渡辺宙明コラム/過去ログ
渡辺宙明コラム/過去ログ


序文 7月21日

 今回、ともともさんのご尽力により、私の公式ホームページを作成していただくことになりました。ともともさん、その他の皆さん、ありがとうございました。
 今後とも、よろしくお願いします。まだ工事中のページもあるようですが、間もなく完成されることと思います。
 さて、ここは、私が発言するコラムです。思いつくままに書いていくつもりですが、書きたいことはいっぱいありますし、皆様にも喜んでいただけるような内容のものにしたいと意気込んでいます。
 しかし、今回は第1回目。とりあえず、ともともさんへのお礼とファンの皆様へのご挨拶の言葉を申し上げて終わらせていただきます。間もなく、第2回目のコラムを書く予定ですので、楽しみにお待ちください。


第1回 7月21日 鈴木宏昌氏の思い出

 先日、作曲家、ピアニストの鈴木宏昌氏が亡くなられた。私は、鈴木氏とは、それほど親しい間柄ではなかったが、彼の作曲、ピアノ演奏にはひかれるものがあった。このコラムで最初に書く気になったのには、次のようないきさつがあるからである。

 昭和40年代の始め頃、渡辺貞夫氏がアメリカ留学から帰朝されて自宅でジャズの作曲、編曲理論の教室を開いておられることを知り、電話で受講を申しこんだ。「今、ブルーコーツ(ジャズのフルバンドとして当時活躍)のメンバーがレッスンを始めたばかりなので、そのグループに加わってほしい」というご返事をいただいた。そこに鈴木宏昌氏がおられたのである。

 毎週1回の講義であったが、内容は極めて濃く、私にとっても、他のメンバーにとっても、驚きの連続であった。こんなに見事に体系づけられた理論があったのかと、嬉しさで一杯であった。宿題はたっぷり出た。最初はやさしかったが、回を追うごとに講義の内容は複雑且つ難解なものとなっていった。

 宿題をやってくる生徒は少なくなり、私と鈴木氏のみが宿題をやってくるという状態になっていった。鈴木氏は勉強熱心であり、ある日、複雑なコードをピアノ演奏用に整理し、一覧表のようなものを作ってこられ、私達に見せた。

 私は、その熱意に驚かされ、内心敬意を払っていた。

 その後、TVドラマの音楽で演奏をお願いしたこともある。私の作曲したメロディが気にいった様子で、私も嬉しかった。

 比較的最近、渋谷の東急プラザの玄関でジャズのピアノトリオの演奏が行われていた。なんと、鈴木宏昌氏ではないか。ディズニーの「ピノキオ」の主題歌「星に願いを」であった。この曲は私の大好きな曲であるが、鈴木氏のピアノはまことに見事なものであり、他の追随を許さないほどの立派な内容であった。私 はただただ感動し、驚いた。

 以上簡単であるが、鈴木宏昌氏への追悼の言葉とします。ご冥福をお祈りいたします。


注釈
鈴木宏昌 ジャズピアニスト・作・編曲家 1940年5月26日〜2001年5月21日

 東京都出身。慶応大学在学中「ジョージ川口とビッグ4」のピアニストとしてプロ・デビューし、「小原重徳とブルーコーツ」、「石川晶トリオ」などを経て、1976年「コルゲン・バンド」を結成。3年後「ザ・プレイヤーズ」と改名、アルバム発表や演奏活動の傍ら、作・編曲家としても手腕を発揮、1000曲以上のCM音楽や、80年代にはタモリの音楽バラエテイ「今夜は最高!」に出演するなど幅広く活躍。コルゲンさんの愛称で親しまれる。
 また、アニメ「海のトリトン」(1972年)の鮮烈な印象を残した音楽も彼の作品である。

渡辺貞夫 ジャズ・サックス・プレイヤー 1933年2月1日〜

 栃木県出身。高校時代よりサックスを始め、上京後、多くのバンドやセッションに参加、脚光を浴びる。 62年にバークリー音楽院に留学、65年帰国後はボサノバを紹介、ブームの火付け役となる他、国内に留まらず海外にも進出、高い評価を得て「ナベサダ」の愛称で親しまれる。
 95年には母校の紫綬褒章を受賞、バークリー音楽院より名誉博士号を贈られる。現在でもツアー、レコーディングなど第一線で活躍中。

注釈作成/ともとも


第2回 8月19日 「不思議ソング」にまつわる話−1

 宇宙刑事シャイダー役を演じられた円谷浩氏が先月お亡くなりになった。余りにも突然であり、意外であり、少なからずショックを受けました。シャイダーは、音楽担当者である私にとっても、思い出深い作品であり、主役の円谷氏の印象的な面影は脳裏に刻み込まれている。

 当コラムの第2弾として、追悼の意味をも含めて、シャイダーで使用された「不思議ソング」を取り上げてみたい。

 「不思議ソング」は、放映当時から何かと話題になった歌である。私にとっては、挿入歌のアルバムのために新たに編曲された合唱曲「不思議ソング」について、機会が来たら是非とも論じてみたいとかねてから考えていたので、この機会にあの歌の生れた由来から合唱曲にいたるまでのいきさつを述べることにしたい。

 「宇宙刑事シャイダー」のOP主題歌、EDの録音を完了し、次はBGMの作業に入ることになるのが私の場合通例であった。BGMの打合せ会議に出席した。吉川進プロデューサー、澤井信一郎監督、選曲の村田好次氏らが出席した。全体のドラマの構成を吉川プロデューサーが説明された。続いて、沢井監督から「不思議ソング」についての説明を受けた。台本の第1話に、「不思議ソング」の歌詞が出ていたのである。

 まことに摩訶不思議な歌詞である。普通の歌のメロディーでは当てはまらない。いろいろ工夫し、最終的なメロディーが完成した。当時、たまたま、ヤマハのポータトーンという自動伴奏機能を持ったシンセ・キーボードを所有していたので、それで伴奏を作り、私が歌って、カセット・テープに録音(注1)した。そのポータトーンは、小型の最も安い製品で、極めてチープな音しか出なかったが、メロディーのデモ用ならばこれでもよいかと考えて撮影所でスタッフに聞いてもらった。即座にOKが出た。撮影時に人物の動きに合わせるための仮のガイド用音楽が必用なので、このテープを使用することにした。間もなく行われるBGMの録音時に小編成でこのような感じの編曲で録音しなおす旨を説明して了承していただいた。

 間もなくBGMの録音の日がやってきた。澤井監督も立会いに来られた。大編成によるBGMを殆ど録音し終わり、いよいよ「不思議ソング」のテスト演奏が始まった。小編成による演奏である。トランペットがメロディーを演奏した(注2)。マルチ録音なので、メロディーを外せばカラオケとしても使用でき、こおろぎに歌ってもらうつもりでいた。演奏が終わると、澤井監督が「これはよくない。先日デモ用に録音されたものの方が安っぽくてよい。あれをそのまま使用したい」というお言葉。私は「いくらなんでもあれではひどすぎますよ」と申し上げると、「いや、あの安っぽさが何ともいえないよい効果を上げているのです」とのご返事。返す言葉がなかった。結局、私の歌った不思議ソングが劇中に使われる(注3)という前代未聞の成り行きとなってしまったのである。

【つづく】


注1
 デモ用として2種類のバージョンが用意された。当時、発売されたLP「宇宙刑事シャイダー音楽集」(C.CX-7181)や、CD「東映メタルヒーローベストBGM集」(COCC-12466→67)に収録されている、通称「不思議ソング PARTU」&「不思議ソング ポータ・サウンド」と呼ばれるテイクで、前者ではボーカルを、後者では自らポータトーンの演奏を手掛けている。


注2
 「不思議ソング」については、様々なバリエーションが存在するが、上記のテイクは、トランペット(とクラリネット)がメロディを奏でるB−12の事である。
 CD「東映メタルヒーローバトルミュージックコレクション VOL.3」(COCC-14015)で聴く事が出来る。


注3
 「不思議ソング PARTU」は、第一話「不思議界」(脚本/上原正三 監督/澤井信一郎)、中CM後、川原で不思議ソングに操られた人々が子犬に石を投げつけるシーンで初使用。以後10、20、39話で使用されるに至った。因みに「不思議ソング ポータ・サウンド」も続く第ニ話で早速、使用されている。

注釈作成/ともとも

情報提供/宇宙刑事シャイダー様


第3回 10月1日 「不思議ソング」にまつわる話−2

 「不思議ソングにまつわる話−1」を書いてから1ヶ月以上の時間が経ってしまった。そろそろ続編を書かなければと気ばかりあせっていた。今年の8月、9月は取材、イベント、対談、原稿書きの毎日で充実した日々であったが余裕がなかった。今やっと開放された気分で、「不思議ソングにまつわる話−2」を書く気になったのである。

 前回では、説明不足の部分があったので、まずそれを説明しておきたい。

 メロディーについて述べよう。沢井監督の「不思議な感じを出して欲しい。不気味ではなく不思議ですよ!」という熱っぽい注文が私の創作欲を刺激した。不思議な感じを出すには、中東風節回しを使おう。それとドリア旋法がいい。それらの結合でメロディーの作曲にかかった。このような感じを出すにはメロディー優先だと気付く。「不思議」という歌詞を生かしながらメロディーを考えているうち、私の常套手段で行くことにしたのだ。元の歌詞にない意味不明のフレーズを足して、イメージに合ったメロディーを作ってしまおうというやり方だ。

 台本上、上原正三氏による歌詞の冒頭は「不思議 まか不思議 不思議ぎらいは よわむしこむし」となっていたのだ。作曲した歌詞にある「フシギシギ」の「シギ」とか「ルワ」は私の独断でつけた言葉?である。いつもの癖がここぞとばかりに出てきたのだ。「ルワル」、「シギシギルワ」、「けとけと」などは私の創作である。これらスキャットとも何とも言えないフレーズを付加することによって、一層不思議な感じの歌になったのだ。思えば、「秘密戦隊ゴレンジャー」のEDでの付加フレーズは、大受けした実例である。

 「不思議ソング」の楽器演奏のBGMとしては、監督のたっての要望とあればヤマハのポータトーンによる録音の使用もやむをえないと思って了承したが、歌に関しては、男性コーラスのこおろぎ'73に歌ってもらうつもりであったのだ。私の歌はあくまでデモ用であり、劇中での使用には耐えるはずがない。レコーディング・ディレクターの木村裕史さんに説明し第1話のダビングに間に合わせるべく急遽、編曲、録音を行なった。自分で言うのも変だが、快心の作である。早速東映の関係者に渡した。ところが意外にもTV映画のダビング終了後、制作担当の折田氏から電話があり、何と、私が歌った方の録音を使ったというのだ。監督を始め現場の全員の意見で決定したとのこと。私は、強く抗議したが後の祭りであった。こんなことなら、もっと練習してから録音し、それを渡しておけばよかったと後悔した。練習しておけば、もっとましな歌が歌えるのに。作曲家は常に歌の練習をしておくべきではなのかと、今でも時々考えることがある。

 その後、不思議ソングにまつわる意外な出来事が起こった。当時、自宅のテレビで「宇宙刑事シャイダー」を見ていた時である。敵が仕組んだレストランのシーンでピアノソロによる「不思議ソング」が流れたのだ。これは一体どうしたことか。私が録音したBGMの中にはピアノソロはない。ディレクターの木村氏に問い合わせると「私は知りません」とのこと。一体誰がやったのか。選曲の村田好次氏に尋ねると「僕のワイフが弾きました」という返事。意外中の意外であった。

 その後、この「不思議ソング」は、東映側の依頼により、賛美歌風に編曲され、杉並児童合唱団によって歌われ、劇中で使用された。面白い賛美歌ができたものである。

 さて、話が戻るが、ひとこと説明しておきたいことがある。こおろぎ'73が歌った「不思議ソング」は、歌のアルバムのCDに収められているが、劇中でも多少使用されたようだ。このバージョンの編曲について簡単に触れておきたい。冒頭の「タバステウブサラ シギシギシギシギ」(タバスコではない(^_^;))というフレーズは何の意味も持っていないが、苦心して作った私の創作である。このような発想は、編曲の意図と密接 な関係があるのだ。このバージョンにおいては、私の意図が成功したと思っている。まことに不思議極まりない曲になった。このような発想がどこから出てきたのかと質問されたことがある。このような手法は、以前、芸能山城組のために作曲し、このグループを一躍有名にした「恐山」という合唱曲と密接な関係があるのだ。では、このようなイメージは一体どこから来たのか。実は、世界の民族音楽の影響なのである。「え?民族音楽?」と思われる方もおられるであろう。ここでは、詳しい説明は省略するが、いずれ、折を見て、私と民族音楽との関係について述べてみたいと考えている。以上で、ひとまず「不思議ソングにまつわる話」を終了することにする。


第4回 10月25日 萩原哲晶氏の思い出

 先日、ひろさんが、掲示板で萩原哲晶氏のことに触れられたので、萩原氏に関する思い出話を書かずにはいられない気持ちになり、この場所に書かせていただくことにした。

 萩原氏は、東京芸大を卒業した作曲家であったが、植木等氏が歌った「スーダラ節」が大ヒットしたおかげで一躍有名になった。

 実は、私は、萩原氏と一度だけ仕事の関係でお会いし、お話ししたことがあるのだ。ある日萩原氏から電話があり「萩原哲晶ですが、今CM音楽の事務所をやっています。CM音楽の作曲をお願いしたいのですが」とのこと。私は一瞬驚いた。萩原氏は作曲家のはず、傍ら音楽事務所もやっておられるのか。あるいは、ご自分に向いていないので私に依頼してきたのか、ともかく、即座にお引き受けする旨お答えした。

指定された場所で打合せが行なわれた。萩原氏はいかにも悲しげな面持ちで私に語った。「私は、あのスーダラ節がヒットしたために、他の仕事が全く来なくなったのですよ。それで、やむを得ずCMの事務の仕事をしているのですよ」

 人生とは不思議なものである。氏は相当な技量の持ち主であるはずだ。「スーダラ節」はこの手の歌としては大傑作である。「スーダラ節」の編曲を聞いても並々ならぬ腕前であることがわかる。幅広い仕事がおできになるに違いない。それなのに、あまりにも軽く、コミックな「スーダラ節」の印象が強烈過ぎ、それが大ヒットしてしまったので、関係者から色眼鏡で見られるようになってしまわれたのであろう。
 一度お会いしてお話ししただけであるが、萩原氏はとても生真面目な人であった。およそ、「スーダラ節」のイメージとは程遠い印象を受けた。実はこのことも私にとっては意外であった。この人があの「スーダラ節」の作曲者なのか。その印象は今でも忘れることができない。

 氏は、間もなく喉頭ガンに罹り、当時噂の高かったフィリピンの心霊手術師に治療を受けられた。新聞によると、その後、ガンは好転したとのことであった。私は影ながら喜び、心霊手術でガンが治ることがあるのかと感心もした。しかし、間もなく氏は期待も空しく亡くなられた。心霊手術師の名はたしか神の手を持つといわれたジュンラボであったと記憶慰している。

 蛇足であるが、ジュンラボの妻は日本人で、その後日本に帰り、三重県で心霊手術を行なっていたらしいが、間もなく詐欺罪で逮捕されTV、新聞でも取り上げられたのである。

 合 掌


第5回 11月15日 原六朗先生の思い出

 原六朗先生がお亡くなりになりました。11月10日(土)の夜、お通夜に行ってきました。

 先生との思い出を書かせていただきます。

 私が映画音楽を志して上京したのも、原先生のお奨めによる所がないとは言えません。勿論、新東宝の制作部に友人(現在の宮川一郎氏)がいて、彼と相談した上で上京を決意したのですが、原先生の助言も大いに力になりました。上京後、新東宝の音楽担当者(柏葉堅太郎氏)に、私が用意したCBCのラジオドラマの音楽テープを聞いていただいたのですが、お気に入りのご様子で「しばらく待っていてください。必ず仕事をお願いすることになるでしょう」というご返事でした。原先生の仕事の助手をということで、先生のお宅(杉並区、阿佐ヶ谷)の近くにアパートを借りましたが、そこには水道がなく、井戸だったのです。これには閉口しました。

 原先生は、当時すでに映画音楽を多数手がけておられ、歌謡曲では、美空ひばりの「お祭りマンボ」が大ヒットしていた有名作曲家でした。映画音楽、ラジオドラマ「サザエさん」の音楽等を担当しておられ、私はスコア書きのお手伝いをしたり、「サザエさん」の音楽録音で代わりに棒を振ったりしていました。スタジオで東野英次郎氏と顔を合わせたこともあります。いつ仕事がくるかどうか不安な毎日でしたが、先生の存在は私にとっては、大きな力となりました。

 半年経つか経たないうちに、新東宝から仕事の依頼がきました。新東宝に近くて、もう少し造りがましで、ピアノの音が外部から気にされないようなアパートを求めていたら、豪徳寺にぴったりの部屋が見つかったのです。早速そこへ引越ししました。今でも懐かしい場所です。

 新東宝では第1作目を終わると、次々と仕事を依頼され、極めて多忙となりました。原先生とはその後1、2回お会いしただけで、その後は、年賀状のやりとりのみのお付き合いという状態になってしまったのです。最近でも毎年の年賀状を書くとき、先生はどうしておられるかと思い出すのが常でした。先生からは、毎年、気の効いた、しゃれた文面の年賀状をいただきました。読むのが楽しみだったですね。最近では、仕事の思い出の話しが多くなっていました。読んでいてほろりとすることもありました。ところが、今年の年賀状では、全くありふれた挨拶の文面だったので、もしかして体調が、と気になっていたのです。

 原先生は、ご自分から売り込むというタイプではないせいか、その後、ぱったり、作曲の依頼、録音がなくなっていかれたように思います。時代の変化もあったのでしょうね。時代の変化といえば、常に時代は変化しておりますね。

 原六朗先生に謹んで哀悼の意を表します。合掌。


第6回 2002年1月27日 超常現象について(1)

 スプーン曲げの名人、綾小路鶴太郎氏がお亡くなりになった。ご冥福をお祈りします。どうも最近のコラムは追悼の文章が多く、気が引けるのだが、今回は追悼の意味で書くのではない。先日皆様へのお約束を果たそうとしていた矢先の訃報である。偶然にもこのような状態になったのも気になるところではある。

 超常現象というと目くじらを立てる人もあるかもしれない。どこかの掲示板で「渡辺宙明の音楽は好きだが、超常現象を信じているらしいのは残念だ」という発言があった。私は、そのような人がいても仕方がないと考えている。むやみに怪しげなことを簡単に信じてしまうよりはましである。超常現象否定の立場をとっていても、日常生活には殆ど影響がない。

 私は、勿論、超常現象肯定派であるが、迷信的な信じ方をする人も多いので、誤解されないようにしたいと心がけている。このような領域の人たちと付き合っていて気になるのは、中にはトンデモさんもいるという事実である。トンデモさんでは困る。やはり、実証に基づいて、厳密に研究し、論じて行きたい。超常関係者の間では、私のことを否定論者だと思っている人もいるくらいだから、世の中まことに難しい。

 アメリカには、サイコップという懐疑的研究団体があり、超常現象、超能力に対して、厳しい批判、反論を展開している。超心理学に対してもかなり手厳しいが、最近はいくらか柔軟になってきているとも聞いている。

 昨年末、日本超心理学会の大会で私は研究発表を2件行なった。超心理学とは簡単に言えば、ESP(感覚外知覚つまり透視、予知、テレパシー)PK(念力)、死後生存(生まれ変わり、幽霊、霊姿)などの従来の科学では説明できない現象を研究する学問である。ESP、PKを総称してサイと言う。そして、通常、超心理学といえば、実験超心理学を意味することも多い。
 
 私が、日本超心理学会の大会で発表した研究の題名は以下のとおりである。
1.サイキック・エンタテイナーのサイについての予備的実験−ケース1
2.サイキック・エンタテイナーのサイについての予備的実験−ケース2
 1は、スプーン曲げの名人を被験者とした実験的条件下でのメタルベンディングの実験の報告である。2は、超能力的マジックを見せているマジシャンの、実験的条件下での透視、テレパシーの実験の報告である。両者とも、本物の超能力者であることが分かった。詳細は、間もなく、このコラムに掲載する。


第7回 2002年3月17日 超常現象について(2)


 第34回日本超心理学会で2件の発表を行なったのでそれを要約してご紹介したい。今回は、第1件のスプーン曲げ実験についてである。

 実験の被験者は綾小路鶴太郎という芸名をお持ちの方で、TVにも数回出演し、スプーン曲げ等の金属曲げで驚くべき能力を示した人である。残念なことに、今年1月に病死された。超能力の使いすぎが原因だと推測している。謹んで哀悼の意をもって以下の文章を記します。

スプーン曲げ名人の超能力に関する予備的実験

渡辺宙明

●被験者
   被験者M・Yは、スプーン曲げの名人として数回TV出演もしたことがあり、関係者からも注目され話題になった人物である。しかし、ショウとしてではなく、実験としてメタル・ベンディングを行なってもらい、PKによるものかどうかを再度確認した上で、研究を続けたいと考えた。M・Yに電話で依頼したところ、幸にも即座に承諾をえられた。ここでは、この確認実験について報告する。

日時 01年7月19日
場所 彼が経営している飲食店(客が来る前に実験を行なう)
使用した金属製品(スプーン、フォーク)
すべて私が用意した18−10ステンレス鋼であり、極めて硬い。柄の厚みも約2 mmから3mmあり、一般の人がかなりの力を入れても曲げることはできないほどの硬さを持っている。純鉄に比べるとかなり硬いのである。

●実験1 スプーン曲げ
 柄の部分の厚さ2mmのものを使用。左手で皿の凹んだ面を上にして親指と他の3本の指で軽く支えてスプーンを水平に持ち、右手のひらを上からかぶせるような状態で、中指、薬指を曲げてスプーンの柄の下方から軽く押し上げるようにして、ゆるやかな曲線状に曲げる。時間の測定は行なっていないが、他のビデオで見る限り2〜3秒程度の短時間である。

●実験2 スプーン捻り
 実験1で曲げたスプーンを使用した。左手で皿の部分を持ち、殆ど右の人差し指の指先のみで、螺旋状に捻って曲げていった。強い力を入れている様子はなく、らくらくと曲げた(写真1参照)。

●実験3 フォークの刃曲げと復元
 M・Yは、フォークの柄を左手で水平に持ち、4本の刃のうち、端の刃1本を右の親指と人差し指で軽く挟み、2、3秒後、親指を開いて見せたが刃はすでに下向きに曲がっていた(写真2)。指には刃の痕が全く見られない。指の力で曲げているのではないという有力な証拠である。次に水平にしたフォークを曲がった方向を上にして、その部分を右の親指と人差し指で軽くつまんで左手を離すと、間もなく刃は元の位置に戻った。右手のみを使用し、左手は全く使用していない。時間的には2、3秒である。肉眼で見る限り完全に元の位置に戻っていた。金属が軟らかくなり、スプーンの柄の重みのみで復元したのだという。私ども一般人がフォークの刃を曲げようとして力をいれても曲がらないし、曲がった刃を元に戻そうとしても戻らない。しかし、指には刃の痕がはっきりと残るのである。

●実験4 実験者(渡辺)によるスプーン曲げ
 私はM・Yに対し「力で曲げているのではないという事実を第3者にもわかるような実験をしたい」と申し込んだ。M・Yは、私の持参したスプーンの中から、特に、厚さ3mmのものを選び、私の左手のひらの上におき、私の右の中指でできるだけ力を入れないで何度も擦った。M・Yはスプーンには全く触れていない。但し、私の両腕をM・Yが軽く掴んだ状態で行なった。変形を確認するために、実験前と実験後に、テーブル上に横たえたライターとスプーンを並べ、柄の位置を比較した。明らかに変形が起こっていたのである。M・Yの手がスプーンには触れることなく変形が起こったのである。M・Yから私へPKが伝播することによって起こった現象とは必ずしも言えないが、可能性としてはサイの伝播を示唆する現象として注目したい。

●実験5 スプーンの柄の横曲げ
M・Yは、私のバッグから他のスプーンを取り出し「このようなこともできるのです」と前置きして、柄の横方向に曲げることを始めた。スプーンの皿の部分を人形の顔とすれば、いわば人形の首をかしげる形に変形させる動きである。柄の部分の幅は約5mm。力を入れている様子は全くなく、まるで飴細工で飴を変形させるような感じでスプーンを曲げ始めた。10秒経たないうちに実験を終わり、その成果を私に見せ評価させた。硬いスプーンを指の力だけでこのように曲げることは不可能であろう(写真3)。


●考察
 以前、他の能力者によるメタル・ベンディングを観察したことがある。それ以来、私は、メタル・ベンディングは、PKによって、金属の硬さが減少し軟らかくなることによって起こるという仮説を持っている。今回も、そのような仮説で説明することができるのである。M・Yも金属が軟らかくなるから曲がるのだと報告している。

●結論
 M・Yを被験者としたMBPK実験を数種行なった。筋力を強く使えない状態でスプーン曲げ、捻り、重力を利用したように見えるフォークの刃曲げ、復元等を行なった。私が観察した限り、すべて成功したと考えられる。私の手のみによるスプーンの変形はサイの伝播現象によるものか否かは今後の研究課題である。次の課題としては、能力者が金属に手を触れることなく金属の変形を引起す実験を行なうこと、金属内部の変質を電子顕微鏡で観察することなどを考えている。

写真1

写真2

写真3


第8回 2002年5月25日 「特撮アニメ カラオケ チャンピオン大会」に参加して


 すでに掲示板でご報告したとおり、去る5月4日(土)四国香川県の宇多津町で「特撮&アニメ カラオケチャンピオン大会」が行われた。企画は我らが「宇宙刑事ギャバン」大葉健二さんが経営する(株)ラックJETである。私と串田アキラ氏がゲストとして招かれたのだ。四国は、子供の時に一度行ったことがある懐かしい場所である。私は大のうどん好きなので、本場の讃岐うどんが楽しみでもあった。

 5月3日、羽田空港で搭乗したのだが、何故か機内には串田氏の姿が見当たらなかった。高松空港で降りると、串田氏が姿をあらわしたので安心した。高松空港には、阿部さんという女性スタッフの方が、車で出迎えに来ておられ、会場の近くの宇多津国際ホテルまで送っていただいた。阿部さんは、大葉氏の奥様であることを、串田氏から教えられた。宇多津町は、高松の西にある町である。美しく整備された幅広い道路が印象的であった。本四架橋ができてから、この立派な道路が作られたという。

 ホテルで夕食をとり、一休みした。間もなくスタッフから電話があり、近くにある会場の宇多津ビブレを下見に行った。大葉氏も来ておられ、会場の準備におおわらわであり、私たちは早々に退散した。

 5月4日、いよいよ本番だ。宇多津ビブレというのは、かなり広い面積を持った4階建のデパートである。イベント開始は13時30分からだが、私たちは午前中に会場に入り、簡単な打合せをした。会場の脇に讃岐うどんの店があったので昼食はそこでうどんを味わった。味はイマイチ。茹で方が気に入らなかった。

 いよいよイベントの開始である。客は満員の盛況である。プログラムは以下のとおりであった。

1. 串田アキラミニライブ&トークショー
  (司会 山内朋子 歌 串田アキラ、トーク 渡辺宙明)
  M1.機動刑事ジバン
  M2.宇宙刑事ギャバン
  M3.強さは愛だ
  M4.宇宙刑事シャイダー
  M5.星空のメッセージ
  M6. チェイスギャバン
2.特撮アニメカラオケチャンピオン大会予選(10名通過)
3.撮アニメカラオケチャンピオン大会決勝(受賞者4名)
4.審査結果発表、授賞式
   優 勝 宮本真弓「大ちゃんかぞえ歌」
   第2位 田山英雄「キカイダー01」
   第3位 弘末賢仁「戦え!キャシャーン」
   特別賞 牛田 昌「CHA-LA HEAD-CHA-LA(ドラゴンボールZ)」
5.串田アキラミニライブ&トークショー
  M1. 機動刑事ジバン
  M2. 宇宙刑事ギャバン
  M3.宇宙刑事シャリバン
  M4.宇宙刑事シャイダー
  M5. 星空のメッセージ
  M6. 父よ(大葉健二)
  M7. 強さは愛だ
  M8. キン肉マンGo Fight!
  M9. 疾風ザブングル
  M10.チェイスギャバン
  M11.太陽戦隊サンバルカン


 曲目の多さに圧倒されるが、串田氏はこれらすべてをフルコーラスでパワフルに歌い上げ、聴衆を魅了した。彼の声は以前より力と輝きを増しているのだ。そして、ミニライブの間のトークショーに私も加わりおしゃべりをした。
 チャンピオン大会の審査は私、串田氏、宇多津ビブレの営業担当者の3人で行なった。開始前には、果たしてどうなるのか、授賞できるような人が来ているのか、失礼ながら正直なところ多少心配でもあった。ところが、予選での皆さんの歌を聞き安心し、且つ驚いた。歌のうまい方が多いのである。予選通過者10名は、合議の上決定された。

 いよいよ決勝である。10名の候補者の皆さんが、力一杯歌った。皆さん、見事な歌唱を聞かせてくれた。優勝から特別賞まで、審査員の採点は完全に一致した。全員一致の決定である。優勝の宮本さんのうまさはまさにプロなみであり、私どもを驚かせた。
2位、3位、特別賞の方々も素晴らしく、特別賞の牛田さんは、お子さんを抱えながら歌ったので大変だったと思われるが、予選の時の方が安定していた。ともかく特別賞を受賞したのである。

 後半のライブでは、串田氏の歌は野性味あふれる熱唱の連続で私を含めて聴衆の皆さんを圧倒し、感動させた。恐るべきエネルギーである。そして、注目すべきは、大葉氏の歌が聞けたことである。串田氏が無理やり引っ張り出した感もあるが、大葉氏もまんざらではなさそうで、安定した歌唱による「父よ」で聴衆を陶酔させた。我らがギャバンは健在なのだ。最後の「太陽戦隊サンバルカン」では参加者全員の大合唱となり、会場は熱気に溢れ、最高に盛り上がった。まさに感激の時である。

 なお、司会をされた山内さんは、とても感じのよい司会で串田氏のライブ、カラオケ大会のスムーズな進行を支えた。感謝したい。

 翌日、串田氏は、その日の大阪でのライブのために早朝に出発した。私は讃岐うどんも目当てであるから、まず、タクシーでホテル推薦のうどん屋へ行った。ところが評判の店というだけあって、大勢の客が店の前に列を作っていたのだ。運転手が「お客さん、これだと1時間位かかりますよ」というので、代わりの店に案内してもらった。

 「さぬき屋」という店であった。うどんの味は、私が期待していたのとは違い、茹で方がややごつい感じがした。地元ではこれが普通だという。しかし、おでんがバイキング式に食べられるようになっているのは意外であった。しかも、味噌を付けて食べるおでんである。この味は、とても気に入った。うどんはイマイチだが、おでんはうまかったのだ。やはり、行った甲斐があった。うどんについては、東京で私が気に入っている店の方が、私の好みにあっているようだ。東急ハンズの近くにある店である。さて、しばらく町を見物してから、児島という駅でJRに乗車し大阪へ向かった。大阪の知人に会うためである。

 大葉氏は今後もこのようなイベントを続けられるらしいので、再び参加できるのがとても楽しみである。このような素晴らしい場所での感激に満ちたイベントへ招待してくださった大葉氏、関係者の皆さんに感謝したい。



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