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Chistmasのトリビア
T,戦国時代、キリシタンの武士達はクリスマス休戦をした。 40へぇ〜
永禄11年(1567年)、織田信長と松永久秀の陣営が堺の近くでいくさをしていたが、
堺の教会にいたイエズス会司祭ルイス・フロリスが、クリスマスに両陣営のキリシタン武士
約70名を招いて、教会向かいの民家の広間でクリスマスの祝いを行った。
敵味方のキリシタン武士は、参会した信者と共に懺悔し、ミサを行った後互いに料理を持ち
寄り、ご馳走を食べたと伝えられている。和気あいあいと過ごした後、クリスマスの翌日に
再び戦いの地に戻っていった。
U,日本で最初に発刊されたサンタクロースの名前は「三田九郎」。 45へぇ〜
明治31年(1897年)、進藤信義が日曜学校の子供向き教材として『さんたくろう』という本を
教文館より刊行した。あらすじは「笠地蔵」のようなもので、サンタクロースが北国の老爺三田九郎
と言う日本名で登場する。この本の扉絵には、ロバを従え、クリスマスツリーを持ったサンタクロース
が描かれていた。
V,俳句の季語で、外来語のカタカナ季語の第1号は「クリスマス」。 25へぇ〜
明治29年(1896年)正岡子規が句集『寒山落木』の中で、初めて外来語の季語を用いた。
八人の 子供むつまじ クリスマス
その後も子規は、クリスマスを題材にした句を数多く発表している。
W,日本はクリスマス用品生産国世界1位だった時期がある。 50へぇ〜
明治30年(1897年)、外国人居留地でクリスマスの飾りが多く使われる中、神戸在住の外国人が
日本で昔から使用されていた経木がクリスマス・ツリーの代用品になると考え、イミテーションの
クリスマスツリーの生産が本格的に始まり、輸出されたのが日本のクリスマス用品生産の始まり。
その後、クリスマス用品の生産国として誇っていたドイツが第1次世界大戦で混乱している中、
大正5年(1916年)に日本製クラッカーが発売開始。また、アメリカからの発注が本格化し、量産
できるようになり、クリスマス用品は重要な輸出産業に発展していった。
X,昔、サンタクロースは火あぶりの刑にあった事がある。 80へぇ〜
1951年12月24日の日曜日、フランスのディジョン大聖堂でサンタクロースを教会の異端者として有罪判決
を下し、午後3時に250名の子供たちの前で火あぶりの刑を執行するという事件が起こった。
この事件は、カトリック教会であるディジョンの聖職者が、子供たちの間でサンタクロースの慣習が広まり、
各地の公立学校で今まで行われてきた『クロッシュ』の伝統(キリスト降誕のシーンの模型を作る風習)を行わず
家庭やビジネス界でサンタクロースが重要な役割を持ち、神聖なキリスト降誕祭をないがしろにする傾向に危惧した
事から起こった。この事件は、フランス全土に報道されて論議をかもし出した。
Y,銀座で、初めてイルミネーションを点灯したのは明治時代の明治屋。 60へぇ〜
明治時代、日本で初めてクリスマス商戦を行った銀座で、最初に店舗のクリスマスデコレーションをしたのが
京橋銀座2丁目にあったキリンビール明治屋(現在の明治屋本社)。
創業者の磯野 計は明治18年に横浜で総合輸入商・食品卸等の『明治屋』を興した。彼はイギリス留学時代で体験
した、ロンドンのクリスマスを参考に創業当時からクリスマスの飾りをしていた。銀座に出店してからは、その他の多く
の店が明治屋に倣い、銀座はクリスマス・デコレーションで華やかに飾られるようになった。
明治37年(1904年)、日露戦争の勝利と家屋増築のお祝いを兼ねて、12月15日から毎晩イルミネーションを点灯して
話題になった。銀座のクリスマスは、『明治の明治屋』なしには語れない・・・・
Z,『君が代』のルーツは、賛美歌である。 38へぇ〜
明治15年(1882年)に出版された、『小学唱歌』に「君が代」が登場します。この唱歌として歌われた「君が代」は現在
の「君が代」とは、曲も歌詞も全く違っていた。
古い「君が代」は、ルーサー・メーソン編集の『メーソン編賛美歌と歌曲 The Mason'Hymu and Tune Book 1880』の
84番『WEBER』という、S・ウェーバーが作曲した曲が原曲とされ、明治15年以降しばらくの間小学生に歌われていた。
何故、38へぇ〜かというと、ここまでは1995年6月2日にNHKの番組内で紹介されているから・・・。
但し、1881年にロンドンで発行された讃美歌集『The Belieuers Hymu Book』には、全く同じ歌がジェーン・クルードソン
作詞、アイラ・サンキー作曲の曲として収録されているそうだ。
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