大昔四方山話おおむかしよもやまばなし


下写真台風であれる海
小学生の頃に墓の
そばのお堂にいつたら
見知らぬ人がお堂の
なかで座禅組んでいた
おもしろそうなので
何人か一諸に
組んだ板の間
なので足が
痛かつた3日
位通ったその人が
浜にテントはって
ねているのが
わかったので家から
おにぎりつくつて
もつていつた、次の日
違う所行くと言つて
いなくなつた
それからその人に
会うことはない
南海の孤島には
旅の修行者が
フラリとたちよる
目的は有るのか
無いのか判らない


旅の修行者が座禅組んでたのがイビガナシ(恵比寿神社)
 
 
奥の細道
元禄2年3月27日〜9月6日(46歳)
 月日は百代の過客*にして、行き
かふ年も又旅人也。舟の上に生涯を
浮べ*、馬の口とらえて老をむかふ
る物*は、日々旅にして旅を栖とす
。古人*も多く旅に死せるあり。予
もいづれの年よりか、片雲の風にさ
そはれて、漂泊のおもひやまず、海
浜にさすらへて*、去年の秋江上の
破屋*に、蜘蛛の古巣をはらひて、
やや年も暮、春立る霞の空に、白川
の関こえんと、そヾろ神*の物につ
きて心をくるはせ、道祖神のまねき
にあひて取もの手につかず、もゝ引
の破をつヾり、笠の緒付かえて、三
里*に灸すゆるより、松島の月先心
にかゝりて*、住る方は人に譲り、
杉風が別墅*に移るに、
草の戸も住み替る代ぞ雛の家
小学6年から中学3年まで小遣い稼ぐ為友達と時々山や畑に
ハブ獲りに行きました持つのはハブ入れる袋と袋縛るヒモと
先が2マタに分れた棒だけ、これだけあれば山や畑に行き
ハブ探すだけだ、でもこれがなかなか、見つからない、
見つけても岩や木の隙間、草の間に逃げられる事のほうが
多かった、草の無い道や原っぱで見つけたらこれはもう、
もらい、である、棒で押さえて捕まえるここで注意、
伸びてはっているハブは怖くないが、ハブは這うのも速い、
追いかけても取り逃がすこともしばしば
トグロ巻いているハブは飛ぶので距離取り氣をつけなければ
いけない、ハブ獲りに行くと親に言うと反対されそうですが
反対された事は無い、と言うか親にことわつて山にいくことは
なかつた、S40年代で千円から千五百円で区長さんか宝島に
個人的に買う人がいた、区長さんの家が近いので、そこに
持つていつた、大きいハブは私の身長より長い,
ハブと引き換えに千五百円受けとつた時はうれしかつた、
今ハブは4500円でかつてくれるらしい
、 2005年4月はろじ〜(親戚)があまじむ(ハブの事)みんじい(捕まえて)、
持って行ったら3500円だったらしい、値段は変わります。、
昔から生きているハブじゃないと駄目です
ハブ退治の為に外国から持ち込んだマングースはハブとは
戦わず他の稀少動物{アマミノクロウサギ等)を襲うとの事で今は
奄美大島ではマングースが駆除対象だ、人間の勝手の為に外国から
つれてこられたマングースも可哀想だ、外来種を持ち込むのは
自然破壊につながると言う事でハブは人が捕まえなければ
いけないようだ!!
ハブにかまれない様距離取り首根っこ押さえよう
猛毒を持つハブ噛まれないよう細心の注意が必要だ。
現在においても毎年ハブに噛まれて尊い命落とす人が
後を絶たない、
マジム(ハブ)は夜行性ですが昼間咬まれる人も多い、マジム(ハブ)が
活動する夏の時期は木の上や足元に注意が必要です、とは
言っても昼間見る事は殆ど無い。
マングースはジャワマングース本来東南アジアから中東に生息、

ハブ退治の為。1979年頃、30頭が奄美大島に持ち込まれた、
しかし昼行性、ハブは夜行性で、ハブ退治に役立たず、
アマミノクロウサギなど島固有の希少動物を捕食して存在を。
脅かしている、環境省も1996年マングース対策に着手しています。
2004年5月被害をもたらす外来種の輸入・飼育禁止、駆除が行える。
特定外来生物被害防止法を成立させています。
南海の島にはおもわぬ物が届く       
徳之島井之川には宝島、伊宝、佐渡と言う地名があります

小学生の頃宝物探しに海辺の洞窟によく行きましたその時浜で
30cm位の爆弾らしき物をひろいました家えもちかえり
分解した信管らしき物はなかつたように思う後のほうから
分解した中には泥の塊らしきものがはいつていたそれは
火をつけるとものすごい煙と火花
だしてもえた、あとでそれは赤リンらしいとわかつた
よくあのような事ができたものだ子供の好奇心は旺盛だ、
くわばらくわばら爆発しなくてよかつた今でもひろう
子供がいるかもしれない?

昔徳之島ではウニと
野イチゴはタダで食べほうだいだった!
な〜や〜はちごゆしか〜
(現在は違うが)

30年位前海に行けばトゲの短いウニとトゲの
長い太陽ウニがいた、トゲの長いウニはつぶして
魚の寄せ餌に使用したトゲの短いウニはもちろん
人の食用だ、名前は判らない、このウニが小学生
でも獲れる所に沢山いました、もちろん食べ放題
で獲ってすぐ食べていた、でも今ウニはいないらしい
食べ過ぎたのか?又はウニのエサの海藻が少なく
なったのでしようか???
北海道や日本海の1部では海藻使ってウニ養殖
しているらしい!!!


学校の行き帰りの道端や畑の行き帰りの道端に
野イチゴが咲いていた少し甘くておいしい
もちろん食べ放題でよく食べていたが道端なので
ホコリよく払う必要がある、それよりも、気をつけ
なければいけないのは、ハブだと担任の先生は
いつも言つていた、ハブが隠れていて、イチゴ
食べに来る鳥を狙っているから気をつけなさいと
いつも言っていた、だからイチゴ採る時は下の方
棒で突いてから採っていました、
都会では考えられ無いタダでウニとイチゴ食べ放題
の話でした。!!!
今はウニが少ないそうです。
エサとなる海藻が少なくなった
為でしょうか。




徳之島の井之川岳には飛行機の残骸が有ると昔から聞いていた、昭和30
年代から40年代の頃一度だけ井之川から旭ヶ丘付近通り 井之川岳の頂上に登り、そこから反対方面に下って日の丸のついた
飛行機の残骸を見た、草に覆われほぼ原型をとどめているように
見えた、井之川岳には何十回も登っているが、飛行機の残骸を見に
行ったのは1回のみ。
昭和20年終戦の年知覧から沖縄にむけて多数の特攻機が
飛んだ。 戦闘部隊に良い機体が行く為に特攻機は陸軍の97式と言う練習機に
使われていたのが使われた機体を軽くする為無線機や機関銃が外され
爆弾を抱えて沖縄方面に向かった、敵機と遭遇しても攻撃されるが儘
逃げるしかなかった。
アメリカ軍の駆逐艦は160`も先の敵の動きを捉えるレーダーを
備えていた特攻機の動きはわかっていたのである。
沖縄に向かったものの機体の故障などで徳之島に不時着した機体
も複数あった。
敵艦に突入できず生き残った20歳前後の特攻隊員が人目につかないように
収容されたのが福岡市薬院に有る 陸軍振武寮である。
その生き残った人も2007年に80歳代で当時の様子を話す。
昭和20年井之川でもアメリカのグラマンが編隊で水平線の方から
天城方面に向かうのが見えた、神之嶺の学校の門には飛行機の
機銃の弾痕が多数残っていたとお年寄は話す。が今その面影は無い。
この文章は2007年放送のNHKのスペシャル放送を一部参考にしています。


下写真戦艦大和の
慰霊塔横に有る錨

波に乗って来る
ガラス玉現在は
作られていないらしい、
ひろって来たのははろ〜じ
だけど
海で拾ってきた
ガラス玉 中々出会えない
中のお金は自分が入れた


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訪問おぼらだれん、また、かたろいが、もちたぼれ、まちゅんき(有難うございます、又、話しに来て下さい、お待ちしています。)
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