座間方言とは

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座間方言とは
おもしろい座間方言
「いくべえ」と「いくんだんべえ」
座間方言の「ようだ」
「〜(し)とく」
「〜(し)ない」

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座間方言とは

ここでは座間で話されていることば、座間方言をこれまで 観察してきて気づいたことについて簡単に書きます。
学術的には、座間、相模原などで話されていることばは、同じ1つの方言と考えられ、明治書院から出版されている『現代日本語方言大辞典』(平山輝男編)では、 相模川東部方言のうちの高座=戸塚方言 に分類されています。

しかし、ここでは便宜上わたしの家庭で話されていることばのことを「座間方言」と呼ぶことにします。
ここであげている座間方言の例は、基本的に義母(60代)が実際に使ったことばをもとにしています。義母は、神奈川県相模原市出身、 四十年以上嫁ぎ先の座間市に住んでいます( 生まれは相模原市なので、何世紀にも渡ってここ座間市に 住んでいる方が聞くと、 「間違った」言い方も混じっているかもしれませんが)。

データの採集、整理、分析には私の夫であり、調査協力者の息子である客員研究員(粂吉)が携わっています。粂吉は座間で生まれ現在まで座間に住んでいます。ある言い方が若い世代でも使うか、年配しか使わないものなのかの判断は粂吉が主に行っています。

おもしろい座間方言

座間方言はどこがおもしろいのでしょうか。東京近郊に住んでいる人 であれば、どこの地域に住むひとでも自分の使うことばは 東京のことば、公共放送のアナウンサーが話していることばと たいして違っていないだろうと考えるはずです。 座間市に住んでいる人の多くもそうでしょうし、 私も以前はそうでした。 自分のことばが「共通語」「東京方言」とどこが違っているか、 すぐに的確な答えは出せないのが普通だと思います。 ところがよくよく観察してみると 座間方言と「共通語」との違いがやはりあることに気づきます。 「こういう言い方は共通語ではしないのか」と新しい発見をし、 今までまったく勘違いをしていたということに気づくこともあります。 その例をいくつか紹介してみたいと思います。

「いくべえ」と「いくんだんべえ」

ひとつめは、観察すれば誰でもすぐに気づく特徴で、たとえば 「からかんべえよ(=辛いだろうよ、辛いでしょうね)」という 表現の中に隠れている「(形容詞の)カリ活用」、 それに「べえ」という推量をあらわす接尾辞です。 「べえ」の使い方をよく観察してみると、面白いことに気がつきます。 「べえ」は話し手自身が行為に参加して意思を表す場合に使います。 例えば「いくべえ (わたしは行く、または、行こう《誘いかけ》)」。それに対して、 話し手や聞き手が行為が参加するのではなく、それ以外の第三者が 行う行為について「(誰々さんは/何々は) その行為をおこなうのだろう」と 推量する場合は、「いくべえ」は使わずに、 「いくんだんべえ」を使うことがわかります。
[1] 行くべえ。([私は] 行く/[いっしょに]行こう)
[2] 行くんだんべえ。([私以外の誰かは] 行くのだろう)

「ようだ」

しかし座間方言を細かく観察してはじめて気づく特徴に、もうひとつ違った 種類のものがあります。例えば次の文に含まれている「よう」が その例です。

  (3) 「あしたなさ(=明日の朝)、六時にうち出るようだよ」

この「よう」は、共通語の「雨が降っているようです」の「よう」とは 違って、推量を表すのではなく、「〜する必要がある」ことを 表すときに使うのです。これは「カリ活用」や「べえ」とは違って 標準語にも同じ形の「よう」があるために、違いに気づきにくい のです。この、座間方言の「よう」が共通語の「よう」と意味が 違うことを知らないと、例えば論文指導をしてもらっている 先生に「全体的に論旨がはっきりしてないなあ」といわれた時などに 「では全面的に書き直すようですね」といってしまったりします。 この言い方のどこが「共通語っぽく」ないかは 座間方言をずっと使い続けてきたものにとってはわかりにくい のですが、座間方言を知らない人が聞くと 「自分の論文のことなのに、まるで 競馬中継でもしているアナウンサーが出来事を客観的に描写している」 かのようでおかしいのだそうです。 場合によっては「何を言ってるんだね、君!」と 怒られるかもしれません。

「〜(し)とく」

次は、次の例文に含まれている「とく」です。

  (4) 「あそこんちじゃ 芋 いっぱい 植えとくよ。」

この「とく」は動詞の連用形にくっついて、 その動詞の表す行為が《もうすでに行われている》ことを表します。 上の文の表す意味は《あそこの家では芋をいっぱい植えてあるよ》といった ようなものです。 座間方言の「とく」は、共通語の「ておく」(例:植えておく)と 形は似ていますが、 共通語では「あそこの家では芋をいっぱい植えておく」というと、 《未来のある時点に起こると予想されている何かに備えて、 「植える」という行為がちゃんとすでにしてある》ことを表すことに なるかと思います(例:万一に備えて、芋をいっぱい植えておく)。 次の会話はどうでしょうか。

  (5) 〔息子〕あの苗どうした?
     〔母〕 お母さんが植えとくよ。

この会話が共通語でおこなわれたものだとすると、 答えに出てくる「お母さん」は話し手自身を指すことになりますし、 さらに、「植えとく」の部分は、「植える」という動作を 《未来のある時点には きっちりやっておく》という意味を表すことになります。「植える」 という動作がすでに行われている、という意味は表しません(その意味を 表すためには「植えといた」などとしなければならないところです)。 ところが、座間方言では、「〜とく」動詞の表す行為の 行為者(植えるひと)は、話し手以外の第三者である、という解釈が可能で (例:「あの苗どうした?」 「まもるさんが植えとくよ(=まもるさんが 植えた/植えておいたよ)」)、 さらに「〜とく」動詞の表す行為は「すでに行われている」 ことになります。もう一つ例を見て見ましょう:

  (6) おばさんがマイタケ干したの(を)くれとくから(それを食べよう)。

この例でも、共通語で同じことを言おうとしたら 「おばさんがマイタケを干したのをくれたから…」などとなるところで、座間方言の動詞「〜とく」形が「すでに行われている動作を表すこと」ことが よくわかります。

もう一つ、会話を見てみましょう。

(6)  〔息子〕「この大根の葉、どうしたの?(=どっかから買ってきたの? もらったの?)」
    〔その母〕「あたし庭に植えとくから。」

ここで「母」が言いたいのは、「わたしが庭に植えておいたから、 この食卓にいま出ているんです」ということなのですが、座間方言の話者 ではないひとが(6)の会話を聞くと、 ちょっと不思議な感じがして、会話が十分に 成り立っていることが理解できないかもしれません。 共通語の話し手が、「あたし庭に植えとくから。」ということばを 聞いたら、「その人がこれから植えるのだ」という感じがする でしょう。

「〜(し)ない」

最後に、座間方言における動詞の否定形について、その用法のひとつを 見てみましょう。
まず次の例を考えてください:

(7)  〔息子〕 「牛乳ある?」
   〔その母〕「ないよ。今日買い物行かないから。」

ここでは、「牛乳が 今あるかどうか、自分は飲みたいのだが今飲めるのか」と尋ねた息子に、 母は 「牛乳は家にはない、それは今日は私が買い物に行かなかったからだ」 ということを伝えています。 動詞の連用形に「〜ない」をつけた形は、共通語では 《今の時点にいたるまで、ある行為を行っていない》ことを表すのには 使いません。 共通語で「行かない」というと、「(話し手が)未来のある時点では 行かない」という 意味を表しているか、「(新幹線のぞみ号は)長崎まで行かない」のように 一般的にそういう事実がないことを表しているか、どちらかです。 ところが、座間方言では「あたし今日買い物行かないよ」という文が、 《あたしは今日は買い物に行っていないよ》という意味と、 《あたしは今日は買い物に行くつもりはない》という意味の両方を 表します。

(文責:客員研究員 粂吉)

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