分であるが、教育的効果と、これまでにない方法を試したことに対する子供たちの喜び、今起きている事態についての彼らの感情を表現することの喜びを証明するには十分であった。
サーブリーン・インスティテュートのアーティスト、サイード・ムラードは言う、どのようなプログラムであっても現実の出来事から得たインスピレーションを昇華させることが重要であり、それは目下の中心的な出来事であるインティファーダをふくむ。一方事態を慌てて追うだけのプログラムは往々にして性急で底の浅い、単なる娯楽と堕してしまい、子供たちの文化や才能、技能、思考、芸術的嗜好などを向上させる教育的なプログラムとはならない。
さらにサイードによれば、サーブリーンのプログラムは今夏(訳注:2000年)、ベイトジャーラでブリティッシュ・カウンシルとの共催によって開いた音楽のサマ−・キャンプなどの、子供たちと触れあう経験から獲得した総合的な視野を提供するもので、詩、絵画、音楽、演劇といった複数の表現を子供たちに示し、間接的なやり方で子供たちに様々な芸術の方法や道具、素材などに触れさせ、それらの芸術がどのように互いに結びつき、表現や構成において調和しているかといったことに気付かせることができるという。こうしたことは子供の意識、さらには無意識の中に、芸術の鑑賞を助ける要素を育てることになる。それは始めは種のようで、次第に生育し、将来は芸術を鑑賞する能力のある市民を生み出すことになるだろう。そうすることがこの国においてアラブ芸術を衰退と低下から守る防御壁となるのである。しかしサイードはこうした目標を直接口にすることは差し控え、生徒たちが実践を通じて好きに、また自由に学ぶようにするべきだと考えている。◆
[翻訳:山本薫]