| HOME 東急グループトラブル 昔も今も空気が読めない(KY)二代目たち | ||||||
欺瞞的な東急イメージ広告東急には強盗慶太の異名の通り、悪いイメージがある。近年の経営不振はブランド力の低下に拍車をかけた。それを意識してか、東急グループは中身の伴わない欺瞞的な宣伝広告を垂れ流している。「東急の人」は誠実さをアピールするイメージCMであるが、東急不動産と東急リバブルの対応はその対極に位置する。逆に実態が不実だからこそ、イメージCMを流す必要があると考えることもできる。業界の模範、企業の鑑、これほど東急リバブルの真実から懸け離れたイメージもあるまい。中身を伴わない広告は虚しいだけである。 「それが、東急クオリティ」という恐ろしくエセハイソ的なイメージ広告も流している。キャッチフレーズ「次の50年へ」「美しい時代へ」も東急の実態を知れば薄っぺらい空々しいものにしか見えない。そもそも東急不動産や東急建設は50年も住めるような住宅を建てているつもりだろうか。「美しい時代へ」は「鬱陶しい時代へ〜東急グループ」の間違えと思える。何が「美しい時代へ」だ。心が汚れた者が美しいという言葉を使っても、美しいとは思えない。心の中を綺麗にしてから発言して欲しいものである。「WE DO ECO.」も「WE DO EGO.」の誤りである。 東急グループは彼方此方に「はした金」を落としては、自分の体を飾り立て、尊敬を金で買おうとする。東急リバブル東急不動産の金で買われた尊敬がどのようなものであろうと、その原動力が東急リバブル東急不動産の飽くなき貪欲さであることは引力の法則よりも確実である。それを東急リバブル東急不動産不買運動に知られながらも依然として同じやり方を続けている。 どれほど欺瞞的な広告を展開しようと、悪党不動産営業の烙印は消しようがない。全ては本来の色を覆い隠すために身にまとった飾りに過ぎない。消費者を欺き、真実を誤魔化し、嘘で塗り固めるための衣である。「白い恋人」や「赤福」と同様、紛い物のブランドイメージに過ぎない。 「ブランドイメージなどはマスメディアに金さえばら撒けば、どのようにでもなる」「広告料をちらつかせればジャーナリズムを口封じできる」「メディアと結託すれば消費者なんて簡単に騙せる」との浅ましい考えが透けて見える。広告やロゴ、求人活動を洗練させることには熱心だが、組織内部における従業員の意識改革は放置している。
ブランドブランド構築とは立派なロゴやキャッチ・コピーを、お金をかけて作ることを意味するわけではない。優れたブランドイメージは、消費者の信頼を得て初めて形成される。ブランドイメージはいわば「企業と顧客との約束」である。約束が叶えられなかった時の消費者の怒りはブランドイメージが高いほど大きくなる。消費者に与え続けた期待が裏切られた時、大きなしっぺ返しを受ける。東急グループのロゴは頭文字のTを図案化したものである。楕円に白抜きの「T」の字である。パンツやビキニブリーフにしか見えない。影では「パンツマーク」と称されている。「T」の字の部分がトマトのヘタみたいに見えるため、トマトマークとも称されている。三角形に似ているのは「恥をかく」「義理を欠く」「人情を欠く」と3つの「かく」が東急に揃っているからと感じられる。それはナチス・ドイツの記章に似ている。恐怖と抑圧のシンボルである。
広告費の最終的負担者宣伝広告費は価格に上乗せされ、最終的には消費者が負担する。新築マンションでは高級感・信頼感を醸し出すためにパンフレットやチラシは、豪華なカラー印刷で仕上げ、中古マンション仲介の単色刷りチラシとは大違いである(成谷幸雄、これならできる管理費削減2版、管理費削減センター、2005年、4頁)。宣伝広告に費用をかけた分のしわ寄せは品質の低下に直結する。建物の耐震性や耐久性、可変性、メンテナンス性、階高(天井高)の圧縮等、本来は建物の性能にとってもっとも大切な本質的な部分のグレードダウンや、間取りプランの簡略化による戸数稼ぎという手法で行うことになる。 もし宣伝費用を建物に回すことができたならば、断熱性や防犯性、メンテナンス性の向上などに使うことができる。新聞折込チラシ、住宅情報掲載紙、新聞・雑誌・テレビ広告・販売会社の販売手数料・分譲会社の利益など全てを上乗せしたものがマンションの価格になる。
東急グループの悪質さ東急グループ不動産系企業の一連のトラブル及び不誠実な対応には共通するものがある。顧客や市民の権利を全く無視するという会社の体質は、グループ会社にも共通する。グループの中の一企業に何かあった場合、消費者がグループ全体への不信感を持つのは自然な流れである。雪印食品の牛肉偽装事件が雪印乳業への批判を強めたことは記憶に新しい。「一事が万事」とみなされる可能性は否定できない。不正がグループ全体に根深くはびこっていると見なされても仕方がない。たとえ一個人が行った問題であったとしても、グループ全体がそのような企業倫理に基づいて動いているものと理解せざるを得ないケースもある。東急リバブルや東急不動産の存在は東急ブランドを汚し、東急グループ全体へ悪のイメージを広めている。悪の枢軸と呼ぶに相応しい企業である。
東急リバブルの欺瞞的なCM東急リバブルは欺瞞的な宣伝広告に力を入れている。東急リバブルの実態を糊塗する内容である。一生に一度あるかないかの買い物で騙し売りされた被害者感情を逆なでする。
TVCMでは以下の三種類を流している。
東急リバブルの実態が広まりつつある現状を恐れ、過度に信頼を強調する宣伝広告に必死になっていることがうかがえる。消費者が誤解を招くことがないようにするため、東急リバブルの実態を正しく反映したコピーに変更すべきである。以下の内容が正確である。 地域に密着している企業であればマスメディアで大々的な宣伝広告をしなくても顧客は集まる。悪どい企業ほど宣伝費をかけ、また宣伝費を稼ぐために法律違反でも、ばれなければ良いという根性で悪事を行うのが現状である。
東急リバブルとアイフルの共通点東急リバブルと悪質な取り立てが糾弾されたアイフルには共通点がある。両者は共にテレビコマーシャルで犬を使っている。東急リバブルの犬は「ブルちゃん」という。東急リバブルもアイフルも可愛らしい犬を広告に登場させて親しみやすい印象を与えようとする。東急リバブルの実態は不都合な事実を隠して問題物件を販売する騙し売り体質である。それを前面に出したら騙し売りできないため、犬を使って宣伝する。無反省な東急リバブルには他山の石という感覚がない。アイフルのイメージ広告が社会的に大きく批判されたことを認識していていない。動物を宣伝に使うことに動物虐待との批判が出されたことを認識していない。
東急不動産の逆襲東急不動産や東急リバブルはインターネットでは有名な悪徳不動産業者である。インターネットには、東急不動産・東急リバブルの景観破壊や騙し売りの情報が溢れている。この状況に対し、遅ればせながら東急不動産に反撃の動きがみられる。東急不動産は、東急エージェンシーとの共同出資で不動産専門のインターネット広告会社「株式会社ディマンドアイ」(東京・渋谷)を設立した(「東急不と東急エージェンシー、不動産専門ネット広告会社」日本経済新聞2005年10月17日)。当初は神谷勇人社長と発表されたが、2006年8月7日現在の代表取締役は猿井良昌である。 企業はマスメディアに対しては広告拒否の脅しをかけることで、自社に都合の悪い情報を葬ることができた。東急不動産の今回の動きはインターネット上でも同様の影響力を行使できるようにすることを企図していると推測できる。
東急電鉄、抗議により車内広告中止(1994年5月)東急線の広告は最悪である。沿線には学校(慶應義塾大学等)が多く、学生も多く利用するにも関わらず、酒類や消費者金融の広告を大々的に掲載する。アルコール薬物問題全国市民協会(東京都中央区日本橋浜町)は、全車両貸切広告を実施したニッカウヰスキーと東急電鉄に抗議した。抗議を受け、以後は中止を余儀なくされた。
東急電鉄、東急東横線中目黒駅で、やらせ広告東急電鉄は東急東横線中目黒駅で、やらせ広告を掲示した。問題の広告は「10年後の夢、毎日更新中」と題したポスターである。ポスターには黄色や、ピンク、青等のポストイットが沢山貼られている。ポストイットには、それぞれ異なる筆跡で「事業を起こす」「お芝居をやってる人になりたい」「カッコイイ女になる!」「新薬開発」等と書かれている。このポスターを見る限り、東急電鉄が10年後の夢を募集し、応募した人々がポストイットに自分の夢を書いてポスターに貼ったものと思える。しかし、実は、やらせであった。中目黒駅駅員は「初めから付箋を貼った状態なんです。つまり、あれは広報から送られてきたポスターなんです」と答えた(安居院文男「こんなポスター見たことない=東急東横線中目黒駅」PJニュース2007年1月17日)。 個人個人が夢を書いて貼り付けたように見せかける悪質な広告である。やらせ広告は消費者にとって詐欺でしかない。コンプライアンスが叫ばれる中、企業イメージを損なうリスクを冒してまで危険なやらせ広告をやる必要があるのか、疑問である。
東急電鉄、商号使用差止で敗訴東京急行電鉄(東京都渋谷区)が英語表記TOKYUを使用する宮城県石巻市の建設会社「藤久(とうきゅう)建設」を提訴した訴訟の判決で、東京地裁は2008年9月30日、東急側の請求を棄却した(平成19年(ワ)第35028号営業表示使用差止等請求事件)。東急電鉄は「TOKYU」といえば「東急」であり、他社の営業使用は混同するから認められないと主張した。そして藤久建設に英語表記の使用の差し止め及び240万円の損害賠償を請求した。これに対し、大鷹一郎裁判長は、広辞苑を紐解き、「とうきゅう」と同じ読みに「冬宮(ロシアの宮殿)」「等級」「投球」などがあると列挙。さらに、大分市には「東九興産」があり、盛岡市には「とうきゅう商事」があるなどと指摘した。「『とうきゅう』という呼び方で思い起こされるのは『東急』だけ」 という東急側の主張を退けた。 資本金約1200億円の大企業から突然、訴えを起こされた「藤久」の社員は 「うちは石巻周辺でしかやってない、10人ぐらいしかいない会社。東急と競合関係もないのに、相手は何を考えているのか……」と困惑。「TOKYU」の表記はメールアドレスなどに使っているが、訴訟では「東急グループの企業と勘違いされたことはないし、間違いメールを受けたこともない」と反論していた(河原田慎一「藤久だってTOKYUだ 東急の使用差し止め請求を棄却」朝日新聞2008年10月1日)。 横暴で理不尽な言いがかり訴訟としか思えない。ヤクザやチンピラと同レベルである。藤久建設側のブログによると、東急では4年間に100件ほど同様の訴訟をしているという。被告は全て零細企業のようで、電話や内容証明郵便などによる事前連絡なしで提訴しているとする。真昼間から「tokyu」で検索して田舎の小さな土建屋を恫喝することが東急の法務の連中の仕事なのだろうか。 東急不動産(販売代理:東急リバブル)は不利益事実を隠してアルス東陽町301号室を騙し売りした。東京地裁平成18年8月30日判決は消費者契約法違反を認定し、売買代金の全額返還を命じた。不誠実さはグループ共通である。東急のイメージダウンは不可避である。
TOKYUは東急のみにあらずTOKYUは東急のみの商号ではない。愛知県丹羽郡には東久株式会社があり、ドメインにTOKYUを使用している。豊田自動織機の関連会社で、2007年度の売上高は269億円である。東急電鉄がTOKYUの使用差し止めと損害賠償を求めて提訴した藤久建設(石巻市)よりも遥かに大規模な会社である。首都圏にも拠点を構えて営業している。仮にTOKYUの営業使用で東急との混同が生じるならば、藤久建設よりも大規模な東久の方が可能性は高い。東急電鉄が東久を提訴しないならば、弱い者いじめのユスリ・タカリであることは明白である。
「高知東急」芸名使用差止請求事件東急の高圧的な印象を世に知らしめた裁判である(東京地判平成10年3月13日判決)。東急電鉄が主張するように、東急の表示が独自性のある著名な表示であり、周知性を超えた著名性を備えているとすれば、逆にその独自性、著名性の故に単なる芸名とは区別が容易で、混同される具体的危険性は減少する。企業名と芸名の一部に同一の部分があっても、それだけで芸能人個人と企業又は企業グループとの間に何らかの関係があると想起することはなく、芸名と企業名は、関連づけて考えない方が通常の発想である。
東急不動産の不誠実な取材対応東急不動産は中身のない欺瞞的なイメージ広告には熱心な一方で、情報開示には群を抜いて消極的である。きちんと対応する同業他社と比較すると不誠実さが際立っている。日経トレンディの取材に対しても情報を開示しなかった。日経トレンディではマンション19社(大手15社及び急伸4社)、戸建て8社について、詳細な調査票を元に調べ、1社1ページでまとめた(「安全な家!」日経トレンディ2006年3月号)。大阪安全・安心まちづくり支援ICT活用協議会は「東横インと混同されやすく、今こそ、広報マインドが必要な東急不動産が、取材に非協力的だったのは、残念だ」とコメントする。
東急不動産の不誠実な回答耐震強度偽装事件発覚後、デベロッパー各社は自社物件の構造再確認実施を表明したが、東急不動産の姿勢は同業他社に比較して群を抜いて不誠実である。ルポライターの泉あい氏はデベロッパー各社に質問状を送付した。質問内容は以下の通りである。1.偽造問題発覚後、貴社内で耐震構造の再確認はなさっていますか。 2.なさっているのでしたら、具体的にどの様な方法で行われているのですか。 3.再確認の結果、問題点は見つかりましたか。あればどのようなことかも教えてください。 4.問題点があった場合、貴社者内で具体的にどのように是正するのですか。
これに対する東急不動産の回答は群を抜いて不誠実であった。回答内容は以下の通りである。事実上の回答拒否に等しい。
他社回答と比較すると東急不動産の不誠実さが良く分かる。
● 三菱地所株式会社 泉あい「デベロッパーへの質問状を〜回答」Grip Blog 2006年3月26日
将来性に欠ける東急エージェンシー東急エージェンシーは広告会社としての将来性に乏しい(野田正則「上場断念!?崖っ淵に立つ東急エージェンシー」月刊創1998年5月号)。マスメディアに対する支配力に欠ける。社内スタッフ(マーケ・制作)は人材不足気味である。従業員には電通・博報堂の落選組、コネ入社組が多い(マジェンタ合資会社「社員白書」)。東急エージェンシーは東急グループのハウスエージェンシーと認識されており、他の電鉄会社グループの広告は取り扱いにくいという弱点がある。東急エージェンシーは1961年3月設立で、初代社長は五島昇である。東急エージェンシーでは経営陣の確執も報道された(「前野徹東急エージェンシー社長と五島昇の確執」月刊「創」1989年3月号)。
東急と政治宣伝東急エージェンシーには不明朗なウワサが付きまとう。「首脳部の一部が国会議員や都議、区議、区長らと昵懇らしい」「財界人や大企業の言う通りになる」との話がある(「葛飾区「指定管理者談合疑惑」追及第6弾! 東急エージェンシーを選出した不明朗な選出基準」東京アウトローズWEB速報版2005年12月11日)。
東急エージェンシー、柳沢伯夫への裏献金に関与か東急エージェンシーは柳沢伯夫(柳澤伯夫)・厚生労働大臣(当時:金融担当大臣)への10億円の裏献金に関与したと指摘された。柳沢大臣は「女性は生む機械」という女性蔑視発言をした人物である。裏献金は最初、怪文書として永田町に出回った。「イトーヨーカ堂が東急エージェンシーを介して柳沢伯夫金融担当大臣に10億円の口利き料を提供していた」との内容である(「【企業研究】アイワイバンク銀行 収益性に疑問符、前途は多難」ベルダ2002年6月号)。東急エージェンシーが税務調査で指摘された申告漏れ10億3000万円分が、柳沢大臣に渡ったとする。衆議院財務金融委員会(平成14年7月9日)においても質問された。きっこの日記「カメムシ大臣の裏の顔」2007年2月5日にて改めて紹介された。
東急エージェンシー、所得隠しで脱税東急エージェンシーは東京国税局の税務調査(2002年4月上旬)で2001年3月期までの5年間で計約10億3000万円の申告漏れを指摘された。申告漏れの大半が悪質な所得隠しと認定され、追徴課税額は重加算税を含め約8億4000万円に達した。東急エージェンシーが、取引先を接待した際の飲食代やタクシー代を、課税対象にならない社内の打ち合わせ費用に見せかけ、経費として計上、本来は交際費にあたるものを虚偽の領収書を提出するなどして隠蔽したと、国税局は認定した。同社は2001年にも、架空経費の計上で1億2000万円の所得を隠したと国税局から指摘を受けており、経費の水増し計上が恒常化している実態が浮き彫りになった。
東急エージェンシー、東京商工会議所選挙で偽装投票東急エージェンシーは04年6月、東京商工会議所(東商、山口信夫会頭)の議員選挙で、巨額の裏金を使い偽装投票した。商議所の議員となる会社を選ぶ選挙で、東急エージェンシーの営業局長らが取引先のイトーヨーカ堂を支援するため、東急エージェンシー社員らに個人事業主を装わせて東商に入会、投票させていた。仮装投票したのは97年と00年で、それぞれ約1000万円、1400万円の裏金を使用した。裏金は東急側が取引の中から捻出していた。候補となったのはイトーヨーカ堂で、同社及びグループ会社セブン−イレブン・ジャパンの会長兼最高経営責任者・鈴木敏文氏(71)が代表だった。 東急エージェンシーの社内調査や関係者によると、同社側の担当社員らは、同僚らを個人事業主と装って入会届を東商に提出。加入金と年会費は裏金で負担していた。その後、東商から選挙の投票券にあたる「入場券」がそれぞれ届くが、担当者はそれをまとめてセブン−イレブン・ジャパン側に渡し、同社が代理となる形で、イトーヨーカ堂に一括して投票していた。 東商は「選挙制度を利用して仮装していたとすれば遺憾だ」として事実関係の調査に乗り出す方針だ。定款では個人事業主の入会要件を「東京23区内の商工業者」としており、裏金による仮装会員は定款に抵触する。 朝日新聞のスクープである。朝日新聞は2004年6月21日朝刊の一面トップで報道した。既に噂の真相2001年5月号「使わなかった一行情報」には「東急エージェンシーW副社長とセブンイレブン総帥の癒着の告発文書が」と記載されていた。 本件について東急エージェンシーは以下のリリースを発表した。「株式会社セブン-イレブン・ジャパンはもとよりイトーヨーカドーグループは、本件に全く関与しておらず、イトーヨーカドーグループおよび候補者の知らないまま、イトーヨーカドーグループ代表の候補者があたかもそれによって議員当選したがごとき誤解を与えかねない状況を招いたことに対しまして、衷心より深くお詫び申し上げます」(株式会社東急エージェンシー・代表取締役社長久保恭一「謹告」平成16年6月22日)。
仮装投票で東急エージェンシーの票数突出東京商工会議所(東商)の97、00年の議員選挙をめぐる仮装投票問題で、候補となったイトーヨーカ堂を支援するため、グループ会社のセブン−イレブン・ジャパンに選挙協力をした取引先の中で、東急エージェンシーの票が突出していたことがセブン−イレブン・ジャパンの内部文書で分かった。文書は、同社の取引先ごとの票数が記載されており、「貢献度」を示した形だが、同社は「票数は取引には何ら影響がない」と話している。朝日新聞社が入手した文書は、97年と00年選挙の集計表。IY(イトーヨーカ堂)やSEJ(セブン−イレブン・ジャパン)、DJ(デニーズジャパン)など「IYグループ」の企業名を挙げて各票数が記載されている。例えば97年選挙の場合は、セブン−イレブン・ジャパンが6605票で「前回比201%」とある。他のグループ会社は94〜138%だった。 もう1枚の文書は「大口寄票先リスト」などとし、セブン−イレブン・ジャパンについて、取引先の票数が記載。うち、東急エージェンシーは97年の選挙で1913票、00年の選挙では3064票。2位の取引先は97年が275票、00年が277票で、東急エージェンシーはいずれも10倍前後の票を獲得していた。
東急エージェンシーの葛飾区亀有文化ホール指定管理者選出に批判東急エージェンシーが葛飾区の文化会館及び亀有文化ホール指定管理者に選出されたことに対し、不明朗と批判されている(2005年9月16日)。選考過程には数多くの疑惑や規則違反が噴出した。区役所職員からも「広告代理店では食堂の経営や施設の維持管理などは大丈夫かな」と指摘された(「葛飾区「指定管理者談合疑惑」追及第6弾! 東急エージェンシーを選出した不明朗な選出基準」東京アウトローズWEB速報版2005年12月11日)。
東急エージェンシーと中曽根康弘の結びつき東急エージェンシーの発展は東急グループ総帥の五島昇と中曽根康弘の個人的コネクションに由来するところが大きい。二人は東京帝国大学の同級生で、中曽根政権時代、多くの政治関連案件が東急グループに持ち込まれた。中曽根内閣の目玉の一つだった「建国記念の日を祝う式典」への首相出席でも、五島昇は建国記念の日を祝う会会長として協力した。中曽根は行財政改革推進アピールの依頼先として東急エージェンシーを選び、様々な活動を行わせた。その中には官製圧力団体・デモによる改革推進の訴えかけや、出版活動による世論誘導も含まれていた。東急エージェンシーは竹村健一に「改訂版・前川レポートの正しい読み方」なる本を自社から出版させた。1987年に中曽根が首相を退き、89年に五島昇が死去すると東急エージェンシーは政治宣伝の一線を退くことになる。
前野徹・元東急エージェンシー社長と政界の関係前野徹・元東急エージェンシー社長は読売新聞記者時代に中曽根康弘元首相と出会い、その縁で東急グループのトップだった五島昇の知遇を得、東急グループ入りした。60年に秘書課長として東京急行電鉄に入り、70年に東急エージェンシーに移り、81年から93年まで社長を務めた。東急グループ内では“政治部長”と呼ばれ、きな臭い話には事欠かなかった(山岡俊介「元東急エージェンシー社長・前野徹氏の告別式に現れた、最近、安倍首相スキャンダルで注目の女性」アクセス・ジャーナル 2007年2月21日)。それまでしがない一広告代理店だった東急グループ系の広告代理店・東急エージェンシーを博報堂に次ぐ業界3位(現在は5位に後退)にした。東急エージェンシーが躍進できたのも、政財界への多額の工作資金を撒いたお陰とも言われる。一方で仕手集団代表との交際やワンマン経営による社内の不協和音も指摘された。 そのためか、前野徹の葬儀・告別式には多くの有力政治家が顔を見せた。葬儀委員長を務めた中曽根元首相、友人代表の石原慎太郎東京都知事はもとより、安倍晋三首相、森喜朗元首相、中川秀直自民党幹事長、小沢一郎民主党代表、太田昭宏公明党代表が出席した。一般に政治が加担している企業は、その分野ではかなり質のよろしくない企業になりさがっている。
安倍晋三と東急安倍晋三首相と東急には徒ならぬ関係を感じさせる。東急グループのキャッチコピーは「美しい時代へ」、安倍晋三の著書タイトルが「美しい国へ」である。安倍晋三は昭恵夫人とともに東急百貨店本店で買い物をしている。また、安倍晋三首相は公邸入りした2006年11月26日にはJR渋谷駅近くの東急ハンズでシャンプーや入浴剤、セロハンテープ、筆ペンを購入した。これは「東急ハンズなどで文具、入浴剤などの日用品を買いそろえるなどし、庶民派をアピールした」と報道された(「安倍首相が買い物パフォーマンス」スポニチ2006年11月27日)。東急ハンズでの買い物で庶民派を気取れると思っている神経が信じ難い。庶民が日用品を購入するために東急ハンズに行くことはない。
安倍晋三『美しい国へ』酷評安倍晋三首相の初の単著『美しい国へ』が酷評されている。恥書とまで評されている。「ナチスは自分の国を美しくするために何をしたか。「汚いユダヤ人やロマ(ジプシー)」を取り除こうとした。共産主義は「資本主義の豚」を取り除こうとしたし、資本主義は「アカども」を取り除こうとした。そう。「美しい」には、「目障りなものが排除された状態」という意味もあって、そして、政治の世界ではその通りの意味に使われてきたのだ」(404 Blog Not Found「「美しい」もインフレ気味」2006年7月27日)。同じことは東急グループのキャッチコピー「美しい時代へ」にも当てはまる。
再チャレンジの欺瞞日本政府は再チャレンジなる言葉をもてはやすが、東急リバブル東急不動産のような悪徳企業に再チャレンジを許してはならない。安倍晋三が再チャレンジを強調するのは安晋会メンバーだった破産者の小嶋進ヒューザー社長に再起の機会を与えたいだけではないかと勘ぐりたくなる。
伊藤公介、東急系大学教授と共著出版伊藤公介・衆議院議員が著書を出版した(伊藤公介・伊藤泰郎『環境と技術で拓く日本の未来』丸善プラネット、2006年11月)。伊藤議員は耐震強度偽装物件の建築主(ヒューザーの小嶋進社長、東日本住宅の桃野直樹社長)を問題公表前に国土交通省幹部に引き合わせた。共著者の伊藤泰郎は武蔵工業大学卒業の工学博士で、武蔵工業大学名誉教授である。伊藤泰郎は昭和35年に副手として武蔵工業大学に着任、助手、講師、助教授を経て昭和57年に教授に昇任され、2004年3月に退職した。武蔵工業大学は学校法人五島育英会が運営する大学である。五島育英会は東急グループの一員であるため、武蔵工大を東急関係者の子弟に大卒資格を与えるためのディプロマミル(学位販売業者)と揶揄する見解もある。
福田康夫の無責任福田康夫首相の突然の辞意表明は無責任極まりない。2008年8月2日に内閣を改造し、9月12日の臨時国会召集の直前の9月1日に唐突に政権を投げ出した。無責任さは安倍晋三前首相と同じである。一部ではチンパンと酷評される福田康夫は最初から総理大臣の器ではなかった。「消費者がやかましい」の太田誠一農水相がトドメを刺したのだろうか。むしろ洞爺湖サミットで議長を務めた後は何時辞めてもいいという程度の意識しかなかったのだろう。結局は日本が世界中の笑いものでから笑われただけである。選挙のことだけを考え、国民のことは全く考えていない政治屋の典型である。アルス東陽町301号室を騙し売りした、売ったら売りっぱなしの東急リバブル東急不動産とも通じるものがある。 福田康夫が国民から嫌われた理由の一つに媚中がある。東急不動産消費者契約法違反訴訟において被告・東急不動産の訴訟代理人となった井口寛二弁護士は日中法律家交流協会の行事で中国を訪問することを理由に裁判期日を引き伸ばした。わざわざ反日デモが吹き荒れた2005年に訪中する。国民感情を無視した卑劣な時間稼ぎである。
東急関連労使紛争東急電鉄、ベースアップゼロ回答日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)加盟の東急労働組合は、春闘の労使交渉を行ったが、会社側はベースアップゼロの回答をした(「私鉄大手15社 ベアゼロ、賞与上積み、6社が妥結」産経新聞2007年3月16日)。私鉄総連は回答内容によってはストライキを検討するとしていたが、ストはしない見通し。
東急観光労使紛争東急観光労働組合(約1700人)は執拗に繰り返される東急観光の不当労働行為と戦っている。東急観光では2004年3月31日に東急電鉄が株式85%を投資会社のアクティブ・インベストメント・パートナーズに売却して以来、従来の労働協約や労使慣行が完全に無視されている。これに対し、組合は東京都労働委員会に救済の申し立てを行っているが、会社側は度重なる和解調停や勧告さえ無視している。会社は社員会と称した第2組合を結成させ、東急観光労組の組合員にはボーナスを支給しないなど、明らかな不当労働行為を行っている。サービス連合は支援対策会議を設置し、連合も東急観光の態度について、労働組合の存在そのものを否定する行為として、東急観光労組の全面的な支援を決定した。
東急観光(現トップツアー)の労使紛争は国会でも取り上げられた。 参議院厚生労働委員会(2005年4月19日)における柳澤光美参議院議員(民主党・新緑風会)質問「夏のボーナスが突然なくなりました。年間で払うと。今度は冬のボーナスになったときに、今度は事実上、実態的にはほごになりました。この中で苦しんで、東急観光の労働組合の皆さんは東京都の労働委員会に救済を求めました。ところが、労働委員会の勧告にも一切応じない。それどころか、そのことを契機に本当に悪質な組合つぶしが始まりました。その典型例が、社員会という組織をつくって、職制を使ってそちらの社員会に移れ、今の組合を辞めろというのが、職制を使ってその脱退工作が、あるいは強要が始まりました。挙げ句には、労働組合から脱退した者にはボーナスを支給すると、脱退しない者には支給しないと。ですから、東急観光の中の働く者はもう全部疑心暗鬼になってしまって、組織全体がおかしくなってしまうというような状況になりました。」 参議院国土交通委員会(2005年4月26日)における山下八洲夫議員(民主党・新緑風会)質問「週刊ダイヤモンド社ですから立派な雑誌社ですけれども、「経営権濫用し労組つぶしに躍起」、「ファンドの運用会社が経営権を濫用し、労使関係が紛糾する事例も出始めた。ファンドはやはり単なる買収屋なのか。」、労働組合に組合の事務所の家賃を払えと露骨な嫌がらせをやったとか、いろいろとこう記事が書かれています。」 東急観光は2006年1月1日から社名をトップツアー株式会社に変更する(2005年7月25日発表)。外資ファンドへの売却という点では有料自動車道「箱根ターンパイク」も、オーストラリアの投資銀行、マッコーリーの設立したファンドに売却された(2004年3月)。
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「経営権濫用し労組つぶしに躍起 企業再建ファンドの危うい実態」週刊ダイヤモンド2005年1月22日号
トップツアー(旧東急観光)会長、ニッセン社外取締役辞任トップツアー(旧東急観光)取締役会長の青松英男は2005年3月にニッセンの社外取締役を辞任する。2006年11月16日に同社が発表した。辞任日は内規により07年2月6日付となる。辞任理由は「一身上の都合」としているが、自社株買いをめぐり会社と対立したためとの見方が出ている(「ニッセン、社外取締役の辞任を発表」日本経済新聞2006年11月16日)。
東急バス労使紛争東急バス株式会社では労使紛争が生じている。東急バス(東京都目黒区)は東急電鉄の連結後会社で、1991年に電鉄から自動車事業を譲渡された。四人の従業員が企業内組合(私鉄総連・東急バス労働組合)を脱退し、個人加盟労組(全労協全国一般東京労組東急分会)に加入した(2000年10月6日)。脱退理由は「組合に期待を持てなかったから」である。企業内組合執行部は経営が苦しいという理由で「合理化」を受け入れるばかりであった。労働者から要求があっても抑えてしまう方針に疑問を抱き、積極的に権利を確立し、労働条件を維持向上し職場環境を良くすることなどを目的に立ち上がった。東急分会は、東急バスからの執拗な残業差別や組合無視に対し、東京都労働委員会や東京地裁で闘っている。当初四名で結成した東急分会は組合攻撃の中でも加入者を増やし成長している(一二名とも一四名ともされる)。
労働委員会組合は団交拒否、組合員差別などの不当労働行為救済命令を都労委に申し立てた(東急バス事件、都労委平成13年不第96号、同14年不第9号、同15年不第115号)。都労委命令(2005年6月9日)では東急バスに対し、以下の行為を命じた。(1)東急バスは、バス乗務員に対し残業扱いとなる乗務を割り当てるに当たって、申立人組合の組合員に対して、他の乗務員と差別して取り扱ってはならない。会社が残業の割当てについて組合員である乗務員に対し他の従業員と異なる取扱いをしたことは、組合員であることを理由とした差別的取扱いであり、組合員の動揺、ひいては組合組織の弱体化を図ったものとして支配介入に該当する。 (2)東急バスは、組合から会社従業員である組合員あてに送られてきた郵便物等について、他の労働組合に係る郵便物等と異なる取扱いをしてはならない。 (3)東急バスは、組合が要求する便宜供与について、他の労働組合との間に合理的理由のない不平等が生じないよう、申立人組合との協議に誠実に応じなければならない。 (4)東急バスは、添乗調査の頻度等の運用及び乗務状況報告書の評価基準について、組合が団体交渉を申し入れたときは、団体交渉事項ではないなどとして拒否してはならず、誠実に応じなければならない。 宇賀神(全国一般東京労組)は「われわれの分会のある東急バスで、背面監視が行われていた。都労委で組合が勝利した」と話す(郵政労働者ユニオン主催、全労協・東京全労協共催「郵政民営化阻止集会」永田町社会文化会館、2005年7月7日)。
民事訴訟組合員及び組合は2002年10月1日に違法なチェックオフによる未払い賃金支払いや不当労働行為に対する損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。東急バスが花粉症のバス運転手に対し、マスクをしての運転を認めなかったことや有給休暇の申請を承認しなかったことも理由にあげられている(「「花粉症なのにマスク認めず」運転手、バス会社提訴」朝日新聞夕刊2002年10月3日)。
労使紛争の隠蔽東京急行電鉄・有価証券報告書では労使紛争の存在自体を隠蔽する。「労働組合の状況」では東急分会の組合員数を僅か一名とし、「連結子会社においても労使間において特記すべき事項はありません」とする(平成16年度13頁、平成15年度15頁、平成14年度16頁)。● 東急分会ホームページ ● 東京都公式ホームページ/不当労働行為救済命令書交付−東急バス
東急電鉄らの年齢差別東急グループの企業 (東急電鉄、東急不動産、東急セキュリティなど) は、これまで、求人募集に際して、年齢制限を何度も繰り返してきた。NPO「年齢差別をなくす会」では東急グループの年齢差別を強く批判する。年齢差別をなくす会は2005年8月、東京急行電鉄に対し、年齢制限の矛盾を指摘する公開質問状を送付した。早々に回答が寄せられたものの、その中身は極めて説得力に欠ける内容であった。東急電鉄の担当者は、自社の都合で年齢制限を設けることについて何ら矛盾を感じていない様子で、今後も年齢制限を継続していくとする。 2006年1月の東急線車内でも 「駅係員募集します。応募資格は 『30歳未満』 のみ。」 という求人広告を堂々と掲示していた。「駅サービススタッフ募集」の広告では応募資格を「大学生・大学院生・専門学校生」に限定する。駅サービススタッフは学生でなければ出来ない仕事ではないだろう。従って東急電鉄の求人広告は合理性のない応募要件ということになり、学歴による差別にあたる。 東急電鉄は、年齢差別に限らず、差別に関して無頓着(無神経)である。採用(雇用)に関しては、年齢差別、学歴差別をしており、雇用面で、おそらく外国人差別、性差別も行っているのではないだろうか。東急電鉄の差別に対する無知、鈍感は重症である。 東急グループ各社は、年齢にとらわれない公正かつ効率的な雇用制度・雇用慣行を迅速に導入すべきである。法的規制の有無にかかわらず、グローバル・スタンダードに則した合理的な雇用制度・雇用慣行を率先して導入すべきである。
東急機関工業で男女差別東急機関工業株式会社の男女差別は公序良俗に反し、無効とされた。無効とされたのは東急機関工業の女子従業員30歳停年制である。東京地裁は憲法14条の平等取扱い及び労働基準法の趣旨に反する著しく不合理なもので、民法90条の公序良俗違反として無効とした。「女子従業員30歳停年制に関する被申請人の主張はいずれも理由がなく、他に本件停年制を正当づけるに足りる特段の事情の疎明もないので、女子従業員30歳、男子従業員55歳と女子を著しく不利益に差別する本件停年制は、著しく不合理なもので、公序良俗に反して無効である」(東京地裁1969年7月1日判決、昭和42年(ヨ)第2262号、東急機関工業地位保全仮処分申請事件、労働関係民事裁判例集20巻4号715頁)。
強盗慶太五島慶太(1882年4月18日-1959年8月14日)は東急グループの創設者。東京地下鉄道の乗っ取り、三越の乗っ取り事件等の強引な経営手法で物議を醸し、「強盗慶太」の悪名が高い。悪辣な手法を用いて資産と事業を拡大させた。1920年(大正9年)5月11日に鉄道院(今の国土交通省)を辞めて武蔵電気鉄道常務に就任したのが事業家としての出発点である。要は天下りである。戦時中は東條英機内閣の運輸通信大臣に就任し、敗戦を迎える。連合軍最高司令官総司令部GHQから東條内閣の閣僚だったことを理由に公職追放者指定を受けた。 追放解除後、横井英樹の白木屋乗っ取りに手を貸し、これを東急百貨店に吸収した。城山三郎『乗取り』は横井をモデルとした小説である。しかし三越の乗っ取りには失敗。東洋精糖買収も暗礁に乗り上げる中、病没した。東洋精糖は五島の死後27日目に手放されることになる。 戦後の買収劇に関しては、長男の五島昇からさえも「親父が最後の10年間でやった買収は全部失敗」と評されている。戦後日本社会は規制中心の「1940年体制」を維持しており、そのような村社会的秩序への挑戦者である「乗取り屋」が経済界の指弾を受けたのは当然であった。
五島慶太、日中戦争に関する内務省調査に協力東横電鉄(現東急電鉄)の五島慶太社長は日中戦争に関する内務省の調査に協力していた。日中戦争が始まった直後の1937年9月、内務省は戦争長期化を視野に、戦争が日本経済に与える影響について、五島慶太社長らに聞き取り調査をした。五島社長は「輸出入」「物価」「為替相場」等、六項目の見通しを答えている(内務省警保局「支那事変の経済界に及ぼしたる影響」1937年11月)。1937年7月の盧溝橋事件後、近衛文麿内閣は当初、不拡大方針を取ったが、政府は裏では戦争長期化に備えていた。
「日中戦争初期に内務省 長期化見据え財界調査」東京新聞2006年8月20日 「日中戦争の影響調査、極秘文書見つかる」中国新聞2006年8月20日 東急と朝鮮の関係東急と朝鮮の関係を考察する上で、久米民之助(1861-1031)の存在は必須である。五島慶太は久米の長女、万千代と結婚する。この時、久米家の祖母の家系で既に廃絶になっていた五島家を再興することになり、五島姓に改姓した。東急グループ二代目の五島昇は久米の孫にあたる。久米は1918年4月、ソウルから金剛山地域を視察し、1919年12月に金剛山電気鉄道株式会社を創設、初代社長となる。金剛山最高峰の毘盧峰を越える登山道「久米越」を整備し、金剛山地区の開発・観光の振興を目的とした半官半民組織の「金剛山協会」創設に努めた。
過酷な東急東横線敷設工事大正末期に行われた東横線敷設工事は過酷であった。柿の木坂切り通し工事の初期工事は殆ど在日朝鮮人による手掘り作業であった。高さ10m以上の丘の土を取り除く労働は耐え切れないほど苛酷である。日本人の監督が朝鮮人労働者をスコップで容赦なく殴る残虐行為がよく見られたという。当時の犠牲者の遺体は母国に帰ることなく、近くの東光寺境内に埋められていると地元の古老は話す。「在日コリアン一世の労働現場では朝鮮人の命が虫けら同然に軽々しく扱われることが少なくなく、ダム建設の人柱として朝鮮人労働者が生き埋めにされたり、困難な鉄道建設工事では、「枕木一本に朝鮮人一人の命」という言葉まで生まれました」(在日コリアン弁護士協会『裁判の中の在日コリアン』現代人文社、2008年、21頁)。
東急の環境破壊と戦った女性東急の環境破壊と戦った女性がいる。前田光子は東急の乱開発から阿寒湖周辺の山林を子孫に残すために戦った。「乗っ取り魔」と言われた東急の五島慶太(強盗慶太)は阿寒にリゾート地を開発しようとした。しかし前田光子は徹底的に戦った。五島慶太が阿寒の買い占めを狙って面会を求めた時は毅然と拒絶した。この阿寒の森は現在、前田一歩園という財団法人によって守られている。もし東急の計画通りに進められていたならば阿寒の自然林は残っていなかった。明和地所・国立マンション反対運動に取り組む石原一子・景観市民ネット代表は、阿寒の森を守る戦いに触発されたと述べている(石原一子『景観にかける』新評論、2007年、174頁)。
五島昇と東急電鉄の斜陽五島昇は昭和29年5月に37歳で東急電鉄社長に就任した。ワンマン創業者の父・強盗慶太の七光り人事であった。側近連中も五島を軽視していた。長男の昇は「遊び好きのボンボン」というイメージが強かったためである(「「ドンになり切れないプリンス」ケンカ嫌いがケンカの連続 財界世代交代劇の主役に」日経ビジネス1987年5月11日号)。昇が遊び好きでダーティな連中とも交友があったことが後に東急グループが暴力団に乗っ取られそうになる遠因になっていると作家の北芝健氏も語る。社長就任後も1年のうち160日はゴルフ場通いであった。部下が禀議書に印をもらうためコースを走り回ることもあったという(増田晶文「東急総帥「五島慶太」没後50年 光芒「五島家三代」後編」週刊新潮 2009年9月10日号48頁)。 転機は慶太が死去した34年8月14日からである。創業者の死去によって東急王国は縮小・撤退の悪戦苦闘の日々の連続となる。部下の裏切り、造反、そして倒産の危機に見舞われた。昇は慶太の死後僅か10日で東洋精糖の仕手戦からの撤退を発表する。「東洋精糖における東急は、アルジェリア問題でのフランスみたいなもの」との台詞で帝国主義的な強盗慶太との違いをアピールしたが、ひ弱なインテリとのかげ口を叩かれた。 東急くろがね工業の倒産に絡み、1937年には東急の社長の座を追放される寸前までなった。モータリゼーション進出のもくろみからグループ全体で250億円もの資金を投入したが、東急くろがね工業は倒産し、東急電鉄グループ全体の信用不安を招いた。 銀行筋から「今の経営陣のままでいいのか」と言われたという。水面下では銀行団を中心に五島の会長棚上げ、副社長の大川博の昇格というシナリオが出来上がっていた。相談役の小林中(元日本開発銀行総裁)が根回し役となった。昇は内部からも見限られていた。
東急の支配体制は天皇制五島昇・東急電鉄社長は異分子を排除することで東急グループという狭い世界における専制君主となる。大きな出来事として強盗慶太の代からの実力者・大川博との対立と東映の独立がある。大川は1951年に東京映画配給(東映)社長に就任し、東映をグループのドル箱に成長させた人物である。岡田茂(現東映相談役 元会長)によると、慶太に「東映の再建に成功した場合、自分の死後の東急グループの経営を君に任せる」と約束されていたが、口約束であったために反故にされた。東映は『ひめゆりの塔』のヒットもあって、東急電鉄の倍の利益を出すほどであった。逆に東急に無担保融資をするなど、東映と東急の力関係が逆転していた。グループ内にも大川の息のかかった者は多く、五島を豊臣秀頼、大川を徳川家康になぞらえる向きもあったほどである。この問題は結局、1964年に東映が東急グループから独立することで解決する。 大川のような個性的な人物を異分子として排除することで、昇は東急グループ内の専制支配を確立する。斉藤一郎・東急ホテルチェーン社長(当時)は「東急の支配体制は天皇制だよ」と語る。しかも昇はワンマン体制を敷きながらも、具体的な決断や指示をしないため、部下は昇の雰囲気や顔色をうかがって判断することになる。
五島昇の天皇制と東急不動産騙し売り五島昇のワンマン体制を天皇制に喩える点は言い得て妙である。ワンマン体制と言いつつも、昇は人事権を握るだけで具体的な決断や指示を出すことは少ない。この点で独裁制よりも、支配者が表に出ない天皇制の方がしっくり来る。そして、この天皇制的経営体制は無責任につながりやすい。従業員は昇の雰囲気や顔色をうかがって決めるため、何故この方針を採ったのかを誰も明確に説明することはできない。また、明確な言葉が発せられたならば、事後的に責任追及が可能だが、雰囲気や顔色をうかがっての決定ならば決定者が曖昧になり、責任追及もできない企業風土になる。このようにして無個性で主体性のない東急社員が出来上がる。 東急不動産消費者契約法違反訴訟アルス東陽町301号室事件では社会常識からかけ離れた非常識な主張が繰り返された。その背景には東急の天皇制的な支配体制からくる無責任さがある。これは東急不動産(販売代理:東急リバブル)が不利益事実(隣地建て替えなど)を説明せずにマンションを騙し売りした事件である。東京地裁平成18年8月30日判決で不利益事実不告知(消費者契約法第4条第2項)が認定されて東急不動産が敗訴した。 この事件における東急リバブル東急不動産従業員の態度は無責任の一言であった。東急側は主張が二転三転する上に主体的に問題を解決しようとする意識が皆無であった。騙し売り被害者は「東急リバブル東急不動産の従業員はレベルが低い」と呆れていたが、五島昇時代に培われた無責任体質が染み付いていることが原因である。
空気が読めない五島昇財界人(日商会頭)としての五島昇は評判が悪い。お坊ちゃん育ちのワンマン経営者であり、KY(空気が読めない)で根回しをしないためである。日商会頭就任自体が「ボタンのかけ違い。次の次のはずだった」と言われるほど親の七光りのお陰という要素が強かった。 特に本命視されていた大槻文平を押しのけて昇が新行革審会長に内定したことは大きな反発を招いた。多くの財界人が五島批判を繰り返した。
田中文雄・王子製紙会長「行革は財界あげて協力してきたもの。一言ぐらい事前に相談があってもいい」 昇は日本航空の会長人事でも横車を押して反発を招いた。「五島一人が『ウン』と言わず、財界の総意をぶちこわしている」と財界首脳に吐き捨てられた。中山素平日本興業銀行特別顧問は、東商副会頭の瀬島龍三を通じ、以下のように忠告した。「五島君が日航の人事に口を出すのはよくない。東亜のオーナーだし、以前から日航の大株主の小佐野君との問題もある。見る人が見れば、日航に野望があるということになる」。 KYになる大きな理由は昇が裸の王様であるためである。赤沢璋一・日本貿易振興会理事長は昇には側近やブレーンがいないと断言する。「いたら日航や新行革審の人事であんなゴタゴタを起こさないよ」。 東急不動産消費者契約法違反訴訟アルス東陽町301号室事件において、東急リバブル・東急不動産は社会常識から乖離したKYな主張で消費者を唖然とさせた。東急グループのKY体質は根深いものがある。
東急電鉄・五島哲急死東急電鉄取締役の五島哲が2007年12月に、岐阜市長良福光のホテルの浴槽で急死した。五島哲は東急グループ創業者の五島慶太の孫でである。平成2年6月から東急建設社長を務めたが、10年12月に経営不振の責任を取って退任した。「哲の“おぼっちゃま気質”が、脇の甘さと取られ批判の種にもなる」(増田晶文「東急総帥「五島慶太」没後50年 光芒「五島家三代」後編」週刊新潮 2009年9月10日号50頁)。岡田茂・東映元社長の以下の言葉が伝えられている。「周りの評判が悪すぎた。ゴルフ場でキャディさんを殴ったり、マージャンで台をひっくり返すなどの話が頻繁に入ってくる。……社長の器ではなかった」(阿部和義「東急グループの総帥になれなかった五島哲氏」阿部事務所2008年1月29日)。
目黒蒲田電鉄株式会社東京急行電鉄の前進は大正11年9月2日に設立された目黒蒲田電鉄株式会社である。後の東急目蒲線、現在の東急目黒線である。昭和8年の池上電鉄買収を皮切りに玉川電鉄、東横電鉄を合併していった。昭和14年10月、商号を東京横浜電鉄株式会社に変更。昭和17年5月、陸上交通事業調整法に基づき、京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄株式会社)と小田急電鉄株式会社を合併し、商号を東京急行電鉄株式会社に変更した。昭和19年5月には京王電気軌道(現在の京王帝都電鉄株式会社)も合併し、いわゆる「大東急」に発展することになる。戦後になると、経済民主化による過度経済力集中排除により会社再編が行なわれ、昭和23年6月に京王帝都電鉄、京浜急行電鉄、小田急電鉄を分離、さらに同様の趣旨から東横百貨店(現在の株式会社東急百貨店)も分離独立された。
田園調布元々の地名は東京府荏原郡調布村である。田園都市株式会社によって開発された「多摩川台住宅地」という分譲住宅地が現在の田園調布である。この住宅地への交通手段として目黒蒲田電鉄が敷設された。田園都市株式会社が開発した調布地区から、駅名は田園調布となった。調布村の一角に田園調布の地名が生まれることになる。その後、同じ多摩川沿いの調布市(当時は南多摩郡調布町)と区別を付けるため、昭和3年に東調布町となる。昭和7年の東京市編入で大森区田園調布となり、昭和22年の区域再編成で大森区と蒲田区が合併し、大田区田園調布となった。
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