


![]() イギリスにクリスマスツリーの風習を紹介したのは、ヴィクトリア女王 の夫で、ドイツ出身のアルバート公です。 1840年、二人は結婚後始めてのクリスマスを祝うため、ウィンザー城 にクリスマスツリーを持ち込みました。 蝋燭・砂糖菓子・ケーキがぶら下がり、リボンや紙輪で飾られた小型 のツリーは、幾台ものテーブルにそれぞれ1本づつ立てられ、その足元 には心を込めて用意された贈り物がありました。 女王からのプレゼントは、ジョージ・ヘイターに描かせた夫の肖像画。 アルバート公は、小さなモロッコ革の裁縫箱をプレゼントしたそうです。 19世紀初頭にドイツから導入されたクリスマスを祝う風習を広めたのは アデレイド王妃ともジョージ3世の后とも言われています。しかしアルバート 公は、王家の内輪の催事にすぎなかったクリスマスの祝い事を、国民的な 行事にまで盛り立て、普及させていったのでした。 仲睦まじい王家のクリスマスは、理想の家族像として国民は憧れました。 ヴィクトリア女王は、ハノーヴァー朝第3代国王ジョージ3世の四男ケント公エドワードとドイツのザクセン・コーブルク 公の娘を両親とし1819年に生まれました。1837年6月20日、王冠が18歳のヴィクトリアに転がり込みました。 金髪で桜色の頬をした若き女王は、即位当初から国民の熱狂的な歓迎を受けました。彼女の「きまじめさ」は、王室に 清潔で道徳的なイメージを抱いていたイギリス国民が、それまでのスキャンダラスな国王一族とは違う、威風堂々とした 尊厳が感じられたからなのでした。 女王は即位3年目にアルバート公と結婚をしました。アルバート公は、ドイツ人で女王とは同い歳のいとこです。 ヴィクトリアは17歳の時、このハンサムでやさしい、「うっとりする」ような表情をするいとこに一目ぼれをしました。 アルバート公もまた、派手な社交生活は肌に合わぬという謹厳な性格で、女王にとってはまたとない伴侶でした。 国民の多くは、このロイヤル=カップルに初めて「理想の夫婦・家庭像」を見出しました。 夫妻の間には9人の子が育ち、家族そろってのバルモラン城での休息が王室の年中行事となったのでした。 1848年12月、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』紙は、王室のクリスマス風景の挿絵を紹介しました。人々は、 初めてツリーを飾る習慣を知ることとなるのです。 まずは、王室びいきの上流階級が真似をしていたのですが、1960〜70年代には広く国民に浸透していきました。 それは、中産階級という産業革命以後の新しい階層の人々が大いに関連しています。彼等は、自ら作った財産で 貴族趣味を真似する事で、ステイタスを創り上げていったのですからね。 アルバート公との最後のクリスマスとなった1860年の王室一家のクリスマスイブは、それはそれは美しいものでした。 3部屋ある女王の私用の居間は、シャンデリアが取り外された跡に天井から数本のクリスマスツリーが吊り下げられ、 梢に灯された灯りが部屋の隅々まで照らしていました。そびえ立つツリーや各テーブルに置かれた小さなツリーには、 数え切れない程の砂糖菓子と蝋燭で飾られていました。そして、王室一家がお互いに贈るプレゼントが部屋中に並ばれ ていました。全員がお互いに贈り合うので、一人が13個ものプレゼントを受け取る事になるのです。 「子供たち全員に取り囲まれたあの時のヴィクトリア女王ほど真の幸福に照り輝く母親の姿を、私はそれまで見たことが なかった。」パーティーに招待されたビング子爵はタイムズ紙のデュレーンに宛てこの日のことを手紙に綴っています。 クリスマスの正餐には、アイルランド総督から献上されたヤマシギを100羽使ったパイや50羽以上の七面鳥等、豪快な メニューで、真夜中まで宴は続いたのです。 1861年の12月14日、前の晩ヴィクトリアに「私の可愛い小さな奥さん」とかすかに聞こえる声で囁いた一言を最後に アルバート公は急逝しました。ヴィクトリアは夫の死の直前「貴方の小さな奥さんに、接吻を一度だけ・・・」とせがむと、 彼は女王に優しく口づけをしたそうです。結婚して22回目のクリスマスを目前に・・・ その後、女王は長い間喪に服し、公の席に姿を見せませんでした。本当に愛し合っていた理想のご夫婦だったので しょうね。 |
