世界で一番美しい街 西オーストラリア州パース と 周辺の街

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パース滞在MEMO
■1991年6月
私、管理人旅栞が初めてパースを訪れたのが、1991年の6月。その年の12月に語学研修の目的で学生の引率を予定していたため、視察目的で現地に滞在した。研修の現地パートナーとなる教育学博士マレーレイク氏(今でも個人的に交流が続いている)と出会った。ファームステイ、ホームステイ、そしてエディスコーワン大学のキャンパスを利用したさまざまなプログラムを企画することになった。
■1991年12月
約2週間の海外研修プログラムを実現させた。自分自身もホームステイを経験し、また、観光ではなく、現地の市民生活の一部を体感することでリフレッシュでき、精神的にも一皮剥けたような気がし、とても有意義であった。とにかく西オーストラリアの豊かな自然、人々の温かい人柄、きれいで安全な街、日本には無いゆっくりとした日常生活がそこに流れているといった印象が残った。この期間、特に熱心にお世話いただいたレイク博士の秘書ドリーン・ウィリアムスさんとその次男夫妻ダミアン・カレンとの出会いがあり、ウィリアムス家とはその後も個人的に親しくお付き合いが続くこととなる。
■1996年12月
長男10歳、長女7歳のこの年、家族旅行でパースを訪れた。現地では仕事でお世話になっている方々、レイク博士ご夫妻やダミアンとカレンと食事をするなど愉しい一時を過ごすことができた。子供たちの人生にも良い影響を、と思ったが今(2004年現在)思えば特別な影響などない気もする。いずれにしても子供とは親の思う通りにはならないものである。
■1998年12月
学生を連れ2度目の滞在。91年以来、多少内容を変えつつもずっとプログラムは継続している。90年代後半からインターネットからの情報収集も盛んになり、この頃から私自身ネットで知り合った現地日本人の方々とも交流するようになった。今回、4度目ということで慣れもあり、そうした現地日本人の方々とも会うこともでき、仕事目的とはいえ、土日などはプライベートでも思うように充実した時間を現地で過ごすことができるようになった。ダミアンとカレンにも長女ソフィーが生まれていた。
■2003年12月
この年の6月訃報が届いた。ダミアンのお母さん、すなわちドリーンさんが急性肺炎のため亡くなった。私は早速計画を立て、お悔やみを伝えるため、またお墓参りをするためパースを訪れた。「パース通信」というWebサイトを運営し、長期滞在希望者のためのビジネスを営んでいるデューク・三郎・五社さんのお世話で戸建て住宅を10日間借りて滞在期間を過ごすことにした。レンタカーも借り、本格的に快適なオーストラリアの市民生活を味わった。それ以前の4度の滞在は仕事であったり、初めての家族旅行であったりと、それなりの制約の中で動いていたが、今回だけは全くの自由であった。レイク博士を突然訪ねたり、気ままにスケッチを楽しんだり、バスでマンジュラまで出掛けたりと非日常的とはまさにこのことと実感した。

■2007年12月

滞在はフリーマントルに近いヒルトン地区。今回も五社さんにお世話になった。ご夫妻ともお変わりなく何より。今回はロットネスト島、ピナクルズ、マンジュラでのゴルフとリゾート気分全開の滞在を経験した。イケア(家具&雑貨の大型店舗)、スビアコのアウトレットモールなど買い物も満喫した。前回滞在時に購入したUBD発行の2004Perth street Directory(地図本)を持参しレンタカーで移動し、長期滞在する日本人と同じライフスタイルを体験した。

帰国間近の最終日翌年2008年1月2日午前、西オーストラリア州立美術館の駐車場でミネラルウォーターを飲みながら、いわゆるたそがれた気分だった。もしかしてこれが最後かも・・・・・・・、いやそんなことはない、またいつか・・・・。走行距離などしっかり図りもせず適当に走行距離を答え決済をする自分は、やっぱりオーストラリアは肌に合うのかもしれないと思い、二人はパース空港でレンタカーを返却し帰国の途についた。


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