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宇宙開発廃止論
宇宙は地に足付いた健全な生活を送る人々の生活とは無関係な頭上はるか彼方にある。そのような宇宙に挑む資金と時間があるなら、もっとこの人類の生活圏を豊かにすることに目を向けた方が有益である。現実から目をそらして宇宙で夢想するよりも、地球上での義務を果たすべきである。人類が足を置いている地球には解決しなければならない問題が山積みしている。地球環境も守れないのに、宇宙開発を進めるのは浪費であり、無意味である。現実に地球環境は悪化しており、大気汚染や大規模自然災害で苦しんでいる人々が沢山いる。その人々を置き去りにして、莫大な国民の血税を浪費し、国威発揚や科学者の名誉心・道楽を追求するのは欺瞞である。人類及び地球上に生息する生命の平和的共存ができてからでも遅くはない。自分達の身が立つ開発を優先させるべきである。目先の問題を処理できていないのに、未来の夢を語るのは現実逃避である。
宇宙ステーション・宇宙基地を建設したところで地球上で生活を送る何10億の人類のほんの一部でも養えるわけではない。そもそも先祖代々生活し、住み慣れた母なる地球を捨てて、生存環境を構築するだけでも高価な装置が必要な宇宙で生活することは幸福を意味しない。膨大な国民の税金と、一つ違えば人命まで犠牲にして、競ってロケットを打ち上げたとしても人類が豊かになるわけではない。1986年1月のスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故は記憶に新しい。1967年にはアポロ1号が地上試験中に火災を起こし、宇宙飛行士3人の死亡事故が起きた。一昔前の旧ソ連や中国では、自国のロケット打ち上げ失敗を公表せず、輝かしい成果のみを発表しているとも言われる。特に旧ソ連の宇宙飛行士の何人かは、消息不明とされている。
日本の問題
日本の経済的繁栄の一因は宇宙を舞台にした軍拡競争に参加しなかった点にある。宇宙開発が経済的繁栄を約束するならばソ連は崩壊しなかったし、米国が双子の赤字に苦しむこともなかったはずである。現実はその逆で、経済性を無視した宇宙開発競争が米ソ超大国の経済を疲弊させた。宇宙開発は経済にとってお荷物であり、地球上で生活する人類に恩恵を与えないものが経済発展をもたらすというのは幻想に過ぎない。何の戦略もないまま先端技術というだけで飛びつくのは昔からの日本人の悪癖であるが、結果は膨大な資金、時間、更には人命までも費やし、徒労に終わるだけである。日本のロケット技術レベルは気象衛星ひまわりの後続機の打ち上げすら失敗しているのが現実である。しかし残念ながら、現実を直視できる人はいつも少数派である。
不況で自分に自信が持てずナショナリズムで自尊心を維持するしかないため保守・右傾化した層は、「日本」「国産」「自主開発技術」等の言葉が出るとROIも検証せずに酔いしれてしまう。日本は経済大国と自惚れているが、経済の規模こそ大きいものの借金の規模はそれより遥かに大きい。日本経済が強いと言われていた時代ですら、国家や企業の借り入れ率は高く、健全とはいえない借金依存体質であった。先端技術も実は一部メディアで喧伝されているほど多くあるわけではない。この状態で民生を豊かにするわけではない宇宙開発に莫大な資源を注ぎ込めば、日本経済・財政は破綻の一途を辿ることになろう。
夢、感動
宇宙開発は夢や感動を与えてくれるから、縮小すべきではないとの見解がある。無駄な公共事業に費やす資金があるなら、新しい分野である宇宙開発に投資すべきと言う。建設業は建設業者が儲かるだけ、宇宙開発には夢があると主張したいようである。しかし夢や感動を与えてくれるのは宇宙開発に限らない。科学技術には他にも沢山の分野があるし、文芸やスポーツも大きな夢や感動を与えてくれる。それら他の分野の人の夢を否定する一方で、他の分野の方に宇宙開発に対してのみ夢や感動を抱けと強制することは不公正である。
青函トンネルや瀬戸大橋の建設、冬には陸の孤島と化す雪国に道路を開通させることは、建設技術者にとって大きな長年の夢であった。その達成には大きな技術的進歩があった。少なくとも連続して打ち上げに失敗するような杜撰な機関では成功できないような困難な課題に最新の技術で取り組んだ成果である。加えて建設業には住宅・施設のバリアフリー化という課題が高齢化社会から突きつけられており、今後も社会的有用性を持ちつづけよう。
人々の生活を直接豊かにする分野の予算を奪って宇宙開発に充当すべきと主張するならば、宇宙開発にそれ以上のメリットがあることを示さなければ理解を得られない。頭上はるか高くで何をやったとしても、それだけで地に足ついた堅実な生活を送る人々の生活が豊かになるわけではない。公共事業には非効率な面があるとしても、それで生活が豊かになる人がいるのは事実である。公共事業には環境破壊というデメリットをもたらすものも少なくないが、宇宙開発も未だそれほど注目されていないもののスペースデブリという重大な環境問題を抱えている。動力源に原子力技術を採用するものも多く、地球に優しい分野とはとても言えない。一方、非効率と言えば宇宙開発こそ問題とされるべきである。打ち上げ失敗がなければ、それに費やされた予算を他の研究に使えたはずである。
科学技術を重視すべきという一般論は多数の賛同するところだろう。しかし科学技術は宇宙開発だけではない。国が研究費を補助する際に、成長性のある分野を的確に判断して重点的に投資することは、厳しい財政事情の下では必要不可欠な戦略である。成長性・将来性の高い分野として、IT、バイオ、ナノテクが挙げられることが多い。ITは、資源だけでなく少子高齢化により労働力にも乏しくなる日本ではソフトウェアを重要な資産としていかなければならないが、その基盤になる技術である。バイオは高齢化社会の中で健康維持、健康寿命の伸張に期待されている。更に国にはそれにより年間30兆円にもなる医療費の削減につなげたいという思惑がある。ナノテクは軽薄短小型製造技術の究極形であり、日本製造業の強みを生かせる分野である。
人工衛星
宇宙開発で実用化されているのは衛星通信・放送技術である。しかし通信・放送には衛星が不可欠なわけでも、最も効率的な技術として衛星があるわけでもない。衛星の打ち上げ・維持コストは膨大である。有線通信・放送に対して衛星は広域に電波を垂れ流すため、正規の受信者以外の者に受信されてしまう危険性が高い。スクランブル技術が存在するものの、解除技術とのいたちごっこである。
衛星は災害に強いという強みを持つ。しかし衛星軌道上に位置するため、障害が発生しても簡単にメンテナンスできないというのは大きな弱みである。手の届かないところにあるものよりも、定期的なメンテを必要とするが近くにあるものの方を安定的と考えるのが、地に足のついた健全な技術者の発想である。GPSは恐らく衛星でなければ実現し難い技術だが、ドライバーも携帯電話ユーザーもそれほど欲している機能ではない。軍事技術転用であり、消費者ニーズに基づいて開発されたものではない。
特に日本は衛星のメリットに乏しい。日本は衛星でカバーするのが効率的といえるほど広大な国土を有してはいない。逆に国外からも受信されうる点は衛星事業者にとってデメリットである。日本の気候は雨天・曇天が多いが、雨天・曇天は衛星放送・通信の妨げになる。人口密度が高く都市化が進んでいるため、ラストワンマイルまで通信・放送網を整備するとしても、そのコストは相対的に他国よりは小さい。実際、光ファイバー網敷設が国策として進められている。
「宇宙開発 税金の無駄遣い」
「宇宙開発 税金の無駄遣い」でGoogleを検索した。「宇宙開発は税金の無駄遣いである」という論調を期待したが、ヒットしたのは宇宙開発推進側からの上記論調に対する反論ばかりで驚く。「宇宙開発は税金の無駄遣いである」という論調がほとんど見当たらないのに、反論が沢山あるのは宇宙開発推進側の被害妄想、過剰反応のように思われる。しかも上記論調をマスメディアによる現実を知らないステレオタイプと切り捨てるものが大半である。このような姿勢には宇宙開発推進側に外部からの批判を謙虚に受け止めて改善する意思は皆無である。内部からの自浄作用は期待できず、外部からの批判は頭ごなしに批判するのでは救いようがない。宇宙開発関連予算を削減するのは正解だろう。
収益重視
日本型ビジネスは売上拡大、シェア拡大を目標にしてROIを無視した設備投資に走っていた。その結果、売上はあるにもかかわらず利益は乏しいという悲しい状況に陥った。又、戦後最悪の食中毒事件を起こした雪印のようにリスク管理を無視した売上追求で、かえって消費者の反感を買い、結果的に利益を消失することになった。そのため売上拡大よりも米国流の収益重視の傾向が高まっている。キャッシュフロー経営という言葉がキーワードになっているのもそのためである。自分の夢という自分にしか通じない無根拠のものだけで、生保会社や公共事業を非難しているが、宇宙開発と保険、建設業のどちらの分野が現在そして将来において収益性があるのか、厳しく現状分析、将来予測をした方がいいだろう。
宇宙開発批判
宇宙開発計画は冷戦終結後はどんどんペースが落ち、縮小されていくのが世界の流れである。宇宙開発に力を注ぎすぎると、崩壊した旧ソ連や双子の赤字で苦しんだかつての米国のように国家の存続が危なくなる。夢やロマン等という一部の研究者の傲慢な自己正当化にだまされる必要はない。国民はもっと税金の無駄使いを批判してよい。宇宙開発は何の意味もない税金の無駄使いである、という至極正当な主張に反発するならば、夢や将来性という無根拠の妄想ではなく、国民の納得いく成果を実際に示す必要がある。税金を使うにも関わらず、一般の理解を得るための情報、成果の説明が不足している。宇宙より身の回りのことが先である。宇宙にゴミを撒いたり、惑星等を乱開発することだけはしてほしくない。
スペースシャトル「コロンビア」空中分解(2003.2.1)
米国のスペースシャトル「コロンビア」が帰還する途中で空中分解(「米シャトル空中分解か」読売新聞2003.2.2)。乗組員全員が死亡。宇宙開発においてまたしても、悲劇と大きな損失が繰り返された。打ち上げ時の異常が原因との見方が強く、未検証のまま進んでしまう体質が現れている。このような体質は日本の衛星打ち上げ失敗に際しても顕著に見られた。宇宙開発が検証不十分の未成熟の分野であることを改めて印象付けた。スペースシャトル打ち上げ凍結は当然かつ賢明な判断である。
日本は莫大な税金が浪費されている状況で済んでいるが(勿論、これ自体容認しがたいことである)、有人飛行ならば人命喪失のリスクを負担しなければならない。それは人命尊重を第一義に掲げてきた日本にはふさわしくないように思える。宇宙開発が有益な投資先か戦略的に判断する必要がある。景気低迷・雇用情勢悪化という容易ならざる課題を抱える中で、地に足ついた健全な生活の頭上遥か彼方にある宇宙に金を捨てる必要があるとは思えない。IT、バイオ、ナノテクという、すぐにも新産業創出につながる分野があるのに、ROIを求められて百年以上先まで算定しないと帳尻が合わない分野に投資する価値はない。
安全軽視の体質
米シャトル空中分解事故の背景にNASAの安全軽視の体質があると報道されている。元NASA職員のドン・ネルソン氏はブッシュ大統領充てに事故リストを提出し、スペースシャトル計画の見直し等を求めたが、黙殺されたという。「1999年、水素漏れでコロンビアの打ち上げが遅れ、架線のダメージでディスかバリーが立ち往生した」「2000年8月、コロンビアの検査で架線に3500ヶ所もの欠陥が見つかった」等の告発をした。「大事故につながる芽が数多く見逃されており、今回の事故も当然の帰結」と批判している(「NASAの体質に問題」Tokyo Headline 93(2003)4)。
又、NASAはスペースシャトルの安全面について警告していた安全諮問委員会の委員9人のうち5人を解任していた(「NASAが安全面を警告した委員5人を解任していた!」Tokyo Headline 93(2003)3)。安全軽視の体質はロケット打ち上げ連続失敗の事例があるように日本にも顕著である。特定組織の問題点を追及することは勿論重要なことであるが、現実的メリットの説明を怠り中身のない夢という言葉で片付けがちな宇宙開発の分野自体の体質が真剣に反省される必要がある。
大気圏の意義を再認識
スペースシャトル「コロンビア」の空中爆発という大事故にもかかわらず、原因究明よりも、宇宙開発は進められなければならないというような幼稚な「行け行けどんどん」主義が一部に見られる。しかし事故をもっと広い視点から冷静に眺める必要があろう。その点で下記の見解は見識と言える。「この事故は我々人類が安全に暮らせるように護ってくれている大気圏の存在を強く印象付けた」「オゾン層の保護など大気圏を大事にしてゆくことも大きな課題であることをこの事故は教えてくれたように思う」(木村太郎「大気圏の意義を再認識させたシャトル事故」Tokyo Headline 93(2003)3)。人類が生活しているのは地球上であって、宇宙よりもまず足元の環境問題への対応が先決である。
人類は月に行っていない
アメリカ人の20%は月着陸について疑いを持っている。宇宙は放射線が沢山あり、宇宙飛行士はとても耐えられない。月面から離れる着陸船で、ロケットの炎が見えない。アポロでの月面の足跡は、映画「カプリコン・ワン」に出てくるものとそっくりである。アポロの写真には星が全然写っていない。ロケット噴射でできるはずのクレーターがない。着陸船の回りに、噴射で吹き飛ばされるはずのちりが漂っている。空気も、他の光源も月面にはないはずなのに、宇宙飛行士の影が完全に真っ黒になっていない。
宇宙飛行士や、月面の岩の影が平行になっていない。背景が一緒の2枚の写真で、片方にしか着陸船が写っていない。4km離れて、別々の日に撮影されたはずなのに、全く同じ場所が写っている。着陸船は重心がずれてしまってうまく着陸できない。宇宙飛行士の動きはスローモーションで撮影された。月面の星条旗が旗めいている。何故か全ての写真が完璧に撮影できている。NASAは秘密を知っている宇宙飛行士を殺害したとの噂もある。月面からの生中継の映像に、コーラ瓶が映っていた。アポロの映像で、物体の落下するスピードが速すぎる。月面と背景の間に、境目がある写真がある。
夢想家への問い掛け
宇宙開発が重視されることを望むならば、厳密な現状分析と将来予測に基づき宇宙開発の必要性、有用性を示さなければならない。ニーズを把握して、いかなる効用をもたらすのかを説明しなければならない。それには地道な分析作業が必要になる。地道な作業は暗いからと避け、他人に夢を押し付けるだけならば、かえってくるのは反発だけである。このような状態では宇宙開発の規模が縮小されるのは当然である。世間は宇宙開発に対して無理解と非難する前に、研究費をかけるだけの意義を説明する仕事が残っているはずである。
私は宇宙開発の問題点について根拠を明示して主張している。反論するならば問題意識を受け止めた上で根拠を明示していただきたい。幼稚な妄想ではなく真剣に事業を行おうとするならば、現在において抱えている問題や将来起こり得るリスクをきちんと把握することは当然行うべきことである。それらをきちんと把握した上で宇宙開発の有用性を示すことが、宇宙開発の発展にとって必要になる。現実を逃避して夢を見たいだけの幼稚な研究者の遊び場にとどまるならば現状の予算でも多すぎるくらいであり、ITやバイオといった成長分野に回すべきである。
リスクについて考えたくない、考えるのが苦手という性向は、人の性質であり、事業を行うのには向かない夢想家であるというだけで仕方のないことである。しかし暗いからという他人には共有不能な主観的な思い込みで、その必要性や有用性を全否定するならば、その分野を大切に考えている人からは反発されるのは当然である。まして成果も上がらず研究費だけを浪費する無用な分野に夢を抱けと強制するならば、矛先がその分野に向かうのは自然な流れである。
妄想家
妄想家はそろそろ自分の人生を生きなよ。火星に行くことを妄想するしかないほど人生が退屈なのはわかるが、いつまでも自分の人生設計を棚に上げておくわけにもいくまい。歴史に名を残すこともなく、表舞台に立つこともなく、その他大勢、つまりギャラリーでしかない。ロケット打ち上げ失敗の無駄遣いは棚に上げ、公共事業が無駄だとか、誰でも言えるような文句ばかりを批評家きどりでせっせとこしらえ、消費されつくして一生を終えるのはあまりに惨めでないか。ちっぽけな奴隷もいいところじゃないか。非成功者のルサンチマンほど見苦しいものはない。地に足ついた堅実な生活ができない者が宇宙を語るのは滑稽である。「夢はでっかい方がいい」。厳しく残酷な現実に触れるよりも、優しくオブラートに包まれた幻想の国に住んでいたほうが良いのだろうか。
博士号
日本では博士号は担当教授のコネで推薦もらえば取得できる。要するに自己の研究室の教授に気に入られればいい。別に博士号とるのに「こうしなければいけない」というきまりがあるわけでもない。「論文出せば博士号あげるよ、でも気に入らない奴には出してもやらんよ」という世界である。名門大学になると学閥等、色々あるから「どこどこの研究室の○○教授か、あの人なら私は知り合いだからいいところの仕事先に推薦してやろう」という感じである。そのようにしてパイプを作らないと伝統のある大学では教授にはなれない。比較的リベラルな大学、即ち学閥等に縁の薄いところは、別にそのようなしがらみはそれほど重要視されないから博士号がなくても教授になれるところもある。そのような大学の方が健全とも言える。
消費不況と貯蓄
消費不況の原因は消費者が買うに値すると考えるものが市場に提供されていないためである。その証拠に高額なブランド物の売上が不況に連動して落ちている訳ではない。むしろ日用品は節約してもブランド物を購入する方も多い。企業の一方的な宣伝広告に載せられて無駄遣いをする消費者が減ったということは好ましいことである。それで困るような企業は消費者の求める商品を市場に提供しなかったということで、市場から退出するのは当然である。従来の商品開発には然々の技術があるから、その技術を用いて新製品を開発するという傾向が強かったと思われる。そのような顧客ニーズを無視した技術者中心のシーズ志向は、最早時代遅れだろう。
私がゼロ金利を批判していたのは、ゼロ金利には貯蓄を投資に回させたいという政府の魂胆が見え隠れするためである。従ってゼロ金利にもかかわらず、貯蓄が証券市場に流れないのは政府の思惑を打ち砕く事象として歓迎している。そもそも蓄財は何ら悪いことではなく、洋の東西を問わず道徳的に美徳とされている。
多くの人々が老後の備えとして貯蓄に励むことは、日本の社会保障給付が先進諸国と比して低い点を考えれば自然な帰結である。国内総生産に対する社会保障給付費の割合(1989年)は日本はわずか11.1%。スウェーデン33.6%、フランス25.9%、英国16.2%、自己責任の国とされる米国でさえ11.7%ある(総務省統計局・統計研修所編・世界の統計(総務省統計局2002)15章)。老後の保障を政府がしてくれないから、貯金して備える必要が生じる。社会保障制度が充実している国では貯蓄率は低くなる傾向にある。貯蓄を行う十分な理由があるため、預金額を制限するならばタンス預金に死蔵される資金が増えるだけだろう。そもそも個人の貯金総額を制限するのは財産権の侵害になる。
社会保障制度の充実には貯蓄率を下げる効果があるが、貯蓄率を下げるためではなく、人々が安心した生活を送れるために社会保障制度の充実は急務と考える。この点は政治に負うところが大きいが、国民の中にも社会保障を真剣に考えない層が存在するのが制度の充実が進まない一因となっている。日本人には他国に比べて「人生を考えない」層が非常に多いとの調査結果もある(木村忠正 NTTデータ=技術開発本部=システム開発研究所との共同研究(2000))。そういう層は困窮や要介護状態になると家族や親戚等に寄生することになるので困ったものである。
財政健全化
私は財政健全化の視点から公共事業削減に賛成している。同様に特殊法人整理や成果の不明瞭な研究補助の見直しも財政削減という目的を達成するために賛成である。先般の特殊法人整理では名称が変更しただけで役職員は居残り、焼け太りで財政削減にはそれほど貢献しなかったように思える。財政削減目的で公共事業削減を支持するので、総論では公共事業削減を言いながら自分の住む地域のみは公共事業の必要性を主張したり、公共事業削減による資金を別の事業に費やそうとする主張には組しない。それは自己の権益の維持拡大を目論む道路族と同じ我田引水であり、財政削減にはかえって有害である。
政府の支出には所得再配分機能があり、中央の税収が地方に還元されるのはむしろ当然のことである。配分が建設業に偏っている点が問題とされるが、建設業は多くの労働力を吸収するので、景気対策に効果的という面があった。近年は建設業も機械化が進み、一方で建設業に従事する層が固定化する傾向があるため、効果が薄れている。そのため、投資するならばITやバイオ、ナノテクといった将来性ある分野にシフトしていくべきと考える。但しその場合でも公共セクターの担当部分は、民業圧迫とならないようにITならば地方での光ファーバー網敷設というような基幹部分が中心となり、既存の公共事業と大きく変わらないような気がする。
ガンダムSEED(TBS 2003.2.1)
舞台が宇宙から地上に移り、背景が鮮やかになった。宇宙空間は単調な黒一色なので暗く陰鬱だが、美しい空や海、大地を背景にするとキャラクターもメカも映えて見える。人間の住むところは宇宙ではなく、先祖代々暮らしてきた地球上なのだと改めて実感する。宇宙世紀といっても宇宙に出るのは貧民・難民で、エリートや金持ちは住み易い地球上に残るのがガンダムの不易な世界観だが、それが人間の現実だろう。
宇宙生活者の中には人類は全て宇宙に出るべき等と主張する勢力がいて、地球の政府と戦争になるのだが、最後には主人公達の活躍により、そのような独裁勢力が敗北するのが繰り返されるパターンである。誤解を恐れずに単純化すると地球=善、宇宙=悪という構図になる。現実には主人公達はそこまで割り切って戦っているわけではなく、矛盾・葛藤を抱えている。その複雑さが物語の魅力であるが、少なくとも結果的には、主人公達の戦果が地球連邦政府の支配確立に貢献していることは事実である。
地上での描写はCG技術も手伝って、宇宙でのシーン以上にリアリティがある。戦闘でも砂地の制約や熱による対流を計算しなければならない。宇宙空間では厳しかった副長は地上では同情的で優しかった。地球上では人間的になれるのだろう。
圧巻は街が焼き討ちされるシーンで、住民の怒り、悔しさ、悲しみが強く伝わった。前半部でコロニーが破壊されるシーンがあったが、砂漠の小都市以上に多くの人の生活基盤が破壊され、宇宙のゴミとなったにもかかわらず、コロニー住民の反応からは大きな感情は伝わってこない。キャラクターの台詞にあったが、コロニーは「脆い」という印象を与えただけであった。又、カガリの台詞のように地上生活者の方が宇宙生活者よりも「一生懸命戦っている」と感じられる。
元々宇宙で生活すること自体が人間にとって不自然であり、現実離れしている。コロニーの生活がリスクの多い脆弱なものであるのはその通りであるし、そのようなものが失われたところでその痛みは感じられない。それに比べると地球上の生活は地に足ついたものであり、今まで積み重ねられてきたものを破壊される怒りは容易に理解できる。
機動戦士ガンダムSeed(TBS 2003.4.12)
軍需産業モルゲンレーテは富野ガンダムシリーズのアナハイム・エレクトロニクスに相当する役割を果たしそうである。アナハイムが月面に本拠を有していたのに対し、こちらは地球に本拠を持つ。エリートは地球に住むのを好むことを考えれば、最先端企業の本拠が地球上にあるとの設定は自然であり、リアリティがある。
モルゲンレーテの主任研究員はワーキングマザーである。仕事の時間が長く子どもと一緒に過ごす時間が短いようだが、勤務中に子どもからの電話に応じている。一方、父親はより密接に子どもの世話をしているようであり、夫婦分担して子育てに取り組んでいる。働く母親は「Z」や「F91」にも登場したが、どちらかというと仕事に没頭して家庭を省みないというネガティブな描き方だった。
富野ガンダムの時代と比べて女性の社会進出が進んでいる現状を反映している。母親であることが研究者というキャラクターに人間的な厚みを出している。自分の専門分野にしか興味を示さず、社会の役に何ら立たないにもかかわらず、予算を分捕ることしか考えない専門馬鹿・研究者馬鹿では何の魅力も感じられないだろう。
女性の活躍といえば、主人公の乗る母艦「アークエンジェル」の艦長も副長も女性である。女性管理職の増加という現状を反映している。艦長と副長は対照的な性格として描かれている。「女性は…である」というような時代遅れのステレオタイプな描写に陥ってない。