パレスチナの「今」に向き合う一つの回路
インティファーダが与える影響に子供たちが抗してゆくための、サーブリーンの支援プログラム
岡田剛士
左頁に掲載した絵を見てほしい。背景は真っ黒で、線画は灰色。元の画像ファイルはカラーなのだが、このパレスチナの旗の赤や緑といった色はごく薄く、背景の黒に埋もれてしまいそうな色あせた旗のごとく描かれている。そして、この色あせた旗を掲げた子供は、泣いている。
これは、東エルサレムの音楽グループ、サーブリーン【注1】が開始した新しいプロジェクト「ある子供の証(あかし)――音楽とアートを活用したリクリエーションによる支援プログラム――インティファーダが与える影響に子供たちが抗してゆくための、サーブリーンのキャンペーン」の趣意書と相前後して昨年末に送られてきたイメージ画像だ。
この拙文に続いて「ある子供の証」の趣意書〈拙訳〉を掲載するが、その趣旨はプロジェクトの名称からだけでも十分に理解できると思う。つまり、現在の「アル=アクサーのインティファーダ」【注2】――イスラエル軍による歴史的な占領や様々な抑圧政策、そして実際に虐殺戦争とも言い得るほどの状況の中での闘いと犠牲、暫定自治政府に関連する様々な、そして深刻な矛盾といった一連の状況――のただなかを生きるパレスチナの子供たちの心の問題に、サーブリーンたちが自分たちの音楽や、その他の様々なアートを活用して具体的に取り組んでゆこうとするプロジェクトだ。そして左頁の絵は、このプロジェクトのワークショップに参加した一人の子供が描いた作品なのだという。
「パレスチナ」プラス「子供」という図式が提示された場合に、マスメディアでの報道も含めて「石を投げる子供たち」といったイメージを呼び起こす人は多いだろう。現在のインティファーダの中でも子供たちは石を投げている。しかし、そのようなイメージと、この絵に示されている「パレスチナの子供」のイメージの間には差異がある。
「ある子供の証」の趣意書が届き、「なるほどなあ」と興味を持って翻訳を始めていたところに、この画像が届いた。非常に印象的だった。そして僕は改めて確認した。この二つのイメージは、どちらもパレスチナ――そしてその子供たち――の「今」を、それぞれに表現しているのだ、と。
サーブリーンたちのプロジェクト「ある子供の証」に触れる前に、そのための一つの前提として、こうしたパレスチナの子供たちの心の問題に注目した著作を紹介したい。それは、シルヴィ・マンスール著『石の蜂起――インティファーダの子供たち』(吉田恵子訳、現代企画室、一九九三年[原著は一九八九年])だ。著者はフランス人の心理学者であり、その自らの専門的な領域ゆえの興味をも背景としながら、「パレスチナの青少年の『私的な』面に触れようとして、一九八八年七月七日から八月十日にかけて」(序文、九頁)被占領パレスチナを訪問した。
本書には、心理学に関わる統計調査的なデータ(と云えば良いのだろうか)と、それを基にした分析も含まれているが、僕が何よりも興味深かったのは、彼女が調査のために用意したアンケート(「私とは何者か?」「理想の人物像は?」といった設問)に対する子供たちの様々な回答が、具体的な事例として掲載されていることだった。「パレスチナの若者たちを理解すること、これらの若者たちのために、彼らの興味の中心、感情、不安、希望をまとめて言葉にすることが本書の目的である」(序文、一一頁)という、まさにその具体的な「言葉」が、回答の中に示されていると思った。【注3】
そして彼女は著書の「結語」を、こう締めくくっている。
「パレスチナの子どもたち、青少年たちは、パレスチナ人としての自らのアイデンティティを(そしてそれに支えられた歴史意識や政治意識を)精神のうちに取り込み、民族の未来を引き受けようとしている。そのことが彼らに力を与えているのだ。彼らは、自分たちが属する共同体が参加している民族闘争のプロセスを問い直したりはしない。過去に行われた不正をその目で見届けている上に、現在行われている不正についても新たな証拠が絶え間なくもたらされているからである。」(結語、一九七頁)
先のインティファーダのただなかの一九八九年――つまりは湾岸戦争や現在までの中東和平プロセスといった一連の経緯の前――に書かれた文章として、僕は全く違和感を持たない。だが、状況は様々に動いてきたし、今も動いている。シルヴィ・マンスールは、ここに引用した締めくくりの数行前に、実はこう書いている。「今日までパレスチナ人の抵抗が『市民』レジスタンスであり続けたこと、展望を欠いた爆発を避けてきたことは、若い世代の倫理的発達にとっていっそう好ましい条件となっている。だがパレスチナ人が自らの闘争による成果をいっこうに得られないままであれば、このような自制もいつまでもつだろうか?」(結語、一九六頁)と。
そして今、「アル=アクサーのインティファーダ」を生きるパレスチナ人たちは、先のインティファーダよりも一層厳しい状況を強いられている。イスラエル軍による銃撃のさなかに倒れるパレスチナ人親子(ガザ回廊/九月三〇日)の映像は、日本のマスコミでも流された。正式名称を「イスラエル防衛(国防)軍」とし、合州国からの巨額の援助をも受けているイスラエル国家の軍隊は、メルカバ戦車や攻撃ヘリすら動員している。その一方では、パレスチナ警察部隊に捕捉されたイスラエル軍兵士に対するパレスチナ人群衆によるリンチ殺人も起きた(一〇月一二日)。さらに暫定自治(オスロ合意)以降にはパレスチナ人社会の内部での貧富の格差の拡大や、パレスチナ治安当局によるパレスチナ人に対する人権抑圧や拷問(そして拷問死)といった様々な問題も、ある。
そして「(今年一月第一週までの)この一四週間の衝突で三〇一人のパレスチナ人、そして一三人のイスラエルのアラブ人たち、四三人の他のイスラエルの人々が殺された」(ジャパン・タイムズ紙、一月八日付、ロイター電)。それでもなお、民族自決、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の独立、そして難民の帰還という、歴史的なパレスチナ人たちの希求/権利が実現する目処は立っていない。
シルヴィ・マンスールが、「自制」がいつまでもつだろうかと書いた、その言葉が何らかの「預言」にならなければ……そんな漠たる思いもあった。「ある子供の証」プロジェクトの趣意書と、色あせた旗を掲げて涙するパレスチナの子供の画像ファイルは、そうしたさなかに、まさにその現実/現状のただなかを生きているサーブリーンから届いたのだった。
その趣意書の中でサーブリーンは、「子供たちの個人的なアイデンティティは、伝統と自衛の強大な文化の中に飲み込まれてしまっている。敵意に満ちた環境の中でのこうした社会的価値観が、子供の精神の上におおいかぶさっているのだ。こうした状況に対抗できない子供たちは内側に引きこもり、抑圧と孤立へと追いやられることになる。これらの、子供たちへの影響は、たとえ直ちに訪れるものではないとしても、それが取り返しのつかないものとなる危険性は高い」(概論)と書いている。そうであるならば、先に引用したシルヴィ・マンスール(結語、一九七頁)が積極的な評価を与えていたパレスチナ人としての自らのアイデンティティや歴史意識、政治意識などが、逆にパレスチナの子供たちの「心の重荷」となっているという側面があるのではないか、と思える(もちろん文章を書いた主体[=観察者]も時期も異なるがゆえに、単純な比較はできないだろうけれども)。
そうした問題意識からの実にサーブリーンらしい取り組みだ。アラビア語で「耐える人々」を意味するサーブリーンたちは、やはり今もなお「耐えて」いるだけではなかった。歴史的なパレスチナの今を生き、音楽を創り演奏し、音楽スタジオを建設し、子供たちに音楽を教え、そして新しいプロジェクトを構想し、開始したのだ。
一九九三年末からのパレスチナ訪問の際に僕は、東エルサレムにあるサーブリーンの音楽スタジオで、サーブリーンが取り組んでいた「音楽教室」の生徒と、ごく短時間ではあったがカーヌーン(アラブお琴)やダルバッキ(太鼓)を演奏して遊んだことがある(「スタジオにやって来たヘンな外国人のオジサンが、やおらアラブの伝統楽器を弾き始めた」ので、その一〇歳位かと思われる子供は、割と驚いていたみたいだったけれど……)。また九五年の訪問の際には、スタジオの音響技術者を養成するための訓練プログラムの現場にも居合わせることができて、非常に興味深かった。
だからこの「ある子供の証」は、イスラエル軍による全く一方的な虐殺戦争が継続し、同時に自分たち自身の社会と歴史的な希求がどうなってゆくのかというギリギリの状況の中で、パレスチナ人たちが自ら開始した取り組みだ。外国のNGOや国際機関が開始したプロジェクトではないという点にも、意味があると考える(もちろん、様々な[外側からの]支援プロジェクトが無意味だと言いたいわけでは、ない。逆に、具体的なプロジェクトであるがゆえに、海外NGOなどとの様々な連携ということは可能だろう)。
趣意書の後半でサーブリーンは、「当初は、多くの人々が望むような音楽環境を作るために必要とされる社会基盤と人的資源の圧倒的な欠落を経験した」と書いている(開始の背景)。まさにそのような状況こそが、パレスチナ人たちに歴史的に強いられてきた。だが一方でサーブリーンの音楽は「地理的・政治的な境界を乗り越えてきたし、世界各地のミュージシャンやアーティストたちとの交流を実現してきた」(同)。一九九二年の日本でのコンサートや、その前後に実現した二枚のCDの発売なども、こうしたサーブリーンたちの経験の一端となっているのではないか(あるいは「そうであればいいな」)と、僕は勝手に思っている。
「石を投げるパレスチナの子供たち」のイメージをメディアから受け取るだけではなく、もう一方のイメージ/現実としての「パレスチナの子供たち」│その子供たち一人ひとりの具体的な日々の生活や、その心の問題をも含めて│に、今、僕たちが近づいてゆくための(あるいは僕たちが、こうした二つのイメージを僕たち自身の内部で統合し理解する、そのための)一つの回路がここにある、と思う。
僕たちの側からの可能な支援は、とりあえずはカンパだろう。だからサーブリーンたちと連絡を取って、こちらからカンパを送ることを考えた。同時に、こうしたプロジェクトの情報にアクセスしてもらうためのインターネット上のホームページも作った。さらにはサーブリーンの三枚目のCDの(日本とかいう国家の内での)発売についても、打診を始めている。ぜひ注目を! そして支援を!
★カンパ送り先:
郵便振替口座:00170-0-608839
加入者名:サーブリーン協会
★とりあえずの連絡先(岡田):03-5397-4898(FAX専用)
電子メール:tokada@jca.apc.org
ホームページ:
http://homepage2.nifty.com/tokada/sabreen/sab-top.html
注
【1】すでにここでは、サーブリーンについて詳述する紙幅は、ない。『音の力』(インパクト出版会、一九九六年)に頼まれて書いた拙文「サーブリーンのこと、そして僕たちのこと」があるので、多少なりとも参考になるかもしれない。
【2】「アル=アクサーのインティファーダ」については、例えば、蝦沢薫「[視点]アル・アクサー インティファーダ――占拠が続く限りパレスチナ人の抵抗は終わらない」本誌前号(122号/二〇〇〇年一二月一〇日)が、具体的な経緯と背景を解説しているので参照してほしい。
【3】当時のイスラエル軍占領下という状況ゆえの様々な制約の下での調査であり、サンプル数の少なさも含めて、その調査自体の持つある種の「きわどさ」については、同書の中で著者自身が何度も言及している。
[岡田剛士(おかだ・つよし)超零細電算写植会社勤務]