『季刊 運動〈経験〉』第5号(2002年4月29日/反天皇制運動連絡会・編集)

特集:テロリズム再考


イスラエルの「国家テロ」とパレスチナの「自爆テロ」
――この日本に居るなかから考える


岡田剛士(おかだ・つよし/派兵チェック編集委員会)

 僕は一九八三年の夏に、二年間の青年海外協力隊の隊員としてのシリア(ダマスカス)での任期を終えて帰国した。もう二〇年も前のことだ。それから何やかやと、日本国内でのパレスチナ連帯運動なるものに関わり続けてきた。しかしパレスチナ人たちの側からの相次ぐ自爆テロ、さらに昨年「九・一一」の米国テロ事件をも契機としたイスラエルからの対パレスチナ全面戦争とも言うべき状況を前にして、僕(たち/あるいは、少なくとも僕自身)は、武装や暴力、そしてテロという問題を回避し続けてきたのではないかと、改めて思わざるを得ない。
 二〇〇〇年九月三〇日、「アル=アクサーのインティファーダ」開始直後のガザでパレスチナ人親子が銃撃のただなかに倒れる、その瞬間の映像が日本のTVでも繰り返し放映された。そして、そこから約二週間後の一〇月一二日、パレスチナ警察部隊に捕捉されたとされるイスラエル軍兵士に対するパレスチナ人の群衆によるリンチ殺人があった。イタリアのTVチームが撮影したという、その映像も日本のTVで放映された。「イスラエル軍と、その兵士たちに対するパレスチナ人の怒りの気持ちは分かる……と思いたい」という気持ちは働いた。けれど僕は、そう自分に思い込ませることはできなかった。そのとき僕は、パレスチナ人たちの心に積もっている怒りや憎しみがどれほど激しいものであるにせよ、それでもなお「こんなこと、やっちゃだめだ」と、思った。
 そして今、シャロン首相が「イスラエルは戦争状態にある。テロ組織を壊滅する」として、これまで以上の大規模な対パレスチナ軍事攻撃を宣言(三月末)、その戦争の報道に接しながら、この原稿を書いている。

◆「九・一一」前後のパレスチナ状況

 昨年九月一一日の夜、米国テロ事件の第一報がTVで伝えられ始めていた頃、僕は帰宅途中で、たまたま知人に電話をかけていた。その知人は、「大変だよ。ニューヨークで飛行機がビルに突っ込んだって、TVでやってるよ」などと言う。
 僕は、このときの自分の応答はよく覚えている。僕はとっさに、「まさかパレスチナ人じゃないだろな?」と応えたのだった。
 昨年の夏から九月にかけてパレスチナの状況はひどくなる一方だった(もちろん、その後は、もっとひどくなっていった)。二〇〇〇年九月末からの「アル=アクサーのインティファーダ」は「武装したインティファーダ」という側面を強めながら、パレスチナ人たちの側の犠牲者は一九八七年からのインティファーダとは比べものにならないほど多数にのぼっていた。さらにパレスチナ人側からのテロが続発、イスラエル軍によるF16戦闘機やアパッチ・ヘリコプター(どちらもアメリカ製の強力な兵器だ)、そして戦車部隊すら動員した報復攻撃が激化していた。
 そして二〇〇一年九月は、何よりもまず「アル=アクサーのインティファーダ」開始からの一周年であり、また一九八二年のイスラエルのレバノン侵攻から結果したベイルート近郊のサブラ、シャティーラという二つのパレスチナ難民キャンプでの虐殺事件から一九周年でもあった。この八二年の侵略戦争と虐殺事件の当時、イスラエルの国防大臣として直接/間接的な責任を負うべき人物が、他ならぬ今のイスラエル首相、アリエル・シャロンだということも忘れるわけにはいかない(というよりも、多くのパレスチナ人にとってのシャロンとは、まずもってそうした経歴の持ち主だ)。
 ごく単純に振り返るならば、これらが「九・一一」直前までのパレスチナ状況の一端としてあったと思う。湾岸戦争と、その年(一九九一年)一〇月からのマドリードでの中東和平交渉の開始、そこから一〇年目の秋がこうした状況の下で迎えられようとしていた、そのようにも言えるだろう。
 こうしたあれこれの状況も踏まえて、秋にはどんなにささやかではあっても、何か抗議行動をするとか集会を持つとかしないといけないよな、などと考えていたし、若干そんな意見交換もしていた。けれど個人的には、飯を食うための仕事がメチャメチャで土日も夏休みも一切なし、それにも関わらず数ヶ月に渡る給料遅配。「こんなケタ落ち超零細企業労働者に何ができるんだ、コンチクショウ!」というゲッソリ、ドタバタの日々を生きていた。
 そこに飛び込んできたニュース。「まさか……?」
 パレスチナ人たちの側が何か大きな事件を起こしたら、次にはさらにひどい軍事攻撃をイスラエル軍から受けて、もっと多くの死傷者が出てしまうだろう……僕はとっさに、そんなことを考えたのだった。
 そして「九・一一」以降に、パレスチナをめぐる状況は悪化の一途をたどった。米ブッシュの「反テロ報復戦争」宣言は、イスラエルのシャロン首相にとっては対パレスチナ軍事攻撃のさらなる拡大・強化に向けた「青信号」を意味しただろう。合州国が世界大で「対テロ」戦争を継続・拡大し、イスラエルはパレスチナで、その「対テロ」戦争を担っている、という構図だ。
 具体的な状況としては、例えば「パレスチナ・モニター(The Palestine Monitor)」という、パレスチナのNGOグループの情報ネットワークは、昨年一〇月二日付の「緊急報告/イスラエルの封鎖措置は市民の生命を危険にさらす集団懲罰だ」【注1】の中で、「イスラエルによる封鎖措置はガザ回廊とヨルダン川西岸地区で継続している。現在のところ、西岸地区にある九七ヶ所のイスラエル軍の検問所、ガザ回廊の三二ヶ所の検問所、そして各地での道路封鎖によって、パレスチナ人たちの居住地域は二二〇ヶ所のバラバラに孤立させられたバンツースタンとされてしまっている」と報告している。
 インターネット経由のパレスチナ問題に関する英語のメーリングリストでは、こうした報告や声明、資料などが膨大に流され続けた。小さな赤ちゃんをも含む死者たちの、悲惨というか、目を覆いたくなるような画像も多くあった。

◆統一した闘いを実現できないインティファーダ

 しかも、軍事攻撃だけではない。封鎖と包囲、そして家屋の大量の破壊がパレスチナ人たちの日常生活それ自体を成り立たなくさせた。また「テロリストの検挙」という名目での大量の人々の逮捕・拘束、イスラエル軍特殊部隊による暗殺作戦など、そのようなメチャメチャな暴力と弾圧がヨルダン川西岸地区とガザ回廊の全域を覆い尽くした。およそ人が生きてゆくことなど不可能な状況が強いられ続けた、と言えるだろう。
 こうした絶望的な状況のなかで、パレスチナ人たちが自爆テロを、その自らの抵抗の手段として択び取ることは当然ではないか――そういった主張は現実に存在するだろう、この日本においても。
 けれど僕は、そのような思い入れから――身を引き剥がすようにという表現が、ある種適切かもしれない、そうした気持ちの上でのプロセスを経ながら――一歩引き下がる。なぜならば僕は、今現在のパレスチナを生きるパレスチナ人では、ない、からだ。今この日本という国家・社会の日々を生きている、そうした僕自身の日々の目線からパレスチナに注目すること、それが、とにもかくにも僕自身にとっての現実としての出発点なのだと思う。
 僕は、基本的にイスラエルの軍事占領に対するパレスチナ人たちの闘争には正当性があると考えてきたし、それゆえに自爆「テロ」という表現ではなく、自爆「攻撃」なのだと表現すべきだと考え、実際にそういう表現を使ってきた。もちろん、最大の問題がイスラエルの軍事占領にあるのは確かだ。しかし、「九・一一」以降の経験をも含む、この「アル=アクサーのインティファーダ」の一年半という時間を経るなかで僕が考え始めたのは、いくらパレスチナ人たちの闘争だといっても、それなりに「闘い方」ってのはあるんじゃないのか、ということだった。そのきっかけは、四つある。
 一つは、「チャレンジ」という、イスラエルの反シオニスト左派グループが発行する同名の隔月刊・英文雑誌(第六五号/二〇〇一年一・二月〕に掲載されていた「戦闘のただなかの子供たち――『ライ麦畑でつかまえて』くれる人は誰も居ない」(署名:ミハール・シュワルツ)という文章だ。
 この文章の冒頭には、「アル=アクサーのインティファーダには、子供たちの血が塗り込められている……最初の〔一九八七年からの〕インティファーダでも子供たちは殺されたが、現在のような比率ではなかった……投石するパレスチナの子供たちの間に銃を持った人々が現われた時、イスラエルは発砲する言い訳を得た」とあり、続いて幾つかのパレスチナ人の注目すべき発言が引用されていた。
 それは例えば、「パレスチナ人たちが銃火器を使用している、そのやり方は、彼ら自身を大きな危険に晒している。戦車やミサイル、戦闘機に対して自動小銃で立ち向かうことは無意味であり、自殺行為でしかない」、あるいは「いかなる大衆闘争においても、そこに武装して覆面をかぶった男たちが参加することは、非常に否定的な現象です。……ここには問題があります。単一の権力組織があるのではないからです。逆に様々な力関係が存在し、民兵組織もまた同様なのです。それぞれが独自の決定をしています」といった発言だった。
 もう一つは、二〇〇一年六月二日付の『ジャパン・タイムズ』紙に掲載されていた「パレスチナ人たちは抵抗のための戦術を疑い始めている」というタイトルの文章(署名:スザンヌ・ジーマ)。この中に、ベイト・ジャーラに住む二〇歳の男性(匿名)の証言が引用されていた。
 「彼ら〔訳注:武装したパレスチナ人たち〕は、拳銃を持ったまま、近くの家の脇に立ちます。彼らは拳銃を空に向かって撃ち、イスラエル軍はそれを聞きつけます。/拳銃では何かを撃ち倒すことなどできません。発砲した時の音が響くだけです。彼らは発砲して、そして立ち去って行くのです。それからイスラエル軍が、ベイト・ジャーラへの射撃を開始します……私の友人は、自分の家から彼らが銃を撃つのを止めさせようとしました。/彼らは何と言ったと思いますか? 彼らは私の友人に、『お前は〔イスラエル側の〕スパイだ。殺してやる』と言ったのです……パレスチナ警察も彼らを制止できません。警察は彼らを恐れているのです」。
 そして、この男性と他のベイト・ジャーラやベイト・サーフールの多くの若者たちは、こうした状況に対する「個人的な解決策」としてヨーロッパやカナダ、あるいは合州国に移住しようとしていると、この記事にあった。
 何らかの形で海外で働けば、残った家族に仕送りをすることも不可能ではないとの判断もあるだろうけれど、それ以上に、そこに住んでいる人々の共感を得られないような形の闘争は問題だ、と僕は思った。
 そして残りの三つ目と四つ目の契機は、「旗」に関連している。
 その一つは、昨年五月に東京都内で「パレスチナ現地報告会――拡大する占領の中での難民問題のゆくえを考える」という小さな集会を持ったときの経験だ。二〇〇〇年末から二〇〇一年初旬にかけてパレスチナを訪問した、「パレスチナの平和を考える会」の役重善洋さんに大阪から来ていただき、彼が撮影したビデオを観ながらお話を伺った。
 そのビデオで僕が印象的だと思ったのは、パレスチナ人たちのデモ隊が様々な組織の旗を掲げていたことだった。緑色の旗はイスラームを基盤とした組織の旗だろうし、赤や黄色の旗もあった。
 あくまでも僕の不確かな記憶によるしかないが、先の一九八七年からのインティファーダでは、各派・各組織の旗が林立するデモ風景という印象が、ない。デモ隊の中では、せいぜい一人がパレスチナの四色旗を掲げていて、その「旗持ち」が割とカッコ良く見えた、という印象は、ある。
 こうした旗に関する「風景/印象」の違いは、今の「アル=アクサーのインティファーダ」と先のインティファーダの組織化や組織形態、指導部のあり方の違いが、はからずもそこに現れているのではないか、と考える。より端的に言えば、諸組織が具体的な合意の下で共闘しているというよりも、それぞれがバラバラに行動し、それぞれに可能な形での武装を伴った「デモンストレイション(=力の誇示)」をしているという状況なのではないか、ということだ。
 実は、以上の三点については、『インパクション』第一二五号(二〇〇一年六月)に書いた拙文「視点/『アル=アクサーのインティファーダ』の今――武力への傾斜がもたらす影響」でも言及した。「六月七日記」という日付が末尾にあるが、この文章の中で僕は、「六月一日にあったテル・アヴィーヴのディスコでの『自爆攻撃』は、明らかに無差別殺人を目的としたものだろう」とも書いている。カギかっこを付けているあたりに、今から思い返すと、僕自身のぶれ【、、】が出ているようにも思える。また、このくだりは、「例えば兵士たちだけを標的とした殺人」攻撃なら良いのか、という問題をも含んでいると、今ここに引用しながら気がついた。
 四点目は、昨年八月二七日にパレスチナ暫定自治地域ラーマッラーにあるパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の事務所がイスラエル軍ヘリコプターからのミサイル攻撃を受け、アブー・アリー・ムスタファ議長が殺された、その事件に関わっている。これを報じた毎日新聞(八月二八日付)には、AP通信の写真が掲載されていた。「二十七日、ムスタファ議長暗殺のミサイルが直撃した窓の外には抗議の群衆が詰めかけた」とのキャプションが付いている【注2】。
 数百人ほどの人々が、こぎれいな住宅街の一角といった風景のなかに集まっている。参加者たちが持つ、いくつかの旗も見える。だが、そこにある旗はパレスチナの四色旗、そして赤い色の旗だ。赤旗のいくつかは、PFLPのシンボル・マークを染め抜いたものと明らかに判別できる。逆に言うと、他の政治運動組織の旗、たとえば緑色の旗が、この「抗議の群衆」の中には、ない。この写真は、例えばPFLPと、他の左派組織あるいはイスラームを基盤とする諸組織などとの間に一種の距離があることを示唆しているのではないか、ということだ。
 こうして僕は、「パレスチナ民衆の決死の抵抗闘争」あるいは「新たな民衆のインティファーダ」といった形でのみ「アル=アクサーのインティファーダ」を捉えることはできないのではないか、と考え始めていた。

◆自爆テロを、どう考えるか

 そして当然にも「アル=アクサーのインティファーダ」が孕んでいるのは、こうした組織間の問題だけでは、ない、だろう。繰り返されるパレスチナ人たちの側からの自爆テロを、どう考えるのかという問題が、ある。
 例えば、西エルサレム(イスラエル側のエルサレム)のベン・イェフダ通りという大きな繁華街でも、このかんに何回か自爆テロがあった。ここは、僕自身もパレスチナ/イスラエルに行ったときには、ほぼ必ず訪れている。「東京の原宿みたいな場所」と言えば良いのかなあとも思うが、はたしてこれが了解可能な表現なのかどうか、僕には自信がない。とにかく、それなりに英語の分かる店員の居るCD屋がある(一応、イスラエルの音楽状況もチェックしたい)し、洋書の置いてある大きめの本屋もあるからだ(僕が読めるのは、せいぜい英語なのだが)。イスラエル人たちの運動団体の事務所を訪ねようと、テル=アヴィーヴの街なかを迷いながら歩いたこともある。
 だから僕は、まず第一に、そんな風に西エルサレムやテル=アヴィーヴの街なかで吹き飛ばされたらたまらない、と思う。単なる個人的かつ勝手な思いだと言われれば、それはそうだ。けれど僕は、こうした自分自身の単純な気持ちや感覚を、闘争や状況を評価するための基盤の一つとするのは当然のことではないか、とも思う。
 もう一つ、テロが何を破壊するのかという側面について。例えば二〇〇一年一二月の上旬に、ハイファという街で自爆テロが二回起きた。まず二日、自爆テロで路線バスが大破した。乗客ら少なくとも一六人が死亡、四〇人以上が重軽傷を負った。ハマース(イスラーム抵抗運動)が犯行声明を出したという。さらに九日の早朝にも同じハイファの郊外のバス停近くで自爆テロがあり、兵士ら二九人が負傷。犯人の男性は重傷を負った後、警官に射殺されたという。
 これらのハイファでの事件について、同年一二月一二日付の「共同通信ニュース速報」が、「『共生の町』にテロが影――イスラエル北部ハイファ」というレポートを配信している。
 「ユダヤ系とアラブ系の住民が互いの宗教や習慣を尊重し合ってきたイスラエル北部の港町ハイファで、パレスチナ過激派による自爆テロが一週間に二回起きた。『共生の町』を襲ったテロは、民族を超えた友情に暗い影を落としている。/ハイファはイスラエル第三の都市で人口二十六万人。住民の大半はユダヤ系で、アラブ系は一九四八年のイスラエル建国時に境界内に残り、その後市民権を得たパレスチナ人だ。双方とも『共生の精神がテロを抑止する』と信じてきたが、相次ぐテロに『仲良くやってきたのに、どう解釈していいのか分からない』とショックを受けた」という。
 兵士であれ誰であれ、とにかくたまたまその場に居合わせた人々を、その実行者と共に殺してしまうという自爆テロ。そこに生きてきた一人ひとりの人間への視線というものを、僕は全く感じることができない。ハイファという街に引き付けて言えば、そのイスラエル国内の都市のなかで、そのコミュニティに住んでいる具体的な人々の、さらに具体的な生活のありように対する視点の欠如とも言えるだろう。
 また、ハマースやイスラーム聖戦など、イスラームを基盤としたパレスチナ人たちの組織は、とりわけガザ回廊などのパレスチナ人たちの厳しい生活状況に対して、医療や教育、相互扶助などの大衆的かつ具体的な支援活動に取り組み続けており、だからこそ人々から大きな支持を得ているのだという。そのような取り組みには非常に実際的な意味があるだろう、ということは否定できない。しかし一方で、これら諸組織の集会や街頭デモンストレイションなどの映像をTVなどで観たときの違和感は、ある。自動小銃や手製の迫撃砲だけでなく、射程距離十キロを越える「カッサム2」ミサイルさえも持っているとの報道がある。しかし、そうした武器でイスラエル軍に対決してゆくのだという政治=軍事的な方針のバカバカしさ、だ。勝てるはずもない武力を誇示し、しかしそうしたデモンストレイションで鼓舞されるのは、イスラエル国家という、茫漠たる、しかし圧倒的な強者としての存在に対する怒りと憎しみの感情だけではないのか。さらにそこでは、その怒りの向けられる「イスラエル」の人たちの一人ひとりについての具体的な認識が前提とされているとは、とても思えない。

◆自爆テロを自らに引き付けて考えようとする新しい動き

 さらに、パレスチナ人たちの側からの自爆テロが、こうしたイスラームを基盤としているとされる諸組織に属していない人々によっても実行されている、との報道がある。パレスチナ人たちの絶望感が、こうした自爆テロへとつながっている、というのだ。
 こうした点に関連して、最近一つの文章を読んだ。それは、ナチスのホロコーストを生き延びたポーランド系ユダヤ人を両親にもち、ガザ回廊でパレスチナ人たちと暮らした経験もあるアミーラ・ハス(イスラエルの新聞『ハ・アレツ』の記者)の文章だ。その最後の部分を引用する。
 「潜在的な〔パレスチナ人たちの〕自爆志願者たちは、自分たちにとっての近い将来が、自活すること、人並みの家、教育や個人の成長のための機会、海外への旅行、平穏な都市での生活、自分たちの村での農業の発展やハイテク産業の育成などの一切を約束してくれるものではないのだ、ということを知っている。けれど、これら諸要素一つひとつの欠如、あるいはこれら全ての欠如は、非常に多くの人々がイスラエル人たちを殺すために、しかも若い年齢で自ら進んで死のうとしているという現実を説明するのには不十分だ。過去における、また将来に渡る、これらの欠如が、一九六七年以来ずっとパレスチナ人社会の発展の可能性と自由な自己決定権を阻み続けてきたし、また阻み続けようとするつもりの圧倒的な力、一つの強力な国家が存在するのだという確信を確固たるものとした。これは、パレスチナ人たちにとっては、息が詰まりそうなほどに耐えきれない気持ち、未来とは生きるに値しないものだという感覚だ。この自爆者たちの大群を生み出す社会は、一方でイスラエル人たちが、逃したら惜しいと思うような未来を期待できる人々なのだ、ということも確信している。このような視点を抜きにして、パレスチナ人自爆者たちの大群が絶え間なく立ち現れてくる、その理由を理解することなど不可能だ」〔『ハ・アレツ』紙/二〇〇二年二月二〇日付〕。
 この文章のタイトルは、「生きるに値しない未来」。アミーラ・ハスは、パレスチナ人たちにとっての「未来」が、そのようなものとしてしか構想できないし、その最大の理由はイスラエル国家による組織的・継続的な抑圧政策ゆえなのだ、と述べている。つまり、ここに示されているのは、パレスチナ人の側からの自爆テロを、自らのイスラエルの側の問題として捉えようとする視点なのではないか、と僕は思う。
 昨年(二〇〇一年)八月一九日にイスラエル人の高校生六二人が兵役を拒否したことは、イスラエルという非常に軍事化された国家/社会に大きなインパクトを与えただろう。また、こうした兵役拒否者たち(義務としての初めての兵役を拒否する若い人々だけでなく、予備役兵たちの兵役拒否もある)を支援する運動も複数ある。
 そして僕が一つ印象的だと思ったのは――僕は、それをインターネット経由のメーリングリストで知ったのだが――こうした諸団体が今年二月九日に集会を行った際のスローガンの一つ、「〔イスラエルの〕占領が殺しているのは、私たち皆だ!(The occupation is killing us all !)」【注3】。このスローガンは、イスラエルの軍事占領と戦争がパレスチナ人たちを殺しているだけではない、パレスチナ側からの自爆テロもまたイスラエルの占領がそもそもの原因であり、それゆえにイスラエル人たちが殺されている、という主張なのだと僕は理解した。
 さらに、こうした兵役拒否者たちを支援するグループの一つに「新しい横顔(New Profile)」というグループがある(その活動は一九九八年頃から始まったようだ)。このグループのインターネット上のメーリングリストに流れていた文章の一つ【注4】には、その説明が付いていた。
 「『新しい横顔』は、イスラエル社会を市民的で、非軍事的な社会に変え、私たちの生活を決定づけるとともに戦争に次ぐ戦争を生み出してきた軍事主義的な思考態度を変えてゆくために活動する運動体です。そこには、軍事主義的な教育を平和創造に向けた教育に変えること、徴兵制度の廃止と良心的兵役拒否の合法化の実現、さらに占領を終わらせること、平等で人間的な社会で生命が守られることへの支持などが含まれます。/『新しい横顔』はフェミニストの運動体で、女性と男性、そして若者たちが共に積極的に活動しています。」
 すでにこの拙文では十分に展開するだけの余裕はないが、しかしイスラエルの軍事主義それ自体に反対する立場から兵役拒否者を支援するというのは、非常に新しい動きだと思う。なぜならば、これまでのイスラエル国内の反戦運動や兵役拒否運動の多くの部分の基盤/前提としてあったのは、いわば「正しい政府・正しい方針・正しい軍隊の行動には賛成だが、もしも政府が間違った方針で戦争をするならば、それには反対する」という立場だったからだ。つまり軍隊や軍事主義それ自体に対する反対ではなかった、のだ。
 もちろんこうした潮流は、今のイスラエル国内において確固たる大きな潮流ではないだろう。だが、こうした声を上げ始めた人々が具体的に存在すること、そして、その視点のなかではパレスチナ人たちの側からの自爆テロをも、イスラエル国家による軍事占領ゆえの問題として主体的に捉えようとしていることに、僕は大きな意味があると考えている。

◆とりあえずの、結語

 もう紙幅がない。ないけれども書いておかなければならないことがある。『インパクション』(第一二九号/二〇〇二年三月一日)の座談会「連帯運動と反戦運動――パレスチナ連帯運動史への試み」のなかで、一九七二年の日本赤軍によるリッダ闘争が、「イスラエルの空港は戦地で、パレスチナを占領して抑圧している戦場なんだから、そこに近づく人は全部殺してもいい」という、当時の日本赤軍の認識に基づいていたのだという点について、僕は「イスラエルなり空港なりをそういう場所なのだと認定していたなんて、僕は全然知らなかったけど、考えてみれば勝手なことを言ったもんだなとしか思えない。/例えばだけど、建国の頃に生まれたイスラエルの第一世代の人だったら、その人は二四、五歳になってる、それだけの時間が経ってるわけでしょ。イスラエルの政策がめちゃめちゃに間違っている、ひどいんだということは言えるだろうけれど、その人にとっては生まれて、ずっと生きてきた場所なわけで、それがそんな形で勝手に意味づけられて、だからそこに居たら殺されても当然だみたい【ママ】言われたら、それはメチャメチャだよ」と発言した。
 この発言を、ここに長々と書いてきた文脈に即して表現し直すならば、この日本赤軍という政治党派によるリッダ「闘争」はテロそのものであり、日本赤軍はイスラエルという具体的な場所/国家/社会に住み、その日々を生きる具体的な人々に対する想像力を一切持ち得ていなかったとしか思えない、ということだ。その「闘争」(=テロ)が、多くのアラブ・パレスチナの民衆から喝采と評価と支持を受けたということは、この僕の認識の脈絡においては――はっきりと書いておきたいが――一切意味を持たない。そのような「評価」が実際にあるだろう、その一方で、しかし個々具体的な「闘争」を僕が主体的にどう評価するかは、全く別の次元での営為だからだ。
 具体的に、その地に生きる人々(例えばの分類として、そうした人々が敵であれ味方であれ、あるいは友達であれ気の食わない奴であれ)に対する、それなりの具体的な認識あるいは想像力の存在しない地点で、連帯や闘いという行為を構想できるはずもないではないか、ということだ。

 もう一点。この三月末からイスラエル軍の全面戦争が開始されて以降の状況のなかで、僕は東エルサレムの音楽グループ、サーブリーンに、大変な状況だけど大丈夫かと問い合わせる電子メールを送った。
 幸いなことに、すぐに返事が届いた。「これは、もう本当に戦争です」と書かれていた(戦争なんだけど、でも返事が来たということは、少なくともサーブリーンたちは、まあなんとかやっているんだろう)。さらに、このメールには続きがあった。「短期的には非常に危険な状況が続くでしょう。そして、より長期的には、この地域で何か本当の変化が起こるためには数世代もの時間が必要かもしれません。イスラエルの社会が真に変わることなしには、簡単に状況が変わることはないでしょう。」
 確かにそうだ。イスラエルの社会が変わることの重要性。けれど、その一方で、と僕は思う。もしもイスラエルが変わってゆくとしたら、その一方ではパレスチナ人たちの側も変わってゆかなければならないだろう、ということだ。
 今のパレスチナ/イスラエル状況を前にして、こんなことを書いても、ほとんど何の意味もないかもしれない。しかし、それでもなお、時差七時間という距離の向こうで具体的に生きているパレスチナ人の何人かの人たち、そしてイスラエル人の何人かの人々を思い出しながら、僕は思う――怒りが新たな怒りを生み出す構造を、何とかして変えてゆかなければならないだろう、と。
(四月九日 記)

【注】
1:「Al-Awda」(アラビア語で「帰還」の意)という、インターネット上のメーリング・リストに投稿されていた。
2:攻撃ヘリがミサイルを発射して、ビル内部の部屋もろとも人間を殺してしまう、そうした軍事攻撃が「暗殺」なのだという、そのこと自体が、およそとんでもないことだ。
3:今年三月一七日、奇しくもと言っても良いのかもしれないけれど、この日に都内ではイスラエル国内から来日したパレスチナ人とイスラエル人女性を招いて「パレスチナ/イスラエルの女たちと語る平和・自立」というシンポジウムが開かれ、その実行委メンバーでもあった僕は、丸一日ドタバタしていたのだが、その当日の夜にNHKスペシャルが「兵役拒否――イスラエル一八歳の決断」という番組を放映していた。後日、これを録画したビデオを観たら、この二月九日の集会が紹介されていて、ステージ正面の大きな垂れ幕に、このスローガンが掲げられていた。番組の中では、とりたててこのスローガンについての言及はないが、その垂れ幕を背にしながら兵役拒否を改めて宣言する高校生や、占領地でのイスラエル軍の攻撃のひどさとパレスチナ人の置かれた現実のひどさを語る予備役兵の姿と言葉は、非常に印象的だった。
4:今年一月二九日にテル=アヴィーヴ市内で、「拒否者たちのために」という夕方からの「フェスティバル」が企画されていて、そこには朗読やクラシック音楽、ロック、ラップなどの出し物とワインが出て、そして何よりも参加者が相互に教育や平和、徴兵制度とその拒否、また軍事主義への抵抗などについて意見交換をする場なのだ、と書かれていた。さらに日時・場所・参加費などに続けて、本文中に引用した運動体についての説明書きが付いていたから、多分ビラの内容をインフォメーションとしてメーリングリストに流したのだろう。