The Glass Ornament

ガラス製オーナメントは、19世紀中頃から製造され始めました
旧東西ドイツとの国境地帯の東側、
Lauschaという町で始まりました。
Lauscha
は農耕も牧畜も困難な山岳地帯の小さな町です。
この町の森には、有り余る量の砂・石灰石・ケイ酸等の
ガラス製造に必要な成分がとれたました。
1597年からワイングラスや実験用ガラス器具・ビスクドールの人形用の目
義眼などを製造していました。
1600年代に、ガラス玉はシャンデリアの装飾のために作られました。
このガラス玉には、クリスマスツリーやキリストの誕生シーンの彫刻など、
ガラス職人が、その腕を競うように彫られました。

この木製のシャンデリアは「シュピンネ」と呼ばれていました。
しかし、1845年頃からボヘミアのガラス吹き職人達が、優れた玉を生産た事から
Lauschaは、ほとんどの市場でボヘミアの製品に負けるようになりました。


19世紀中頃からクリスマスツリーが一般化するのに伴いガラスボールの飾りを
製造するようになりました。きっかけは、労働者の気晴らしから始まりました。
ガラスを吹く作業は、熱さと喉の渇きと戦いながら行う大変な仕事です。
そんな中、労働者達は、誰が一番吹くことができるかを確かめるために
ガラスが爆発する寸前まで、最も大きなボールを作るというゲームをしました。

このボールは、硝酸塩を利用することで、内側が銀色になりました。
銀色の美しいボールは、クリスマス市場でクリスマス・ボールとして売られ
この地域一体の主要産品となりました。


町の小さな各作業所は、家庭内手工業が主で、自ら設計し製品を作成しました。
女性は、内部を銀色にする仕事をしました。内部を覆った後、ストーブの上や天井で乾燥させ
.翌朝、銀の装飾は様々な色がつけられたラッカーに漬けられ、再び乾燥させました。
家族総出で1日8〜15時間、週6日働いて、週300〜600個の装飾を行なうことができました。



1863年には、Lauschaの町にガスが普及されました。
これによりガラスを吹く作業がはるかに容易になりました。

ガスでの作業はガラスを破裂せずに、非常により薄く吹くことが可能になりました。
また、木製の型が発明され、軽さと輝きを持つ製品はすぐに人気を獲得しました。
初め、それらは背負子やバッグを持った行商人によって売られていました。
しかし、短時間では、それらは他国へ輸出されるようになりました。


1870年代には、Lauschaは英国とアメリカへガラス玉を輸出するようになりました。
特にアメリカは、ドイツ系移民によって紹介され人気が出た為、ツリーの装飾品の95%を
この地方から輸入するようになっていました。


クリスマス・ボールは、オーナメントとしてクリスマスツリーに飾る為の
ステータス・シンボルになっていきました。

1890年代には、英国国民のほとんど誰もが、ガラス製オーナメントで
ツリーを装飾するようになりました。

     




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