山岳

『山とは畏怖のもの』 

大山直樹氏(ルポライター)が書いた読売新聞コラム欄から一部転載、
 『 山小屋泊まりを当たり前とし、自分ひとりの力では不安だからといって山岳ガイドを雇い、あるいはガイドブックを唯一の頼りに 「自然を愛(め)でること」が、はたして山登りと言えるのだろうか、ホテル並の料金と食事に疑問をもたず、肥え太った体で整備  された登山道を行列をなして登り、ご来光や高山植物に感激することが「山に登った」と言えるのだろうか。・・・・・・・・・・・』

 『 私にあっての山とは、レジャーや気晴らしではない。畏怖の対象であり、人生の師であり、己の内面と対話する得難い機会で ある。したがって、まず体力を鍛え、衣食住のすべてを背にかつぎ、自分の足で、自分の眼力だけで、登り切るのがまっとうだと 考えている。極論すれば、怠惰な現代人など登るべきでない。・・・・・・・・・・・・・・。
   だから私は今、山に登らない。正確には、登るだけの体力と自分を律する厳しさがない。そして少なくとも、商品化された山  にだれきった体で登ろうとは思わない。それは、山に対して失礼である。』


大山氏が言うように、私にあっても山とは、畏怖のものです。山によって人生を教えられ、山によって自分の内面を知ることが  非常に多いのです。
  山での生活(衣食住)は全て自分で行い、自分の命を自分で守らなければ、山の神は簡単に我々を見捨てると思うのです。



『山は忍耐の学校だ』



『山は日々が新しい』 


 『自らの山登り続ける』

  朝日新聞から転載 (西村欣也記、編集委員)
          
清水宏保    トリノオリンピック 18位 2006年2月12日

 清水宏保は、長野五輪後、98年5月、所属していた三協精機を退社する記者会見を開いていた。「会見では、多分うまく真意が伝わらなかったと思うんです」。清水は言った。「もちろん、お金のためじゃない。会社をやめることに意義がある。その先のことは考えていないんです」
 要約すれば、それまでの環境を壊したいという趣旨だった。自国開催の五輪でチャンピオンとなった男が戦い続けるには、一度すべてを壊すことが必要だったのだ。
 それは、彼の生き方そのものでもあった。清水に正式なコーチはいない。「自分の山をひとりで登るのがおもしろいんです。どうしたらいいか聞くのはつまらないし、わかる人もいない。登り方がわかる人がいれば、人生をかけて戦う意味がないでしょう」
 金メダルをとった長野のレースも、世界記録を樹立した試合も、「失敗レースだった」と清水は言い切ってきた。
 登頂に成功すれば、さらに難しいルートを探して、彼は挑む。ソルトレーク五輪の銀メダルは腰に弛緩ブロック注射を打ち、腰痛をなだめすかしての快挙だった。「もう、腰が完全に治ることはないと思います」。悲観のにおいを感じさせずに、清水はいった。道が険しくなることを、望んでさえいるような口調に聞こえた。
 その山を登らなくなる日のことを、彼に聞いたことがある。「引退のことですか。まず、自分が競技でつかみ取った部分で、普遍化できる部分は、伝えて残しておきたい」。そして、どうするのかと、失礼を承知で聞いた日があった。「イメージがわかないですね。でも、不安はない。また別の山を登りますよ、きっと。スポーツじゃない山かもしれないけど。だって、これまでも誰も登ったことのない山を登ってきたんですから」 ずっと頂上に立ち続けるチャンピオンはいない。だから、彼は必ず頂きからふもとまで下りて、新しいルートで登ることを繰り返してきた。
 彼の生き様は、単にアスリートとしての道程ではなかった。だからこそ、次の五輪に出場しないとしても、何かを失う恐怖心はない。18位という結果にも、悲嘆の言葉はないのだろう。スピードスケートの山をもう一度登るのか。「引退」を決意するのか。どちらの道を選ぶとしても、清水宏保の生き方に変りはない。


               名著 『山ー随想』 大島亮吉

         「そのもっとも平穏な日において、山の凶暴さを思え」



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