| 国際交流ボランティアとは? |
| 私は国際交流協会という組織でボランティア登録をしています。
(以前隣の市に住んでいた時も同様でした。) 国際交流ボランティアには、ホームステイの受け入れ、 在日外国人の通訳や各種パンフレット作成、 国際交流イベントのお手伝い、、等など色々な活動があります。 登録は国際交流協会や市の国際交流課で随時受け付けています。 |
| ホームステイの受入れ |
| 国際交流協会の中の「ホームステイグループ」に登録すると、 不定期にホームステイ受入れの案内が来ます。 受け入れる人たちの国や年齢や期間は様々で、 その都度、受入れするかしないかの選択は自由です。 英会話力もそれほど問題ではありません。 ただ1つの条件は「個室を与えられる」ことです。 原則として報酬はなく、多少の食事代が出ることもありますが、 |
| 1991年 世界卓球選手権のお手伝い | |||||||||
千葉県幕張メッセで世界卓球選手権が開催された時に、 そのお手伝いをしました。その時は会場やホテルでの案内などの 仕事があったのですが、私が振り当てられたのは、 ホテルでの選手達への簡単な案内係でした。 担当のホテルはアジアの選手たちが宿泊していましたが、 親しみやすい若者が多く、4日間とても楽しかったです。
また、その頃はちょうど初めてのホームステイの受入れへの回答を |
|||||||||
| 1991年 デンマークの男子高校生のホームステイ受入れ | ||
初めてのホームステイ受入れは、当時住んでいた市の姉妹都市の ドキドキしながら対面会場に向かうと、金髪や栗色の髪の お部屋は4畳半の和室で、布団を敷いて寝てもらうことにしました。 そして夕食。
1日目は鶏の立田揚げなどを出してみたのですが、 彼は母国語のデンマーク語の他にドイツ語、英語に不自由ないそうで ヨーロッパの男子高校生というのはもっとスレているのかと思いきや、 20人近いメンバーの受入れをしたのは中学生や高校生のお子様が サッカーの試合の方も応援に行ったのですが、彼らの方が いろいろ不安があった初めてのホームステイの受け入れでしたが、 |
| 1999年12月 中国の女子大生のホームステイ | ||
最初のホームステイ受入れを経験した後、 今回は中国の大学生の団体です。やはり2泊3日で、 対面会場へは1番に着いた為、既に座って待っていた お部屋は4畳半のフローリングにカーペットを敷いてある部屋で、 夕食は1日目は洋風にしましたが、少食とのことで、 2泊3日の中1日は各ホストでやることを考えなければ 改めて彼女から話を聞くと、彼女たちは日本の政党の招待で、 彼女は素直なとても感じの良い女性で、一人っ子政策で というわけで、今回のホームステイもまたとても良い思い出となりました。 |
| 2000年12月 中国の女子大学院生のホームステイ | ||
昨年と同時期に今年も中国の大学生の団体が来日。 受け入れ要請は3泊4日だったのですが、 昨年と違い今回の学生さん達は日本語は全員話せません。 対面会場での学生さん達の印象は、院生も多く わが家へ来ることになったのは髪の長いきれいな女性でした。 食事は日常的な日本の食卓を知ってもらえればよいかな?と 最初はあまり打ち解けそうに見えなかった彼女ですが、 子供たちもすぐに慣れて、私が食事の用意をする時間など 今回は毎日彼女たちは日中は演奏会などがあり、 その時間には近くのショッピングセンターへ行き買物を。 またいい思い出が1つ増えました。 |
| 2001年6月 シカゴの小学生のホームステイ | ||
政治家の小沢一郎氏が、日米の草の根交流の為に 8泊9日の日本滞在の中、2泊3日がホームステイ。 ホームステイ受け入れも4回目となりますが、 対面会場に現われた小学生は全員肌の色が黒く さて、いよいよホームステイの始まりです。ちょっと緊張。 日本語が出来ないのは1回目と3回目のホームステイでも 食事は特に和風洋風にこだわらず日頃の食卓程度のものに。 今回は2泊3日間ずっとホストファミリーと一緒に過ごすので 結局1泊した翌日は午前中は品川水族館に行くことにしました。 午後は家の近くのショピングセンターへ。 夕食後は息子のお友達、そのお姉さんとそのお友達の 最初はお互い緊張していましたが、色々なゲームをしたりするうちに 夜も遅くなってきたので、お別れを。 そして翌朝。 朝食の後、昨夜の女の子達がまた家に。 お昼前にはそのみんなとお別れし、 お友達と会った彼女は嬉しそうだけどやっぱり 引率されていた先生からステイ中のことについて そのお話によると、 私は「もっと盛り上げてあげられなくてごめんね」と
|